第10話)赤いシーツ
離れて暮らそうと奈美に告げた夜の雨音と、窓を壁を屋根を地面を叩き続けている今夜の雨音が、不意にピタリとリンクしてしまった優矢の脳裏で、その時の記憶が優矢に断りなく動き始めた。
………。
「………ユウヤ?」
「ゴメン、アネキ」
奈美への愛情を感じる度に、
優矢は罪悪感を増していた。
「ゴメン………」せめてもうこれ以上アネキを傷つけないようにするには、アネキが笑顔で暮らすには、アネキが幸せになるには、オレはどうすればイイのだろうか? って、やっぱりこうするしかないんだよ………。
優矢は初め、自分が身を引くという選択肢から目を背けていた。だから、それ以外の方法を模索し、試していった。しかし、悉く上手くいかず、その度に奈美は傷ついていった。自分が早くに身を引けば、そうなる事はなかったと、優矢はどんどん思い詰めていった。やがて皮肉にも、奈美が仕掛けた事が事実上の決定打となり、歯車は完全に狂ってしまい、優矢は遂に奈美を諦める決心をし、家を出るという覚悟を奈美に告げた。
理由ではなく、覚悟を。
「どうしてなの?」
「………ゴメンね」
灯りの消えたアネキの部屋。そのベッドの上。肩を落として俯くオレと、今にも泣きだしそうな表情でオレを見つめるアネキ。
「どうしてそういう事言うの?」
「………ゴメンなさい、アネキ」
アネキは瞳に涙を浮かべながら訊いてくるのだが、告げたそばからもう後悔していたオレは、アネキに甘えてしまいそうで何も言えない。
「ねぇ、答えて!」
「………ゴメンね」
辛うじてそう口にする。
それが精一杯だった。
「ゴメンだけじゃ判んないよ!」
「オレのせいで傷つけてゴメン」
沈んだ声で、オレはなんとか答える。
「えっ、傷ついてなんかないよ!」
「アネキ………アネキは優しいね」
アネキはすぐにそう返してくれた。
「ゴメン」
アネキは本当に優しい。
「あう、う………えっと、じゃあ、じゃあ、じゃあさ、イヤだって言ったらどうする? ねぇ、どうする?」
アネキは訴えるように訊いてくる。
「ユウヤ!」
「………」
オレは、心が激しく揺れる。
その優しさに甘えたくなる。
「………ゴメン」
でも、なんとか振り絞る。
「あう、う。じゃあ、じゃあ、あのさ、ユウヤ、あの」
「何度も傷つけてゴメン」
「だから傷つけてないってば!」
「ゴメン………」
アネキは強く否定する。
アネキは誰よりも優しい。
「ユウヤ、あのね」
「傷つけてゴメン」
「傷つけてない!」
すぐに否定してくれる。
「ううん。傷つけた」
「傷つけてないよ!」
アネキはオレを庇い続ける。
「傷
「つけ」
てなんかないもん!」
声を被せて庇い続ける。
「………ゴメン」
やっぱりアネキは、誰よりも優しい。
「ユウヤ………」
「………ゴメン」
その優しさに、
オレは心が痛くなる。
「傷つけてないのに………」
「………ゴメンね、アネキ」
「ホントなのにぃ………」
「ゴメンね………アネキ」
「アタシそんなの」
「ゴメンね………」
もう、甘えちゃダメなんだ。
「ねぇ、聞いてよユウヤ」
「ゴメンなさい、アネキ」
オレがそれではダメなんだ。
「ユウヤ………」
「………ゴメン」
アネキは何か言おうとしてくるが、
オレはそれを振りきる。
「あのさ、ユウヤ」
「ゴメン………っ」
甘えしまいそうだったから。
「あう、う」
「………」
「ユウヤ………」
「………」
「………」
「………」
「「………」」
「………判った。ユウヤの言うとおりにする」
「アネキ………ゴメンなさい」
暫くの堂々巡りの後。オレを罵ってもイイのにアネキはそれをせず、そうはせずに静かに飲んだ。アネキはホントに優しい。
「だけどさ、ユ」
「ゴメンなさい」
ホントはオレ、イヤだよ。
「ウっ、ヤ、あのね」
「ゴメン………」
でも、きっとまた。
傷つけてしまうから。
「アタシは、その」
「ゴメン………」
もう、傷つけたくないんだ。
「だから、アタシはユウヤを」
「なるべく早く出ていくから」
オレは足早にアネキの部屋を後にし、自室へと戻った。傍に居るだけでさえ、アネキを傷つけているような気がしたから。
………、
「………」
自分の部屋に戻ると、再び強い雨音が漏れ聴こえてきて、なんだかそれが強く責めているように感じた。アネキの代わりにオレを………うう、うっ。
………、
「くっ、う………」
途端に息苦しくなったオレは、ヘッドホンを耳に当ててステレオをONにする。暫しして大音量で曲が始まり、外部の音は全て遮断された。
………。
「………」
固まってしまったかのように微動さえしないユウヤの背中をジーッと見つめていたアタシの脳裏に、ユウヤに棄てられたと思ったその夜の事を思い浮かんでいた・・・・。
………。
「なるべく早く出ていくから」
ユウヤはそう言って、足早に部屋を出ていこうとした。
「えっ、話しはまだ」
その背中を、アタシはすぐに追いかける。
「ねぇ、まだ終わってな、ちょっ、と、待ってよユウヤぁー!」
アタシ、そんな意味で言ったんじゃないのに!
「待ってってば、ユ」
ぱたん。
アタシを遮るかのように、
ドアが再び閉じられた。
「ウ、ヤぁ………ひんっ」
閉じられたドアに顔を押し当てたアタシは、ただただ嗚咽を繰り返す。
「うう、うううっ、うぐっ」
どうして?
どうして、
こうなっちゃったんだろう。
どうしてなのよぉー!
「ふえっ、うぐっ」
すぐに頭が痛くなり、次に胸が苦しくなり、更には身体が震えだしたアタアシは、どんどん視界が狭くなり、意識が虚ろになる。
「ううっ、う、うっ、こ、こ、こん、なの」
死のうと思った時と同じ絶望感に襲われて嗚咽が酷くなったアタシは、ユウヤが居ない毎日というタイトルの映像に脳を勝手に占拠され、それで更に絶望が増していき、当然の事だけどそんな状況には耐えれなくなる。
ぷちん。
「こんなのイヤだぁー!」
アタシは大声で叫ぶ。
「棄てないでぇー!」
ユウヤに聞こえるように。
「どこにも行かないでぇー!」
何度も。
「ヤダよぉー!」
何度も。
「あうう、ユウヤぁー。ヤダよぉー」
でも、ユウヤは来てくれない。
「ユウヤぁー!!」
無視してる?
「ユウヤぁー!!」
ううん。違うね! 違うよっ!
ユウヤは誰よりも優しいもん!
「棄てないでぇ………」
あ、あ、きっとこの雨のせいで聞こえないんだ。そうよ、そうに決まってるもん! 雨なんか大嫌いだぁー!
「ひぐっ」
アタシはユウヤにしがみつこうと思って立ち上がるが、すぐに崩れ落ちた。
「あう、う」
貧血?
「ユ、ウ………」
こんな大事な時に、
忌々しい身体だ!
「ヤぁ………」
そして、
唐突に暗転した………。
………。
「………」
ユウヤはまだ動く気配を見せない。現実に戻ってそれを確認したアタシは、先程まで浮かんでいた続きを思い浮かべる事にした………。
………。
「んん………ん?」
気を失ってしまったのか、それとも泣き疲れて眠ってしまったのか、アタシは自室の床に伏せていた。
頭が痛い。
寒気がする。
「………」
風邪、なの?
「あう、う」
ホント、
忌々しい身体だ!
「アネキ!」
「ふえっ?」
動けなくてワナワナと震えていると、
ユウヤの声が聞こえた気がした。
「アネキ!」
「ユウヤ?」
それは、やっぱりユウヤの声だった。アタシがユウヤの声を聴き間違えるワケがないし、聞き逃すワケがない。どんな時だって。そんな時だって。
「しっかりして、アネキ! 兎に角ベッドに」
ユウヤはアタシを抱え上げ、ベッドに優しく寝かせてくれた。
「あう、う」
その時アタシは意識がハッキリとはしてなかったけど、でもユウヤがそうしてくれたって事は判った。その感覚を、身体が覚えていたから。でも、でも、それよりも。
「アネキ!」
「………」
もしかして、
「シッカリして!」
「はう、う………」
心配してくれてるの?
「アネキっ!」
「ユウヤぁー」
やっぱりそうだ。
心配してくれてるんだ。
「すぐに角砂糖とお水を持ってくるからさ、だから、そのまま横になってて。イイ?」
「う、うん」
そっ、か。そうなんだね。やっぱり昨夜はあの雨音のせいで、アタシの声が聞こえなかったのね。
だってほら、
ユウヤはこんなにも優しいんだもん。
やっぱりユウヤは、
誰よりも優しいのよ。
「アネキ、おまたせ」
「ユウ、ヤ………」
慌てた様子で出ていったユウヤは、ホントにすぐに戻ってきてくれた。そしてその後も、ずっと傍に居てくれた。ユウヤは最初、アタシが低血糖か何かで倒れていたと思ったらしく、だから角砂糖を取りに行ったんだろうけど、熱を計ると高熱なのが判り、心配度が格段に上がったみたい。
それからのユウヤは、アタシが平熱に戻っても傍に居てくれて、だからアタシは甘える事ができて、それはそれは幸せだった。幸せ以外の何物でもなかった。
忌々しいなんて言ってゴメンね。
アタシの身体………ありがと。
「ゴメンなさい、ユウヤ」
「え、急にどうしたの?」
アタシはその時、漸く気づいた。ユウヤは優しいから言わないだけで、アタシのせいで疲れてたんだって事に。だってアタシ、いつもユウヤに甘えてたから。
「ううん、なんでもない」
アタシはユウヤの言うとおりにしようと思った。でも、諦めたりするつもりなんかではない。戻ってきてもらえるように頑張るの。まずは、独りで出来る事をもっともっと増やそう。そうすればさ、面倒だなんてもう思わないでしょ? でしょ? それなら、迷惑だなんて思われないよね? だからアタシは、これは仲良しに戻る為の別居なんだと、若しくは事情があっての単身赴任なんだと、そう思う事にした。
そう思い込めば、たぶん。
耐えられそうな気がする。
「えへへ、ユウヤぁー」
それくらいならさ。
許してくれるよね?
判ってくれるよね?
アタシにはユウヤしかいないの。
この傷がその証拠だよ?
その証明だよ?
あの時、
助けてくれたでしょ?
だからもうアタシ、
死のうなんて事は考えない。
だって、
ユウヤに貰った命なんだもん。
「ユウヤぁー」
「ん?」
………。
それなのに、
どうしてなの?
アタシ、
どうすれば。
「………」
回想の旅を終えた奈美は、再び現在にピントを合わせた。
が、しかし。
優矢が依然として固まったままだったので、その背中を見据えたまま、更に旅立つ事にした………。
………。
「ユウヤぁ………」
あの時アタシは絶望感に全権を委ね、その意のままに従った。処方されていた薬の中からヒトツを選び、それを多量に飲み干してその効果を待ち、それが表れ始めたところで躊躇なく自傷した。躊躇なんかするワケがない。
「く、うっ」
強い熱さを感じた直後、ジワジワと痛みが襲ってきた。でも、それは気になる程ではなく、徐々に意識が薄れていく。そのうちに気だるさが睡魔に変わり、殆どの機能が思うように働いてはくれなくなった頃。
「アネキ?!」
微かに、
ユウヤの声を聴いた。
「アネキ!」
「………」
アタシは声が出ない。もはや朦朧として何も見えず、力も入らないのだから。
「そんな、アネキ!」
「………」
あぁ、アタシはもう死ぬんだって感じて、そしたら少しずつ少しずつ怖くなってきたけど、ユウヤが居ない毎日なんて生きていても意味がない。その恐怖に比べれば、こんな事は大した事ではない。と、そう思ってた。
けれど、
それは間違いだった。
「しっかりして! あ、そうだ! 救急車を」
「………」えっ?
「アネキ! 死なないで!」
「………」ユウ、ヤ?
「なんでこんな事したんだよぉー!」
「………」今、何て………。
「ヤダよ、アネキ! 死なないで! 死なないでよ! 死んじゃヤダよぉー!」
「………」そんな………ユウヤが、ユウヤがアタシに、死なないでって言ってくれてる!
「アネキ! ねぇ、アネキ!」
「………」ユウヤの傍に居られるならアタシ、こんな事しないよぉ………だってアタシ、ユウヤに棄てられるって思ってたから………で、でも、ユウヤは死なないでって………嬉しいよぉ………あう、う、アタシ、死にたくないよぉ………ユウヤの、傍に、居、たい、よぉ………ユウヤぁ………ヤダ、よぉ………ユウ、ヤ、アタシ、死にた、く、な、い、よぉ………助け、て、ユ、ウヤぁー、あ、あ………っ。
ぷつり。
アタシの記憶はここで途絶え、思い出せるその後の始まりは、それから3日程が過ぎ去った辺りだった。そう、ユウヤが傍に居てくれてるのに、3日も無駄にしてしまった。バカだよ、アタシ。あんな事さえしなければと、心の底から悔やんでいた。
この後、
暫くの間だけは………。
「………」
安堵を誘う温もりを感じて目を開けると、アタシの瞳にユウヤが浮かんだ。
「アネキ?!」
「………っ」
アタシはかかりつけの病院にある病室のヒトツ、そこのベッドの上で横になってた。ユウヤはアタシの手を握ってくれてた。
「………ユウ、ヤ?」
どうやら、
アタシは死を免れたみたい。
後で判った事だけど、ユウヤが傷口を塞いで出血を抑えてくれてたって事と、自傷してからまだ時間が浅い内に救急搬送できたので処置が早急に施せた事、それ等の事が大きかったらしい。
つまりアタシは、ユウヤのおかげで生き延びる事ができたのだ。ユウヤが助けてくれたのだ。ユウヤはアタシの死を望んでなんかいないんだ。
ユウヤに嫌われてるワケではないという事が判ったアタシは、途端に幸せに包まれた。そして幸運にも、定時で先生とか看護師さんが来る以外は病室にユウヤと2人きり。それは、どんなに甘えたって平気だという事。家の中に居る時みたいに、ね。
最初、ユウヤは泣いてた。
心が痛んだけど、嬉しかった。
次に、ユウヤに叱られた。
怖かったけど、嬉しかった。
そして、ユウヤが謝った。
何故なのかは、判らなかった。
アタシはこの時、
想いを更に強くするに至った。
アタシのモノだと。
永遠にアタシのモノ。
アタシだけの………えっ?
「………っ?!」
その時、突然と言えば突然に奈美はプツリと旅を止め、何かに取り憑かれたかのような表情に豹変した。
「アタシ」
そしてポツリと、
「だけの」
けれどハッキリと、
「モノよ」
そう呟くと、
「………」
まるで誰かに返事でもしたかのように一つ頷き、愛しい背中へと足を踏み出した。
「………」
その一方で優矢は、奈美との今後を考えていた。奈美を諦めなきゃと思っていた毎日が、奈美と一緒に居れる毎日に変わったのだから。これからは声だけではなく、毎日のように奈美の笑顔が見れるのだ。
「笑顔………」
奈美をもう絶対に傷つけたくないという思いに異常と言っても間違いではない程に縛られている優矢は、奈美が再び自傷するという事にはならないようにと、その思いを強く刻んだ。
「自傷………」
その時、不意に先程シンクに置いた刃物にピントが合い、すっかり忘れていた事を思い出した。
「刃物………」
途端に、何故それを使わなかったのだろうという違和感が、不意に思い出した分だけ強く沸き上がってきた優矢は、奈美に直接その理由を訊いてみようとか考える。
「………ん?」
モノがモノなのでとても気になるのだが、気づかれている事に奈美は気づいていない様子なので、訊かない方が良いような、訊くのが何故か怖いような、兎にも角にも気になって仕方ない。と、いう思いを暫くループした後、思いきって訊いてみようと決断した優矢は、奈美の元へ向かおうと振り返った。
「あのさ、アネ」
「………っ!」
偶然にもそれが、徐々に勢いを増しながら最終的には突進していた奈美が優矢と接触する瞬間と重なった。
「う、ぐっ」アネ、キ?
「………」………。
どさっ、とも。
ばさっ、とも。
ぐさっ、とも。
聴こえるような。
そんな鈍い音がした。
「どう、し、たの?」
優矢にとってはそれが突然と言えば突然の事だったので、何が起きたのだろうと驚いたのだが、それでも辛うじてではあったが奈美を受け止める事には成功した。
「誰にも渡さないから」
独り事のように、奈美が呟いた。
「えっ………」
優矢はその瞬間、全身が激しく燃えていくかのような熱さをその身に強く感じた。
「………」
しかしそれを、心から溢れてしまうくらいの至福に包まれているからだと思い込んだ。
「ううっ」
すると今度は、身体の力がものすごい速さで抜けていく感覚をその身に重く感じた。
「………」
しかし優矢はそれを、先程までの極度とも言える緊張が安堵に変わった事による脱力だと思うに至った。
「んくっ」
更に優矢は、何故だか急激に意識が朦朧となっていく状態に陥った。
「………」
しかしそれは、思考の連続による体力の消耗で疲弊した為に沸き上がってきた睡魔だと思う事にした。
「ねぇ、ユウヤ? 二階、行こっか」
優矢の胸に顔を埋めていた奈美は、漸くその顔を上げて優矢を見つめながら、幾分だけ震えが和らいで落ち着き始めた声でそう告げると、そのまま可愛く微笑んだ。
「………」
寄り添っている奈美の声を何故か遠くに感じつつも、奈美になんとか微笑みを返した優矢は、強い眠気のような気だるさと、鈍い痛みと鋭い熱さに襲われながら、奈美に寄り添われてヨロヨロと、奈美に誘導されながら歩き始めた。
「「………」」
少なくとも人間という生き物は、どんな事があってもどんな事があろうとも、好きな人には自分の事を好きでいてほしいと思うものである。
「…………」
奈美も優矢に、それを望んでいた。しかし、その実現の為に何を選ぶかは千差万別であり、何をするかは十人十色であり、そういう意味で言えば奈美は時に魔物で、優矢はいつだって人間のままだったのかもしれない。
「ユウヤ?」
何かを確認するかのように、奈美は優矢に話しかけた。
「………」
寄り添って自分を支えようとしてくれている奈美にあまり負担をかけないようにと気遣いながら、優矢はなんとか階段を上がった。
「きやっ!」
「………」
そして、やっとの思いで部屋に辿り着くと、そこで力尽き、ベッドにドサリと倒れ込んだ。
「ユウヤ?」
「………」
抗う事なく一緒に倒れ込んだ奈美は、そのまま動かない優矢に再び声をかけてみる。
「大丈夫?」
「………」
その表情は、優矢を心配しているようでもあり、けれどどこか安心しているような、そんな幾つかの感情が浮かんでいるようであった。
「これでもう、ず~っと一緒だね」
「………」
優矢を見つめながら、囁くようにポツリと言うと、奈美は優矢の服を脱がし、すぐ後に自身も脱いで再びピタリと寄り添った。
「アタシが温めてあげるね」
「………」
そして、シーツを引き寄せながらそう言うと、奈美は優矢の顔が自分の胸に来るように腕を絡め、幸せに満ちた表情で優矢を柔らかく包み込んだ。
「愛してるよぉ………えへへ」
「………」
そして。
二人はそのまま寄り添いながら、穏やかに朝を迎えた。これが二人にとって幸せの再スタートなのかは当事者の二人であってもおそらくは何とも言えない筈なのだが、しかしその当事者の一人であるところの優矢を包み込むようにして眠っているこちらも当事者の一人である奈美は、ハッキリと確信しているようであった。
「「………」」
ベッドの上、赤いシーツに包って身を寄せている二人。
「………」
奈美は幸せに満ち溢れたというような表情で眠っている。
そして、
優矢はというと。
「………」
安らかな表情で横たわっていた。
………。
………。
第10話 赤いシーツ 完
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