第2話 計画
専用の研究室に連行された私は、しばらく一人で放置されていた。
黒い回転椅子に座ってキーボードを叩いていると、ノックの音がした。
「……入れ」
私がぞんざいに言うと、赤ら顔の太った男が入ってきた。研究員の白衣を纏っている。
こいつは以前私のもとで研究をしていたのだが、今や私と対立する立場となっていた。
「気分はどうですかな? 元研究所長ルース・ホワイト殿」
「最悪だな」
私は吐き捨てた。
「おやあ、何故です? 実験が成功したのに嬉しくないんで?」
「私はどういうわけかモニター室に入れなかったからな。……できれば実験の様子を直に見たかったところだ」
含みを持たせて言うと、男は実に可笑しそうに笑った。
「くっくっく。それはそれは、残念でしたなあ」
私は他の研究員と諍いを起こして、研究所長の座を追われていた。しかし研究員たちには私の力が必要だったらしい。そこでこのような軟禁状態で、研究に手を貸しているというわけだ。
自由に行動できないのは腹立たしいが、私とて研究から離れたくはない。ゆえにこのような扱いに甘んじている。
今日の実験が終わった後もここに居られるかは、大いに疑問だったが、幸いにも実験が成功したことにより、状況が変わった。
そこで再びこの部屋に連れて来られたのだ。
「27番は他の被験体と同じく、前の記憶を完全には共有できていなかったそうですねえ」
「らしいな」
「そして今も、実験中のことを覚えていないと」
「ふん」
「面白いことになってきましたねえぇ」
「そうだな。……君は私に皮肉を言いに来たのかね? 随分とお
「いえいえ。ちゃんと御用があって伺ったんですよ」
彼はわざとらしく丁寧に言った。
「成功した個体がひとつあれば充分です。いよいよ、EIM計画を実行に移します。最初は小手調べに、小規模なテロに見せかけますから……あなたには、キリキリと働いて頂きます」
彼はにやにやと笑っていてとても気色が悪い。
「それを伝えに来たんで。あなたの方でも準備をお願いしますよぉ」
私は、諦めたように肩を竦めた。
「……分かった。ついでといってはなんだが、必要なことがある。頼まれてくれないか」
「おやぁ、あなたごときが何の御用でしょう」
「御覧の通り私は自由の身ではないのでな。……実験体の暴走防止装置を見せてくれ」
「それはどちらの装置のことで?」
防止装置には二段階あった。被験体の人格が勝手なことに能力を使った場合に、その能力を奪い人格を戻すもの。そして、それでも上手くいかなかった場合、体内のチップによって心機能を停止させるもの。
「両方だ」
「……何か企んでます?」
「準備に必要だと言っただろう。私は彼女が死ぬといった事態は避けたいのでな」
「でしょうねえ。貴重な貴重な個体ですからねええ」
「……。それは君たちも同じはずだ。死亡はもとより、第一段階を発動させる事態になっても、君たちは困るだろう」
「……やっぱり何か企んでますねぇ?」
「違う、……と言っても信じないのだろう。勝手に疑っていればいい」
「さぁて、どうだか」
「いずれにせよ、我々の利害は一致しているはずだ。行かせろ」
「……分かりました。現所長にかけあってきます」
「ふん」
私は椅子を180度回して、彼に背を向けた。
「では、出て行け」
「仰せのままにぃ。ヒヒッ」
ドアが閉まる音がしてから、私はふと気になる事があって、ヘッドホンを装着した。
試験中の27番の発言を、一から確認する。
「……ふん」
どうやら彼女はよほど、他人を信頼していなかったらしい。
何だ、私と似た者同士ではないか。
私とて誰も信用していなかった。
部下全員に裏切られてからは、特に。
──それが、壊れなかった要因か?
仲間すら信じなかったことが、27番が他の個体と顕著に違った点だと思われる。
現段階で証明することはできないが、仮説としては面白い……。
「ふふん」
もしそれが正しければ、EIM計画の成功は容易くなる。それは私にとっても喜ばしいことだった。
***
翌朝、私は下っ端の研究員の監視付きで、
一言も口を利かずに、暴走防止装置の制御室まで向かう。
薄暗い廊下に、足音だけがこつこつと響いた。
制御室に入る。背中に鋭く厳しい視線を感じながら、正面の椅子に座る。
内心、にやりとした。
こんなこともあろうかと──つまり、裏切られることもあろうかと、過去に所長の権限で独自に研究を進めていた。そして、使えそうな情報を秘匿していたのだ。
重要なのは、情報を知っていること。
私は、監視員の頭が追いつかないような速度で、操作を開始した。
──これは、賭けだが。
表向きは、メンテナンスしているように見せかける。
その合間に、私しか知らない場所を開いて、二重人格に関する箇所をはじめとする様々なデータを書き換えて、複雑な暗号でロックをかけた。
そして何食わぬ顔で振り返った。
「問題ないようだ」
そうですか、と監視役の研究員は戸惑った様子で言った。
私の行なった操作の難解さに混乱したのだろう。頭の足りん奴め。
***
わたしは再び収監された。
差し入れられたクソ不味いパンを食っていると、今度は私を裏切った張本人──現研究所長が入室してきた。
私はそれに一瞥をくれてから、冷たく言い放った。
「出て行け。今は取り込み中だ」
「知ったことじゃないな」
「……」
私はモッサモッサと無造作にパンを頬張りながら、足を組んだ。
「そもそも私は疑問だったよ。何故君がここの研究員に混ざっていたんだ?」
信じ難いことに、この所長はラテンアメリカ系だ。
排除されるべき人種が何故ここにいる? 意味が分からない。
──
これは移民を排除することによって、白人種を存亡の危機から守るための計画ではなかったのか? それなのに、私の要望を無視して、政府はこいつを副所長に任命した。移民の血が混じったこいつを。
その上こんな仕打ちを受けるなど、屈辱でしかない。
試験の目的地をオルベラにした辺りにも、何やら意図を感じて不愉快だ。メキシコ系移民がロサンゼルスの基礎を築いた、そんな事をひけらかしているようで。
「俺を移民と呼ぶなら、貴様も移民だ」
「何だと?」
「建国の歴史を忘れたのか?」
「それは君の方だろう。我々白人種が新大陸を発見したのだ。そして偉大なる先人たちがここまで開拓を進めてきた」
「つまりそれが、この大陸への白人種の移民の過程だったわけだ」
「何を言っているのか分からんな。ここはそもそも我々の地だろうに」
「支離滅裂は貴様の方だろうが。ネイティヴアメリカンの立場はどうなる」
「ほう? 話にならん。優等なる白人種がここに国を作り、文明をもたらしてやったのだぞ」
「そんな古臭い屁理屈など聞いていない。俺たちの任務は、移民の流入を防いで我が国の秩序を守ることだ。市民をも排除しては本末転倒だろうが」
「黙れ。高潔なる合衆国を侮辱するな」
「貴様こそ合衆国民を侮辱するな」
「……」
「……」
駄目だ、やはりこいつも頭が悪い。
まあ、有色人種だから仕方あるまいが。
こんな劣等生が所長のポジションについているなど、身の丈に合わないこと甚だしい。副所長だった時でさえ使い物にならなかったというのに。
「……やはり話にならん」
私は心底バカにしたように言ってみせた。
「そうだな」
こいつも私を軽蔑しているふうだった。気に食わない。癪に障る。
「貴様と俺がいずれ敵対するのは分かり切っていた」
彼は言った。
「だから前々から準備しておいた。その結果がこれというわけだ。貴様は諦めて職務を全うするんだな」
「……ふん」
私は足を組み替えた。
「私とて君を信用したことなど一度もないぞ。実に無能な部下だ」
「同じ言葉を貴様に返す」
「……戯れ言を」
「とにかく、無駄話は終いだ。EIM計画の実行について話しておくことがある。聞いておけ」
それからはもう、私はピクリとも動かずに黙りこくって話を聞いていた。
自分の意に沿わない物事に参加させられるのは歯痒く、腹立たしくて仕方がないが、しかしやはり知的好奇心には勝てない。
それに、こいつらの目的と私の希望は、ある程度は一致しているのだ。
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