夜会へ

◆5-1

 夜会前日に届けられたドレスは、素晴らしいものだった。

 闇夜が朝焼けに向かうような、裾から藍、青、そして白に変わっていく美しい布に、流星のような銀糸のきらめきが沢山入っている。ラインはシンプルであまり華美な装飾は無いが、清楚なリュクレールに良く似合っていた。

「大変お美しゅうございます、奥方様」

「こんなに素敵なものを、いただいても良いのかしら……」

 喜びを堪え切れず、椅子に座っても何度もスカートを翻してはいるが、この屋敷の経済状況も何となく把握しているリュクレールは少し肩身が狭い。対するドリスは彼女の首を青い宝石の護符で飾りながら、力強く頷いた。

「どうぞ、旦那様の仰ったとおり、堂々としていらっしゃいませ。髪は……今日はともかく、少し伸ばした方がよろしゅうございますね。お体を模る為にも、霊力を保てる部分は増やした方が宜しいかと」

 彼女の不安定な体を保つ為にも有用であるし、昨今の流行では貴族の淑女は皆髪を伸ばす。故に当然のことと告げられた言葉に、リュクレールは肩をほんの僅か、怯えたように竦めてしまった。

「……何か?」

「ええ、……いいえ。ごめんなさい、前は伸ばしていたのだけれど……。お父様に、噛み千切られてしまって。皆、この長さが私には似合うと言ってくれたから」

 ドリスが息を飲む音がして、申し訳ないと思う。

 力を奪うとか、そんなことを、あれは考えていなかっただろう。ただの戯れで掴まれ、引っ張られ、鎖でずたずたに千切られた。首で無いことを有難く思え、という言葉付きで。それ以降、リュクレールは髪を伸ばすのを止めたし、自分の従者が悲しみを堪えて髪を整えてくれたから、それで良かったのだが。

「そうよね、もうあんなことは無いのだもの。それなら伸ばしても――」

 僅かに震えてしまった言葉は、そっと襟足を撫ぜる皺だらけの手で止められた。

「申し訳ございません。お辛いことを強いてしまいました」

「いいえ、いいえ。大丈夫ですから――」

「髪はこのまま整えましょう。ヴィオレ様が仰っていた通り、とてもお似合いです」

 ドリスの口から名前が出て、リュクレールは一瞬口を噤んだ。

「旦那様より、ヴィオレ様のことも若干ですが、伺っております。奥方様の、母上のような方であると」

 鏡越しにしっかりと目線を合わせて言われて、ひくりと喉が蠢く。自分にとって母と呼ぶべきなのは、コンラディン家のカメリアだ。だが、彼女は――ヴィオレは。

「……ええ。はい、そうですね。わたくしにとっては、本当に……母様の、ような」

 じわりと視界が弛む。いけないと思って、すぐに目尻を拭った。折角化粧を施して貰ったのに、全部落ちてしまう。すると、そっとドリスの手が、柔らかいハンカチーフを押し当ててくれた。

「このまま、暫く。髪には月光草の花を飾りましょう。香りも良いですし、魔除けにもなります。……装具を首飾りしか用意できず申し訳ございません」

「いいえ、わたくし、月光草の花は大好きよ、綺麗で大きくて。だからとても嬉しいわ」

「勿体ないお言葉。さあ、出来上がりました。どうぞ旦那様に、その麗しきお姿を見せて下さいませ」

 そっとハンカチを外すと、銀の髪に沢山の白い花があしらわれており、自然にリュクレールは笑うことが出来た。



 ×××



 城に向かう馬車の中で、ビザールはしこたま幸福を噛み締めるように何度も頷きながら、舌を回すのを止めなかった。

「おお……何と麗しく美しい! 吾輩、婚姻を結んで以来毎日毎夜幸せを噛み締めておりましたが、今宵ほど強く感じた日はありません!」

「あ、有難うございます……」

 椅子の半分以上を占拠しているビザールの隣にも問題なく座れる細い体を覆う青のドレスは、良人に感嘆しか齎さなかったようだ。青玉の護符は白絹で綺麗に覆われた彼女の首を彩ってくれていたし、銀色の美しい髪はありったけの月光草の花で飾られている。ドリスの全力に感謝を捧げ、ビザールは少女の手袋に包まれた手に何度も口付けを落とす。妻は色白の頬をほんの僅か赤らめつつ喜んでくれていたが、向かいに座った瑞香は呆れたように組んだ脚の膝に頬杖をついている。何故彼も一緒に乗っているのかと言うと、この馬車が瑞香からの借り物だからである。

「歯の浮くような台詞は苦手だけど、本当良く似合ってるわよ。うちの職人たちも良い腕振るえたって喜んでたし、今後ともご贔屓にね?」

「瑞香様も、本当に素敵なものを頂きました。有難うございます」

「あらやだ素直にお礼言われたら照れちゃうわぁ」

 ぱらりと扇子を広げて口元を隠し、目を細める仕草が堂に嵌っている。この国では女性が使うものだが、南方国は高温多湿の為誰もが扇子を使うと言うし、そのせいなのだろうか。

「あの……瑞香様、大変失礼なことをお伺いしますが……」

「あらなぁに?」

「瑞香様は、男性の方なのですよね?」

 不躾と解っていて我慢できずに聞いてしまった己にリュクレールは猛省するが、瑞香の方はその質問を見越していたかのように何の気負いもなく笑って答えた。

「ああ、言葉が気になる? 北方語って面倒臭いわよねぇ、言葉で性別の差があるんだから。習った相手が女だったからね、この通りよ」

「なるほど、そうだったのですね」

「まあ恋愛対象も性対象も男だけど」

 納得して頷いた後、さらりと言われた言葉が飲み込めなくて目をぱちぱちと瞬かせる。ぱちんと閉じた扇子の下でくふふ、と笑った口の端から歯が見えた。

「瑞香、我が愛妻をからかわないでくれたまえ」

「端的に説明してあげたんじゃなぁい」

 さりげなくビザールが肩に手を回して来たのを素直に受け入れつつ、二人の顔を交互に見ながら、目を何度も瞬かせてリュクレールは混乱のままに言葉を発してしまった。

「あ、あの、つまり、瑞香様は、男爵様のことがお好きだと……?」

『冗談でも止めてくれ!』

「勘弁してくれたまえ愛しの姫君ー!!」

 同時に瑞香の南方語による本気の台詞と、悲鳴混じりの男爵の叫びが馬車内に響くのを、御者席に座った従者二人が、無言無表情で聞いていた。


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