ヒーロー

真水

正義の味方。

 その国には、ヒーローと呼ばれる一人の青年がいた。敵国からの軍隊にたった一人で立ち向かい、勝利を掴み取ってくる。教養も深く、人望も厚い。聖人君子の生き字引のような人だった。しかし彼は、戦場に誰一人として仲間を連れていこうとしなかった。危険に晒したくない。そう微笑みながら答える彼の優しさに、幾人もが涙した。

 


 大きな戦争があった。

彼はまた一人で戦場に赴き、勇気と愛国心に身を奮わせ、敵軍から祖国を守ったのだ。ヒーローの活躍は瞬く間に国中を駆け巡る。大きくなったら彼のようになるんだ、と目を輝かせる少年は後を絶たないそうだ。

 

 また大きな戦争が起こった。彼はいつものように出向いて行く。もう誰も彼の自国の敗退を疑ってはいなかった。疑う余地などなかった。ヒーローが、絶対的正義がいたから。しかし、いつもなら戻ってくるはずの頃、まだ彼の姿は見えない。人々は不安を抱えながら、しかし疑いはせず、待っていた。しかし、戻ってこない。彼は戻ってこなかった。敵軍はあっという間に国を占領し、人々を捉えていく。しかしまだ、人々は希望を失っていなかった。彼が、ヒーローが、助けに来てくれるはず。だって、彼は正義だから。人々は暗くて冷たい牢屋の中で、信仰するように、盲信するように彼の助けを望んでいた。もう一度彼の姿を見ることを待っていた。


 しかし、次に人々が見た彼の姿はは、絞首台に立つ、ボロボロの姿だった。やつれて、傷だらけの彼は、かつての面影も、目に宿していた情熱も光も、既に失ってしまっていた。しかし人々は、まだ希望を持っていた。きっと彼は、何か卑怯な罠にかけられて、囚われてしまったんだ。だが彼はヒーローだから、きっとなにか打開策を考えているはずだ。あそこから逃げる術を持っているはずだ。我々を、助けてくれるはずだ。だって彼は、正義だから。もはや祈りに近かった。しかし、彼の光のやどっていない瞳は、容赦なく人々の希望を奪っていく。

 

 執行人が、罪を読み上げる。

「この者は、我らが祖国の、勇気溢れる同輩を無残に虐殺した大罪人であり、その罪は大変に重いものである。よってここに絞首刑に処す。」

人々は混乱した。虐殺?大罪人?彼が?そんなはずがない!人々は抗議した。口々に罵詈雑言を吐く民衆に、もはや彼は目を向けていなかった。

 

「今までの度重なる戦争で、この者は数多もの殺人を犯してきた。重ねて、この者がこの戦争を長期化させた原因であり、存在自体が罪である。我々は、平和を求め、正義の名の元に、刑を実行する。」

人々は、絶句した。勝利とは、そういう事だったのだ。彼は戦場で人を殺し続け、しかし笑顔で帰ってきていたのだ。子供たちを撫でていたあの手は、敵国の血で汚れ果てていたのだ。人々は罵詈雑言を浴びせた。しかしそれは、執行人にではなく、ヒーローにであった。いや、もはや彼はヒーローではない。正義ではないのだ。我々は騙されていた、と言わんばかりの口撃の数々を受けてもなお、彼は民衆に目を向けようとはしなかった。

 

 彼の首に縄が掛けられていく。その間も、民衆の声は止まない。かつて彼を慕っていた少年少女も、大人に混じって彼に批判をあびせていた。

 

 いよいよ、刑の執行の時。

もはや民衆は、その時を待ち望んでいた。敵国の民も、自国の民も、皆彼の死を望んでいた。奇しくも、この瞬間にこそ両国の対立が無くなった瞬間だった。中には、拍手を始め、指笛まで鳴らす者もいた。

 

「ここに、刑を執行する!」

 

 彼が、やっと顔を上げ、民衆の姿を見たのはその瞬間であった。と同時に、人々が彼の表情をはっきりと見たのもその瞬間であった。

 

 彼は笑っていた。

 希望の無い目で、笑っていた。

 

 次の瞬間には、彼の体は縄から垂れ下がり、数回揺れたあと、一切の動きをとめた。

 

 沈黙。その後に聞こえ始めたのは、拍手であった。歓声であった。戦争は終わった。正義は執行された。平和を掴み取った。人々は敵味方関係なく喜びあった。歓声が国を満たしていく。その歓声は、かつて彼が、祖国に帰った時に浴びせられた歓声と、よく似ていた。

 

 

 

 

 ヒーローは、正義によって、殺されたのだった。

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