第5話(裏).奥様は女王蜂(ヴェスパーナ) その三

 「ホレホレ、こっちだこっち!」

 ゼェハァゼェハァと耳ざわりな呼気を吐きながら、しきりと首を上下に振っておる紫色の巨獣は、紫毒井守ウィオラマンデル。その名の通り、イモリを全長4プロト(≒メートル)ほどに巨大化したような水陸種のモンスターじゃな。

 巨獣モンスターとしてはほどほどくらいの強さらしいが、大声で挑発しながら巧みに足元に貼り付き、彼奴の苦手な火属性の片手剣で執拗に斬りつける我が君に気を取られておるのか、わらわの方には殆ど注意を向けておらぬようじゃ。


 沼地の汚泥に足を取られながらも、好機とばかりに妾は手にした軽弩テンペストショットをリロードして、手持ちの麻痺属性弾をありったけ詰め込んだ。

 ほとんど狙いをつけることもせずに、そのまま銃口を怪鳥に向け、銃爪ひきがねを連続して引き絞る。狩人になった最初のころは、いちいち慎重に狙いをつけねばロクに当たらなんだが、最近では手慣れて、さすがにこの程度の距離では的を外すことものぅなったわ。


 ガウンガウンという特殊 弩弾ボルト特有の微妙な反動を残しつつ、麻痺属性弾は3発とも命中し、かの紫毒井守の動きを止める。


 「我が君、いまじゃ!」

 「ナイスだ、ラン!」

 夫婦ならではの阿吽の呼吸で、妾らは互いに猛攻を開始した。


 我が君は、単独行ソロでの実戦ではめったに出せない、片手剣による連続攻撃の型をキッチリ最後までキメてみせ、同時に妾はすぐさま通常弩弾に換装してリロード、そのままあたう限りの速度で連射し続ける。


Quweeeeeeeeeeeeee!


 しばしの後、妾に撃ち込まれた麻痺薬の効果が抜けて動きだした毒井守は、ボロボロになりながらも怒りに我を忘れておるようじゃ。 しきりに荒い息を吐き、カチカチと上下の歯を打ち鳴らしながら、毒の吐息ブレスを吐こうと試みる。

 しかし、その物騒な毒息の基たる喉袋は、対峙して早々に妾がありったけの強化弾で破壊してある。我が君のように盾を持っている場合はまだよいが、生憎妾は軽弩使い。毒霧塗れにされてはたまらぬからのぅ。

 故に無駄な動作をくり返す阿呆は、絶好の的じゃ。怒りに囚われそのようなことも分からぬとは……哀れな。


 とは言え、妾たちは、その阿呆を狩るのが務め。無論、手心を加えたりはせぬ。

 狩猟開始より小半刻分足らずで、無事にウィオラマンデルめの討伐を終えることができたのじゃ。


 * * * 


 「今日も御身が無事なままお仕事が終わって何よりでございますな、我が君」

 「そいつは俺の台詞だ。お前さんがいてくれるからこそ、あれだけ迅速に仕事を済ませるんだしな。ラン、感謝してるぜ」

 狩場から村まで帰る途上の馬車の中で、我が君と互いの健闘を称え合う。


 「未熟なこの身に過分なお誉めの言葉、有り難うございまする」

 「HAHAHA! 水臭いこと言うなよ。俺達は二世を誓った伴侶なかだろ?」

 「ええ、なればこそ我が背の君たる貴方様の背中を守るのは、妾の務め」

 「だったら、奥方であるお前を護るのがオレの使命ってこった」

 ……はて? 馬車の御者をしておるケトシー2体が、揃いも揃って砂を吐きそうな(猫の顔故判別はしづらいが)表情をしておるのは、何故かのぅ?


 「それにしても、ラン、今日のお前さんの戦いぶりは、いつもより激しかったみたいだが」

 「おや、お気づきになられましたかえ。左様、あの毒井守と言う輩には、いささか含む所もあります故」

 あのウィオラマンデルとも呼ばれておる水陸種は、二通りの理由でメガヴェスパーであったころの妾にとっては厄介で不快な存在じゃった。


 ひとつは彼奴あやつが雑食性、かつ主に虫を食ろぅて生きておったこと。弱肉強食が世の習いとは言え、捕食者の主標的メインターゲットとなる大鬼蜂の身としては、好意を抱けるはずもなし。


 さらに問題なのは二つめ、その口より吐き散らす毒霧じゃ。昆虫種はほぼ共通の弱点として“毒”が挙げられるのじゃが、それをいとも無造作に吐き散らされては、我々ヴェスパーや黒蟋蟀グリュロースにとってはよい迷惑よ。

 妾もかつて一度毒霧に突っ込んで半死半生の目に遭うたことがある。体躯の大きな女王種でなければ、おそらくあのまま命を落としておったろう。


 ところで、狩猟士稼業を続けるうちに気づいたのじゃが、元メガヴェスパーであった妾は、やはり通常の人にはない特質を備えておるらしい。


 あの元の妾の甲殻から作られた下着を着ておるだけで、防御力が多少上乗せされるのは、装甲の薄い後衛射手ガンナーの妾には有り難い利点じゃ。

 また、本来は高級薬膳料理によってしか発動しえない強化効果バフ、“竜の胆力”(どんな強敵と遭遇しても怯まない)が常時付加されているような状態も、元人外ならでは特質かのぅ。


 ただし、長所ばかりではない。たとえば、素の状態でも妾は毒によって受けるダメージがアップする、“毒耐性”ならぬ“毒倍増”のデメリットが発動しておるらしい。

 その意味では、その異名の通り毒攻撃を頻繁に仕掛けてくる紫毒井守めは相性の悪い相手ではあったが、前述のような理由から、是非とも一度妾の手で鼻を明かしてやりたかったのじゃ。


 心配性の我が君は、ありったけの回復薬と解毒剤、それにとっときの万能薬まで妾に持たせてくださったが、幸いにしてそれを使うこともなく、無事にこうして狩りを終えることができた。

 これも、我が君と妾の、“愛の絆”あっての勝利よ!


 「それでは、我が君。妾は先に家に戻って昼餉の支度をしておきますゆえ」

 仕事のあと、協会ギルドの事務所兼酒場で勝利の杯を傾けられる我が君と別れ、妾はひと足先に自宅に戻ることにした。

 「おぅ、いつもすまんが、頼んだぜ。俺もそう遅くはならないようにするから」

 「心得ておりまする。それでは……」


 事情を知らぬ者が見れば、我が君の態度は横柄に思えるやもしれぬが、酒場における“のむにけーしょん”は、情報収集なども含めて狩猟士としては極めて重要じゃ。仕事後の疲れた身でそれを引き受けて下さる我が君には、むしろ感謝しておる。

 それに……やはり、内儀おかみとしては亭主を家で出迎えるのが筋と言うものじゃろうからのぅ。


 「あ、奥さん、お帰りにゃさい」

 家に入ると、立猫族ケトシーのシズカが出迎えてくれた。

 彼女は、かつて妾と友誼を結んでいたトモエの孫に当たるケトシーで、1週間ほど前、はるばる東方からこの地までトモエの訃報と遺品(使い込まれた包丁じゃった)を届けてくれたのじゃ。


 シズカの話によれば、妾が人となって我が君の元に嫁いだことは、ケトシーニュースネットワーク(何でもこの大陸全土をカバーしておるとか)を通じて、ふた月ほど前にトモエも知ったらしい。

 そのときはまだトモエも存命で、妾の幸せを喜んでいてくれたそうじゃが、寄る年波には勝てず、ついには病の床につき、ひと月ほど前に帰らぬ人、いやネコとなった。


 そのとき、彼女の孫の中でいちばん元気で好奇心旺盛なシズカが、伝言と遺品を言付かったとのこと。

 妾にとって最初の、そしてかけがえのない友が、20年の時を経ても妾のことを忘れずにいてくれたことへの喜びと、同時に彼女が亡くなったことへの悲しみに、妾はひと晩中涙にくれて明かした。

 そんな時も、我が君は余計なことは言わず、ただ黙ってそばにいてくださった。それがどれだけ心強かったことか……。


 「ニャ? どうかしましたか、奥さん?」

 「ああ、済まぬ。つい追憶にふけってしまっただけじゃ。留守中変わったことはなかったかえ?」

 シズカは、せっかくこちら(大陸中部)まで来たので、観光がてらしばらく滞在するつもりらしい。

 そこで、妾たちがふたりとも狩りに出て家を空ける時に留守番と掃除をする代わりに、宿と食事を提供することを申し出たのじゃ。


 「それが……ヘンにゃ女の人が来ました。だんにゃさんを訪ねて来たみたいでした」

 むむ、我が君に女の影? 浮気?? 新婚家庭崩壊の危機!?

 ──などと言うことは、妾はちぃとも思わぬ。


 己で言うのもなんじゃが、我が背の君は愛妻たる妾に首ったけ。よそのおなごに目を移すことなど、現状ではあり得ぬわ! ……まぁ、実のところ、同じだけ妾も我が君にメロメロ(死語)ではあるが。

 それに、多少回数が減ったとはいえ、毎晩限界近くまで“旦那さま”の子種は絞り取っておるからのぅ。妾の目を盗んで浮気なぞしとるだけの精気も甲斐性もないはずじゃ!


 となると、大方狩猟士仲間の誰ぞが、我が君の手を借りとぅて訪ねて来た、と言うオチじゃろう。

 最近でこそ妾の訓練を兼ねた下級用の依頼に付き合ぅて戴いておるが、そもそも我が君はこの村でも稀少な上級マスターランクの狩猟士。難敵相手とあらば、その技量を必要とする輩がいても不思議ではない。


 ──と、着替えながらそこまで考えたとき、玄関口の方から誰何の声が聞こえた。

 我が君なら、「ただいま」の一言とともに入って来られるはずなので、これがそのお客なのじゃろうて。

 「はい、ただいま参りますゆえ、しばしお待ちくだされ」

 帯の位置を整えながら玄関へ向かう。


 「遅ーーーーい! わたくしをこんなあばら屋の入り口に待たせるとは、まったくどういう了見ですの?」

 そこには、豪奢な純白のロングドレスに身を包んだ、歳若い女子が、従者らしき男女を従えて、プリプリ怒りながら立っておった。


 * * * 


──コトッ…


 「どうぞ、粗茶ですが」

 さりげなく事情を聞いても、我が君に用があると言う以外は教えてくれぬ来客を、とりあえず玄関に面した客間に通すことにする。

 我が君に妻として嫁いではや半年。この家にはいくらか手を入れてある。


 本当は隣りのシャルル殿の家と同様、東方式の家屋にしたかったのじゃが、さすがに一気に全部建て変えるわけにもいかず、食堂兼居間として使っている座敷と、風呂場だけを改装したのじゃ。

 もっとも、それだけで我が家の少なくない貯えの半分以上が軽く飛んでいったがの。


 奥の座敷には、イ草を編んだ草色の敷物──いわゆる“タタミ”を敷き詰めてある。

 我が君も、当初は靴を脱いで床に座るという習慣に戸惑われたようじゃが、いまでは楽な格好でここでゴロ寝をするのが大のお気に入りじゃ。多少無理を言ぅて改装させていただいた甲斐があったと言うものよ。


 稀に、我が君の親しいご友人などを上げることはあるが、原則的に居間は我が君と妾だけが立ち入る、ぷらいべぇとな憩いの場と定めておる。素性のわからぬ者を通すわけにはいかぬわ。


 それに、客間には、そこそこよい品質の円卓と椅子のセットが置いてある(座敷のほうは小さめの卓袱台じゃ)ので、客人をもてなすにはこちらのほうが都合がよい。


 「…あ~ら、本当に粗茶ですのね」


──ピクピクッ!


 さすがに頬が引き攣りそうになるが、素知らぬ顔で湯呑みの脇に茶菓子を置いて、妾は丸盆を下げた。

 それは、まぁ、わざわざ王都から従者つきで2頭だての馬車をしたててこんな田舎の村くんだりまで来るようなお嬢さまには、この村で買える一番高い茶でも“粗茶”であろうしのぅ……。


 とは言え、このギョクロは、わざわざ東方から来る行商人より大枚はたいて買った貴重な品で、我が君も気に入ってくださっている逸品じゃ。それを頭からけなされては、妾とておもしろぅはない。


 「……フン! まぁまぁの味ですわね」

 ひと口飲んで不機嫌そうに、女性が呟く。


 !

 ──少々意外じゃな。東方と異なり、紅茶か薬草茶が主体のこちらの人間は、初めて緑茶を飲むと大概はその味に驚くものじゃが。……いや、狙ってやったわけではないぞえ? たまたまウチでいちばんよい茶が、これだったと言うだけじゃ。


 と言うことは、やはり緑茶を何度か飲んだことがある、か。無論、妾のようにたまたま東方趣味があるという例も考えられようが、おそらくは教養や嗜みとして知っておったのじゃろうな。

 間違いなく貴族か、それに類する富裕な家系の出身のようじゃの。


 「それにしても……飾り気のない家ですわね。本当にここが、マクドゥガル・ホレイショ・フィーンの自宅ですの?」

 「ええ、その点は間違いありませぬ」


 しかし、我が君が元は王都の出身であることは聞き及んでおったが、この貴族らしき女人との関係がよくわからぬのぅ。

 歳の頃は、およそ十八か九。二十歳にはなっておらぬじゃろう。長身の妾に匹敵する背丈ながら均整のとれた体つきと、整った目鼻立ちじゃが癇の強そうな表情の、歳若い女子じゃ。


 白銀に近い見事なプラチナブロンドを、頭の上でキッチリと結い上げ、ティアラのようなものでまとめておる。

 着ておるものは、白を基調とした装飾の多いワンピース。裾は足首近くまであるかの。スカートの中にはレースの多い重ね履きを履いておるようじゃが、歩きにくそうじゃのぅ。

 どこからどう見ても“いいところのご令嬢”を絵に描いたような人物じゃ。


 ふーむ……ありがちなパターンとしては、近所に住んでおった幼なじみ、と言う線かの。子供のころは、身分の違いなぞ気にせずに遊んでおったが、成長するにつれ疎遠になり……というヤツじゃ。

 あるいは、我が君のご実家が、この女性の家と何らかの繋がり(遠縁の縁戚なり、あるいは代々仕える家柄なり)があり、我が君自身もこの女性と乳兄妹か何かであったと言うパターンも考えられるかのぅ。


 しかし、それにしても、なぜ今ごろ我が君を訪ねて来やったのか。

 ハントマンの仕事の依頼であれば、ギルドの方に行くであろうし……。

 ──ハッ、もしや、子供の頃の「結婚しよう」という口約束の履行を求めて?

 生憎じゃが、そのような約束なぞ時効。我が君はすでに妾の旦那さま故、渡しはせぬぞえ!


 そんなことを考えつつ、妾が密かに心中で力こぶを握っておったとき、ようやく我が君がご帰宅なされた。


 「うぃーース。ただいま~」

 「お帰りなさいませ、我がき…」「お兄様、お久しぶりです!」

 な……! ちょっ、この小娘、妾と我が君の挨拶に無礼にも割り込むとは!!

 ……と言うか、「お兄様」? やはりパターンその2であったか!!


 「はァ!? なんで、お前がこんな所にいるんだ、ヒルダ?」

 「だぁって、お兄様、ケインお兄様の結婚式以来、ちっともお家に顔をお出しにならないんですもの。わたくしの方から、会いに来てしまいましたわ」

 驚きながらも、若干嬉しそうな顔つきで、抱きついて来た女性──“ヒルダ”の身体を受け止める我が君。うぅ~、いくら妹同然の相手とはいえ、ちょっぴり、じぇらしぃを感じるのぅ。


 「ああ、紹介しておかないとな。ラン、こいつは俺の妹のヒルデガルド」

 ……は? “妹”? “乳兄妹”とか、“妹みたいなもの”ではなくて?


 「初めまして、ヒルデガルド・ライオネット・フィーンと申します。以後、お見知りおきを」 

 ご令嬢──ヒルデガルド殿は、先程までの不機嫌さが嘘のような、優雅な動作で軽く一礼してみせた。


 「──ご丁寧な挨拶、いたみいります。妾は、ラン。ラン・バレット・フィーンと申しまする。どうぞ、よしなに」

 妾は内心混乱の極みに達していたものの、何とかその様を表には出さずに済んだと思う(ちなみに、バレットは養蜂家であった養父の姓じゃ)。


 「これはこれは……って、“フィーン”?」

 ネコかぶりを続けていた相手の方が、妾の名乗りに何かを感じ取ったのか、微笑を凍りつかせて、グルリンと我が君の方へと振り返った。

 「あ~、その何だ。ランは俺の嫁さん」

 バツが悪そうな顔で、我が君が告げるとともに、ヒルデガルド嬢のかぶっていたネコが剥がれ、そこには1頭の怒れる黄縞獣トラが顕在しておった。

 「ど、どういうことよ~~~~~~~~!!!!!!」

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