◆5-3
「御集りの紳士淑女の皆様、大変お待たせいたしました! 我が最高傑作、人の形を取り人の歌を唄う姫君! オルゴール・ゴーレムを皆様にご披露したく存じます!」
ステージの上で声を張り上げるのは、一張羅に着られているような、いまいち威厳の無い眼鏡の男だった。体中に下げている大袈裟な宝石の護符は、彼が魔操師であるという証なのだろうが、ミロワールと比べると大分見劣りするな、とヤズローはこっそり思う。
「ご覧あれ! これぞ麗しき歌姫、フランボワーズに御座います!」
男が場所を開けると、穏やかそうな貴族の男性にエスコートされ、舞台袖から静々と出てきたのは、薄桃色の髪を結い上げた美しい女だった。真紅のドレスに身を包み、更に装飾品も全て紅色の宝石で飾っている、貴族の淑女。そのように、見えた。
しかしその表情はまるで凍ったように動かず、服の裾から覗く肩や肘は、球体を嵌め込んだような継ぎ目が見えた。何より、大きく開いた胸元から首筋に続く部分に、瞳の色と同じ、巨大なルビーのような赤い鉱石が直接埋め込まれている。奇妙さと、それを上回る美しさに、あちらこちらから感嘆の溜息が漏れた。
「あれが噂の、ねぇ。人間と瓜二つで見分けがつかないって程じゃないのねぇ」
「それはそれで色々と問題が出るのだろうね。隣に立っていた人間が実は人では無いと解った時、驚き怯えるのはそう難しいことではないだろう」
「……魔操師がその辺りを配慮するとは思えませんが」
思わずヤズローも無作法を忘れて、主と戻ってきたその親友の会話に参戦してしまったが、周りの者達も同じようにひそひそと囁きあっていたので問題はあるまい。
そんな中、美しい人形――フランボワーズはゆっくりと進み出て、自分の喉に埋め込まれている宝石を、手袋に包まれた手指で、つと撫ぜる。そして彼女は口を僅かに開き――朗々と歌い出した。
幸せの花を咲かすため 必要なもの
金陽と雨と虹 銀月と星と闇 それから――
おお、と僅かなどよめきが観客から漏れる。どこかぎごちない動きと対照的に、歌声は滑らかで、のびやかで、美しかった。この国では有名な恋の歌を、伴奏に合わせてホール全体に響かせている。
あなたの声 あなたの手 あなたの笑顔
あなたと歩き あなたと笑い あなたと歌って
もうどこにも無いと解っていても
手を伸ばすの 幸せの花へ
ヤズローも暫し聞き入っていたが、ふと主の顔を確認すると、歌声自体も楽しんでいるようだが、視線は隣の妻へしっかりと向けられていた。当の奥方は、うっとりと曲に夢中で気づいていないようだが。
幸せの花が枯れぬよう 必要なもの
神への祈り 竜の守り 魔を祓う剣 それから――
あなたの目 あなたの耳 あなたの温もり
あなたを愛し あなたに愛され あなたを抱きしめて
もうどこにも無いと解っていても
忘れないの 幸せの花を
どこか切なさを込めて歌が締められ、わっと拍手が沸いた。魔操師が進み出て、フランボワーズの手を取って深々と礼をする。
「見事、見事! いかがでしたかな、リュリュー殿!」
「ええ、とても素晴らしかったです。こんな素敵な歌、初めて聞きましたわ。男爵様――」
そこでふと、丁度拍手が途切れてしまった為、リュクレールの声は思ったよりもその場に響いてしまった。
「フランボワーズ様は、人間ではないのですか?」
しん、と周りが静まり返り、ほう、と男爵が小さく声を上げた。ヤズローも瑞香も意味が解らず目を瞬かせ、自分の声がこの状況を作ったことに気付いたリュクレールが戸惑って辺りを見回した瞬間。
「――貴様! どんな言いがかりをつけるつもりだ! この私の作品が偽物であると!?」
顔を真っ赤にした魔操師が、リュクレールを怒鳴りつけてきた。ずかずかと近づいてくる男にびくりと震えた少女を素早く男爵が抱き寄せ、ヤズローはすぐさま間に入る。矮躯の従者を侮ったのか、魔操師は鼻を鳴らして更に叫ぶ。
「我がフランボワーズは最高傑作! 真鍮と水銀によって生み出されたこの世の奇跡だ! 嘘だと言うのならば今ここで、彼女の肌を見せてやろうか! 人ではないのが一目瞭然であろう!」
「い、いいえ、わたくしはそんなつもりでは――」
「リュリュー殿、お下がりを。魔操師殿、我が妻は決して貴殿の腕前を否定したいわけではございません。あまりにも生き生きとしたそのお姿に、人形であることが俄かに信じがたいと、つい口を出してしまったのでしょう。どうぞ、お許しください」
「何だと、ふざけた奴め――」
腹を揺らしてあくまで笑顔で宥めてくる男爵を軽んじるように、嘲り声と共に尚も言い募ろうとした声を、精悍な声が遮った。
「そう怒るな、魔操師。正直俺も、彼女と同じ思いを抱いたぞ? あまりにも歌声が美しすぎてな」
「で、殿下――」
流石に王太子に止められると、男の覇気も揺らいでしまう。尚もグラスフェルは周りを見渡しながら、言い含めるように続けた。
「確かに思わず口に出したのは、礼を失していたかもしれん。しかし彼女は今日が初めての社交界だ、この俺の顔を立てて大目に見てはくれないか? アルブル子爵」
グラスフェルが顔を向けたのは、魔操師では無く、動かないフランボワーズの隣にいつの間にか寄り添っている男性だった。彼女の持ち主である貴族であり、彼女をエスコートしてきた男だ。痩せぎすだが穏やかそうな壮年の男性は、ごもっともと言いたげに何度も頷きながら前に出る。
「ええ、勿論ですとも。フランボワーズの美しさが、人と見紛うほどであるという証左でもありましょう。セーエルム、いかな理由でも淑女を悪しざまに怒鳴るのは宜しくない。それに何より、娘の友であるこの子の肌を他人に晒すなど、私は御免蒙りたいな」
「し、失礼いたしました……どうぞ、お許しを」
渋々とした風だったが、頭は下げられたので、ヤズローも不機嫌は隠さないまま一歩下がる。そこで王太子がぱん、と両手を叩き、止まっていた楽団が音楽を再開した。
「騒ぎを起こしてすまなかった。よろしければ麗しき歌姫に、もう一曲お願いしても?」
王太子の言葉に、子爵が頷いてそっとフランボワーズの背を撫でて促す。壇上の人形は表情ひとつ変えないまま、深々と礼をして次の曲を歌い始めた。
×××
帰りの馬車で、すっかりリュクレールは落ち込んでいた。騒ぎを起こしてしまった己を責めているのだろう。ビザールは殊更優しく、隣に座る妻の背をそっと撫でながら宥めた。
「リュリュー殿、どうぞお気になさらず。アルブル子爵も殿下も、あの場ではあのように言う他無かったというだけで、決して誤ったことを仰ったわけではないのですから」
「ええ、いいえ――それでも、皆様にご迷惑をおかけしてしまいました。私が、浅慮だったのです」
弱弱しい笑みで詫びる妻に、男爵も困ったように笑い、助けを求めるように向かい側に座るヤズローと瑞香に向け――小目は帰りも変わらず御者台だ――、瑞香は知らないわよ、と言いたげに手をしっしと振る。馬に蹴られたくはないのだろう、ヤズローも同意見だ。珍しく少しだけ眉間に皺を寄せつつ、ビザールは舌を回す。
「ふむむむん。リュリュー殿、失敗をした、とどうしてもお思いならば、再び起こすことを防げば良いのですよ。今日のことを忘れる必要はありませんが、貴女は充分反省していらっしゃる、ならばもう落ち込む必要も御座いません。吾輩などこの年になっても失敗ばかり、その救済措置が無ければ首を括られてもおかしくないですからな!」
おどけた道化のような男爵の言い草に、漸くリュクレールの笑顔から影が消えた。
「ありがとうございます、男爵様。もう大丈夫ですから」
「おお、漸く微笑んでくださった、吾輩感激にございます。……時に、リュリュー殿」
僅かにビザールの声音が変わり、静かに問う。
「何故貴女は、かのフランボワーズ嬢が人間だとお思いになったのですかな?」
言われてみれば、という疑問にヤズローは目を瞬かせた。フランボワーズは確かに美しかったが、見た目は決して人間では無い。何故、彼女はそんな疑問を呈したのだろうか。
「それは――……」
何か言おうとして、先刻の件がやはり響いているのか、戸惑ったように俯く。すると飾られた花を落とさないように、銀糸の髪がそっと丸い手で撫でられた。
「己が見たものを偽る必要はございませんよ、リュリュー殿。如何か貴方が見た、感じた、全ての事を吾輩に教えてください。必ずや吾輩が、何某かの力になりましょう」
真摯な言葉に、リュクレールの肩から力が抜けたようだ。安堵の息を吐き、ゆっくりと話し出す。
「ありがとうございます、男爵様。わたくしがそう思ったのは――」
続けられた言葉に、馬車の中は再度沈黙が落ち、彼女を戸惑わせることになってしまったが。
「魂が、あったからです。人の魂に間違いないと、思いました。人の形をした体があって、その中に人の魂が在るのなら、それは、人と言うのでは、ないでしょうか?」
彼女の瞳には、本来ある筈の無いものがはっきりと見えていたようだ。
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