第5話 3年生


 受験の一年と言われる学年に上がると、絵莉奈はソフトボール部の主将を務めた。相変わらず教室では、羽化したての心細くなるような、紬の肩を見つめ続けていた。


 何も変わらない日々に一つだけ、絵莉奈の心に影を落とすものがあった。副担任の飯島保だった。



 副担任が発表された時、黄色い歓声がしたのを覚えている。飯島は大学を出たばかりの、中肉中背の若い男性教師だった。


 髪の毛をワックスでくしゃくしゃにして、女子生徒を適当にいなす姿はこなれていて、女子達の心を掴んでいた。飯島保だから、たもっちゃんと絵莉奈のグループは気安く呼び、他は飯島せんせぇ、と鼻にかかった声で、飯島を取り囲んでいた。



 絵莉奈は飯島などどうでも良かったが、飯島の紬に対する態度に不信感を抱いていた。飯島は、数学の担当だった。授業中、採点済みの小テストを配りながら、紬がミスをした部分を取り上げては、指摘することがたびたびあった。


 それだけなら良かったが、紬のミスというのが、数字の7を特徴的に書いていたとか、どうでも良いことなのだ。飯島は紬の小テストについて事細かに指摘し終えると、



『天野はもうちょっと頑張らないとなー』



 と言って、紬の両肩にぽんっと手を置いた。瞬間を目撃した絵莉奈は、吐き気がした。教室でたびたび行われる、紬への明らかに一線を越えた行為。


 段々と皆が、違和感を持ち始めていた。しかしそれは人気者のイケメン教師へ、では無く、批判は奇妙な方向へ、矛先が定められていた。



「あれさ、ありえなくない?……天野さん」


「あれビッチだよ。飯島先生誘って」


「青木先輩だってそうでしょー?天野に誘われたって、青木先輩言ってたもん」



 絵莉奈は内心ハラハラしながら、周囲の不満に頷いた。紬が飯島を誘惑している、と噂が立ってから、紬は教室で孤立を深めていた。


 あれだけ彼女に群がって鼻の下を伸ばしていた男子も、教員で、自分達が到底、勝てそうに無い同性だと踏んだのか、紬と距離を取り始めた。



 あいつ、ヤリマンだよ。



 口を歪めて、知ったような口を利く男子と、憧れの先生を取られたと、恨みを持つ女子の間に、絆ができ始めていた。絵莉奈はぐらぐらと揺れる体を、必死にバランスを取って、考えた。


 私にできることを。紬を守る方法を。

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