リベリカルテスター・レスティア

Phase1 暖かな木漏れ日の差しこむ森でのこと

1-1 純白なる少女

 オルティスという国の末端、郊外のとある森に住む、平凡な青年がいた。エルドという名前の青年である。


 魔法の才能もほとんどなく、そのほかに出来ることも特になかった。強いて言うなら、森に住む動物や魔物たちと仲良くできること、料理がちょっとだけ得意なこと、人一倍暢気で鈍感なことであった。最後に至っては、特技ですらない。


 先祖代々受け継がれてきたという、この森の管理が彼の生業である。その割には、この土地がどういう場所なのか全く知らなかった。両親も分からないという。けれど、木が多い割には明るくて、所々にある水はとても綺麗で美味しくて、凡庸なものから希少なものまで、様々な種類の花が咲き誇っていることが自慢の森だ。動物や魔物たちはみな可愛くて、意思疎通こそできないものの、まるで血の繋がった家族のような存在だと、エルドは考えていた。


 今日も森に異変がないかを探るべく、また、町に売りに行くための資材集めも目的として、青年は森を散策していた。


「小さめの斧を作ってみるか……それ」


 手に力を込める。わずかな魔力が、光となり、彼の手に収束する。徐々に彼の思い描いたものの形を作っていくが、残念ながら、物とはなりえなかった。


「ダメだなー。仕方ないか、今日も手で集めよう。あと、動物たちにも頼んでみるか」


 道具を作る魔法が上手くいったことはほとんどなかったが、いつもの事なので、エルドはたいして気にしなかった。機嫌のよい鼻歌を歌いながら、どうせ今日も何も起こることはないだろうと思い、のんびりと、気持ちよく歩いていた。


 一つの花畑がある場所にたどり着いた。ここは、白く可憐な花が集う場所である。清らかな泉のほとりで、甘く爽やかな香りをめいっぱい取り入れようと、彼は深呼吸をした。


 ――血の匂いがする。


 彼は鼻歌を止め、その匂いのする方向へ急いだ。


 白い衣を纏った少女がうずくまっていた。彼女の呼吸は苦しそうだった。彼女の身体の横に、銀色の大きな杖が投げ出されていた。おそらく、彼女の魔法の杖である。


 まるでこの白い花々から生まれたかのように、その中に包み込まれて埋もれる、少女の姿に見惚れてしまいそうであった。この国では見慣れない容貌でもあった。しかし、そのようなことをしている場合では無い。少女の身体を見ると、胴の部分の白い衣が真っ赤に染まっていた。


「お前、こんなケガして、大丈夫か!」


 青年は、見知らぬその少女を抱きかかえ、懸命に声をかけ続けた。そういえば、青年の数少ない長所の一つに、お人好しというものもあったようだ。


「しっかりしろ! なあ!」

「……う……っ」


 青年の腕の中で、少女はゆっくりと目を開けた。


「よかった……」


 青年は安堵の声を漏らした。その刹那、少女は力を失った表情から一変、遠くにいる何かを睨み付けるように険しい顔を見せた。そして青年の腕を力いっぱい振りほどいた挙句、彼を突き飛ばした。さらに、バランスを崩した彼は近くの池に落ちてしまった。


「なっ、何すんだ!」


 彼は透き通った水の中に沈んだ。せっかく介抱しようと思ったのに突き飛ばすなんて、と文句を言ってやろうと、すぐさま池から上がると、信じられない光景が彼の目に入った。


 白い花畑の一帯が、炎に包まれていた。そして、青年の耳に大きな鳴き声が入ってきた。それはいつも戯れる動物たちの鳴き声とは完全に異なるものであった。


「あれは、魔物……それも、竜? 何でこんな所に」


 そう叫ぶ彼の声を即座にそれは聞きつけた。そして、目にもとまらぬ速さで彼めがけて急降下した。池に浮かびながら、青年は死を覚悟した。しかしそうはならなかった。


 真っ黒な髪が、不意に目の前に飛び出した。竜は、少女に食らいついた。先ほどの傷をえぐられたようで、真っ赤な血が熱い空気の中に飛散った。透明な池にぽたり、ぽたりとそれは滴る。すぐに透明ではなくなってしまうような量であった。

 

 竜は、近くの地面に降り立った。そして、幸運にも二体の獲物を得られたことに、思わず涎を垂らしていた。それが地面に零れ落ちると、じゅう、と音を立てて土は蒸発した。そして、竜は少女の方を目標に定め、舌を伸ばして喰らおうとした。


「や、やめろーっ!」


 青年はそれを引き留められるわけもなく、少女が無惨に食い散らかされる姿を見ることになると思った。思わず自分の顔を手で覆い、少女の方から目を背けた。


「来ないで!」


 少女は叫んだ。青年は驚く。けれど、彼女は青年に向かってではなく、竜に向かってそう叫んだ。


 その瞬間、彼女を中心に、強い風と眩しい光が巻き起こった。


 そしてそれは、竜の身体を強く押し返した。凄まじい圧に、近くにいた青年も吹き飛ばされてしまった。木に直撃し、そのまま頭から落ちた。けれど、大事には至らなかった。こぶができたと思われる部分を撫でながら、エルドは何とか起き上がる。


「痛てて……魔法か……?」


 竜は彼女の一撃に懲りたようで、尻尾を丸めている。大きな翼をちぢこませ、先ほどの恐ろしい姿はどこにもなかった。そして、少女は立ち上がり、竜に向かった。


「ここは、あなたのいる場所ではないわ。帰りなさい」


 少女に威圧されながら、竜は恐る恐る飛び立った。市街地に向かう危険もあったが、山の方へ帰っていくのが見えた。


「ほ、炎は……あれ?」


 気が付けば、竜が吐き出し、広がったはずの炎は姿を消していた。木や草が焼け焦げた箇所はあるが、彼らの生命力をもってすれば、再生できる程度の損傷にとどまっているようだ。エルドはひとまず、この森に異変がなかったということについて、安心した。


 ――青年はたった今、自分が決して踏み入ることのない領域の光景を、ほんのわずかな時間にして見せつけられたのだ。生活に用いる簡単な魔法すら、十分に成しえない彼にとって、魔法によって戦うことなど、同じ人間のできることではないと思っていたのだ。


 それに、このような、とても戦いを生業とするとは思えない少女によって見せつけられたのである。エルドはただただ、口をぽかんと開けて、膝をついたまま、動けなくなっていた。


「……」


 ばたん、と何かが倒れる音がした。


「……ッ」


 草むらの上に、少女はうずくまっていた。その身は震えていた。


「お、お前、本当に、大丈夫……か」


 少女の腹部の怪我は、見るも無残なものであった。白い衣であったから、溢れ出て飛び散った血液が鮮明に染みついている。思わず、エルドは口をふさぎ、少女の生々しい部分から、目を逸らそうとした。


 彼女がいなければ、自分はこの世とはおさらばしていたに違いない。だから、まずこうするべきだとエルドは考えた。


「……ありがとう」


 目を逸らしつつも、彼女を不安にさせることのないように、そっと声をかけた。


 そして、気持ちだけでこの状況がどうにかなるものではない。応急手当をしなければならない。いくら呑気な彼でも、それだけは理解した。けれど、治癒の魔法などできやしない。できたところで、これほどの大怪我を治癒することなど、大層腕の立つものでないとできないだろう。


 せめて、家にある薬草で出血を抑え、細菌が侵入することの無いよう、消毒ができさえすれば良いだろう。その間に近くの村の医者を呼ぶことができるはずだと、エルドは頭を振り絞って考え出した。


「なあ、家に薬草があるから、ここでじっとしていてくれ!」

「……何を」

「そんな怪我、放っておけるわけないだろ!」

「私は、大丈夫……だから」

「いくらお前が……竜を追い払えるようなすごい魔法使いでも!」


 少女は、苦しげな表情を浮かべながら座った姿勢を保ち、そっと目を瞑った。


 少女の周りを白い光が包んだ。エルドはまたもや唖然とするばかりであった。けれど、今回は違う。先ほどのような、周囲のものを、大型の竜さえも吹き飛ばしてしまうような凄まじい力という、恐れおののくものではなかったからだ。


 優しく、暖かで、心地よい光だ。


 このような光は、今まで見たことも感じたこともない。彼女が先ほど放った、竜をも竦ませるような、鋭いものとは異質に感じられた。美しい光に魅入られながら、ぼんやりとそんなことを考えているうちに、エルドには信じ難い現象が少女に起こったのだ。


「ケガが、治って……いく?」


 彼女の引き裂かれた腹の皮膚は、みるみるうちに再生したのだ。そして、傷口の周囲に飛び散った血痕もきれいに消滅した。さらに、白い衣までも、元通りになったようだ。


「……大丈夫って、言ったでしょう」


 少女の表情から、怪我による苦痛の跡は無くなっていた。


「そ、そう……だな」


 エルドは、状況を呑み込めないままに、返事をした。


「でも」

「怪我をした、という事実は無くならないと?」

「それも、そうだけど」


 少女の顔は、涼しさを保っているようだった。しかし、俯き、エルドとは目を合わせようとしなかった。その理由を聞いてみたいと思ったが、たった数分前に出会っただけの見知らぬ少女に、すぐにそのような重苦しいことを聞く気にはなれなかった。


 この森に人が訪れることはほとんどなかった。美しい場所であったが、観光地と言えるほどのものでもない。地図に記されてはいるものの、興味を示す者もいなかった。エルドの家は、森で採取できる資源によって、なんとか生計をを立てていた。必要な物資があるときは、少し離れた村や町の市場に出向いた。


 そのような暮らしを続ける中で、エルドは、家族以外の人間との関わりを、ほとんど持たないようになっていたのだ。家族だって、兄弟はおらず、親戚もいない。父と母と暮らしているのみである。

 

 両親のことは好きだし、この生活に一切の不服はない。むしろ、幸せだと感じていた。けれども、こんな形であれ、今目の前にいる者と、ひと時の間でもいいから、話をしてみたかったのだ。


 彼女の白い姿に堕ちる、ほの暗さの真意を尋ねることは、こんな初対面であっては、やはり気が引けてしまう。けれども、そんなエルドに、言わずにはいられない言葉があった。


「いつでも、ここに来ていいからな」


 エルドは、気まぐれで言ってみたはずであったが、急に気恥ずかしくなった。顔が熱くなるのが分かった。慌てて、覆い隠すかのように言葉を続けた。


「その、普段はとても穏やかで……のんびりできる場所なんだよ、この森は。だから、その、疲れたときにふらっと立ち寄ってもいいんだぞ、ってことなんだけど」


 少女は、初めてエルドと目を合わせた。


「……」


 彼女は、目を見開いている。澄み切った、紫色の瞳をしていた。


「……あ! 別に、絶対次も来いよって訳じゃないからな! ただ、その……ここ、あんまり人が来ないからさ、こんな形でも……お前が来てくれたのが嬉しくてな」


 彼女がここへ来たのはほんの偶然であると、エルドは考えていた。なんとなく、自分を助けに来たという訳ではないことは、分かっている。自分には魔法の才能がなく、魔法を生業とすることはおろか、戦うことなんてできやしない。


 彼女は、自分とは正反対の世界にいる者で、きっと、自分なんかとは永遠にすれ違うことすらなく生きていくであろう者であったのだ。そのような者が、何の関係もなかったはずの人間を、命を賭して助けてくれたのだ。


 彼女は平気と言うけれど、エルドにはとてもそうは思えない。彼女がどのような生活をしているのかはわからない。けれど、今ここで目にしたような事態に常日頃から晒されているのでは、心を落ち着かせる暇などないのではないか。エルドは、想像しただけで身の毛がよだった。心も、体も、いくつあっても耐えられないだろう。


 自分には何のとりえもないと思い込んでいるため、自身によって返せる礼など、エルドには思いつかなかった。けれど、先祖代々守り継いできたこの森は、誇りに思うものであった。だからそれを、せめてものお礼として、彼女に伝えたかったのだ。


 間を置いて、少女が口を開いた。


「……わかった」


 少女は、ぽつりと返事をした。小さな声であったが、はっきりと、そう言った。


「気が、向いたらね」


 少女はくるりと振り返り、そう言った。エルドは、彼女の背中をじっと見つめるばかりであった。表情はわからなかったが、肩をすぼめ、ふるふると震えているようであった。


 けれどそれは、恐怖による身震いではないことが、見て取れた。ゆっくりと、少女は歩き出す。


 エルドは、その姿に思わず微笑んだ。これで、今日のところはお別れのつもりであったが、彼は、あることに気づき、とっさに言う。


「何て言うの? 名前」


 少女は、黙ってしまった。無視はしていないようであるが。


「失礼だよな、自分が名乗ってないってのに……。オレはエルド。ここの森を管理してる者です」


 少女は、応じた。やはり、間があったように思えた。


「リベリカルテスター」


 聞いたことがある。リベリカルテスター。確か、国を守るために魔物や悪い連中と戦う、オルティス王家に属している魔法使いのことだ。その正体が、こんな者だったなんて、まさか、本当に会うことがあるなんて、とエルドは驚きを隠せなかった。


 少女は、エルドの驚きを、何とも思っていないようであった。


「ご、ごめん。何か、変な反応しちゃって。オルティスの国民なのに、そんなことにいちいち驚いて。そうだよな……そんなすごい魔法使いの事、分かってなかったなんて、おかしいよな、うん」


 エルドは、自分の無知さを恥じて、独りでぶつぶつとつぶやいた。リベリカルテスターは、その姿をぼうっと眺めていた。


「……帰る」


 リベリカルテスターは、小さな声で、しかし、エルドに聞こえるように、素っ気なく言った。そして、今度こそ、森の外へ歩き始めた。


「またな! 今日は、危ないところを助けてくれて、本当にありがとう!」


 森の外へ向かって歩いていく彼女の姿が見えなくなるまで、エルドは手を振った。そして、エルドは自分の家へと歩き出した。


 些細な後悔を後に、エルドは、森の奥にある自分の家へと帰ることにした。頭の中は先ほどの出来事でいっぱいになっていた。

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