第7話(裏).奥様は女王蜂(ヴェスパーナ) その七

 結局、あれからもまた1度、妾はキャンプへ逃げ戻った。

 体力はともかく空腹と疲労スタミナが限界じゃったのでなぁ。


 (とは言え、ようやく相手を追い詰めつつあるという感触もある)

 我が君が焼いてくださったクック肉の塊りを、少々お行儀悪く頬張りながらも、妾は考えをめぐらせる。


 「ラン……」

 そん心配げな目で見てくださるな、我が君。ランは、まだやれます故に。


 (問題は時間じゃな。あと1度、ここに帰還して体勢を立て直すほどの余裕はない。それをすれば、おそらく時間切れで“依頼クエスト”は失敗となるじゃろう)


 そしてもうひとつ。解毒剤のストックが切れたことも懸念材料じゃな。

 (抜かった。解毒剤を調合するための材料も一緒に持ってくるべきであったわ)


 それでもここであきらめるという選択肢は、妾にはなかった。

 慎重かつ迅速に標的を見つけ、追撃する。

 石棘幼亀も弱っているはおるが、残り時間もあとわずかと言うところ。


 「さぁ、根気比べと参りましょうぞ」

 と、意気込んだところで、イーオラニアムの最後っ屁ならぬ毒霧を吸い込んでしまう。


 「グフッ……ぬ、抜かった!」

 回復薬はあと残り1個。これを飲んでも、毒に弱い妾の体質上、毒が消えるまで体力がもつかは怪しい。

 ──万事休す、なのじゃろうか?


 (……イヤじゃ! 妾は……妾は絶対こやつを倒す!)

 あとひとつだけポーチに残ったアイテム。それは……。

 意を決して、妾は“それ”に手を伸ばした。


  *  *  *


 「残り時間あと5分を切ったか……」

 師匠の錆びた声が、いまは疎ましく聞こえる。

 (依頼なんて失敗してもいい。ラン、死ぬなよ……)

 マックは、ひたすらに妻の無事を祈った。

 が、そこで信号玉が空に撃ち出された。色は──青、「狩猟成功」の合図だ。

 しばし遅れて、ベースキャンプ地点の出入り口となっている岩角から彼の妻が姿を見せ、よろけるような足取りで設置された簡易ベッドに倒れ込んだ。


 「ラン!!」

 「心配無用じゃ、我が君。ただ、少し休ませてたもれ……」

 体力を消耗しきっているらしい彼女だが、ベッドに横たわり、安静にすることで、たちまち呼吸も顔色も正常な状態へと復帰する。このあたりの生命力の強さは、さすがいっぱしのハントマンと言うべきか。


 「ラン、大丈夫、なのか?」

 「ご案じめされるな、我が君。汝の伴侶は……この程度の苦難、乗り越えて見せましたぞ!」

 今日、ここに来て以来、初めての自信にあふれた表情を見せるラン。


 「ヘッ、似た者夫婦だな。おめぇさん同様、いざって時のシブとさはピカイチだぜ」

 クルガもまた、どこか満足そうな笑みをその片頬に浮かべていた。


  *  *  *


 「これで、文句はありませぬな?」

 石棘幼亀を解体して得た素材を夫の師に示しながら、ランは胸を張った。

 その様子は、心なしかいつもより子供っぽく見える。


 「ああ、たいしたもんだ。途中でぜってぇ心が折れて投げ出すか、そうでなくても時間切れで失敗すると思ってたんだがな」

 対するクルガの反応は、少しも悔しそうにも残念そうにも見えない。むしろ、“嬉しそう”と言うほうが正解だろう。

 その様子を見て、マックも、師匠が自分の妻に不器用な実戦指導をしてくれていたのだと、ようやく気づいた。


 「それで、何か得られたかい、ラン嬢ちゃん?」

 「はい。それはもうたくさんのことを……」

 試された──いや、教えられた本人も、そのことには気づいたようだ。


 「夫の背中を守る」と言えば聞こえはよいが、同時にそれは、夫を矢面に立たせて自らが直接対峙することを避けている、とも言える。

 無論、前衛と後衛ではその役割は異なるし、より危険な接近戦を挑むのが前衛の役目であることは変わらないが、それでも自分もまた「ハントマンとして巨獣と対している」ことを、彼女は忘れてはならないのだ。


 上級向けの狩りに赴けば、これまでと違って仲間が戦線離脱ダウンする機会も増えるだろう。とくに、夫とふたりで出かけた場合、夫が倒れれば、彼女はひとりでモンスターと対峙せねばならない。

 そんな時も落ち着いて冷静に対処し、彼が狩り場に戻ってくるまでひとりで戦い抜かなければいけないのだ。


 (それに……アレも使えたことじゃしのぅ)

 ランが人の身となる直接の原因となった博打玉だが、じつは彼女はいままで何のかんのと言ってその使用を避けてきた。

 理由は、博打玉の煙を吸うことで、もしかしたら再び大鬼蜂メガヴェスパーの姿に戻るのでは──と言う危惧を捨てきれなかったからだ。


 今回の狩猟で思い切って自らそれを使うことで(そして幸運にも「全状態異常回復」の効果を得られたことで)、その忌避心は解消できたようだ。


 「無事に課題も達成できたみたいだしな。よし。帰ったら、城塞蟹討伐の推薦状を書いて……」

 しかし、ランはクルガの言葉にゆるゆると首を横に振った。

 「いいえ、お師匠殿。妾も自分の未熟さがよぅわかり申した。上級への試験を受けるのは、下級で請けられる依頼をすべてこなしてからに致しまする」

 と、そこでマックに向かって頭を下げる。

 「そういうわけです、我が君。いましばらくご面倒をおかけしまするが……」

 「何言ってるんだ、バカ。俺がお前と一緒に仕事することを面倒だなんて思うわけねーだろ!」

 夫の温かい言葉に目頭が熱くなる。


 ──ああ、そうだ。焦ることはないのだ。

 もちろん、いずれは上級に上がりたいと言う想いは変わらない。

 しかし、夫達にオンブダッコで未熟なまま認定を得ても、結局足手まといにしかならないだろう。


 それに、愛する夫の「背中を守る」だけではなく、彼と「肩を並べて戦いたい」と言う欲も出来てしまった。


 (そのためには、もっともっと精進せねばのぅ)

 ハントマン稼業を初めて7ヵ月あまりにして、ようやく彼女は、本当の意味での狩猟士としての第一歩を踏み出したのかもしれない。

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