第4話 ミスターコンテスト

 彼を芝生の上に残して、僕は暖房の利いた建物の中でぬくぬくと昼ご飯を食べていた。四人掛けのテーブルは満席であった。男女比、三対一。

 N君が形成するグループとはまた違った別の構成であった。

「ねえ、尚君、時々一緒にいる人誰?」

 比率一の女子、朱里が発言。

「あの人って?」

「とぼけないでよ、知ってるのよ、よく一緒にいるじゃない。前髪が長くて顔がよく見えない人でさ、色の白いいつも変わった格好してる人。ちょっと不気味? な感じの」

 彼に対する描写は完璧ではなかったが、完全に彼の事を言っているのが分かった。

「ああ、あいつの事?」

 分からないふりをするのは難しいと判断したが、もはや何も答えたくはなかった。しかしこの場は平穏に乗り越えなければ、彼の事を傷つけるような気がした。

「ねえ、なんで?」

「誰それ、俺ら知らねえよな」

 残りの二人が顔を見合ってうなずく。

「あんたたち、目付いてんの? 何も見てないんだね」

「なんだよ、馬鹿にされたよ」

 そう言いながらもヘラヘラ笑う二人。

「ねえ、なんで? 誰?」

 食い下がってくる朱里を阻むように、

「何がそんなに気になるんだよ」

「尚の勝手だろ、なあ」

 二人は僕を援護するような言葉を挟んだが、

「ちょっとうるさい、黙って。尚君が話せないじゃん!」

 朱里の言葉の方が圧倒的な強さでもって僕に向かってきた。

「はいはい」

「ごめんねー」

 諦めの早いこの二人は、良い奴らだ。僕の大学生活に普通に入り込んできている。心地良くも悪くもない、貴重なタイプの二人である。お互いに心地良さそうに過ごしているから、僕はその様子を見ているだけで、時々、嬉しかったりもした。

「あいつは、友達だよ」

 朱里の質問に真摯に答えるふりをした。

「友達って、どれほどの?」

「どれほどって、大事な」

「もしかして同じ高校だったとか?」

 良い言葉だ、乗っかろう。

「そう、実はそうなんだ。でもあいつは高校の事、知られたくないって言うから内緒」

「尚くん、どこ高出身だっけ?」

「言ったら分かっちゃうだろ、だから内緒だって」

「何よ、けち。あんたたちも尚君に何か言ってよ」

「良いじゃん、別にそんなこと、なあ」

「俺ら興味ねえし」

 どうせみんな他人の事になんか興味はない。しつこく聞いてきた朱里もきっとそうだ。興味というよりも、僕と絡んでいたいだけなのである。出身高校を知ったところで、朱里が彼の事を詮索などしない事は分かっていた。しかし、話の流れからして、高校を教えるわけにはいかない。それ以前に僕自身が教えたくなかった。言い訳に使ってごめんよ、と心の中で彼に謝罪した。

 昼食を終える頃には、朱里の機嫌もいつも通りに戻っていた。儀式のような普段通りの会話をこなし、朱里達と分かれ大学内のコンビニへ向かった。大学を歩いているとかなりの頻度でいろんな人に話し掛けられるのだが、まあ案の定、そこでも声を掛けられた。

「尚君!」

 そう呼んで欲しいと頼んだわけではないのに、僕は皆にそう呼ばれていた。尚君の「尚」とは、僕の名前を漢字にした時に下にある部分である。呼びやすいのだろうか、そういえば祖母も僕の事を、「なおくん」と呼ぶ。

「やったー、会えた会えた。今日は会えないかと思ってたよ。ねえ、今日何限まであるの? ねえねえ、来月の学祭、一緒に行かない?」

 質問は一度に二つするもんじゃない。しかも、もう来月の話か、と思いながらも僕は笑顔なのである。

「今日は五限までだよ」

「なんだ遅いのか。私、今日はこれで終わりなんだ。さっき学食で圭君とランチして」

「いいね、羨ましいよ」

「でしょう?」

 羨ましくも思っていなかったが、深読みしない彼女には分からないだろう。

「ねえねえ、学祭は? 一緒に行こうよ、予約。尚君、人気だからさ。さっきも里奈たちが尚君誘おうって話してたから、焦っちゃった。だめ?」

「来月の事でしょ? まだ予定が分からないよ、今度返事する。でも期待しないでね」

 僕は自分で言うのも恥ずかしいが、紳士である。惜しみなく最高級の笑顔を添えるのが癖になっていた。昔から、笑っていれば良い事がある、いつも笑顔でいなさい、と両親に言われ続けていた。そのせいで、どんな時でも人に笑顔を向けていた。しかし、その笑顔の中身を考えたことはなかった。ただそうするのが一番良い事で、そして自分を守る事にもなるのだと信じていた。そんな嘘みたいな笑顔を添える癖は、体に染みつき、無くなりはしなかった。

「あのさ、今年から、ミスターコンやるの知ってる? 大学一のカッコいい男の人決めるの。今エントリー中でさ、尚君、エントリーしない? 私がしてもいい? 自薦他薦問わないんだって」

 この勢いじゃ何を言ってもだめだろう、すでにエントリーしてきたんじゃないかとも思われた。

「僕そんなにカッコよくもないよ」

「何言ってんの。皆言ってるよ、モデルみたいって」

「ありがとう、お礼だけ言っておくよ」

「え、どういう意味? エントリーしてもいいの? しちゃうよ」

「お好きにどうぞ」

 もはや面倒である。しかも、この人の名前なんだっけ? ずっと考えていたけど、関わってくる人間が多すぎて名前を管理できていない。彼女の言う里奈という人の事も分からない。ええと、あ、葉子? さんだったかな。葉子さんだ。皆がそう呼ぶからフルネームは知らない。

「ちょっと待ってて、レジ行ってくる」

 葉子さんは、小さな箱に入ったチョコレート菓子を一箱と、スナック菓子を一袋持っていた。すぐに会計を終えた葉子さんは、

「お待たせ」

 と僕の元に戻ってきた。レジ横にあるわずかな空間で僕たちはしばらく話しを続けた。一通り会話が終わり、葉子さんが店内から出て行くのを笑顔で見送った。葉子さんは何度か振り返り、僕に手を振ったりして、この大学のメインである一番高層の建物の中へ消えて行った。全面ガラス張りのコンビニの窓からしばらく外の様子を眺めていた。特に何かがあるわけではない。だが、外の世界は静かに秒針を進めていた。人が通り過ぎ、雲が流れ、葉が揺れる。

 僕は本来の目的を思い出し、文具コーナーへ向かった。ボールペンのインクがなくなりかけているので、同じ物を買いにきたのだ。書き心地がスルスルとスムーズなゲルインク。太さは0.5ミリ。これだけは譲れない、こだわりのメーカーがある。しかし、探していたボールペンは店内には見当たらなかった。大学の名前が入ったボールペンが山ほど置いてあったのが恨めしかった。

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