リバーブレーション

洒落シャレた味」

 それが、ミントティーを口にした晶の感想だった。

「──褒めてるのそれ?」

「けなしてはないだろ」

 そう言って、晶は二口目を啜る。眉間にはシワが寄っていて、お世辞にもあまり美味しそうな表情かおではなかった。

 稲荷神社にて、私と晶はいつもの木陰に座っている。今日はお尻の下にレジャーマットを敷いているので服が汚れる心配もない。時折、木漏れ日を遮るのはヒバリだろうか。歌うように囀ってはいるけれど──晶が何も言わないから、本当のところはわからない。何となく尋ねる気にもなれなくて。


 眠いようなそうでもないような、どこか気持ちのふわふわする、休日の昼下がりだった。


「ん」

 その一音と共に、晶から返されたコップを受け取る。一つのコップで回し飲み。他の義姉妹や友だちなら、私の飲みかけなんてイヤじゃないかな──と不安になるところだけれど。

 不思議と、彼女が相手ならそんな気兼ねはなかった。

「ユキンコもやってみろよ。食レポ」

 さっきの食レポだったんだ──なんて思いつつ、私はカップに入ったそれを口にする。

 煮出した中国緑茶に、ペパーミントとお砂糖を入れただけのシンプルなミントティー。

 レポートも何も私は淹れた張本人なので、どんな味かはすでに知っている。一応モロッコ風だけど、お砂糖は少なめにしたので、甘みより緑茶の苦味がやや勝る。ただ、こうして外で飲んでみると、キッチンで味見したときとはまた違う風味があって──。

「アラビアンって感じ」

「──褒めてんのかそれ?」

「──けなしてはないでしょ」

 睨むような目つきでしばし見つめ合って、どちらからともなく笑った。

 風が吹いた。揺れる絵馬同士がカラコロと甲高いを立てる。

 鼻先を優しい香りがくすぐっていく。


「つくしの靴、ユキンコが見つけたんだってな」


 一杯のミントティーを飲み終えたところで、晶が口を開いた。

 きゅっと肩の辺りが強張った。晶が何を言いたいのかを察してしまったから。

「うん。偶々──その、お散歩してたら」

「一人で、だろ」

 晶の顔を見た。

 その眼差しが幾許いくばくか棘を湛えていたら、私の気持ちはどれほど楽だっただろう。彼女の瞳は、ひたすらに寂し気だった。私は、ゆるゆると目線を足許に落とした。

「つくしがああなって、朝一人で出歩くのは禁止って言われてなかったか」

 うん──と言って、小さく頷く。


「言っとくけど、マジで怒ってるからな。ただ──怒ってるだけでもねぇから」


 わかってる。それが、わかってしまうからこそ。

 貴女に、大野木家の皆に申し訳ないって気持ちでいっぱいになる。晶は多分私がこんなにも縮こまっているのは、決まりごとを破ったことを咎められたからだと思っているのだろう。でも、本当は違う。それも理由の一つではあるけど、それだけじゃない。


 だって、その決まりごとを守ることは、きっとないから。


 貴方や他の義姉妹の気持ちに寄り添うことはできても、できるのは寄り添うまでだから。どうしてルールを守れないんだって咎められても、何一つ答えることはできないから。

 膝の上につくった拳に力を込める。

「私、ささめ姉さんに靴を渡して良かったのかな」

 つくしちゃんのスニーカー。

〈狸〉との戦いのあと、ボスたちが見つけてくれたもの。

「良かったに決まってるだろ。アイツ、前よりちょっと元気になったじゃん」


 ──元気になった。


 確かに、顔を見せてくれるようにはなった。

 義姉妹の輪に、家族の輪にまた加わってくれるようになった。笑顔を見せてくれるようになった。だけど──。

 顔を上げた。晶の方を向いた。


「私、急がせてしまったんじゃないかな。ささめ姉さんのこと。姉さんは、本当はもっと悲しんでいて良かったんじゃないかな」


 家族の誰もが、つくしちゃんを喪って傷付いた。中でもささめ姉さんは一際傷付いていた。それでも、自分を、周りを蔑ろにしたりはしなかった。これまで通り、義姉妹の長女であろうと、皆のささめ姉さんであろうと気丈に振る舞っていた。

 悲しんで悲しんで、いつか自然と無理のない形で、前を向いていただろう姉さんの背中を、私は徒に押してしまったんじゃないかな。


 ささめ姉さんを見守る時期は、本当に晶の言う通りとっくの昔に過ぎ去っていたのかな──。


 不意に、晶の手が伸びてくる。頭を撫でる手つきは、相も変わらずちょっとがさつで。やっぱりこの感じは結構好き。ただ、今に限っては。

「──もっと優しく撫でられないの?」

「他人の慰め方にケチつけるって正気かオマエ。いや、前に鏡花が言ってたんだけどさ」

「うん」


「ユキンコほど優しい人間に出会ったことないって。たかだか十年ちょっとしか生きてねぇくせになーに言ってんだコイツってそんときは思ったけどよ。今、なんとなーくわかった。優し過ぎるって多分ユキンコみたいなヤツのこと言うんだよ」


 優し過ぎる人間は、たとえ苔でできた存在であっても傷付けたり殺したりはしないよ──と心の底で自嘲しておく。

「そんなふうに考えるなとは言わねぇよ。それがユキンコの良いところなんだし。そういう長所を潰すのはもったいないってことくらい、私でもわかる」

 晶がすっくと立ち上がった。うーんと伸びをしてから、肩越しにこっちを向いた。シンプルな赤いピアスがちらと輝いた。

「そろそろ帰るぞ。もうじき日も暮れる」

 晶の言葉に、私は頷く。水筒とレジャーマットを仕舞ったトートバッグを肩にかけ、傍に置いていた日傘を手に取って、広げようとしたところで──。

 右手が、思うように動かないことに気付いた。


 心当たりなら、ある。


 パワーアニマル。ヒヒイロゴケを用いた戦術。疑似的な動物霊の憑依。それが、最たるものというだけで、刀の精製にせよ、滑走にせよ、ヒヒイロゴケにアクセスすることは少なからず脳に負荷をかける。この手の後遺症は、戦いのあった日から数日断続的に現れる。

 ボスたちには──多分、隠し通せている。

「ねぇ、晶」

「うん?」

 私は、晶に日傘を差し出した。

「代わりに差してくれない?」

 何だよやけに甘えるなとからかうような微笑み混じりに、晶は日傘を広げてくれる。彼女が、それを持ってくれるのはいつものこと。だから、妙な違和を覚えたりはしていないと思う。

 そういう気分なんだよ──と言って、私は晶に身を寄せた。右の指先は、まだ幽かに震えている。


 この戦いは、視えている限り終わらない。


 だけど、視えなくなってしまったら、もう誰のためにも戦うことはできない。

 大切な誰かを護れるという、ただでさえ少ない可能性が、完全にゼロになってしまう。

 たとえ、この皮膚の下を、血管の中を、脳も含め全身の隅々に行き渡るまで。

 あの赤いコケが、混じり巡っていたとしても。

 それでも、私は私を保っているから。まだ保てているから。

 こうして寄り添える貴女がいて、帰れる家が、迎えてくれる大切な人たちがいるから。


 だから、きっと。


「なあ、そこまで近付かれると流石に歩きづれーんだけど」

「いいよ。歩きづらいくらいで。それくらい──ゆっくり帰ろうよ」

 私──大野木ココは恵まれている。

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