第7話(裏).奥様は女王蜂(ヴェスパーナ) その六

 「ハァハァハァ……」


 息が荒い。

 体が重い。

 腕がダルい。

足が痛い。


 (フ……お笑いじゃのぅ)

 “人”になって以来、客観的に見ても、自分わらわはそれなりによくやっている、と思っておった。

 狩猟士である男性の妻として、彼の家を整え、彼のための食事を作り、彼に抱かれまた抱きしめる。

 それだけでよいはずじゃった。


 ──なのに……欲を出した。

 夫が生業としている仕事──狩猟士までも手伝おうとした。

 なぜか?

 夫が危険な目に遭っている時、家で安穏と待っているのが耐えられないから?

 確かにそれも嘘ではあるまい。

 だが、その裏にあるものは、「夫を助けるのは常に自分でありたい」と言う我が儘なエゴではなかったか?

 村人は自分のことを、貞節でよくできた妻じゃと言う。

 まさか!

 わらわは──本当の自分は、嫉妬深い、ただの“女”に過ぎぬ。


 それでも……狩猟士稼業に手を出したからとて、あくまで単なる下級狩猟士として、我が君の支援に徹しておるなら、まだよかった。

 調子に乗って、身のほど知らずにも、難度の高い上級の依頼クエストにまで口を挟もうなどと思ぅたのは、ちと増上慢が過ぎたのかのぅ。


  *  *  *


 酒場でのちょっとした酒宴が終わり、“狩魂王”クルガのふたりの弟子──マックとカシムはともにその師を自宅に招こうとした。

 とりあえず今夜はマック夫妻の家に泊まってもらい、カシムたちの家へは明日訪れるということで話がついたため、クルガはマックたちの案内で、彼らの家まで足を運ぶ。


──コトッ


 「お師匠殿、よろしければ、こちらを」

 まだまだ飲み足りないといった風情の男性ふたりのために、ランは急いで着替えて台所へ入り、白金麦酒に、簡単なツマミ──茹でたソルトビーンズとえりまきマグロのブツをあえたものを添えて出してみた。

 「お、気が利くな、ラン嬢ちゃん」

 ニッカリと相好を崩すクルガの様子は、あたかも孫夫婦の家を訪れた好々爺の如し。


 「しかし……はえぇモンだな。あの半人前ふたりが、上級狩猟士の資格を得て、そのうえ嫁さんまでもらっているたぁ」

 「先生~、いつまでも半人前はないっスよ~」

 酌み交わしつつ師弟の会話は弾み、最近の仕事ぶりや互いの近況、さらにはマックとランのなれそめにまで話が及んでいるようだ。

 その間、ランは基本的には聞き役に専念しつつ、酒と肴を給仕し、ごく稀に我が君の言葉を補う立場に徹していた。


 「ほほぅ、そうかいそうかい。ラン嬢ちゃん、あんた、元は大鬼蜂メガヴェスパーなのかい」

 クルガは、興味深げにランの顔を見つめたが、ことの真偽自体を疑う素振りは見せなかった。おそらく、この経験豊富な老狩猟士は、彼女同様に“人”になった人外の存在と、何人も会ったことがあるのであろう。


 何故先程クルガが酒場でマックたちの様子を知っていたのかについても、種を明かせば簡単なことで、彼も丁度今日、火山地帯で巨獣を狩っていたのだ。クルガほどの腕前にとっては気安い仕事で、早々に片づけたところで、ちょうど彼ら4人のレドグルス狩りを目にしたらしい。


 「しかし、まさか半年ちょいであれだけやるとはな」

 しかし、さすがにそのクルガも、ランがハントマンを始めてまだ7ヵ月目だと知って、驚いたようだ。


 「そうだよなぁ。ハントマン歴5年目にしてようやく上級に上がった俺の立場がないよ」

 嫁が誇らしいのと自分の不甲斐なさのアンビバレンツに、マックは微妙な表情になる。


 「いやいや、これもすべて我が君とご友人のご鞭撻の賜物じゃ。ところで……」

 ちょうどよい機会だと、ランは本来は酒場で言うつもりであった質問を夫に投げかける。

 「今日の仕事で、ようやく妾もこの近辺で狩れる狩猟対象は、怪獣を除いておおよそ戦ったことになる。そろそろ上級昇格試験を受けてみてもよい頃合いではないかと思うのじゃが……いかがであろう?」


 彼女の言葉どおり、ランク51、つまり上級ハントマンとなるために必要な条件は、あとはなにがしかの怪獣デーモンの討伐だけだった。

 下級用依頼の中にも、物品納品や採集・採掘などに、いまだ彼女がこなしていないものはいくつかあるが、それらは特に昇格試験の必須条件には含まれていない。


 「うーーーん、俺たちがフォローすれば、対怪獣戦も問題ない、とは思うけど……なぁ」

 さすがにそれはまだ早いと思ったのか、言葉を濁すマック。

 「無論、妾がまだまだ未熟であることは、よぅ心得ておりまする。されど、妾は早く我が君に追いついて手助けをしたいのじゃ」

 「むぅ」

 そこまで言われると、マックとしても考えざるを得ない。


 「上級狩猟士の資格を得ても、ひとりで勝手に狩りに出たりしないと約束しまする。必ず、我が君と共に仕事しますゆえ……」

 「──なぁ、嬢ちゃん、いったい何を焦っているんでぇ?」

 ふたりのやりとりを聞いていたクルガが、口を挟んだ。


 「お師匠殿、焦っているつもりはありませぬ。ただ……」

 「ただ、マックの坊やに置いていかれるのが辛い、か?」

 「──否定はできませぬな」

 自分も狩猟士の仕事を始めれば夫とともにいられる時間が増える、とランも思っていた。

 確かにそれは事実だった。しかし、ハントマンとしての経験を積めば積むほど、恐くなってきたのだ。


 ──ハントマンの仕事が?

 答えはNOであり、同時にYESでもあった。

 ハントマンとして自分が戦うことが、ではない。

 自分がまだ参加できない困難な上級ハントマンの仕事に出かけていく夫が、自分の知らないところで傷つき、弊れることが、だ。

 いくつも依頼を成功させ、何頭もの大型獣や巨獣を屠るたびに、その想いは強くなっていった。


 その容姿や普段の物腰から落ち着いた大人の女性に見られがちなランだが、“人間の女性”としての経験は、いまだ1年にも満たない。

 そういった類いの不安を克服するには、まだまだ精神的な耐性けいけんちが不足していた。


 「嬢ちゃんの気持ちは、まぁ、わからんでもない。だがな……」

 杯を置いて両腕を組み、虚空を見上げるような姿勢で静かに瞑目したクルガは、次の瞬間、カッと両眼を見開いた。

 「──ハントマンを、ナメるな!!」

 「うッ!?」

 それは、相応に肝が据わっているはずのランでさえ、思わず短い悲鳴をあげてしまうような、迫力に満ちた怒声だった。


 「こいつは、儂がまる2年狩猟士稼業を共にしたハントマンだ。師匠面できるような柄じゃねぇが、少なくともハントマン稼業で大事なことは全部、別れるころには胸に刻んでいたはずだ──マック!」

 「は、はいっ!」

 師匠の不意の呼びかけに、直立不動で気をつけの姿勢をとるマック。


 「ハントマン稼業で二番目に大切なことは、何だ?」

 「倒れずに依頼を完遂することです!」

 「よし。じゃあ一番大事なのは?」

 「それは……」

 チラッとランの方に視線をやる。

 「大事な人のもとに、必ず生きて帰ること、です」


 それこそが、ハントマンの不文律。

 ハントマンが意識を失うほどのダメージを受けた際は、同行するアシスタントがハントマンを連れて即撤退する──という規約とりきめも、少しでも狩猟士の生還率を上げるためにあるのだ。


 「お師匠殿が言いたいことは、理解できまする。されど!」

 半ば以上、クルガの言うことが正しいと認めつつ、ランは己れの口から迸る想いを止められなかった。

 「それでも、妾は、我が君とともにありたい! どんな些細な危険からでも、我が君の背中を護り、その身に負うたすべての傷を癒してさしあげたいのじゃ!!」

 必死になるランの言葉にマックは感動していたが、その師の方はこっそり歎息していた。

 (やれやれ。こいつぁ、ちょっと荒療治が必要だぁね)


 「そこまで言うなら、いいだろう。儂の出す課題をひとつ達成してみせな。それが無事に出来たなら、儂もこれ以上は口を挟まねぇ。逆に協会ギルドに推薦状を書いてやらぁ」


  *  *  *


 クルガ殿が出された課題と言うのは、「火山でイーオラニアムを討伐する」という単純なものじゃった。


 イーオラニアムは別名「石棘幼亀」とも呼ばれ、胴体を岩石のような質感と硬さの丈夫な甲羅に覆われた、岩山地帯に住む背甲種に属する巨獣らしい。

 我にとっては初見じゃが、こやつは何度か狩った黒石棘亀タラスコンの幼生体で、地面に潜れるなど生態もよく似ておるらしい。ただし、タラスコンに比べればふた回り以上小さく、相応に攻撃力も低いとも聞いた。


 我が君のような切断系の武器を主に使うハントマンにはその甲羅の硬さは少々厄介じゃし、妾のような射撃武器との相性もあまり良ぅはないが、何、それでもやり方はあるというものよ。


 「ただし、そいつは嬢ちゃんひとりでやるんだ」

 実は、妾はいままで単身ソロで依頼を請けたことがなかった。

 元々、我が君の援護のためにハントマンになった経緯を考えると、必ずしも不思議なことではなかろうが、ハントマンとしては少々珍しいことも、ま、確かじゃな。


 とは言え、【ソロ受注可】のタグをつけて出される依頼の対象えものは、徒党向け専門で請けられる同様のそれより小型で、比較的倒しやすい個体が多いと言うことは、妾も聞き知っておる。

 (しかも、黒石棘亀ならまだしも、その仔の幼亀なぞ……ソロに不慣れな妾でも、容易に討伐できるわ)

 そう考え、妾もタカをくくっていたおった。


 装備は愛用のグリューロスガンと、クロームメタル素材の防具を選んだ。

 回復薬も超回復薬も含め持てるだけ持つ。岩山によくいる雑魚モンスターの毒唾攻撃対策の解毒剤もバッチリじゃ。


 そうして翌朝早く、意気揚々と狩りに臨んだのじゃが……結果は冒頭のように惨澹たるものじゃった。

 我が君やカシム殿といった優れた前衛と組んで攻撃することに慣れきっていた妾は、己が身ひとつでイーオラニアムの前に立ったとき、いままで自分がいかに安全な立場に護られていたのかを思い知る。


 「ちぃ……適切な間合いがとれぬのぅ」

 間近で敵の注意をひきつけてくれる夫も、驚異的な突進を頼もしく受け止めくれる友人もいない今、防御力に劣る銃装の身では、慎重立ち回らざるを得なんだ。


 無論、イーオラニアムの突進を避けたあとなどに、こちらも攻撃を加えたりはしているものの、ひとりでの狩りに不慣れな妾は、「最小限の動作でかわして的確な位置から反撃する」という単独ソロ射撃手に必須の機微じょうせきがわからない。

 いや、頭では理解しておるのじゃが、身体が、動きがついてこぬのだ。


 恐怖心から不必要に大きく距離をとって回避し、また必然的に攻撃の射程も甘くなる。

 これではいけないと思い切って近くまで追撃した際は、逆にイーオラニアムが甲羅の隙から噴き出す毒噴霧をくらってしまう。


 「し、しもぅた! こやつは、コレがあったのじゃった!!」

 慌てて解毒剤を取り出したものの、それを飲む前に石棘幼亀の突進を受け、あえなく吹っ飛ばされる。成体のタラスコンに比べて毒性が弱いのが唯一の救いじゃな。


 平静を取り繕うことすらできなくなった妾は、ほうほうのていで、いったんベースキャンプまで撤退にげるハメとなった。


 「どうでぇ、嬢ちゃん。初めてひとりで巨獣と対峙した感想は?」

 ベースキャンプには、我が君とクルガ殿が待機しておった。


 「……こわい、ですのぅ……」

 4人なら、いや、夫とふたりであってすらたいした労もなく狩れると思える石棘幼亀。それが、ひとりで戦うとなると果てしなく高い壁に思えた。 


 「で、どうする? まだチャンスはあるが、尻尾巻いて逃げ帰るかい?」

 「そうしたいのはヤマヤマですが、それではお師匠殿は、認めてはくださらぬのじゃろう?」

 「ん。ま、そうだぁな」

 「なれば……いま一度参りましょう」

 「ラン、大丈夫なのか?」

 心配そうに覗き込む我が君に精一杯の笑顔を見せて、妾は再び山を上っていった。


 「幸い、いまだマーキング玉が効いておるようじゃが……あっ!」

 言い終わらないうちに、石棘幼亀の気配が途絶える。

 狩りの対象となる大型獣や巨獣には、マーキング玉を使っておけば、一定時間、匂いと気配によっておおよそどの方向に相手がいるかわかるのじゃが、どうやらその有効時間が切れたようじゃのぅ。


 「早ぅ捜さねば……」

 妾は脳裏にイーオラニアムの親たるタラスコンの行動パターンを思い浮かべた。

 今いるエリアは、本来は大鬼蜂が大発生しておるのじゃが、幸いと言うべきか元同族たるこやつらは妾を攻撃しに来ることはないので考え事をするのには最適うってつけじゃからな。


 (先程までは、すぐ南西のエリアにおったと思うのじゃ。次に現われるのは……)

 「! ここかえ!?」

 思い至る前に、足下がグラグラと不安定に揺れる。

 「クッ、よりにもよって、嫌な予感が当たるとはのぅ!」

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