第4話)奈美の望み
今になって思い返してみると、それがアタシの全てでしたと言っても過言ではないくらいに幸せだった毎日って、そんな毎日って結局は、ほんの僅かな時間しかなかったんだよね。
けれど、その他の時間は全てが不幸せでしたっていうワケではなくて、ユウヤのモノになりたいというホントなら叶わない筈の願いが叶った為に、これから先もずっとアタシだけのモノにしたいという望みが新たに芽生えてしまったから、だから僅かだったと思ってしまうのかもしれない。だって、ホントに僅かだったんだもん。
ねぇ、ユウヤ。
ヒトツだけ、訊いてもイイ?
愛情と欲望って、さ。
何がどう違うのかなぁー。
………。
………。
「可愛いって思った。ホントに」
「えっ………と、ユウ、ヤ?!」
淫らな醜態を晒してしまったアタシを責めず、辱めもせず、罵ろうともせず、避けようともせず、ユウヤは優しさに満ち溢れた言葉で包んでくれた。それは、思いもしない事だった。
「正直に言うとオレも、その、アネキの事を想像しながら、同じ事をシテたし」
「えっ、そうなの?」
まさかと思った。ユウヤは誰よりも優しいから、こんなアタシを庇う為にウソを言ってくれてるんじゃないかって思った。でも、でも、ホントなら凄い嬉しいとも思った。
「あ、あのさ、それって、その、いつからそういう事を、シテくれてたのかなとか、訊いても、イイのかな」
アタシは思いきって踏み込んでみた。
「えっ、と、その、それは」
すると、ごにょごにょ。
「あ、それって、さ。アタシだけ、なのかな。いつもアタシだけ?」
恥ずかしそうにそう口ごもったユウヤも凄い可愛いくて、途端にアタシは自分の無様な姿を棚に上げ、少しだけ上から目線で更に踏み込んでみようかなって思った。そこの辺りは姉と弟って事で都合良く許してね、ユウヤ。
「えっ………う、うん」
「変な事訊いちゃってゴメンなさい。ユウヤ、アタシね、凄い嬉しいよ。だからね、その、ホントにそうなれたら、もっと嬉しいなぁーなんて思ったりして。えへへ、流石にダメだよねそんなの。ゴメン………」
ユウヤが肯定の意を示した事で、アタシはもう自身の想いを隠すのは辞めようと思った。そして、越えてしまおうと決めた。願いを叶える為に。
「アネキ………」
「ゴメンなさい………」
もしかしたら、ユウヤとアタシは赤い糸で結ばれてるのかもしれないって、心の底からそう思った。期待した。神様ってホントにいらっしゃるのかもしれないなって、心の底からそう感じた。
「いやその………」
「でも、でも、つまりアタシ達ってさ、随分前から両想いって事だよね? だから、だからそれならさ、告白しとけば良かったなって思っちゃった。だって、そしたらアタシさ、も、もしかしたらだけど、さ、もう今頃はとっくに、その、ユウヤと、さ」
アタシは、ユウヤを見つめながらそう言って、そして微笑んでから俯いて視線を逸らした。後はユウヤが来てくれるのを待つだけ。
「アネキ、オレ………」
「ユウヤ………大好き」
すると、願いどおりユウヤがアタシとの距離をたどたどしくだけれど詰めてきた。もう離れてる必要なんて欠片も見当たりませんとでも言うかのように。願いが叶いそうになってきたアタシは、その分だけ緊張が強まってしまったけれど、でもありったけの幸せを感じるにはそれだけでも既に充分だったかもしれない。
「ユウヤぁ………」
勿論、その続きをスルーするつもりなんて更々だったけれどね。
「アネキ………」
「大好きだよぉ………」
アタシは顔を上げて、愛しいユウヤを見つめ続ける。当然、ユウヤを迎え入れるつもりで。でもその時、不安がよぎった。ついさっきまでワンワン泣いてたから、もしかしたら今のアタシ、相当ヤバい顔してるんじゃないかなって。でもそれを言うなら、下着は左の足首あたりでクニュってなったままだったし、シャツの下ではブラが上にズレたままだったんだけどさ。
「大好きだよ、アネキ」
「はうう、ユウヤぁー」
ユウヤは誰よりも優しいから、アタシのそんなマイナス部分には目を閉じてくれたようだ。ユウヤの言葉で不安が一気に消え去ったアタシは、ユウヤが触れてくれるのを目を閉じて待った。
ドキドキしながら。
ジンジンしながら。
そう………うん。
正直だよね、心も身体も。
「んっ」
もしかしたらその時、唇を、何て言うか、こう………突き出しちゃったかもしれない。そうだとしたら、かなりマイナス査定だよね。でも、でも覚えてないんだよなぁー。初めてだったから、緊張してたんだもん。
「んぐっ」
何はともあれ。アタシは遂にユウヤと初………あっ。そう言えばユウヤってあの時、何となくだけど慣れてる感じだったなぁ………ホントに、初めてだったのかな。アタシは初めてだったからさ、嬉しかったけれどでも凄い恥ずかしかったなぁ………って、それはやっぱりその後だって今だって恥ずかしいんだけどさ。だってユウヤ、ワザと恥ずかしい事させるし、するし………そ、そそ、そりゃあさ、ユウヤの命令ならイヤじゃないし、ユウヤがしたい事なら、その、シテもイイけど。いやその、ほら、イイんだけどさ、でも、でもさ………あうう、なんかユウヤのバカ。
「ん、はう、う………」
兎に角アタシはこうしてめでたくユウヤのモノになれて、秘密にしたまま毎日が劇的に幸せになって、けれどその分だけこの幸せがずっと続くのかどうか未来が心配になって、ユウヤの居ない毎日を想像しては怯えるようになって、それで、それで。
新たな望みが芽生えた。
だからアタシは、
その望みも手に入れようとした。
「ねぇ、ユウヤ。アタシね、ずっと考えてた事があるの」
「ん? 何を考えてたの?」
いつものようにユウヤに腕枕をしてもらってたある日、アタシは抑えられなくなってた望みを、遂に声にしてユウヤに告げた。
「秘密にすればさ、アタシ達でも大丈夫なんじゃないかなって」
「秘密に、って。何を?」
「あのさ、その、結婚、とか?」
「えっ」
その時、ユウヤの表情が一瞬を要せずして固まった。でも、口に出して告げてしまったからにはもう引き返せない。アタシは、脳をフル回転させた。
「あのさ、だってさ、バレなければみんなは知らないんだしさ、知らないんだからイイかなって」
つまり、誰にも迷惑かけないならイイじゃんとか、バレなきゃイイじゃんっていうヤツです。浮気を肯定する時なんかに男の人がよく言うセリフ。でも、アタシの場合とは違う。たしかに浮気はバレなければ奥さんは傷つかないけど、バレようとバレなかろうと浮気をするって事は、奥さんを傷つけようとしてるよね。そんなのってさ、言葉のロジックだよ。ただの言い訳。肯定なんて最初から出来ない事だよ。だから、アタシの場合とは違うの。浮気なんかじゃないんだもん。
真剣なんだもん。
って、自分でも強引な解釈だと直ぐに思ってたよ。アタシだってただの言い訳だもん。恋人としてユウヤと時間を共有できるだけでも充分に奇跡だったんだから、本来ならそれで満足するべきなんだよね。けれど、本来なんていう本来は最初から無いようなモノ。もっと言えば、有るワケがない。だから人間は言い訳をするの。だからアタシも、言い訳をするの。けれど、脳をフル回転させたワリにそんな程度の事しか言えない自身に、アタシは憤りを感じた。でも、どうしてもこのままユウヤのお嫁さんになりたかったアタシは、なんとかしなければとフル回転を続けた。
そう、このままで。
諸刃の剣は、
鞘の中に収めたままで。
「バレなきゃイイ、のかな」
「やっぱり、ダメかな………あう、う、でもさ、でもさ、ユウヤとアタシの2人だけで誓い合えばさ、おジィちゃんとかおバァちゃん、って言うか誰にもさ、ほら、迷惑かけないでしょ? ねっ、そうでしょ?」
例え露見したとしても構わないのだけれど、露見しない方が都合が良いのはたしかだ。少なくとも、アタシにとってみれば。
「それはそうだけど、さ」
「でしょ? でしょ? でね、でね、2人きりの時だけさ、姉弟の仮面なんて外して夫婦になるの。その間だけ、夫婦でいるの」
そう。姉弟こそが仮面なのだから。
「でも………」
「うく、あっ、そ、それでね、それでそん時はさ、夫婦なんだからユウヤの事をさ、その、アナタ、とかって呼んだりして、さ………そう呼んでもイイ?」
結婚についてはもう肯定済みの事だとでも言うかのように、アタシはさりげなく次の話に持ってこうとした。
「アナタ、って」
「そっ、そ、そう。それでさ、それで、あの、さ」
けれど失敗。フリダシどころかマイナス地点に引きずり戻されたような絶望感が心を支配していく。
「………」
「ねぇ、ユウヤ?」
アタシはユウヤを口説くべくまさに必死になって頑張ってみたけれど、ユウヤの表情はずっと固いままだった。
「………」
「そっか………うん、判ったよ。ユウヤはアタシなんかの事、お嫁さんにしたくないんだね。そうなんだね。そうなんでしょ?」
完全に拒否されたと思ったアタシは、この状況を覆す逆転のアイデアを何一つ閃く事が出来ず、かと言って両刃の剣を使う自信もなく、考える余裕も何もかもが泡となって消えてなくなり、ただただ悲しみに泣き叫びそうになってくばかりだった。声が力なく震え、表情が暗闇を纏ってしまう程に。
「えっ、アネキ。ちょっ」
「他の女の人がイイんだね」
凄い悲しかったから、当然だけど涙が出た。
「いや、その」
「そうだよね。だって、そうなんでしょ?」
ポロポロ、と。
「だから、アネキ」
「アタシじゃイヤなんでしょ? 他の女なんかと結婚しちゃうんでしょ?」
そしてボロボロ、と。
「あの、いや、あのさ」
「棄てるつもりだったんだね。棄てられちゃうんだね、アタシって」
溢れては、流れ落ちる。
「えっ、いやその、それはちち、ち、違うよ、そ、そんなんじゃ」
「遊びだったんだ………ひんっ」
「いやそ、の、棄てないって!」
「そんなのウソに決まってるもん」
「違うから! 大好きだよアネキ」
「えっ」
「その、イヤじゃないから。あの、あのさ、うん! そうだよね!」
「と………ユウヤ?」
「バレなきゃ、誰にも迷惑かけないもんね、うん」
「ユウヤ………うん、でしょ? バレなきゃ、大丈夫でしょ? そうだよね?」
「よし、結婚しちゃおっか」
「えっ、ホント? イイの? ホントにイイの?」
「うん。結婚しよう」
「ホント?」
自分から言い出しておいて何度も訊き返してしまったけれど、勿論聞き逃すワケがない。嬉しくて嬉しくて、流れる涙の意味が如実に変わった。
「うん………」
「ホントにホント?」
ユウヤは拒否したんじゃなくって、マジメに真剣に真摯に考え込んでくれてたんだと判ったアタシは、心の中でだったけれど心の底からユウヤに謝った。ユウヤ、早とちりしちゃってゴメンね。
「う、うん。だから、その、もう泣かないで」
嬉しくて泣いてるアタシを、ユウヤは気遣ってくれた。ユウヤはホントに優しい。誰よりも優しい。
「うん。もう泣かない………えへへ」
優しさに包まれたアタシは、微笑みを浮かべながらユウヤにしがみつく。そして、このまま甘えようと思いつく。
「じゃあ、じゃあ、プロポーズとか、シテほしいなぁー」
「えっ、と。今から?」
「うん。今すぐにシテ」
全開のアタシは、期待を込めた表情でユウヤを促す。
「あの、オレと、その………結婚、して、ください………大切にします」
ユウヤは何だか照れてる様子で、凄い可愛かった。勿論アタシは、有り余るほどの幸せに包まれて再び泣きそうになった。
「はい。ずっと傍に居させてください」
何はともあれ、成功しました。
「ねぇ、ユウヤ?」
「ん?」
そしてアタシは、
「ううん、アナタぁー」
「アネ、キ」
ほんの出来心で、
「………浮気したら殺すからね」
「えっ、あう、はははい………」
トドメの宣言をヒトツ。
「アタシのコト、愛してる?」
「あう、う、そ、愛してます」
だって、
「えへへ。嬉しいなぁー」
だって、さ。夫婦の会話っぽいでしょ?
………。
それなのに。
これでユウヤは永遠にアタシだけのモノになったと、そう心の底から幸せを感じてたのに、それなのにユウヤはアタシを、アタシをユウヤは………。
ねぇ、どうしてなの?
アタシの何が不満なの?
アタシのどこが不満なの?
どうして何も言ってくれないの?
ゴメンだけじゃ判んないよ!
直すから!
全部、直すからユウヤ!
だから、だから。
ねぇ、どうしてなの?
どうして出て行くの?
どうしてなのよぉー!
アタシを棄てないで!
ねぇ、お願いだから!
棄てないでよユ、ウ。
「ヤぁ………」
奈美が目覚めると、そこは暗闇に包まれた世界でした。
「えっ」と、あれ? アタシは何を………あ、そっか。アタシ、気を失ってたんだ。あっ、思い出したぁー! もう、死んじゃうかと思ったよぉ………嬉しかったからかな。思い出したら恥ずかしくなってきたかも。あ、そう言えばユウヤは?
「ユウ」ヤは何処、って。腕枕シテくれてたんだね。
えへへ。
「………幸せ♪」
大切な記憶を旅する事から戻ってきた奈美は、自分が優矢の腕枕で眠っていた事に気づくと本当に幸せそうな表情で目を閉じ、本当に幸せそうな声で呟いた。そして、記憶と身体にまだたしかに残っている優矢が与えてくれた余韻に心を泳がせた。
「ねぇ………」ユウヤ、知ってる? 気を失っててもね、夢って見えちゃうんだよ? ホントだよ? でね、でね、アタシがさっき見てたのは、昔の想い出だったの。うん………昔の。ユウヤに棄てられる前の、ホントにホントに幸せだった頃の。アタシ、ホントに幸せだったんだよ? さっき見てたあの頃のアタシ、凄い羨ましいよ。だって、ホントにホントに幸せだったんだもん………あっ、ゴメンなさい。違うの! ユウヤを責めてるんじゃないから! ホントにゴメンなさい! アタシ、責めたりなんてしてないよ。ホントだよ? だってさ………こうしてまた、抱いてくれたんだもん。しかも沢山。アタシ、幸せ感じたもん。それってさ、また、またアタシを愛してくれるって事でしょ? でしょ? 戻ってきてくれるって事でしょ? ね? そうでしょ? そうなんでしょ? ねぇ、そうだよね?
「おかえりなさい、アナタぁー」もう、アタシだけのモノよ。
「えへへ」誰にも渡さないんだからね。
「愛してるよぉー♪」ユウヤぁ………。
………。
………。
ぴぴっ、ぴぴぴっ、
突然といえば突然に、奈美と優矢が眠るベッドの枕元で、目覚まし時計が電子音を響かせた。この部屋に入った時に奈美がセットしておいたからだ。勿論、優矢との待ち合わせ場所に出掛ける前に、である。つまり、奈美の試みは今のところ予定どおり成功しているという事だ。そう、予定どおりに。
ぴぴっ、ぴぴぴっ、
「んくっ」
何度目かで、奈美が気づいた。
「あう、う」
身体が弱いせいか、奈美は寝起きは暫く貧血傾向が続いて動けないのだが、この日はそれでも表情が明るかった。
ぴぴっ、ぴぴぴっ、
「んん、ん」
そして、優矢もおぼろげに気づく。
ぴぴっ、ぴっ。
「うう、ん」
優矢が気づいて起きかけている事に気づいた奈美は、慌てて目覚まし時計の頭を押し込み、おそるおそるといった様子で頭を優矢の腕から離し、優矢の反応を黙ったままで伺った。
「ん………っ」
どうやら優矢は、眠っているようだ。
「良かったぁー」
まだ優矢を眠らせておきたかった奈美は、その睡眠を妨げる事にならずに済んだようなので、ホッとすると共に小さくそう呟いた。そして、ホッとしたまま目を閉じ、頭を定位置に戻した。
「ユウヤぁ………」
すると、優矢が与えてくれたほんの何時間か前の数時間の事が、記憶となって脳裏に浮かび、まだ鮮明と言えるだろう感触や感覚が身体中に甦り、最後に心地よい疲労感に促されて微笑んだ奈美は、フワリと目を開けて優矢の寝顔を見つめた。
「ユウヤの寝顔見るのって、久しぶりかも」
そう呟いた矢先、もっとよく見たいという思いが強くなった奈美は、それはそれで名残惜しそうに優矢の腕から頭を離し、その場に座って暫く見つめ続けた。
「はうう、可愛いよぉー」
奈美の脳裏に桃色な世界が浮かび、身体がどんどん疼き始める。
「これは、おはよう、の、キス、とか………キスしちゃおっかな」
優矢が起きてしまうのではと思ってしまうくらいの音で心臓がドクドクと動いているのを存分に感じながら、奈美は優矢の唇だけを凝視した。
「でも、でも、そんなコトしたら起こしちゃうか………そうだよね、うん」
が、しかし。まだ優矢にとってはおはようではないと思い直し、後で優矢からしてもらおうと思いついた奈美は、グッと欲求の解放を我慢することにした。
「朝の支度してくるね、アナタ………」
そして、暫くそのまま優矢を見つめた後にそう呟いた奈美は、静かにベッドを離れ、静かに部屋から出ていった。
「………」
少しして、笑顔の奈美が階段を降りるパタパタというスリッパの音が部屋に微かに漏れ聞こえてきたが、それに優矢が気づくことはなかった。
第4話)奈美の望み 完
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