賢者の種明かし
呪術的文書が小説を装って出版されている。ネットで見た。
普通はネットに蔓延る馬鹿げたな話の一つでしかないと思うだろう。しかし、私は知っている。高校時代に隣のクラスの友人に貸してもらった本はまさしくこの世の悪を封じ込めるための言語結界だった。友人にその本を紹介したK子は高2の秋に神隠しの如くこの世から消えた。もう少し早く対になる小説を友人に教えていれば、そんなことにはならなくて済んだかもしれない。私の周りでは奇妙な不幸が良く起きる。
この世の悪と絶望を書いた物語から人はそこから人生訓読み取り、そこから生きている内に憑かれるものを払うための呪術的なワクチンのようなものを形成する。ありふれた物語はそれで終わりだが、件の書はその際に払われた虚ろな悪を言語結界に封じる造りになっている。よく出来た呪術だ。K子はおそらく内側の深くまで憑かれていて丸ごと結界の向こうに消えてしまった。同級生の友人には、その話を卒業式の後に催されたパーティーで伝えようと思っていたが現れなかった。NULL番地の風説を知っただろうか。
そういえば、卒業して一度会ったきり連絡を取っていない。普通の大学生と修験者は住む世界が違っているように感じて、あの頃の友人とはほとんど縁を切ってしまった。道を究めるためにはそれで良いという師の助言を信じていたが、最近知り合った同年代の術師には人間の世界で生きられなくなると悲壮な程に心配された。
ある日、電車を乗り過ごして辿り付いた駅は名前の付けられないNULL番地の駅だった。私もフィクションの世界に来てしまった。ここに足を踏み入れるほとんどの人は、ここが作り物の駅だと知らない。彼らのほとんどは現実にある(多くは一人暮らしの)家に住んで、このターミナル駅を経由して更に奇妙な駅に向かう。あるベストセラー小説の主人公がそんな駅を人生をかけて作っている。若手小説家はそれを利用した呪術結界を構築した。故に結界内では現実にあった筈の悪や絶望が渦巻いている。知っている世界だ。
ここは嘘でできているから言葉は概ね無意味だ。だから、権力と財力そして暴力のみがこの世界のルール。ここの歴史は、現実から持ち込まれた偽りの愛国的な歴史が正史とされ、本当の歴史は自虐史観やミラー偽史と蔑まれる。ところどころかが矛盾した歴史になっており、普遍的な法や道徳が邪魔になるここの社会のあり方にマッチしている。一般に真実であることを主張するには証拠が要らないが、力を持つものに対しては疑うことにも厳密な証拠が求められる。破壊と創造が繰り返され、維持されるものは力に纏わるもののみである。長くは居たくない世界だ。
こちらのルールを弁えた諦観者と強欲な支配者、そして虚ろなセカイに馴染めない苦労人の三種の人々がいる。諦観者の半分は絶望の中で、もう半分は支配者に仕えて限定的な自由の中で暮らしている。高校の同級生もきっとここで絶望しながら生きているだろう。完全に失われてさえいなければその筈だ。
私はここで無から紙幣を作れる。私は何も困らない。せっかく来たのだから彼女を救えないものか。彼女は失われる必要はなかった。それ故に、私はここに来たのではないか。
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