5 再び乗車

「子供さんがいない時は、運転席後ろにたってもいいかも」

 微かに揺れる乗客のまばらな本厚木より西側、伊勢原方面を走る各駅停車の車内。春の日が床に落ち、長閑な風景である。電鉄は新宿付近の摩天楼の底やマンションの並ぶ近郊や衛星都市を結ぶだけでなく、こういった閑散とした野山の中も走っている。

 その電車運転士さんの後ろの窓に誰もいないのを見て、ツバメがようやく、そう言い始めた。

「ありがとう。でも、ツバメちゃん、厳しすぎるわ。正直」

「ここまで、なにかおありだったのでしょうか?」

 詩音の問いに、ツバメは顔を曇らせた。

「……小さいころ、運転席の後ろにつこうと思ったら、もっと年上の子に、ものすごく邪魔扱いされて。

 それが今でも悲しくて。だから小さな子に、私たちは、そういう思いをさせたくないな、って」

「うむ、軽いトラウマであったわけだな」

「たしかに、悲しいですわねえ」

「そういえばそうだけど」

 御波は口を開いた。

「人間てムズカシイわ。邪魔扱いを露骨にするのはたしかに論外。でも、ツバメちゃんはナイーブだから、気にしすぎちゃってるところもあると思うの」

「そうかも」

 そんなことを話しながら、列車をまた降りた。

「幼い頃の記憶って、深く滲み付いちゃいますもんね」

 ツバメはちょっと暗い顔をしていたが、それを断ち切るように、笑顔を作った。

「でも、みんなはちゃんとしてるし、私達がそうならなければいいだけだから!」

「うん!」

「そうね」

 みな、納得した。


下車

 そして、改札でトランプカードを受け取る。

「電鉄は無人駅がほとんどないのがいいわね」

「そうなりかねない小さな駅だけどね、この駅は」

「余裕取ってありますから、駅も撮影しましょう」

「いいの?」

「ええ。最短で回るのを諦めたら、時間に余裕が出来ました」

「それなら、撮りたいもの、いろいろあったのですわ!」

 詩音はカメラで自動改札機をあちこちから撮り始めた。

「これの完全再現をしたかったのです!」

「模型の資料撮影?」

「そう。頭のなかで考えたり、ウェブの画像検索じゃ、気づかないディテールの情報がいっぱいあるのですわ。何気ない点検蓋があることとかも重要だし、もっと困るのが『なんにもない』ってところがこまりますの。何にもないってはっきり分かれば自信を持って『何にもない』にできるけど、はっきりしないと、つい不安になって情報量増やそうかな、といろいろ迷ってしまうのです」

「なるほど、同じ駅撮りでも模型鉄ならではの視点があるのだな」

「そうです。夜、模型作ってて、あれ、ここどういう構造だったかしら、って悩みだすと、考え過ぎちゃって止まらなくなるのです。そういうときは現場に行って調べるのがいいのですわ」

「なるほどねえ」

「あ、もう3分15秒ほどでここをVSEが通過しますよ」

 カオルが案内する。

「よしっ、撮り鉄班は駅撮りだっ」

「うむ、新しいD-ATS-Pの地上子はもうここにも設置されているのだな。でも地上子、緑色に塗られたものと白いものがあるのはなぜであろうか」

「信号機の配線って信号柱に剥き出して配線してるんだねー。再現するならポリウレタン線黒く塗って露出させてもいいのかもー」

 みな、思い思いに鉄道の撮影と観察に勤しんでいる。

「よしっ、撮れた!」

「いかにも鉄道研究らしい旅になったのう。弥栄なり!」

「じゃあ、次の列車に乗りますー」

「こうやってると、なんか時間があっという間に過ぎていくような気がする」

「もう陽も傾いてきているし」

「早っ! いつの間に!」

 電鉄でも山間の区間である四十八瀬川に近いこの渋沢駅。その周り、迫る山の麓に遠く見える民家の明かりがポツポツとつき始めている。電球色の暖かい明かりが、胸を締め付けるような不思議な気持ちを呼び起こす。

 ここにも人の暮らしがあり、日常がある。見知らぬ人だが、きっと日々の喜怒哀楽もあるのだろう。たった運賃数百円で隔てられただけのここで、その人々がどう暮らしているか、思ってもそれは類推に過ぎないのだ。だから異世界のような不思議さがあってもおかしくない。シャーロックホームズが鉄道の旅で田舎のことをおどろおどろしく類推していたが、そこまでは行かなくとも、この山間は十分知らない世界だ。ありふれた都市近郊の風景と言っても、そのありふれた、という判断に根拠はない。ただの観察眼の怠惰なのかもしれない。

 藍色の風景に沈むなかで灯る明かりは、御波に独特の強い旅愁を感じさせてくれた。

「やはり翌日サスペンデッドになるであろうな。カオルくん、明日のダイヤは」

「今暗算してます」

「ダイヤ暗算できるなんて、さすが完全記憶ね」

「明日の集合の待ち合わせも決めておきましょう」


 そして、翌日も朝からラリーの旅を続けた。

「これでラストは海老名駅ね」

「あとはロマンスカーに課金して乗っちゃいましょう」

「そうね!」

 新宿駅の特急ホームにあるロマンスカーカフェでちょっと軽く飲食し、そのあと鉄研一行は6人でロマンスカー のシートに座った。

「下北沢の地下化工事、もうすこしで終わりそうね」

「ええ。飾ってあった地下化工事の完成模型のBトレインショーティーも興味深かったし、あの模型のレールはPECOのものなのかしら。ああいう模型の作り方も独特の良さがありますわね」

 発車前の車内放送の流れるなか、みんな口々に感想を喋っている。

 その発車前、声がかかった。

「あら、あなたたちもロマンスカー?」

 その声は美里だった。

「トランプラリーはこれでおしまい?」

「あなたたちも仙台から帰ってきたのね」

「そうよ。大収穫の見学だったわ。あなたたちはなにか収穫ありましたの?」

「ありましたよ」

 カオルが答える。

「鉄道趣味というものはそもそも高め合うものであって、競い合うものではないのであるな。

 むしろ互いを認め合うところが、趣味の王様たる本質、所以であろう。

 ともあれ、お互いに見聞の実り多い旅となって、じつに弥栄である!」

 総裁も続ける。

「あら、そんな近場なんか、いつでもいけるのに」

「いつでもいけるところこそ、結局は行かないままになってしまうこともよくあるのだ。

 そして旅の本質と距離は、そもそもほとんど関係のないこと。

 何を、どのように感じ、そしてどうそれを受け止めるか。

 その感受性を豊かに持てば、たとえ隣の駅への移動であっても旅足りえるし、逆に北海道だろうが海外だろうが、遠くに行っても旅情を感じる余裕がなければ、それはただの移動でしかないのだな。

 旅とは、本来はその余裕を持つことこそ本義であるのだ」

 美里はなにか言いたげだったが、総裁は言わせなかった。

「このように暮れなずむ街を鑑賞し、そこに旅情を感じられれば、このロマンスカー『ホームウェイ』号が単なる通勤ライナーから家路を急ぐ、印象深い旅の最後の行程ともなりえるぞよ」

 美里は、その言葉を聞いて、窓の外に目を転じた。

「そして日頃、何気なく移動をしていても、その移動には同じものなど一つもないのだ」

「……そうね」

 美里は不承そうにしながらも、同意した。

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