第19話
木下がキッチンテーブルの椅子に腰掛けて母をジッと睨みつける。母が、辞めてもらうからもう二度と来ない様にと、きつく言い渡した。 木下が反論した。そんな事をしたら、数学の成績は上がらないし、自分は、貴方の甘やかされていて駄目な子供をしっかりと教育して、躾直し直してやっている。そうした手伝いをしてやっている、と。そしてそれは祖母も承知だからと。言いながら又、顔面が真っ赤なトマト顔になった。 母が凄い調子で切り返した。貴方みたいな人が教育だとか躾だとか、そんな事を言う資格は無い。そんな人間がそんな事ができる筈が無い。只面白いから虐めてて、それでお金が貰えるんだから、そんな良い事はないのだろう!だから続けたいだけだろう。 しかも相手は女の子だから、何にも抵抗できないんだから。まだ男の子なら、それでもまだ少しは何とかできただろうが、と。 だから、これ以上ガタガタ言うなら、出る所に出るからと。 「だけどおばあちゃんに頼まれましたから?数学を教える様にって、ちゃんとに叱ってくれる様にって言われましたから!!」 「そんなの関係ありません。母が何を言っても、お金を出すのは私ですよ。私の子供なんですよ。大体、母は私の扶養家族ですから。私が面倒を見て食べらしてるんですから。」「じゃあ、子供がどんなに悪くても叱らないんですか?何もしないんですか?!」 木下はまだ食い下がった。どうしても辞めたくないし、家へ来て私を虐めながら、タダ飯を食べて、雑談して、そうして遊びながらお金を貰いたいんだろう。そして恐らくは祖母に、しつこく食い下がれば大丈夫だから、とでも言われたのかもしれない。 私はハラハラしながら様子を見守った。
母は弱い人間だ。そして、頭が良いだとか、肩書がある人間には弱いし、何でも言われたら信用したり、言うことを聞く。この傾向が強い。 木下は、どこだかは忘れたが、割と良い大学ヘ通っていた。そこに受かり、地方から出て来て、一人暮らしをしながら通っていたのだ。だから数学はよくできるし、頭は悪くなかった。
母が返答した。 「はっ?一体うちの子供が、どんな悪い事をしたって言うんですか?」 「おばあちゃんに色々と口答えしてるじゃないですか?ちゃんとに聞いていますよ。」 母は呆れて笑い出した。 「貴方、頭は大丈夫ですか?」 「何だって?!」 「だってそんなの!どこの家だってそんな事当たり前ですよ。子供は口答え位しますよ。ましてや中学生にもなれば、そんなの普通ですから!」 「それがおかしいって言ってるんだよ!!そんなの良い訳ないだろう?子供が大人に口答えして、ましてや年のいった自分のおばあちゃんに!」 「だから母が何をどう言ったか知りませんけど、そんなのは大した事じゃないんですよ。よっぽど酷い事を言ったんなら、私だって勿論物凄く叱りますよ。だけど、そんな事を言いませんから。」 「何故分かるんですか?普段いないのに。」「自分の子供だから、そんな事分かりますから。」 「じゃあ僕も兄弟や、親戚の子供が沢山いて、分かりますから!貴方よりも僕の方が、年も近いですから。」 「貴方ねー!!そんな、兄弟や親戚の子なんかと違いますよ。こっちは親なんですよ。自分が産んでるんですから。自分の子供なんですからね。」 母は呆れ返っていた。 「じゃ、じゃあ、犬の事はどうなんですか?!」 「何ですか、犬の事って?」 「おばあちゃんの飼い犬を、虐めたでしょう?」
木下が嬉しそうに、丸で鬼の首でも取った様に得意そうに言った。 母は分からない、と言う顔をした。私も、何の事だか分からなかった。 うちには当時、マルチーズがいた。祖母が面倒を見ていて、自分の犬の様にしていた。だがそれは、母が貰って来たのだ。 母が米軍基地内で働いていて、その中の自分のいた部署には、獣医がいたのだ。動植物検疫所と言う部署だが、獣医もいて、そこには日本人従業員も何人か働いていた。事務職で、タイプを打ったり電話を取ったりする秘書職と言う職種に、女性が何人かいて、母もそれをやっていた。 獣医がいるから、当然動物病院もある。そこには、軍用犬も連れて来られたり、中に住むアメリカ人の、軍人の家族がペットの犬や猫を連れて来たりする。 それで、たまに迷子の犬だとかがいて、動物病院へ誰かが連れて来たりしたらしい。 しばらくは置いておくが、飼い主が現れなかったり、新たな飼い主が見つからないと殺処分されてしまうらしい。 母はそれで、この雄のマルチーズを貰って来たのだ。 だが普段、祖母は隔離するみたいに自分の部屋に置いておき、余り触らせてはくれなかった。自分以外に懐かれたり、自分よりも好きになられたら嫌だからだったらしい。 だから私も母も何の事を言っているのか、丸で分からなかった。 ( 続く.)
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