安定限界
姫乃 只紫
01『波の干渉』
潮のにおいというものがわからない。
それとも──僕も一度ここを離れれば、潮のにおいがわかるのだろうか。
夕方で放課後だった。校門へ続く道を一人歩く。遠くには運動部のかけ声が聞こえていて、多分潮のにおいはしていなかった。
校門の前で足を止める。身を乗り出すように柱の影を覗けば、
「あれっ、キヨモリじゃん」
「あれもなにも待ってたんじゃないですか」
わざとらしく目を
「何聴いてるんです?」
そう尋ねると、桐宇治さんはイヤホンの片方を外して、しばしそれを注視したあと、ふうと強めに息を吹きかけてから、
「キヨモリって潔癖?」
と言って、眉を小さく八の字にした。
僕は
リスじゃんと桐宇治さんがしっくりくるようでこないようなツッコミを入れる。まあ、警戒心の強い生き物ではあるのか。
僕は、イヤホンを耳に着けた。
──
「おかしいでしょ」
つい
「どうして? イイじゃん、波の音」
「いや、一五分も歩けば本物聞けるじゃないですか」
携帯の液晶に映るのは、常夏のリゾートを思わせる砂浜と青い海の静止画。まあ、僕の言う"本物"はこれほど綺麗ではないけれど。
「そりゃそうだけどさぁ。ほらっ、これ途中からループしてるでしょ」
「はあ」
「だからなのかな。聴いてるとすんごい落ち着く。胸のへんがザワザワしないの」
再生されている動画のタイトルに「ループ」の文字を見つけて、僕はその構成を理解する。正直ループの繋ぎ目はよくわからない。聴き込んでいればわかるのだろうか。そして、漣が途中からループしているこれをはたして自然音と定義してよいのだろうかと、一瞬でも考えてしまう僕は誠に狭量な人種なのかもしれない。
にしても──。
ループすると、すんごい落ち着く。
そのあたりが、どうも共感しづらい。
「ほら、砂時計って見てると癒されるでしょ。アレと一緒!」
声の弾みっぷりからして良い喩えを閃いたつもりなのだろうが、残念かな僕には薄い笑みを返すことしかできない。砂時計を眺めて、ヒーリング効果を実感した憶えがなかったからだ。
「なるほど、一緒ですね」
我ながらとびきり雑な相づちを添えて、イヤホンを返却した。
桐宇治さんは、イヤホンのコードをホルダーに巻き付けてゆく。それは、言うまでもなくきちんと巻きさえすればコードが絡まる悲劇を防止できるグッズなのだが、彼女は中途半端に巻き付けただけで、カバンの中へ突っ込んでしまった。それじゃ絡まりますよ──とやんわり指摘しようとして、止めた。
僕の役目ではないと考え直したからだ。
「ね、帰ろうよ。キヨモリ」
桐宇治さんにそう促されて、僕は先行く彼女の斜め後ろをついて歩く。
彼女は隣の空きを見て、それから肩越しに僕を見て。どういうつもりか目だけで笑った。
どうして隣を歩かないの──とは訊いてこなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます