不知不毛

 まだ彼女は来ていない。遅刻だろうか。


 風邪でも引いて欠席するのかもしれない。冬の始めにいつも彼女は風邪を引いている。彼女に貸すつもりの小説を持ってきたのだけれど、風邪で欠席ならば仕方がない。一日早く持ってくるべきだったのだろうか。けれど、ゴホンゴホンとしながら小説を読んでいては、治りが遅くなってしまったかもしれない。だから、むしろ良かったのか。酷い風邪でなければいいけれど。


 彼女は欠席だった。彼女は、今朝いつも通りに登校したが、行方不明になったらしい。風邪ではなかったらしいけれど、今頃、酷い風邪も引いているのかもしれない。私も連絡は取れないし、昔は近所だった彼女の家は逆方向だ。私には彼女の居場所の心当たりがない。そして、今日はとても冷たい大粒の雨が降っている。


 あれから彼女についての何らかを知る機会には恵まれなかった。卒業式に合わせて桜が咲いている。クラスメートに囲まれて、カメラに釈然としない笑顔を向ける。眩い無機質な太陽に照らされて、辺りは陽気に満ちている。昔から夢だった進路を得たけれど、彼女のいないこの世界では喜べなかった。彼女はこの世界が狂っているのでないかと、時々溢していた。そんな彼女に何と伝えたのだろう。きっと私は意味のある言葉は伝えられなかった。彼女は今も生きていてくれているのだろうか。


 式が終わり学校を出る道中で、小学校の卒業式で見た大きな枝垂れ桜がどんな風に咲いているか気になった。6年ぶりに生まれ育った田舎町に行ってみよう。そこで涙を流して、私はまた別の土地で彼女のいない青春を過ごせばいい。きっと人生とはそういうものだ。


 いつもの駅でいつもは乗らない急行電車に乗る。ガタンゴトン。30分ほどで乗換駅だ。ガタンゴトン。憎悪に満ちた広告が揺れる。昔はこんな酷い広告は珍しかったと、彼女から聞いたのはいつの昼休みだっただろう。ガタンゴトン。涙が零れ落ちる。ガタンゴトン。鞄から取り出した小説は彼女に教えてもらった悲しい小説。ガタンゴトン。私はもう一冊別の小説を持っていた筈だ。ガタンゴトン。彼女に読んでもらいたかった物語。ガタンゴトン。ガタンゴトン。機械仕掛けのアナウンスが流れる。ガタンゴトン。


 担任から聞いた話によると、あの日、このターミナル駅の監視カメラは彼女の姿を捉えていないらしい。乗換えが分からない。駅員に尋ねると、あの田舎の駅に繋がる路線は廃線となっていて、代わりにバスがあると丁寧に調べてくれた。しかし、今日中に往復することはできないようだ。明日は予定がある。残念ながら私には予定がある。今、彼女には予定があるのだろうか。私は乗換え駅で方向を失った。


 大学は中退せざるを得なかった。子供の頃の夢にはもう意味を感じられなかった。安酒で意識を薄めて眠るその日暮らし。あの卒業式の日、駅員は「廃線になったのは私がここに来る前のことだ」と言っていた。だけれどそれは少なくともあの時から2年以内の話の筈だ。ひょっとしたら、何か勘違いがあったのかもしれない。何かの勘違いで私は方向を失ってここにいるのかもしれない。廃線になったのは別の路線だったのか、向かうべきターミナルを間違えたのか。それとも、彼女は私とは別の歴史を持つ世界で生きているのだろうか。私はここからあのターミナルに行けるのだろうか?その先で彼女に会うことは叶うのだろうか。頭が揺れて思考が揺れる。もう何も考えたくはない。ここに酒はある。私にとって、それが唯一の世界の全て。

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