第8話 本番
大学祭は三日間開催される。学生はもとより普段はお堅い教授たちや、暇そうにしている大学職員たちも何かしら楽しそうで、忙しそうにしていた。僕もまた、普段とは違う大学の雰囲気を楽しもうとしていた。
ミスターコンの最終審査まであと三十分ほど。時はすぐにやってきた。
「もうすぐだね、本番。尚君、途中経過もずっと一位だったし、絶対、優勝だよ」
葉子さんだ。僕は会場となるステージを遠目で見ていた。
「今日の服装、いつもよりもさらにカッコいいじゃん。さすがだね、私が見込んだだけあるよ」
全くの他人事である葉子さんには、ただただ楽しむだけのイベントであるのだ。
「ねえねえ、久能さんは? 彼もずっと二位だったわよね、まだ来てないの? ちゃんと来るかしら、忘れてないよね?」
「大丈夫だよ、あいつは、ちゃんとしてるから」
僕はそう言ったが、彼がこの場に来てくれるのか不安はあった。
「すぐ戻るから」
葉子さんにそう言い、僕は彼がいつも座っている机のある芝生広場へ向かった。快晴の空が大学祭の開催を喜んで待っているようであった。彼は、定位置でいつものように何やら書き物をしていた。
「来てたんだ」
僕は正直安堵した。
「もう時間?」
「うん、そろそろ」
僕たちは似ているようで似ていない、不思議な組み合わせである。隣合って歩いていても歩幅を合わせる必要はない。言葉は無くても苦しくない。今から始まるミスターコンの審査を、軽く受け止めようとすれば出来る。恐らく僕の姿は、そう見えているだろう。しかし、隣の彼は、今まさに磔台に登るような姿にも見えた。
「君の優勝だね」
きらびやかなステージを目の前にして彼は言った。
「それは分からないよ」
「みんなイベント好きだからね。ほら、僕の家の前の行列と一緒。あの時を思い出す。でも、君と一緒だからまだマシかな」
「そう、なら良かった」
すっかり準備の整ったステージがミスターコンのスタートを待っていた。最終候補者五人が集まると、段ボールで作られた名札を渡され、首からぶら下げるように言われた。僕たちは大人しくそれに従った。すべてが手作りの、すぐにでも破壊できそうなハリボテであった。
「そろそろ時間ですので、出演される五名様はどうぞあちらのステージ下にお集まりください」
ミスターコン実行委員は、僕の目にはハリボテに見えるその世界を必死にきらめかせようとしていた。その姿は一途であり、僕には出来ないその行動は羨ましくも見えた。彼らの言う通りにして、僕たちはイベントの本番が始まるのを待った。他の参加者は三人揃って友達のようで、今から始まるミスターコンで盛り上がっていた。一人は長身で茶色い髪の毛、もう一人は体格が良くいかにもスポーツマン、もう一人は優等生タイプだがちゃんと遊んでいる典型的な大学生。どう見られているのかなんて気にはならなかったが、彼らは、途中経過一位と二位の僕らをチラチラと横目で見ながら、
(誰だよこいつら)
(葉子?)
(馬鹿かあいつ)
ってな具合でささやき合っていた。
彼は僕の隣で棒のように立ち、転校生のように立場があいまいな、どうにもならない手持無沙汰な様子で立っており、いつもより増して大人しかった。表情も硬く、感情に余白などなかった。普通の人はそれを緊張と言うのだろうが、彼にその言葉は当てはまらない。全身を真っ黒で揃えていた彼のシルエットは、いつもとは違って体にフィットし、余分な物などない彼の体を目立たせていた。滑らかに体を覆う手触りの良さそうな洋服の生地には高級感が漂っていた。頭にはニット帽、そして足元は磨かれたいつもの革靴であった。時の訪れは、どんなに抵抗したって逆らえない。冷徹さを感じるその無情は、まるで人のように目の前に立ちはだかるのだった。僕たちは流されるままに、ミスターコンが終わるのを待った。
「さすが、尚君。おめでとう!」
ステージを終えた僕たちを出迎えてくれたのは葉子さんであった。
「どうもありがとう」
僕の体には、恥ずかしいくらい大きな金色のタスキが掛けられ、優勝賞品の全国共通すし券一万円分をもらった。彼はやはり予想通り二位で、僕よりも小振りな銀色のタスキを掛けられ、商品は高級チョコレートの詰め合わせであった。小さな真っ赤な紙袋に入っているそれを彼が持っている姿は、どうにも滑稽であった。
「カッコいいお二人さん、お疲れさまでした。ありがとうね、私のわがままに付き合ってくれて、感謝! でもさ、二人、すごくカッコよかったよ。私的には、尚君よりも久能さんだったんだけどなあ。あの、久能さん、今日は本当にありがとうございました。相変わらず素敵ですね。一気にファンが増えちゃいますよ!」
「葉子さん、あんまりからかうなよ」
僕は、葉子さんを警戒していた。
「からかってないよ、本当にそう思ってるんだもん。尚君だって認めるでしょ?」
「そりゃまあ」
「ほら、今まで尚君が独り占めしてたんだよ、久能君の事」
「そんなつもりはないけど」
僕が葉子さんの言葉に詰まり始めると、彼が口を挟んだ。
「僕は気にしていないから大丈夫だよ。あの、葉子さん、こちらこそお世話になりました。これ、良かったらどうぞ」
彼は賞品のチョコレートを葉子さんに差し出した。
「えっ、いいの? 本当にいいの? これすっごく高いんだよ。しかも季節限定品なのに」
「いいんです、甘いものはあまり好きじゃなくて」
「え、どうしよう、困っちゃうな」
「いいじゃん、くれるって言ってるんだから、黙ってもらっておいたら?」
僕がそう言うと彼もうなずき、
「ありがとう! やったー、圭君と食べよ! じゃあまたね」
あっさりした人である。人の心を探ろうと思えば、どれだけだって探れる。それは自分の価値観や経験から想像するだけのもので、誰かと共感しあうような内容ではない。しかし、そうして探った中身は、時に鋭く自分に歯向かってくる。自分が完成させた勝手なその人の心が動き出すのだ。鋭いその刃先は、常に自らの首元にセッティングされたままである。現実世界ではますます委縮する。
葉子さんの素性は良く知らないが、かなりの情報通で、侮れない存在であると大学祭後の噂で聞いた。大学祭を裏で仕切っていると言っても過言ではないらしい。実は葉子さんは四年生であるのに就活もしていない様子で、いつまでも僕たちのような一年生をからかって大学生活を謳歌している。どうやら実家が大変な金持ちで、就職先は自ら働きかけなくとも、ちゃんと居場所は確保されているらしい、とか、留学するだとか大学院に行くだとかの噂も豊富だった。
その事をミスターコンが終わってから数日後に彼に話すと、
「そんな事どうでもいいよ。僕たちは、葉子さんのお陰で一位と二位になれたんでしょ、その事実だけでいいじゃない」
ミスターコン以来、どうも彼の元気が無いように見えた。しかし、それは僕の目にそう映っただけの事であるようにも思えた。興味本位のイベントで、彼の美しさに興味を持つ女性たちが群がり彼を疲弊させる。それはミスターコンも同様であった。その後の彼の周辺には、常に女性からの、いや女性に限らず多くの人間の視線が集まっているように見えた。ただ通り過ぎるだけの人さえも、彼に少しの注目を向けるのである。彼はどう感じていたのか知らないが、その事について愚痴るようなことは一切なかった。
「最近、元気無いみたいだけど大丈夫?」
思い悩んだ挙句、彼に聞いた。あまり感情的な会話はしたくはない。自分も相手も傷つくような事を自ら働きかけるには、勇気が要った。
「うん」
彼の返事はあっさりとしていた。しかしそれも本心かどうかは分からない。
「何かあればすぐに言えよ」
「何か? 何もないよ」
「それならいいけど」
彼の言葉に棘はなく、僕はいつも真綿のような優しさをもらっていた。僕に心配させまいとした結果出た言葉なのか、それとも本当になんともないのか、分からなかった。だが、目の前の彼の姿は、僕にとっては心配に値するものであった。
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