第8話 選択のない未来
閣議室に残ったマークとハミルトンは、一睡もしていないのに全く眠くなかった。むしろ、興奮を抑えられないでいた。
それもそのはず、自分の目の前にはアメリカを代表する大統領がいて、サシで話ができているのだ。
ウイルソンは、ヴィクターにコーヒーのおかわりをみんなの分持ってくるよう指示した。
そして、マークとハミルトンに向かい話し出した。
「アンダーソン室長、ムーア補佐官。2人ともこれからファーストネームで呼ばせてもらうよ。えーっと」
すかさず2人は、恐縮しながら自分のファーストネームを名乗った。
それを確認したウイルソンは、ゆっくりと2人に向かって言った。
「ありがとう、マーク、そして、ハミルトン。この現状について、私は頭で理解できてもまだ信じたくない。でも、現実はもう破滅に向かっているのだよな。正直、泣きたい気分だ。君達も同じ気分だと思うが、申し訳ない、この老人のお願いを聞いてもらえないだろうか?」
マークとハミルトンは、顔を見合わせ頷いた。
それを確認し、ウイルソンは続けた。
「そうか、ありがとう。残された時間はわずかだ。そして、君達にも家族がいる事を重々わかってのお願いだ。この後、今からホワイトハウスで私の知恵袋となって働いて欲しい。何でこうなったのか、未だに訳がわからないが、事態が事態だ。長官が言ったように、国内外に対し至急対応が迫られよう。その時のために、君達の力を借りたいのだ」
マークが、すかさず身を乗り出し答えた。
「大統領、そう言っていただけると光栄です。私達は、出来うる限りあなたの力になりたいと思います。なあ、ムーア補佐官?」
それを聞くとハミルトンは、待っていましたとばかり返事した
「イエスサー、大統領」
その声を聞いたヴィクターが、コーヒーを持って閣議室に入ってきた。
朝が早く、秘書はおろか当直者にもコーヒーサービスを頼めなかったので主席補佐官自らの出前である。
ウイルソンは、ヴィクターに今後の指示を示した。
「ヴィクター、ありがとう。今、彼らに話をしたのだが、これから2人ともここで仕事をしてもらう事にした。所長と長官には、君から説明しておいてくれ。それと、彼らが活動するための部屋と、ここでのパスも含め施設利用権限併せて用意してくれないか?」
ヴィクターは、2人にコーヒーを渡しながら答えた。
「了解しました。話は変わりますが、会談を断ってきたロシアが気になっています。もしかすると、彼らもこの事に気づいているのではないでしょうか?」
ヴィクターからコーヒーをもらいながら、ハミルトンが答えた。
「補佐官、それは十分あり得ますね。まだ、今は地球に対する影響は少ないですが、変動はここ2~3日でかなり大きくなってきています。あちらの科学者が、この事に気づいていてもおかしくありません」
それを聞き、ヴィクターが観念したようにウイルソンに向かって言った。
「大統領。至急、緊急で国連安保理を招集すべきでは?」
ウイルソンは、即座に答えた。
「そうだな、ヴィクター。疲れている所申し訳ないが、これからすぐ安保理補佐官に事の事情を話し招集をかけてくれ。事が事だ。招集は、秘密裏に常任理事国の長だけにしよう。決まったら、連絡をくれ。私は今から少し休む。マーク、ハミルトン、君達もここでの寝泊まりが暫く続くと思うので、一旦帰って準備をしてくれ」
「了解しました」
3人は、それぞれ挨拶し大統領の下を離れていった。
その後、ウイルソンも部屋を出た。
「偉い事になったな。やっとの思いで大統領になったと思ったらこのざまだ。まさか、自分が最後の大統領として歴史に残るとは」
そう口ずさんだ後、ウイルソンはすぐ思い直した。
「あっそうか、その歴史すらなくなるのだよな」
部屋に戻ったウイルソンは、着替えもせずベッドに潜り込んだ。
この2日間、70歳に手が届く老人にとって体力、気力共に厳しい出来事が続いた。そのせいか、ヴィクターから連絡が来るまでこの老人は死んだように眠り込んだ。
この日、NASAの観測所は、本来なら常に地球に向かって同じ面しか向けていない月の裏側が見え始めた事を確認していた。
この事実は、月の回転に異常が生じ始めた事を意味し、目に見えていよいよ落下が現実のものとなってきていた。
3.選択のない未来(西暦20××年4月6日~7日)
【西暦20××年4月6日14時15分】
6日昼過ぎ、臨時国連安保理が緊急招集され、メンバーは常任理事国のみ、しかも出席を依頼されたのは国家元首に限定されていた。
また、後でわかった事だが、招集を提案したのはこの日未明アメリカ、ロシア、2国ほぼ同時だったそうだ。
ヴィクターは、安保理補佐官に緊急招集を依頼した後少し仮眠した。
ここ数日あまりに色々な事がありすぎて、気力、体力共に限界だった。
しかし、2時間ほどすると彼は目を覚す。
依頼後、昼から安保理が招集されるのはほぼ間違いなかった。
その確認とNASAのマークやハミルトン他スタッフが、ここホワイトハウスで仕事が出来る体制を整えてやる段取りもしなければならなかった。
安保理が開かれるのは、イギリス首相やフランス大統領のニューヨーク到着を待たなければならず、どんなに早くても夕方以降になると思われた。
その間、今寝ていると思われるウイルソンをもう少しそっとしてやろうと思った。
そのうち、一旦帰宅していたマークらが揃ってホワイトハウスに到着した。
ダニエルら、そして部下らを集合させるのと情報収集する為の機材搬入に関してまだまだ2人とも調整中だった。
それゆえ、着替えのみ入ったスーツケースを引っ張り、スマホで部下に指示をしながらホワイトハウスに入ってきた。
2人が着くと、連絡を受けたヴィクターが早速彼らの元にやってきた。
「2人とも早いな」
そうヴィクターが言うと、すかさずハミルトンが答えた。
「主席補佐官、事態は急速に動いています。土地の低い所は、潮汐の影響が出始め世間もうすうす気づきつつあります。対応を間違えると暴動に発展しますよ」
相変わらず、抑揚のない機械的な口調でまくしたてた。
「わかっているさ、ハミルトン。ここの利用に関しては、宿泊も含めすべて許可を取ってある。困った事があったら、秘書に申し出てくれ」
ヴィクターはそういうと、担当の秘書を紹介した。
「ありがとう、補佐官」
マークがそう言うと、早速ヴィクターは秘書を通じ割り当てられた部屋を案内させた。
そして、矢継ぎ早に言った。
「申し訳ない。君達にはこの後部屋で準備を進めてもらうのだが、今晩開かれる安保理出席のため準備は一時中断して欲しい。我々と一緒に、ニューヨークに行ってもらわなければならないのだ」
「了解しました、主席補佐官。会議で説明する資料は、大方準備できています」
ハミルトンは、さも楽しそうに喋っている。
ヴィクターは、何を浮かれているのだ、これだから学者は嫌だと思った。
それから、会議では粗相がないよう滞りなく準備してくれと2人に言い残し大統領の部屋へ向かった。
時間は、もう15時を過ぎている。
さすがにウイルソンは起きており、身支度をしている所だった。
この老人は、大統領になる1年前に妻をがんで亡くし今は独り身である。
ただ、夫婦共に教員という職業柄だったため、若い頃勤務先がお互い離れている事が多く、独り身の今も身の回りの世話については家政婦を雇わなくても困らなかった。
「ヴィクター、状況は?」
ウイルソンは、ワイシャツの袖ボタンを留めながらヴィクターに聞いた。
だが、正直言うとその返事を聞くのが怖かった。
今、アメリカが、いやこの地球が置かれている状況は、今朝方説明を聞いて痛いほどわかっている。
ただ、状況はちっとも変わらないのにどこか人ごとのように思えてならないのである。
ヴィクターは、安保理開催の依頼が受理され今晩にも開かれる事が決定した事、NASAの2人の準備が整いつつある事等々、ここ数時間の出来事を簡単に説明した。
「大統領、どうやら少しずつですが、もう月の影響が出始めているようです。国民へは、この事態を遠回しに説明し、事をはぐらかすようにしろとスポークスマンに伝えてあります。カーティスの言葉通り、ここ2~3日の間に具体的な国民への状況説明と今後どう対応すべきか国としての方針を説明しなければならないと思います」
それを聞いたウイルソンは、おもむろに答えた。
「ヴィクター、それは私も重々わかっているつもりだ。安保理で何かしらの対応策が見いだせなかったら、その時は腹をくくってあきらめるしかないだろうよ。そして、打つ手がなければ残念だが最後の大統領の仕事を全うするまで、なあそうだろう?」
ヴィクターは、ウイルソンから改めてそう呟かれはっとした。
そして、真っ先に家族の事を思った。
ヴィクターには、若い妻と幼い一人娘がいる。
そう言えば、昨日から連絡を取っていないな、というか自身のスマホも見ていない。今、家族の事は気になるがこの大統領について行くしかない。
いよいよという時は、家族と一緒に最後を迎えさせてもらおう。
そう思いつつ大統領の顔を眺めると、そんな気持ちを知ってかウイルソンは言った
「今、つらいが頑張って私を支えてくれ、ヴィクター」
ヴィクターは、一昨日まで飛ぶ鳥を落とす勢いであった自分が懐かしく思えた。
そして、ウイルソンに向かって言った。
「わかりました、大統領。出発の準備が整ったら又お呼びしますので、それまでここでお待ち下さい。調査の進捗状況等、お知りになりたい場合は、マークをよこしますので連絡下さい。待っている間、状況が変わったらこちらから連絡します」
そう言って、ヴィクターは部屋を出て行った。
と同時に、ヴィクターに秘書から連絡が入り、安保理は19時から開催される事が決まったと伝えられた。
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