第7話 ホワイトハウスの憂鬱
【4月6日2時30分】
ホワイトハウスのウエストウイングは、夜中にもかかわらず明かりがこうこうとついていた。
既に閣議室には、大統領首席補佐官をはじめコードワンの提案部署であるNASAの面々、国家危機管理の部署としてNSAの面々が招集され大統領到着に首を長くして待っていた。
エアフォースワンが、ダレス空港に到着したのはそれから1時間後の真夜中2時だった。
コードワンは、ある意味行政にとって御法度な法律である。
国家危機の事実を証明できなければ、提案した者だけでなくその部門に厳しい処罰が課されるため、提案部署は相当緊張かつ慎重さを強いられる。
この法律が施行され初めての案件である事から、集まった人々は緊張の為か談笑もできず黙って待つしかなかった。
この日集まったメンバーを紹介すると、NASAから長官であるカーティス=ミラー、状況説明要員の技術補佐官ハミルトン=ムーア、NASAの配下でありコードワンの提案者であるエイムズ研究センター所長ジョージ=マクライン、同じくエイムズの主席研究室長マーク=アンダーソン、NSAから長官でありアメリカ陸軍大将であるイーサン=テイラー、副長官のアーネスト=マーティン、ホワイトハウスからは主席補佐官ヴィクター=トーマスと大統領を含め計8人である。
国家危機に関する重大事を話し合うには少人数のように思われるかもしれないが、なまじ大人数になって危機に対する方針が決まらないうちマスコミにリークでもされたらかえって収拾がつかなくなる。
そのため会議初発に関しては、特に必要最低限、且つ極力少人数で行われる事となっていた。
サウスローンに、大統領を乗せたヘリが到着した。
早速、ヴィクターは迎えに行った。
「ありがとう、補佐官。ヨーロッパは寒かった。ここは暖かいな」
ウイルソンは、ヴィクターを見て懐かしげに言った。
ワシントンの季節は春を迎え、夜風が心地よかった。
補佐官は、そのまま大統領と足早に閣議室へと向かった。
時間は2時半を過ぎている。
「さて、それではこれより『コードワン』の審議を始めます」
ヴィクターは、大統領が椅子へと座るや否や、挨拶も皆の紹介もせず議事を始めた。
「ミラー長官。わかっていると思うが、大統領はベルギーより超大事な会議をすっぽかし、こんな真夜中招集されたのだ。よっぽどの事があるのだよな、長官。みんなが納得するよう、簡潔な説明よろしくお願いする」
カーティスは、ヴィクターの挑発的な言葉を苦々しく聞きながら「このくそガキが!」と小声で、しかし、しっかりみんなに聞こえるよう吐いた。
もともと、この二人は閣議の度に喧嘩している間柄である。
年はヴィクターの方が20歳以上も若いくせに、NASAの科学者であるカーティスに尊敬の念のひとかけらもない。
こうなる事の発端は、ヴィクターが人を押しのけてまでのし上がろうとする姿勢に対し、カーティスが性に合わないからだ。
どこで何があったか知らないが、ウイリアムが大統領になってからこの状態が続いている。
ただ、幸いな事に補佐官が直接仕事上でNASAとの接点がないため、仲の悪さは大きな問題にはならなかった。
しかし、今は違う。
いつか、この若造の首根っこを押さえてやろうと思うカーティスだったが、状況的にそんな事を言っている場合でなかった。
こみ上げる不快感に堪えつつ、カーティスはおもむろに説明を始めた。
「大統領、こんな夜分遅く会議を開いていただいて恐縮です。実はエイムズより、ある調査の結果、今後、この地球上で一大事が起こる事が判明しました。これより、アンダーソン主席研究室長より手短に説明してもらいます」
そう言うと、カーティスはマークの顔を見て合図した。
それを確認したマークは、緊張しながらも説明を始めた。
「資料等細かい説明をする時間がありませんので、先に結論から言います」
マークはそう言って、一呼吸置いてから一気に喋り始めた。
「信じられないかもしれませんが大統領、月がこの地球に向かっています」
すると、この先説明しようとしたマークを遮るように、ヴィクターが頭を振りながら、いかにも鬼の首を取ったごとく叱責を始めた。
「月、あの月が落ちてくるのか? おい、天下のエイムズが何言っているのだ。ありえんだろう、アンダーソン君。もっと、まともな嘘を喋ったらどうだ!」
そう言うと、今度はカーティスに向かい声を荒げまくしたてた。
「ミラー長官。遊びに付き合っている暇はない、全く。この責任は重いぞ!」
それを聞いたNSA長官のイーサンは、うんざりした口調でヴィクターの言葉に割って入った。
「いい加減にしろ、補佐官! NASAは、何も根拠がないのにこの場を作った訳では無かろう。また、これぐらいの事じゃなきゃ『コードワン』は発令されないだろう。そうじゃないのか、補佐官!」
ヴィクターは、大統領からも黙るよう手で遮られた。
しかし、ヴィクターの言葉を止めたイーサン自身も、このエイムズの研究者が言う事象について半信半疑であった。
少し、場の雰囲気が落ち着いた所でウイリアム大統領がマークに質問を始めた。
「室長、その、月が接近している理由は説明できるのかい?」
マークは、緊張した面持ちで答えた。
「ええ、大統領。残念ながら、色々調べたのですが、今の所全く理由がわかりません。月は地球を高速で回っているため、どう考えても地球の引力に引かれるはず無いのです。しかし、月の地球を回る速度がなんらかの理由で徐々にダウンしはじめ、ここになって急速に地球に引っ張られているのです。この事は、今月初めからの観測調査より、ただの誤差でない事が確認されています。残念ながら、月がここ地球に接近しているのは、紛れもない事実です」
マークの説明を聞いたウイルソンは、更に質問を続けた。
「で、今後はどうなるのだ?」
「このままいくと、いずれ地球との衝突は免れません」
こう言うと、マークはみんなにわかりやすいよう多少はしょりながら、月が本来なら落ちてこない理屈と現在わかっている状況を簡単に資料にて説明した。
大統領以下、主席補佐官、NSA長官、副長官は、それぞれ衝撃の事実を聞かされ頭の中が混乱し何を話してよいかわからなくなってしまった。
さらに追い打ちをかけるように、NASAの若い技術補佐官のハミルトンが、今後地球にとって最悪の事態になりそうである事を説明し始めた。
「私の方から、もう少し詳しく説明させていただきます。衝突までの時間は、ざっと計算しておよそ1ヶ月しかありません。当然、どこに落ちても、地球の6分の1もの重量がある物体が衝突したらただで済みません。というか、地球自体が原形をとどめたものになるのかも想像すらつきません。間違いなく、人類はおろか地球自体がジエンドです」
この男、若くて優秀であるのはわかるのだが、今から起こるかもしれないこの最悪な状況を、まるで他人事のようにたんたんと説明した。
その為、それがかえって皆にリアルさを感じさせた。
それからやや一時し、ヴィクターがハミルトンに向かって重い口を開いた。
「あんたな、いとも簡単にそんな事を口にするのはいいが、今後の対応方法、少しは考えているのだろうな!」
それに対しハミルトンは、吐き捨てるように言った。
「ありませんよ、主席補佐官。全く思いつきません。かつて恐竜を滅ぼしたと考えられている1千億トンクラスの隕石だって、今の科学技術で衝突を回避できるかどうかわからないのに、月の重量は7×10(19)トンと桁が違うのです。お言葉ですが、デススターをどっかから持ってきて、装備されているビーム砲で破壊でもしなければ無理だと思いますよ」
「なにぃ、なんのための『コードワン』だ。こんな時、そんな子供だましのような事しか言えないのか! いくらかでも、解決方法を提案するのがおまえ達の仕事だろう!」
頭をかぶりながらヴィクターが言うと、すぐさま冷めた口調でハミルトンが答えた。
「危機管理だけでなく、危機的事態を報告するのも『コードワン』の立派な使命です、主席補佐官」
「なんてやつだ」
ヴィクターは、そう言ってまた頭を振った。
この状況を、端から見ていると非常に滑稽だった。
しかも、通常のヴィクターであればハミルトンの態度は激しい叱責に値するものだが、さすがにこの非常事態を把握した今元気がなくなっている。
その姿を見つつ、ウイルソン大統領はやるせない風で言葉を選びつつ言った。
「ムーア補佐官、大体の事はわかった。それで、ミラー長官、NASAが総力を挙げて調査した結果出した結論である事は言うまでもないのだろう?」
すかさず、自信を持ってカーティスは答えた。
「はい、大統領。残念ですが、これは事実です。しかも、残された時間はわずかしかありません。たぶん、月が接近して起こる影響は、これから日に日に大きくなっていくでしょう。ショッキングだと思いますが、これからこの事態に対して我が国がどう対応するのか、至急国内向け、国際向け、差し出がましいようですが、たった今からでも動かれた方が賢明だと思います」
そう答えると、カーティスは肩の荷が下りた気分になり、なぜだか思わず目頭が熱くなった。
ウイリアムは、やや暫く考え、優しくではあるが威厳のある口調で皆に言葉を述べた。
「至急の対応ご苦労様、長官。これからの事だが、皆、ひとまず今日の所は引き取ってくれ。明朝この事について審議をするとしよう。招集時間については、追って連絡する。で、申し訳ないのだがマクライン所長。アンダーソン君を、この後少し貸してくれないか? それと、ミラー長官。ムーア補佐官にも残ってもらえると助かるのだが」
ウイリアムは、非常に疲れていた。
なんて日だ、できれば、少し休みたいと思ったが、この事態の詳細な把握と無駄だと思いつつ対応方法はないのか、藁をもつかむ気持ちで探りたかった。
「大統領、了解しました。事が重大です。我々も、お手伝いできるのであれば残りたいのですが?」
カーティスは、本音でそう答えた。
「長官。気持ちはわかるが、今後色々大変になる。私も休息は取るつもりなので、今日の所は引き取ってくれ」
そうウイリアムが言い残すと、2人を残し皆々それぞれ帰っていった。
外は、夜が白々と明け始めている。
気がつくと、もう朝の6時である。
外では小鳥がさえずりはじめ、それを聞くと今まで話し合われた事を忘れさせてくれるような、そんなすがすがしく晴れた早春の朝が広がっていた。
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