第2話

 僕は走って走って走った。もう、苦しいという感覚すらも忘れてしまったようだ。



 どれくらい全力で走ったのだろか。息が荒い。心臓が爆発しそうだ。

 額に滲んだ汗のせいで、前髪が平らにくっついてしまった。頬が赤く染っているのは、見なくても分かる。


 僕は橋に立った。一面が暗くなっていた。雲ひとつない空は月がきれいに見える。半月の形は、どこか不気味だ。


「やっと来たね」


 そう言って微笑んだ彼女は、まだ浴衣を着ていた。

 息を荒くしながら僕は言った。


「やっぱり、ここに居たね」


 僕は座りたい衝動を必死にこらえ、彼女の方へと顔を上げる。


「私がいる場所、よく分かったね。まあ、来るとは思ってたけど。ここまで早いとは思わなかったよ」


 そして、ケラケラ笑った。少しムッとしたけど、今ここに来たのはそのためじゃない。


「君は、僕のこと知らないでしょ?なのに、なんで『死ぬ』なんて言うんだ??」


 僕は、ただそれだけを言うためにここまで走ってきたのか?もっと違うこと、もっと大事なことを聞くために来たはずなのに......思い出せない......


 彼女の表情が少し固くなる。そして、僕の瞳を見て言った。


「それは......君を知ってるからだよ......」


 まただ。彼女は、また寂しい瞳をした。

 必死に微笑む彼女を、これ以上見ていられなかった。


「そっか......」


 呟くようにしか言えなかった。返す言葉が見つからない。僕は、彼女に背を向けた。


「待って!一年後に、君が死ぬのは本当だからっ!信じてくれないかもしれないけど、君は......!君は!!」


 僕は思い切り駆け出した。


 僕の背中に叫んできた。けれど、振り返ることも、言葉を返すこともしなかった。いや、出来なかったのだ。

 この続きを聞いたら、自分自身を見失いそうで......。ただ、僕は怖かっただけなんだ。自分の未来を信じたくなかったんだ。


「ねぇ!!」


 遠くから彼女が叫んでいたが、もう僕の耳には届いていなかった。




 自動販売機の横を通り過ぎる。暗すぎる道を、月明かりが弱々しく照らしていた。

 疲れ果てて、足がズキズキ言っている。もう、走る気力すらなくなってしまった。


 冷たいものが頬を流れた。手のひらでそれを拭く。


 僕は上を見上げる。雲が月を覆いそうだ。


 なんでだろうか。僕は彼女を知らないはずだ。名前すら、顔すら知らないはずだ。なのに......なのに。なんで......こんなにも胸が苦しくなるのは、何故だろうか。


 いつの間にか家に着いたらしい。玄関にある鏡に映る僕の目は、赤く腫れていた。

 自分の部屋に行く。隆哉兄は、僕が帰ってきた頃にはもう寝てしまったらしい。

 布団に横になり、枕に顔を押し付ける。


 泣き声は枕の中で響いた。

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