第32話 ロシアの操りし使者(パシキロフ=アシモフ)

【西暦20××年4月8日18時16分】

 4月8日夕方、北欧近くのロシアに位置するサンクトペテルブルグ国立医療センターICUベッドに、一人の修道士が寝かされていた。

「バイタルは、落ち着いているね。でも、不思議だ。というか奇跡に近い」

この日当番の救急医師が、付き添いの看護師に向かって言った。

「そうですね、先生。ここに運ばれた6人の中毒患者のうち、この人以外は心肺停止状態で運ばれてきたのに、サリンに一番近かったこの人は症状一つ出ていない」

そんな会話の中、修道士が目を覚ました。

彼の名は、パシキロフ=アシモフ。

年齢40歳で、中肉中背の男性である。

彼は、カトリック聖カタリナ教会に所属する修道士をしていた。

いかにも、女性にもてそうな目鼻立ちがはっきりした風貌をしている。

「ここは、どこですか?」

頭を動かし、辺りを見渡しながら彼は言った。

「病院のICUです。あなたは、先日起こったテロに巻き込まれここに運ばれてきたのよ。覚えていない?」

そう看護師が答えると、パシキロフは記憶をたどり自分の身に起きた出来事を思い出した。


教会では、週に1度修道士が観光客相手に大広間で教会の成り立ち等のガイドをしていた。

パシキロフは、昨日その当番に当たっていた。

時間はお昼を過ぎ、大勢の観光客がパシキロフの周りに集まり説明を聞いていた。

すると、バーンと何かが破裂した音と共に、暫くして足下より白い煙が立ち上がっていくのが見えた。

それから、10秒も経たないうちに次々と人々が倒れていき、その風景を見たところまでは記憶がある。

そして、その後、目の前にかつて体験した事のないホワイトアウトが始まった。

それは、表現のしようもない何かが体の中に入ってくる感じだった。

けれど、何かわからない。

ただ、悪い気はしなかった。

そして、気づいたらベッドに寝かされていた。

パシキロフは、医師に向かって言った。

「先生、自分はどうなったのですか? あの煙は何だったのですか?」

医師は、神妙な面持ちで答えた。

「あなたは、テロに遭ったのですよ。あなたが見たあの煙は、化学兵器のサリンです。しかも丁度、サリンが入った袋の一番近い所にあなたはいたのです。あなたのごく近くにいた周りの人達は、すべて亡くなりました。ここに運ばれた人達も、あなた以外は非常に危険な状態です。あなたは、なぜか運良く命拾いしたようです。何か、心当たりはありませんか?」

パシキロフは、首を振り言った。

「私は、ただのしがない修道士です。特別な力なんてないし・・・ あっ、そうだ。煙が立ち上がったのと同時に、目の前に白いカーテンのような物が覆い被さっていくような気がしました。何とも言えない、今まで味わった事のない気持ちになりました」

パシキロフと医師等がそんな会話をしていると、ICUの外がざわつき始めた。

医師等は、最初この奇跡の人を取材に来たマスコミかと思った。

しかし、違った。

SVR(ロシア対外情報庁)の職員が、連邦軍を引き連れ病院を取り囲んでいたのだ。

そして、その中の数人がICUの中に入ってきた。

明らかに、お目当てはパシキロフだった。

「ここは、関係者以外立ち入り禁止ですよ!」

ドアの入り口にいた看護師が、SVRの行く手を阻もうとしたが無駄だった。

何人かいるSVRの中のリーダーらしき1人が、パシキロフの元に行き政府のバッジを見せながら言った。

「緊急事態です。国家の命によりパシキロフ=アシモフ氏を拘束します。彼は、悪い事をして拘束するわけではありません。これから起こる地球規模の存亡に、たぶん彼の力が必要だからです。我々の知りうる情報では、彼が目的の人であれば不死身の体を持っているはずです。そこでドクター。ぶしつけな質問で恐縮ですが、今回のテロの状況から彼がその人だと思いませんか?」

SVRのエージェントが、パシキロフの傍らにいる医師に聞いた。

それに対し、暫く考えた医師は頷きながら言った。

「確かに、彼に起こった事は通常では考えられません。彼は、とっくに棺桶の中に入っていてもおかしくない」

するとSVR職員は、何かを確信したように言った。

「アシモフさん、SVRはあなたを必要としています。あなたの意志如何に関わらず、これからご同行願います。ドクター、特に今、彼を連れて行っても健康上問題ないですよね?」

「不思議な事に、全く問題ない。健康体です」

医師がそう言うと、パシキロフが慌てて言った。

「どこに行くのです!」

エージェントは、にこりともせず言った。

「日本の沖縄というところです」

SVRによって病院から連れ出されたパシキロフは、病院のヘリポートで待機していたヘリによってサンクトペテルブルグ国際空港に向かった。

空港では、ロシアの2人乗り戦闘機MiG31がいつでも飛び立てるよう準備されていた。

パシキロフは、早速パイロットスーツに着替えさせられ搭乗の準備をした。

「す、すいません、ちょっと質問していいですか?」

パシキロフは、戸惑いながらエージェントに聞いた。

「これに乗って、日本に行くのですか? こう、もっと、普通の旅客機とかで行くのでは・・・」

それを聞いたエージェントは、今度は打って変わって笑みを浮かべながら答えた。

「とにかく、あなたを最速で沖縄に連れて行くよう指示が出ています。乗り心地は保証しませんが、こいつなら短時間で目的地に連れて行ってくれますよ。しかも、ロシア唯一無比のパイロットに頼んでいますから」

パシキロフを乗せたMiGは、サンクトペテルブルグ国際空港を飛び立ちはや5時間が過ぎようとしていた。

時は、9日の18時になっていた。

旅行は確かに早かったが、パシキロフにとって悪夢だった。

もともと高所恐怖症であった上に、むちゃくちゃなスピードで飛んだため、恐ろしいGがかかり何度か失神しそうになった。

パシキロフは、病院から空港に向かうまでの間、エージェントから事の成り行きについて大体の事は聞いていた。

月が地球に向かっている事、それを回避するために自分が選ばれた事など、全く理解できなかったが世界が緊急事態になっている事だけは確信した。

その為、自分の力が必要であり協力して欲しいと大統領から電話で頼まれた時は彼自身武者震いした。

何が何だかわからないが、国にとって自分が必要とされている事は確かなようだ。

どうせ一度は死んだ身である、もうどうなってもいいと思えば気が楽だった。

「はい、大統領。祖国のために、いや、世界のために頑張らせていただきます」

その時、随分偉くなった気がしたが、戦闘機に乗っている今そんな気分はぶっ飛んでいる。

尋常でないGがかかっていて、いてもたってもいられない。

しかも、高所恐怖症のパシキロフにとって早く沖縄について欲しい、それだけだった。

暫くすると、パイロットが無線でパシキロフに声をかけた。

「アシモフさん、もう少しで着きますよ」

見ると、南洋の島が肉眼で確認できた。

沖縄は、この日も良く晴れていて夕日が美しかった。

「綺麗な島ですね。観光で訪れたかったな」

嘉手納基地と連絡し、着陸の許可を取ったMiG31は、第1滑走路へと機首を下げた。

中国に次ぐ、共産圏からの使者到来である。

「やれやれ、MiGがここに着陸するとは・・・ 世も末だ」

アイゼンハワーは、そう呟くと滑走路に使者を迎えに行った。

「めんそーれ、沖縄へ。パシキロフ=アシモフ修道士だね」

MiGのタラップから降りてきたパシキロフに向かい、アイゼンハワーは確認した。

「そうです。よろしくお願いします、アイゼンハワー司令官」

パシキロフは、通訳を兼ねたパイロットを通しそう答えた。

「着いて早速だが、ヘリでエイリアンの基地に向かって貰う。いいかな?」

通訳も兼ねているパイロットが、自分も一緒に行った方がいいかアイゼンハワーに確認した。

「いや、これから会う連中にはロシア語だろうが、ヘブライ語だろうが関係無いみたいだぜ。使者の皆さんは、話す言葉が違っても意思疎通が出来るらしい。準備が出来るまで、おたくは待機してくれ」

パイロットにそう伝えると、パシキロフを連れヘリで首里城へと向かった。


【西暦20××年4月9日19時07分】

 「修練の場へ、ようこそアシモフさん」

長澤が、パシキロフを首里城の司令室となっている大学のロビーに案内するとジョセフが片言のロシア語で出迎えた。

パシキロフは、ジョセフの先にいるソフィアと大河を見た。

すると、例のホワイトアウトが始まった。

ソフィアと大河の2人は、もう年中行事になっているので驚きはしなかったが、やはりパシキロフは身じろいだ。

あのテロ事件のトラウマである。

「アシモフさん、心配しないで。私達使者が、ファーストコンタクトする時必ず起こるものなの。たぶん、あなたは英語を喋れないでしょう。ここにいる大河が喋る日本語もそう、私達はこれから言葉ではなく感覚で意思疎通ができます」

パシキロフは、ソフィアの説明に驚いた。

確かに、この2人は流ちょうなロシア語を喋っているように見えたが、どうも耳に入ってくる語音は英語や日本語である。

パシキロフは、思わず呟いた。

「不思議だ、まるで通訳が俺の中にいるみたいだ」

その後、ソフィアと大河は、パシキロフにこれまでの成り行きとこれからしなければならない事を手短に1時間ほどで説明した。

黙って聞いていたパシキロフが口を開いた。

「自分に、そんな大それた事ができるのですか? お祈りはいくらでも出来るけど、そんな映画に出てくるようなミッションが達成できるのだろうか?」

大河が、笑みを浮かべ言った。

「アシモフさん、出来なくてもやるのです。そうでないと、自分達だけでなくこの地球の未来が無くなる。そのため、自分達が選ばれたのですから。たぶん、私達はそう言う意味で特別なのでしょう」

「そうですね、大河さん。もし、私がやらないと言っても許してくれないでしょう」

パシキロフも、やはり笑顔で言った。

「アシモフさん、私が許しても神が許さないですよ」

大河は、穏やかであるが凛としてパシキロフに言った。

そこには、もうしがないサラリーマンの顔はなかった。

パシキロフのシミュレーションは、村民と同じく1時間程で終わった。

「ありがとう、大河さん。私達の働きの結果は神だけが知っていると思いますが、成功する事を信じています。頑張りましょう」

そう言い残し、パシキロフはアイゼンハワーに連れられロシアへと戻っていった。

その後すぐ、長澤の元に国連より連絡が入った。

「ロシアのサンクトペテルブルグにあるペトロパヴロフスク要塞後に、パシキロフさんのリアクターが出現したようです」

ソフィアは、首をかしげ言った。

「あそこは、有名な観光地で建物が建っている所でしょう?」

ソフィアの言葉を聞き、長澤が答えた。

「建物を壊し、にょきにょきと地面から現れたそうです」

みな一同、絶句した。


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