第9話)優矢の願い

 今になって思い出してみれば、好きという想いを成就させてしまった瞬間からオレは。と、言うよりもオレ達は、少しずつだけど、でも確実に、容赦なく着々と、壊れていったのかもしれないんだよね。


 そして、

 もしもそうであるのなら。


 ………。


 ………。


「アネキ、熱はどう?」

 それは、そろそろ朝晩がめっきりと寒くなってきたなと感じ始める頃。この日もまた、奈美は仕事を休んだ。どうやら風邪をこじらせたらしく、熱が上がって動けず、寝込んでしまったのである。


「まだ、ボーッとする」

 優矢の心配そうな表情と声に嬉しさが込み上げてきた奈美は、申し訳なく感じながらも甘えようと思った。


「そっか。メシは食べれそう?」

 奈美が横になっている自室のベッドの脇に優しく腰掛けながら、優矢は心配な想いを胸に質問を続ける。


「食べたくないかも………それよりさユウヤ、今日は遅かったね」

 そう言って、奈美は優矢を窺う。たしかに食欲はなかったし、ボーッとしているのも事実なのだが、此処へ帰ってくるまで優矢が何をしていたのか。と、いうよりも誰と居たのか。が、気なっていたからだ。


「えっ、そう?」

 と、チラリ。時計を見て時刻を確認しながら優矢はそう言った。奈美の事が心配でまっすぐ家に帰ってきたので、奈美の言葉に戸惑いを感じていた。


「誰かとお話ししてたの?」

 優矢が女子から人気があるという事をバレンタインデーなどから認識していた奈美は、優矢への想いも手伝ってその認識が事実を平然と上回っていたので、本人は何気なくを装っているつもりだったが実は感情むき出しで、事あるごとにこうして優矢のその日その日を訊こうとしていた。


「ううん。今日はまっすぐ帰ってきた」

「今日はって………それどういう事?」


 例えばそのバレンタインデーの件で言うと、優矢は貰ったチョコレートなどはなるべく奈美に見せないように心掛けていた。それは、奈美にあらぬ疑いを持たれて険悪になるのを防ぐ為であったし、自己防衛という心持ちからでもあったのだが、奈美はそのチョコレートの何枚かは知っており、もしかしたら自分に隠れて他の女と………と、しか。そうとしか思っていなかった。完全に嫉妬である。


「え、あ、そういう意味じゃな」

「じゃあ、どういう意味なの?」


 そんな奈美がいつからかするようになっていた事。それは、ストーキング紛いの尾行であった。それも、来る日も来る日もだったりしていた。優矢が傍に居てくれない時は必ずと言っても良い程に、奈美は優矢の後を追った。そして、追えない時はこうして訊いた。


「えっ、と。ほら、たまにはさ、その、遊びに行く時もあるしさ、あっ、勿論それは、友達とね」


「男の人? それとも女?」


 先日もそうだった。奈美は優矢を探しに外をうろついた。


「男友達………です」

「………ホントに?」

 そして、風邪をひいた。


「うん。ホントに」

「浮気シテない?」

 更には、こじらせた。


「シテない。シテないから」

「アタシの事、棄てない?」

 だから、ベッドでこうしているのだ。


「う、ん………それは勿論だよ」

「じゃあ、じゃあ、愛してる?」

 つまり、自業自得。


「愛してる、よ」

「アタシだけ?」

 しかし、優矢を完全に独占できる。


「う、うん。勿論、だよ………」

「じゃあ、じゃあ、これからは」

 故に、メリットも大きい。


「もっと早く帰ってきて。ね? それで、ずっとずっと傍に居て。じゃないとアタシ、死んじゃうかもだからね」


「う、うん………遅くなってゴメンなさい」


「ううん。大丈夫」

 本当にまっすぐ帰ってきたのだが、優矢にとってこれはもう恒例の儀式のようなひとときであった。そしてこれをもって、やっとその終わりを迎えた。


「えっと、じゃあ、何か用事がある時は呼んでね」

 なので、奈美が機嫌を直してくれて本当に良かったと心の底から安堵する優矢は、話を元に戻して自室へと向かおうとした。奈美の体調は良くないというのは事実なので、あまり長居したら余計に悪くなると思ったから。


「えっ、待ってよぉー!」

 すると当然のように、奈美は優矢を呼び止めた。


「ん?」

 どうしたのかなと思いながら、優矢はベッドに座る。


「どうしたの?」

 そして、訊いてみた。


「あの、さ………」

 どう告げようかと、奈美は口ごもる。


「アネキ? あっ、病院行く?」

 更に体調が悪くなったのかと、優矢は心配しながら訊いた。


「ううん、違くって………傍に居てほしい」

 結局、奈美はそのまま正直に告げた。


「え、でも、休めないでしょ」

「安めるもん!」


 やっと優矢が帰ってきたのに、

 一人で居ようなんて思わない。


「でもそれだと眠れな」

「寝ないもん!」


 やっと優矢が傍に居るのに、

 眠るなんて時間が勿体ない。


「いやそっ、れは。ダメだよ寝なきゃ」

 しかし優矢は、奈美の体調が心配なので、奈美の思いに気づく事無く諭すように真っ当な事を言った。


「ひんっ………イヤなの?」

 優矢の気遣いに気づけない奈美は、避けられたと思い込んで悲しくなる。


「そ、そうじゃなくて」

 何故そういう考えに辿り着くのか判るワケもない優矢は、戸惑いながらも奈美への言葉を探した。


「イヤなんだね」

「違うってば!」


「ウソだ! だってユウヤ、最近ちっとも抱いてくれないし」


「えっ、と………」

 それは奈美の体調が悪いからなので、優矢からしてみなくても当たり前の事なのだが、気圧されて口ごもる。


「アタシの事、飽きたの?」

「えっ、そんな事ないって」


 それに加えて、最近は特に疲れている様子だったからなのだが、それも言えない。


「ウソだ………ひんっ」

 不安に支配されている奈美は、自身の体調をよそに、優矢の戸惑いをよそに、再び出現した嫉妬の赴くままに、そうとは気づかないままに、優矢を困らせ続ける。


「え、あっ、えっと! えっと! あの、ゴメン! アネキ、傍に居るから! だから、だからさ、泣かないでよ! ずっと、うん。ずっと居るから。傍に居るからさ、ね? あっ、そうだ! 明日は学校休むし、それで、その、傍に居るから、だから」

 どうして毎回こうなるんだろうと酷く戸惑いながらも、優矢は奈美を刺激しないようそう提案し、これ以上の危機的状況を回避するという事に努めた。何にせよ、奈美が傷つくという事は本意ではなかったから。


「ひぐっ、えっ、ホントに?」

 優矢の提案を聞いて漸く、どうやら嫌われてはいないみたいだと徐々に安堵していった奈美は、それならばこのまま甘えていって更なる確信を得ようと目論んだ。


「じゃあ、じゃあ、腕枕とか」

「そしたら、ちゃんと眠る?」


「うん。眠る」

「わ、判った」


 優矢がそろそろとベッドに入ると、奈美は途端にしがみつく。


「でも、イビキとかしちゃったら、恥ずかしいなぁー」


「えっ、と。それなら、イヤホンして音楽でも聴いてるよ。そうすれば聴こえないでしょ? あっ、勿論、アネキが眠ってからね。それまではアネキの話しを聞きます」


「うん! あっ、でも、寝顔を見られるのも恥ずかしいよぉー」


「っと、それならさ、あっ、タオルで目隠しするよ。そうすれば見れないでしょ? ね?」


「うん! ありがと」

「いや、その、うん」


「ねぇ、ユウヤぁー」

「ん? どうした?」


「愛してるよぉー」

「えっ、ありがと」


「違うでしょー! ユウヤも、愛してるよって言うの!」


「え………愛してる、よ」

「えへへ、幸せだなぁー」


 こうして奈美は完全に安堵し、

 優矢もそれで安心した………。


 ………。


 ………。


「………」そこにあった風景は、オレにとっては幸せだった。この後、一連のアネキの挙動はヤキモチから来たモノだという事が判って、何だか嬉しくもあった。アネキは身体が弱いのに一生懸命な人だから、家事やら勉強やら、きっと何から何まで頑張ろうと無理をしてしまって余計に体調を壊したのだろう。そう思ってた。でも、アネキはその心の奥底で様々に悩んでたんだろうね。そして、その一端を垣間見せてもいたんだろう。それなのに、オレは気づけなかった。だから、アネキは情緒不安定な感じになっていったんだと思う。つまり、アネキが情緒不安定のような毎日を送るようになったのは、アネキがそうなってしまうに至るキッカケを作ったのは、それは間違いなくオレなのだろう。そうなのだから、アネキが壊れたのもオレのせいだって事だ。全部、オレのせい。


 ゴメンね、アネキ。


 ………。


 ………。


「えっ、また言われたの? 見てもないクセにさ、なんでアイツ等は好き勝手に決めつけて、ペチャクチャペチャクチャと噂すんのかな………くそっ。オレ、もう許せないよ!」オレは、近所の人達からの中傷に、心の底から怒っていた。でも、同じくらい怖がってもいた。その中傷の中身が、所謂ところの世間の常識という偽善から来るその批判が、見てもいない筈のその噂の核心が、今はまだ露見してないというだけで、本当の事だったからだ。だからオレは怯えてもいた。そう思う方が常識だと判っている自分が、自身の中にも確かに存在していたから。


「たしかにアノ人達ってさ、怪しいってだけでアタシ達の事を近親相姦の関係だとか、不純異性ナントカだとかって悪口を言ってるんだけど、さ。でも、仕方ないよ。だって、アタシはユウヤを誰よりも愛してるし、絶対に離れたくなんかないし、誰にも渡さないよ。この想いはもう抑えられないし、抑えるつもりもないもん。だから、ね………うん。アタシは平気なの」


「アネキ………」なんだかアネキは、未来に対しても覚悟を決めてるかのような真剣な表情だった。そして、好きという感情の中に含まれている様々な激情を、当然のように受け入れているようでもあった。対してオレは、好きだから一緒に居たいとか居てほしいとかいうような上辺だけしか考えてなかったかもしれない。そうだったからか、アネキのその表情にどうしても戸惑いを感じてしまった。


「あっ、それにしてもさ、アノ人達って鋭いよね。外では隠してるつもりなのにさ、それでもアッサリと見抜くんだもんね。表情に出てるのかな、ユウヤの事が好きで好きでたまらないんですって事をさ、えへへ………」

 たぶんオレが少し固まった表情を見せてしまったからなのだろう、アネキは少し慌てた感じで茶化すようにそう言って笑った。でも、アネキは確かに柳に風の如く、そんな噂や中傷でさえ飄々と受け流しているようであった。


「………」当時のオレは、自分のモノサシで感じた事が唯一の答えで、他者の心情なんて見ただけで簡単に判ると思い込んでるようなヤツだったので、アネキがその心の奥底で何を思い、考え、感じてるのかを気づけなかった。結局のところ、オレも近所の奴等と同じだったという事だ。


「アノ人達の事なんかさ、アタシは全然気にしないよ。何を言われたって平気なの。だって、アタシが欲しいのはユウヤだけだもん。ユウヤが傍に居てくれて、ユウヤが愛してくれて、ユウヤのお嫁さんでいられるなら、他には誰もいらないの。だから大丈夫。ユウヤが居れば、アタシはヘッチャラさんなのです」


「ヘッチャラさんって、アネキ………でもさ、これじゃまるでオレ達、悪人みたいじゃんか」オレのお嫁さん、か………どうしてアネキは、こうもオレとの結婚という形式に拘るんだろう? 姉弟なんだから傍に居られるのに………と、当時のオレは不思議に思ってたんだけど、でも。それもやっぱりアネキの心に気づけなかったからなのだろう。アネキが喜ぶのなら………そう思ったからそうしただけだった。イヤではなかったけど、重要な事だとも思ってはいなかった。


「例えば、さ。アノ人達の前でさ、ユウヤにしがみついたりなんかしてさ、アタシを棄てないでぇーとかさ、棄てるなら死んでやるぅーとかって泣き喚くようなさ、思ってる事をそうやって見せちゃうような、そういうソープオペラみたいな事をアタシがしちゃえばさ、そうすれば、証拠を掴みましたよぉーってなるけど、さ。でも、そうしなければいつまでたっても噂は噂のまま。真実だけど噂のままでしょ? そんなの違いますよぉ~って言えば、それでも真実は永遠に隠しとおせるの。あっ、でもアタシ達って罪人ではあるのかな………アタシはバレても平気だけどね」


「え、それは………」


「でも、面倒が増えちゃうよね。バレたらヤバいか」


「そりゃそうだよ、うん。バレたらヤバいよ。それにさ、バレなきゃイイのかもしれないけど、でも、オレは何よりもアネキが傷つけられるのがイヤなんだよ」本心だった。正直に言うと、アネキとの関係が露見して非難されるのは怖かった。でも、アネキが傷つくのはそんな事とは比べ物にならないくらいにイヤだった。


「ありがと。ユウヤは優しいね。嬉しい! えへへ。そっか、アタシが夢中になっちゃうのも無理ないよね。もうアタシ、ユウヤに棄てられたら生きてけないなぁー。って、感じ? ねぇ、ユウヤ………どうしようか? どうしちゃう? えへへ。二人で逃避行とかしよっか?」


「えっ、と。それは、その、あの」


「宝クジとか当たんないかなぁー」

「えっ、あ、宝クジ? そうだね」


「世の中にはさ、そういう人もいるのになぁー」

 アネキはオレを優しいと言うけれど、こんな状況でも笑顔をくれるアネキの方が何倍も優しいし、何万倍も強い人だと思う。女性は強いと言われる所以は、他者への優しさが深いからなのかもしれないな・・・・と、オレはアネキを見てて思う事が何度もあった。


「ユウヤ、大好き!」

「ちょ、ア、アネキ」


「アタシはね、ユウヤが傍に居てくれさえすればそれでイイんだよ? ユウヤが傍に居てくれれば、何があっても耐えられるの。ホントだよ? 嘘じゃないの。ユウヤだけなの」


「アネキ………」


「だからね、あんなの気にしないで。ユウヤは優しいからさ、このままじゃイケナイとか思ってくれるけども、もしもそれで離れなきゃなんなくなるような事になるかもしれないなら、言われたままでイイ。このままでイイ。良くない方に行くかもしれないなんてイヤだもん。アタシは平気だから。だからユウヤ、言いたい人には言わせておこうよ。ね? そうしよ? ユウ、ううん。アナタ………ね? お願いだから」


「う、うん。判った………」アナタ、かぁ………オレ達が幸せだったのって、たぶんきっとこの辺りまでだったような気がする。勿論それはオレのせいで。アネキが危惧してた、恐れてたような方向へと進んでしまったのは、アネキの言うようにオレだったんだ。


 アネキ、ゴメンね………。


 ………、


 ………。


 優矢が奈美への想いを素直に表に出す事を躊躇うようになっていったのは、二人に対する近所の人達の中傷が祖父母の耳にまで届くようになった頃だった。何歳になっても可愛い孫二人の顔が見たくて二人が住む家を訪れたある日、偶然ではあったもののその中傷を知ったのだ。祖父母は当然そんな噂を信じるワケがなく、孫二人の仲がいくら良いからといってそんな噂で傷つけようとするなんて、なんて心無い人達なんだと憤慨していたのだが、優矢はそんな祖父母の信頼を目の当たりにして心苦しい気持ちに陥ってしまった。奈美は優矢しか見ていなかったが、優矢は世間を気にしてもいたからだ。その分だけ、奈美を愛しているという想いの他にも、奈美は実の姉であるという思いもそれはそれで色濃く存在していた。相反するそんな二つの感情は、次第に想いが心を支配して感情論を盾としていき、思いが脳を味方につけて一般常識を剣としていった。そして、激しく睨みあい、遂には内戦にまで拡大していった。


 優矢自身でさえ気づかない内に精神を蝕んでいったその内戦は、想いで動く度に思いに罵られ、強い自責の念に苛まれていく連続で、後に剣がひとまずの勝利を収めるに至ったのだが、それでも盾は全面降伏をしたわけではなく、完全消滅したわけもなく、奈美を強く愛しているからこそだった。


 が、しかし。


 奈美にはそれが理解できなかった。伝わらなかった。奈美の中でも優矢のそれと同じようにそれぞれが心と脳に分かれて反目しあってはいたのだが、剣なんて存在は最初から盾の相手ではなかった為に、優矢がしてくれた事は心変わりにしか見えなかったからだ。罪を犯した者の全てが悪なのではなく、悪意によって他者を傷つけた者こそが悪なのだと思っている奈美にとって、近所の人達や世間の常識こそが悪であり、剣なんて目障り程度の存在でしかなかった。優矢のみが絶対的な存在だったから。それだけに、その優矢が撃破されるととてつもなく脆かった。


 奈美がもうこれ以上は何一つ傷つけられないようにするにはどうすれば良いのかを考える優矢。


 優矢の他には何もいらず、優矢が傍に居ればどうなっても良いと思っている奈美。


 優矢は奈美が中傷されないようにと様々に試みてみるものの、そのどれもこれもが奈美に中傷が集中してしまうだけに終わってしまい、その都度焦りが強くなり、申し訳なさと不甲斐なさで自責の念を強くしていく。


 奈美は優矢が本当は心変わりをしていて自分を捨てようとしているのではと、どんどん不安を募らせていく。


 優矢は自分のせいで中傷が集中してしまったが為に苦痛が増してしまった奈美が、遂に元気を無くしてしまったのだと自戒し、どう接したら良いのか判らなくなって距離を置くようになる。


 奈美は離れていく優矢を取り戻し、更には永遠に自分だけのモノにするにはどうすれば良いのかという考えに囚われていく。


 こうして二人の精神は、

 それぞれ違う角度で蝕まれていく。


 ジワリジワリとではあったがしかし確実にすれ違っていく二人は、言うなれば道に迷ってしまった旅人なのかもしれない。


 最初は同じ場所に居た。

 たしかに居た。


 寄り添って並んでいたし、

 踏み出した一歩も同じ方向だった。


 同じ歩幅だった。

 同じ速さだった。


 それが、

 何歩目か辺りで少しだけズレた。


 しかし、二人はそれに気づかないまま進んでいく。すると、そのズレは徐々に大きく開いていく。腕を伸ばしても触れられなくなり、気づいた時には姿が見えなくなっていた。奈美の望みと優矢の願いが違っていた事に、二人とも気づけなかったのだ。声をかけて伝え合ってさえいれば、そうはならなかったかもしれないのに。望みと願いが違っていても、想いはずっと同じなのだから………。


 ………。


「「………」」

 時間は何も言わずにただ実直に進み続け、長い年月を作り描き、奈美と優矢は今、想い出と思い出の詰まったこの家の中に居る。外は激しい雨だ。屋根を、壁を、草木を、大地を叩く音が家の中にまで漏れ聞こえている。


「………」あの時もこんな雨の夜だったな。


 と、

 キッチンで佇んでいた優矢は思った。


「………」あの時もこんな雨の夜だったね。


 と、

 優矢の背中を見つめていた奈美は思った。


「「………」」

 二人が脳裏に思い浮かべていたのは、悲しい記憶。あの時………それは、図らずも同じ場面であった。


 ………。


 ………。




        第9話 優矢の願い  完

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