◆5-2
魔操師達が、城壁の上に光を灯していく。晩餐会に使われる春の間と呼ばれる別館の前に、次々と馬車が停まっていた。
王太子グラスフェルが望んだ相手のみ招待される会とあって、この国の重鎮である歴史の古い貴族達が殆どだ。
なので、沢山の伝統的なデザインの馬車の中を、一際豪奢な南方系のものが走っていくのは目立ったし、そこから降りて来たのが貴族では無い外国の商人と、色々な意味で有名な悪食男爵だったことで、周りの視線は好奇心から嘲笑へと変わり――彼が馬車のドアに挟まりつつも無事に降り立ち、少女とも言える若い娘をエスコートしてきたので、驚愕に変わった。
「悪食男爵だ……」
「あの娘はいったい?」
「わたくし、小耳に挟んだのですけど、コンラディン家の……」
「まあ、あの噂本当でしたの?」
ひそひそ、ざわざわと蠢く生き物のような人の群れ。小さい筈なのに、言葉が耳に届く奇妙な感覚。まるで苔か茨のように、地面や壁を這い進んで自分の体にへばり付いてくるかのよう。締め付けられて己の輪郭が、ぐにゃりと歪んだ気がして、リュクレールの足が僅かに竦んだ。
咄嗟に、首に下げられた宝石にそっと両手を当てて握り締める。霊質の寄る辺となる術式が込められた石に触れると、ほんの少しだけ呼吸が楽になる。
そこに、むちむちと肉付きの良い手がそっと差し出された。
「さぁ、お手をどうぞ、リュリュー殿。俯かず、堂々と。悪評など全て吾輩に押し付けて、ゆるりと微笑んでください」
リュクレールと殆ど背丈の変わらない太った男爵は、いつも通りの不敵な笑みを片眼鏡の下から覗かせた。その顔を見るだけで、息がしやすくなる。ほぅ、と小さく吐いて少女の顔にも自然な微笑みが浮かんだ。
「……ありがとうございます。ですが、わたくしも男爵様を守りたいのです。まだ微力ではありますが、今は俯かず戦いましょう」
「何と勇ましい! 吾輩この夜、既に二回惚れ直している次第です!」
「そこの浮かれ肉団子、ちゃっちゃと来なさいな。あんたがいないとあたしも入れないのよー」
遠巻きにされながら、奇妙な一団は無事に会場へ入ることに成功した。
×××
明るいホールの中に案内されると、リュクレールの瞳にはもっと良く見えるようになった。
人間の体に宿る霊質は思いによって形を変える。美しく、或いは悍ましく。肉体の殻がある限り、包まれて見えることのないものだが、霊質に近いリュクレールの体は、それらを瞳に写すことが出来た。
朗らかに話し合う貴族達の中に揺らめく、互いを食い潰そうとする憎悪が、硬質な角を持った悪魔に。
美しく着飾った貴婦人達に纏わりつく、互いを妬み引きずりおろそうとする嫉妬が、毛むくじゃらで牙を剥きだす獣に。
肉体で隠しきれぬ強い思いが、魂を歪め、暴れ回っているのが彼女の目に見えてしまうのだ。それに飽き足らず、その感情は時たまビザール達にも向けられる。嘲り、怯え、見下すような冷たい針を纏った蛇が、2人に巻き付くように鎌首を擡げてくる。思わず繋がれていた手に力を込めてしまうと、柔らかく握り返された。
「リュリュー殿、お辛いですか?」
そっと労うようにかけられる言葉が嬉しい。彼の声と、首から下げた護符があれば、自分の魂が揺らぐようなことは無いだろう。
「いいえ、大丈夫です。こういうものに、慣れなければいけないのですものね」
「ご苦労をおかけしますな、リュリュー殿。主賓にご挨拶したらすぐに帰るのも有りですよ」
「ですが、瑞香様は……」
馬車の持ち主を探して視線を動かすと、既に笑顔のままで沢山の顧客予備軍に挨拶をしていた。リュクレールの眼から見ても、己を計る視線を受けている筈の彼の魂は全く揺らいでいない。慣れているのだろう、こういう場にも。
わたくしもそうならなければ、と決意を新たにしている時、不意に快活な声をかけられた。
「ようビザール、やっと奥方を連れて来てくれたのか? 是非紹介して欲しいものだな」
振り返った場所に立っている、赤毛の精悍な男の姿を視界に入れて、リュクレールは驚いた。ドリスから聞いていた有力貴族達の情報と合わせ、彼がこの国で二番目に地位が高い筈の男性に違いない。
「おお、これはこれは殿下! ついに皆様に御披露目することが叶い、吾輩幸せの絶頂にございます。こちらが吾輩の麗しき一輪の花、リュクレール殿に御座います!」
「お、お初にお目にかかります、グラスフェル王太子殿下。お会いできて光栄に御座います。ご紹介に預かりました、ビザール・シアン・ドゥ・シャッス男爵が妻、リュクレールと申します。以後、お見知りおきを」
ヴィオレに教わり、ドリスに修正をされた正式な貴族式の挨拶をどうにか述べて、ドレスの裾を抓んで丁寧に礼をした。下げた頭の上に、軽い笑い声が届く。
「丁寧な挨拶痛み入る。だが、そこまで硬くなる必要も無いぞ、貴殿の夫であるビザール殿にはこちらも世話になっているからな」
王太子とは思えない軽い言い草だったが、その声に話しかけられただけで、まとわりついていた他者の悪意が雲散霧消した気がして、リュクレールは目を瞬かせた。王太子の快活な覇気と、それを守るように侍っているひやりとした空気が、悪意を弾いてしまっているようだ。僅かに震えるが、背筋が伸びるような心地良い寒さだ、とリュクレールは感じた。
そんな彼女の姿を見て、グラスフェルの瞳が僅かに眇められ、不敵に口元が笑った。
「やはり、中々の傑物のようだな、ビザール。良い伴侶を得たようで何よりだ」
「いやあそれほどでも! 殿下の奥方様に勝るとも劣りませんでしょうな!」
「ほほう、大きく出たな。まぁ阿る気は無いということで許してやろう。それに、お前に鎹が増えるのは悪い事ではあるまい?」
「恐縮に御座います、殿下」
王太子の言葉にビザールが気取った風に礼をするが、リュクレールの心には彼の言葉がほんの僅か引っ掛かった。聞きたいが、貴人が話している時に割り込むような無礼は出来ないと我慢していると、ずっと流れていた楽団の音楽が変わり、用意されていたステージの方から拍手が聞こえてきた。
「おっと、そろそろ今日一の目玉が出てくるぞ。アルブル家お抱えの魔操師が生み出した、オルゴール・ゴーレムの御披露目だ」
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