第九幕)加害者の独白
ヒロさんが私だけのモノとなってくれて、ヒロさんが私の傍に居てくれて、その一秒一秒が続いて一分となり、その一分が一時間となって更には、一カ月となってそのまま、もうすぐ一年となるまでになりました。それは、夢のような毎日で、決して、飽きる事のない、そんな、幸せの連続だったんです。この先もずっと、十年、百年、千年、そして、未来永劫、それが、歪みなく続いていく。それが、淀みなく続いていく。ヒロさんと寄り添いながら、日々の暮らしを営んでいるという生活が続く事で、文字どおり不変な事となる………それこそが普通で、だからこそ当たり前で、兎にも角にも、何よりも、それが日常であると表現しても何ら間違いではない、何の問題もなく、私の為にある世界。それが、私の理想です。
ざざざぁあああーっ。
ざざざぁあああーっ。
「いってらっしゃい、アナタ。こんな雨の中を大変ですけど、無理はしないでくださいね? あ、そうでした。この雨は雪に変わるみたいですから、積もるようでしたら道中は特に注意してくださいね」私の夢。私の願い。私の望み。私の欲望。私の理想郷であり、桃源郷。私の存在理由であり、存在証明であり、それこそが存在価値。
そして………私が抱く全て。
私には、彼しか見えません。
ヒロさんこそが、私の世界。
故にそのヒロさんを失えば、
私は生き続ける意味を失う。
「う、うん………じゃあ、いってきます」
この世に生命を宿した生きとし生ける全ての存在には、須く寿命という宿命が背負わされています。この世に形を成す全ての物体も、悉く寿命という運命を義務づけられています。
人間もその内の一つです。
いつか、終わりがきます。
未来永劫なんて、夢物語。
「あう、う………いってきます。の、チュウは今日はシテくれないんですか?」それどころか、寿命を待たずして共に歩む術を失うという事だって決して少なくはなく、一年すら越せないという有り様だって希少ではない。たった一秒にも満たないような刹那の内に、何もかもが瓦解してしまう事だって珍しくはないくらいです。
以前の私がそうだったように。
「え、あ………んっ」
ですが私は、ヒロさんと共にある未来永劫を欲しています。彼を手放したくはない。彼が欲しくてたまらないんです。欲しくて欲しくてたまらないんです。「んっ………ん」だから私は、生まれ変わりを信じます。輪廻を信じます。そして、それを利用して、必ず見つけ出します。何度でも捜し出します。
独占する為に。
束縛する為に。
未来永劫を達成する為に。
私のお腹の中にたしかに宿る彼との子供も、きっと、それを願ってくれているに違いない。だって、だってこの子は、彼が私を愛してくれている証なのだから。私が愛されているからこそ、私のお腹の中に居るのだから。
私は今、幸せの中にいる。
幸せを一身に浴びている。
………筈、なのだけれど。
「………?」あれれ、なんだか疲れているみたいですね。お仕事が大変なのでしょうか。そう言えば、夜も魘されていましたし。食欲もなさそうです。これは私が支えなくては、ですよ。私はいつも支えてもらっているのに、まだまだ私では足りないという事なのかな。私では………足りない、ですか。
私はヒロさんに溺れている。
ですが、ヒロさんは………。
「愛してる、ですよ。アナタ………」私は一つ、大切で重要な真理とでもいうべき事を学びました。それはですね、幸せは待っていても手に入らないという事です。だからこそ、私は気づいたんです。「えへへ、いってらっしゃい。あっ、今日も真っ直ぐ帰ってきてくださいね?」動いたからこそ手に入れる事がデキたのですから、動かなければ手に入れ続ける事はデキない………と、いう事に。
………。
………。
「………誰にも渡さないですよ」さて、と。私もお出掛けしなきゃ、です。今日は生憎のお天気となってしまいましたが、どしゃ降りの雨模様だから中止にしよう。と、いうワケにはいきません。ヒロさんに悪い虫がつかないように、今日もこっそりと見張らないと。悪い虫さんは、完全に駆除しなきゃ有害ですからね。だから、殺しても罪ではありません。だから、私の傍に居てくれているんだし、だから、ずっと黙ったままでいてくれているんですよね?
私が何をしたのか、を。
「ねぇ、ヒロさん………」私は、ヒロさんの事をこんなにも愛しているんですよ。と、敢えて気づいてもらえるように、判ってもらえるように、実感してもらえるように、正直に告げます。ヒロさんが問うのなら………はい、私がヤリましたよ。と、言うつもりでいます。ヒロさんが知りたいのであれば、どんな事でも私は隠しません。ヒロさんへの愛情の深さを強さを、そして大きさを見せる機会を与えてくれているワケですから、隠す筈がありません。ヒロさんが私を棄てないのであれば、私は何だってするんです。ヒロさんが黒だと言うなら、それが例え白でも赤でも青でも緑でも紫でも黒なんです。
………。
ですが、
………。
ここまでかもしれませんね。
ざざざぁあああーっ。
ざざざぁあああーっ。
「ヒロさん………何処へ行くおつもりなんでしょうか?」私は今日も、ヒロさんの後を追う。両耳にイヤホンを装着して、とある動画を観ながら。イヤホンから私の両耳に届くのは、大きな雨音。動画の始まりは、大きな雨音から進んでいく。
………。
………。
「デキましたぁー。これで、明日の朝とお昼のご飯の仕込みはOKですよぉー」もうかれこれ一時間くらい前から、せっせ。と、明くる日の朝食と昼食の下拵えに取り組んでいた私は、努めて舌足らずな甘え声を作りつつそう宣言して、くるり。と、振り返る。勿論の事、その視界の先に存在しているヒロさんに視線を合わせる為に。ヒロさんに可愛いと思ってもらう為に。これは、ヒロさんにだけ見せる仕草です。と、判ってもらうべく。「後は、直前になって炒めるだけ。あっ、それと、温め直すだけです。えへへ………」そして、そう告げ終えるや否や今度は、にっこり。と、子供が見せるような幼い笑顔を私なりに作って見せる。狙ってそうしている少し鼻にかかった柔らかな甘い声と相まって、ヒロさんの目と耳に心地良い刺激を与えたくて。これもまた勿論の事、そうなるようにと企みながら。実際のところ私は年齢よりも幼く見えるので、その笑顔と声は相性お高めと断言しても異論を挟む者は皆無な筈です。少なくとも、お爺ちゃんやお婆ちゃんには好評を持って迎えられていますし、私自身結構お気に入りだったりもする。「上出来記念として、写真とかに残しておこうかなぁー」もしかすると、未だ第二次性徴期を未体感のままなのでは………と、私自身が邪推からの焦燥を覚えてしまうくらいに。華奢で小柄な所謂ところの幼児体型という体つきの私は、顔立ちの方もどこかしら幼さを持っていると悲観的に自覚している。故になのかな、お爺ちゃんやお婆ちゃんといった所謂ところの利用者さん達からの人気は、自分で言うのもなんなのですが、かなりお高めのようでした。なので私は、まるで本当のお孫さんのように可愛いがられていました。実のところは、お孫さんの代わり程度の存在ですらないのでしょうが、ヒロさんが介護福祉士を志すきっかけになった時に思った事がそれだったようなので、私もお孫さんの代わりという考え方を見習っていただけなんです。ですが、私自身はそんな容姿に、こんな容姿に、強いコンプレックスを覚えています。この容姿を武器とするまでの開き直り度の方は、現在もまだ著しく低いようです。もしも、ヒロさんがそっちの趣味だったなら、天狗さんもドン引きなくらいにかなりの自信が持てたんでしょうが、ヒロさんはどうなのでしょうね。日本人は潜在的なロリコンさんとマザコンさんが多いと何かの雑誌に載っていたのに、肝心のヒロさんからはそんなフシは見受けられません。ならば、武器にも防具にもならないこんな容姿なんて、いっそ捨ててしまいたいくらいです。が、ヒロさんの好みがボンでキュッとしててボンな女性なのかどうかを知り得ていませんから、一縷の望みは捨てないでおこうかな。
それは、兎も角としまして。
「お疲れ様でした。きっと、明日の日勤さんは大助かりの大喜びだよ。って、ホントに撮るの?」
邪な思惑を内包した私の言葉をそうとは知らないまま浴びたヒロさんは、私に優しい声でそう返してくれて、微笑みまでくれました。柔らかさを取り戻した私の顔つきを、そして声音を、その目とその耳にするに至り、安堵の思いを自身に染み渡らせたのかもしれません。ヒロさんはこんな私の事でも、自分の事のように思ってくれる。そういう、優しい人ですから。「えっ、ダメですか?」中学高校大学と柔道部に所属し、憧れのプロレスラーとなるべく身体を鍛えていただけあって、断念して現在に至るとはいえその体躯は未だ厚みがあります。本人曰く、耳が潰れていないのが稽古をサボっていた何よりの証拠だそうで、初段から先は受験資格なんて夢のまた夢との事。因みに、五輪出場選手クラスにも耳が綺麗なままの人はいるそうですが、その人達は強すぎて殆ど下にならないからなんだそうです。なるほど、です。勉強になりました。更には、昇段するとお役所さんと某有名な○○館にお金を納めるそうです。
それも、兎も角としまして。
「え、あ、イイんだけど、さ………たしかに、もう既に美味しそうだし」
ヒロさんは加えて長身でもあるので、威圧感も相当といった感じなんですが、ヒロさんも私と同じく童顔なので、その顔立ちと明るい性格が威圧感を充分に緩和しています。そんな容姿を周りは、クマのぬいぐるみみたいだ。と、好意的に捉えていて、本人は無駄にデカい丸太だと自虐する。どうやら、プロレスラーさんへの道を断念した挫折感が、未だ癒えていない御様子です。「えっへん! でしょでしょ? そうでしょうともそうでしょうとも! もっと褒めてもイイですおー♪」それもまた兎も角としまして。ヒロさんから労いの言葉を頂戴しました私は、その途端に笑顔を深め、そして強めながらそう返し、右手で平和のサインを作りつつ胸を張る。それが例え、何気ない言葉であったとしても、ヒロさんにそう言ってもらえたという事実が、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。心に宿るヒロさんへの狂おしい想いの全てが、先程たしかにあった遂にと言うべき程の淫靡な残り香を更に更に意識させ、その名残りが名残り惜しそうに、じんじん。と、更なる刺激を渇望させる。
ざざぁああああーっ!
ざざざぁあああーっ!
「笹原って、上手だよね」
この時、私達が居た其処は。とある地域のとある閑静な住宅街にある、宿泊ありの小規模デイサービス施設なのですが、施設とは言っても二階建ての古い木造一軒家をリフォームして利用しているので、外観も屋内も民家そのものそのまま。勿論の事、躓いて転倒するとか、その他による怪我など、危険を防止する旨を目的とした各種アイテムが屋内の所々に備え付けてあり、設置されてもおり、用意されてもいて尚且つ、床などは完全バリアフリー仕様となっていますので、内装は所謂ところの民家とは言い難い所謂ところの施設仕様。玄関から入ってすぐ先に六畳の和室が一つあり、玄関の右側には下駄箱、左側には宿泊を利用している利用者の車椅子が数台折り畳まれてあり、玄関を上がって左に続く縁側に進むと、その左手側に小さな庭と送迎車が入っている駐車場があり、右手側には十畳くらいの居間がある。その居間を更に進むとリビングダイニング、その左側に八畳の和室、奥はおトイレとお風呂場、そしてその右側にキッチンがあり、キッチンに向かって左に折れると勝手口があり、そこから裏庭へと続く。裏庭は主に利用者さん達の洗濯物を干す為に使用していて、キッチンに向かって右に進むと左手に階段があり、二階へと繋がっている。「えへへ、ヒロさんに褒められてしまいました」因みに、玄関の先にある六畳の和室を真っ直ぐ突っ切ると、この階段が右手側に見える位置に出る事となり、更にそのまま数歩ばかり直進するとキッチンがあり、勝手口へと続く構造になっています。階段を二階に上がると、すぐ右手側に八畳の和室、反対側の左手にはベランダ、真っ直ぐ進むと此方も八畳の和室、その手前を右に曲がると突き当たりにおトイレ。二階にあるその二部屋は、主に私達職員が事務作業とか更衣とか休憩に使っていて、その二階にあるベランダは職員の作業着や利用者さん用だったり私達の仮眠用だったりするお布団類を干す為に使用する事が多いのですが、一階の裏庭と合わせて使用している感じです。裏庭には私達の衣類やお布団を干すスペースまではないので、それらはもっぱら二階のベランダになるますが、一階に干す衣類や布団に関しては利用者さんが運動の為にとの理由で自主的に職員と一緒に干したりしていて、その光景はほのぼのとした団欒を想像するに相応しいものだったりします。何はともあれ、この建物は築年数がかなり古い日本家屋だからなのか、一階には廊下という名称になるであろうスペースがなく、おトイレとお風呂場以外は全て障子や襖のみで仕切られていて、二階は廊下こそあるもののやはりおトイレ以外の仕切りは襖のみなので、そこらあたり例えるならば、古き良き時代のプライベートが丸判りな構造といった赴きがあるところでした。
さてさて。
「いや、あの、さ………」
私の精神が安定を通り越して至福を得るまでに至る過程において多大なる貢献をしてくれましたヒロさんは、そんな私を見届けた後になって漸く、暴風雨の中を急いで駆けつけてくれたのでょう、びしょ濡れだった身体………と、言うよりもその頃はもう私の体液で汚れてしまったと表現すべき身体を、漸くといった感じで浴室で洗い、そして更にその後、ダイニングにある数脚の椅子の内の一つに座り、その視線の先にある視界に私を定住させてくれていました。「どうしたですか?」ヒロさんによって、精神が極度の不安定から歓喜の安定へとV字回復し、更には至福の境地にて、ぽわん。と、するに至っていた私は、それを軽く通り越して、ぽわんぽわん。に、なりつつも。キッチンでの作業をひととおり済ませました。そして、その後、振り向くだけではなく振り返る事で、その視線の先にある視界の尽くをヒロさんのみで埋め尽くす事に漸く成功する。「ヒロさん?」古い一軒家を施設として利用しているので、ダイニングにあるテーブルの、そのキッチン側にある椅子に腰かけていましたヒロさんは、キッチンに立っている私に容易に手が届く距離にいます。「………ヒロ、さん?」なので、ヒロさんは私の目の前にいると言っても差し障りなく、ヒロさんの目と鼻の先に私がいると表現しても、差し障りは然程ないという事になります。
ざざぁああああーっ!
ざざざぁあああーっ!
「胸を張る事ではないかな、と」
と、ヒロさんが苦笑する。この日の宿泊予定の利用者は三名。基本的に就寝時間はヒロさんの方針もあり、有って無いようなものなのですが、みなさん一応に早寝早起きが生活リズムのようで、既に一階にある和室にてそれぞれ眠りについていました。そして、眠りにつくとみなさん揃いも揃ってちょっとやそっとの物音では目を覚ます事はありません。例えば、テレビの音量を三十~四十くらいの大きさに設定したとしてもそうですし、この夜の時のような暴風雨が立てている音の数々が屋内に響き渡っていてもそうでしたし、先程たしかに響かせてしまった私から溢れ洩れる淫猥な音にも反応は見られませんでした。「な、なんですとぉー!」それ故に。状況的には、二人きりで其処に居るのと殆ど変わらないとも言えるワケで、加えて暴風雨でしたから、もしもおトイレなどの目的で目を覚ましたとかいう事がなければ、中断して素知らぬフリを決め込むなんて必要はない。現にそのような事はなかったので、この時より前も、先に告げてしまえばこの時より後の時も、最初から最後まで中断を余儀なくするなんていうもどかしさは一切ありませんでした。
「え、あ、いやその………」
つまりこの夜は特に、第三者の目や耳に気を向ける必要なんてなかったという事です。気づかれないようにと声を殺して我慢したりとか、激しい音を立てないように気をつけなければならなかったりしたとか、この夜から暫し後を境にして何度となくあった静かな夜の中での、ヒロさんとの秘め事の数々よりは、格段に。「あう、うぐ………酷いです。遠まわしに張れる胸が無いって言ったぁー!」苦笑するヒロさんを見た私は、そう返してすぐ拗ねた素振りをする。ですが、それは勿論の事、ポーズだけでした。次の一手に繋げる為の手段でしかなく、だからこそ努めて可愛らしさを演出し続けていました。
「いやあの、そうじゃな、く………ま、たしかに無かったけどさ」
実のところ私は、つい先程、つまり、振り返って話しかけるまで、大きな不安を感じてもいました。不安定に陥ってしまった精神状態から救ってもらう為に、今回もヒロさんに助けを求めたものの、不安定な状態に陥った自分を晒す度に、今度こそ遠ざけられても仕方ない私自身の一面を見られてしまうからです。場合によっては、面倒な女だと思われてしまうかもしれないワケですから、この時もある種の賭けではありました。それに、特にこの夜の時に陥った精神状態は、ヒロさんに見せてきたそれまでのそれらと比べて段違いに取り乱してしまっていたので、その不安を拭えずにいました。勿論の事、精神が不安定になるとすぐにヒロさんに助けてもらおうとしてしまいますし、そんな状態で自分自身をコントロールする事も無理なので、精神が安定を取り戻してからが勝負なのは言うまでもありません。と、言っても。ヒロさんの優しさに望みを繋ぐ事、それが全てといっても過言ではないんですけどね。「あっ、あ、あ、あああぁーっ! 今度はイジワルさん登場ですよぉー!」そして、この時もヒロさんは。いつものように、優しく包み込んでくれました。更には、至福と言えるくらいの高揚感と脱力感へと誘い、しかも、最後までには及ばなかったものの、一度は私の中へと押し入れてくれたのですから、更にその先への期待が昂るのは仕方ないですよね。それはもう意図も容易く精神状態は回復し、ヒロさんが私にそういう行為を求めたという事実を得る事への手立てについて、思考を集中させようとするのは私にとって、当然の事です。
「意地悪さんって………」
かなり時間はかかったものの、勇気を振り絞って振り返った際に見たヒロさんの表情は、慈愛のような優しさに満ち満ちていて、同じくその際に聞こえたヒロさんの声もまた、慈愛と優しさに満ち満ちていました。その事実を目の当たりにして、漸く。拭えきれずにいた不安は、泡となって消えていく事となりました。「これはもう、アレですよ。イジワルした責任を、取ってもらわなきゃですね!」だからこその、コレだったんです。次の一手の先にある望み、それに対する照れ隠しも含めて………と、いう側面も、あるにはあったんですけどね。
「責任って………そんな、大袈裟な事?」
あ、そっか。そう言えば、そうでしたね。この頃は、まだ。私はヒロさんに、笹原。と、呼ばれていましたよね。笹原くん、笹原さん、笹原ちゃん。そして、笹原。と、色々なバリエーションがありましたが、笹原と呼ばれる事が圧倒的に多かった事を思い出す。「ヒロさん! これは、私にとって、いいえ。女の子にとりまして、これは由々しき問題なのです! ぺったんこは乙女な私にとっても、大変なコンプレックス事情なんですからねぇーだ!」一方で、ヒロさんは。ヒロさんって呼ばれる度数が高かったように記憶している。同期の年上って言っていた大塚さんという女性とだけは、お互い名字を呼び捨てにしていましたが、時折、ふと。お名前の方を自然に呼び捨てにしている事はあったものの、他の職員も利用者さんも概ね、ヒロさんと呼んでいました。って、同期とはいえ年上の女性を呼び捨てだったのは、二人の間には同期以上の関係性があったからに他ならなかったからなんですが、今は、もう。と、言うか。この後に、すぐ。退職してしまわれましたし、それからお会いしていませんので、その事については良しとしましょう。
「乙な女は、自分からぺったんこなんて口に出して言いませんよ?」
兎にも角にも、学校に行っても気が休まる時間は殆ど無く、帰宅すれば尚更に無く、家を出ようにもアテは無く、お金も無い。少しでも逃れようと登校や帰宅を遅らせてみても、更なる暴力を浴びてしまうだけ。兄が原因で性的行為を連想するに至る全てに恐怖を抱いていた事もあり、所謂ところの援助交際などで寝床とお金を確保するなんていう選択肢もない。兄が怖いという感情は男性全てが怖いという意識に拡大し、母が憎いという感情は女性全てが憎いに拡大し、人間不信という感情が出来上がっていた私は、社会人というカテゴリに属して数年を費やしたその頃になっても、まだ誰ともコミュニケーションを図れないままでした。「そんな事はないですお! それにどうせ私、括れ、とかも、ありませんし………」行動範囲は、自宅と学校の往復のみ。そんな、十代の頃と何も変わらない毎日。ただ単に、学校が職場になったというだけ。ですが、それが一番被害が少なくて済む。もうこの頃になると、諸悪の根源とでも言うべき兄が消えて何年も経つので、それこそ一番被害が少ない状況ではありました。
「言わなきゃ気になんないかもしれない事を………もしかして、自爆ですか?」
もしかしたら、病院に居た二年間が一番平穏だったのかな。少なくとも、トラウマを併発するような大きさの暴力の数々からは無縁になりましたし。隔離された小さな世界は外部への露見が難しいですから、実のところもっと陰湿な所だと思っていたのですが、色々な意味での身の危険を感じる事はあまりありませんでした。「さっき、実際に見たじゃないですかヒロさん。きっと、激しくガッカリしてるに決まってます。そうに違いありませんよ………優しい人だから言わないだけで」退院後の私は、金銭的余裕は全くといってもイイくらいにありませんでした。ですが、自由度は広がりました。だから、そんな毎日でもそれなりに満足してはいたんです。極度の人間不信を多大に含んだ究極の対人恐怖症によって心を開く事がデキず、開こうなんて思わないままの、孤独な毎日ではありましたけど。それ故に、誰とも接しない引き籠もりのような毎日でしたけど。
「してないとしたら?」
「え………ヒロさん?」
「がっかりなんてしないよ」
大変な事といえば、お薬で抑える事がデキないくらいの強さで過去のトラウマが襲ってきた時とか、困った時に誰にも訊けないとか、助けを求められないとか、生きているのか死んでいるのか判らなくて記憶が飛んでしまう事があるとか、所謂ところの独りでは手に負えない事態に陥ってしまった際の対処などで、結局のところそんな際はそれら嵐が過ぎ去ってくれるのをひたすらに怯えながら、待ったり、諦めたりして、ただただ流すしかなかったので、記憶が飛ぶという事態に陥った際は厄介でした。
「………ホントにしてないですか?」
「うん。がっかりなんてしないから」
「そ、そう、ですか………」だから、そうなった時はどうしようもなく、自傷行為に頼る他は何もありませんでした。最初のうちは、好物を沢山食す事で感じる幸福感で凌げた。ですが、そのうちに過食して嘔吐する苦しみが必要になった。更には、拒食する苦しみも併用する事になった。そして、ある意味で自然と自傷行為に至った。ですが、それでもその効果は絶大でした。痛みを感じる事で、生きている実感を得る。痛みを利用して、正気に戻る。何よりも、我が身に流れる赤い血を確認する事で、自分自身の存在を再認識するに至る。
「信用、デキない?」
つまり、私だって人間なんだと。私にだって幸せになる権利はあるんだと。いつかきっと幸せになれるんだと。こんな私でも。こんな私だからこそ。あんな今までだったからこそ。誰かが、きっと、たぶん………ですが、私は絶望に近い現実に見舞われる事になる。憎くて仕方ない筈の母と再び同居する事になったからです。それは、母が脳梗塞で倒れたからです。あの人はそれによって、身体の右側の自由を失ってしまいました。右片側麻痺という障害を負ったんですよ、アイツ。私はその時、罰が当たったんだザマーミロ。と、思いました。心の底から笑いました。同居を懇願する母を、上から目線で見ていました。優越感にも浸りました。だから、何を今更と突っぱねる事なんてしませんでした。憎い母に手を差し伸べるように見せつつ、実のところ私自身に救いを与えたつもりだったんです………ですが、それは間違いでした。「あう、う、そ、そ、そそそれは、その、そ、そんな事、ないです」それから暫く後に、私は漸くヒロさんと出逢うに至った。私はいつの頃からか、唯一の味方であった祖母の面影を、老人介護施設に入居する利用者のみなさんに求めようと、そんなふうに考えるようになっていました。お年寄りのみなさんとなら、コミュニケーションを図れるかもしれない、と。もしも、それをお仕事とする事が叶ったら、それなら、続けて働けるかもしれない、と。
「じゃあ、さ。もう一度、見せてみて?」
ヒロさんを見かけたのは、丁度その頃の事です。何処に向かうでもなく、ふらふら。と、歩いていた私は、数名のお年寄りと談笑するヒロさんを目撃しました。ヒロさんの優しい笑顔と声、そして、お年寄りのみなさんの楽しそうな笑顔を見るに至った私は、こっそり。と、尾行しました。すると、辿り着いた先がこの一軒家、老人介護施設でした。私はそれで、ヒロさんがこの施設の常勤職員だという事を知る事になる。「えっ、ヒロさん………」全てが、繋がりました。これは運命かもしれない。運命なんだ。そうに違いない。と、強く感じたんです。だって、介護の現場でお年寄りのみなさんと過ごす毎日なら続けて働けるかもしれないと、そう思った矢先に出逢えたんですもん。
「なんてね。ゴメン、暴走した」
それからの私は、殆ど毎日のように此処へと出向きました。隠れてこっそりと覗くのが精一杯でしたけどね。楽しそうな声が外にも洩れ聞こえてくる。ちらりとではあるものの、楽しそうな笑顔も見えてくる。「ヒロさん………私、そっ、そそその、かかか、考えてる事が、あ、あの、あ、あるんです」私も、あの仲間に入りたい。話したい。話しかけられたい。笑顔になりたい。心から笑いたい。
「考えてる事って?」
私の事も、あんな笑顔で見つめてほしい。もっと近くで見ていたい。私は、心の底からヒロさんを渇望するようになっていきました。人間不信だったのに、です。それなのに、です。あんな気持ちになったのは………こんな気持ちは初めてでしたし、初めてのままですし、今後もヒロさんが最初で最後だと確信しています。「私、ああああの、わわ、私も、そ、そそ、その、ヒロさ、んっ、の、事が、そそその、だ、だだっ、大好き、なんです………だから、その、えっと」そんな毎日が続いたある日の事、私は遂にヒロさんと視線が重なりました。それは、つまり、ヒロさんに見つかったという事です。途端に鼓動が激しく躍る。ヤバい、どうしよう、見つかった。ではなく、そう。躍りました。やっと、見つけてもらえた。と、激しく踊ったんです。心が、ですよ? 実際は、ホントに踊っていたかもしれませんが。
『もしかして、施設見学希望?』
『えっ、と、はははい………っ』
それが………、
初めて交わした会話です。
ざざぁああああーっ!
ざざざぁあああーっ!
「ヒロさん、さっき、途中でヤメちゃったじゃないですか。だから、私………申し訳なくて。だから、だから、だから、私、ヒロさんに最後まで、その、シテもらえるように、なりたいです。だから、そ、その」ここから遡って二時間程、過去の事。私は、激しく取り乱していました。精神状態が不安定で、入院していた過去を持つ私だけに、もしもの為を考えて処方されているお薬を常備してはいましたが、そのような症状に陥る人は決して精神が弱いのではなく、強いからこそ耐えすぎてしまい、その結果として制御不可の状態に陥る………と、いうケースが非常に多いそうです。「もう一回………今度は、ちゃんと、私を抱いてください」私もそのうちの一人なのかどうかは自分では判らないままですが、私もまた、どうやら、その一人なんだそうです。家庭内や学校内における度重なる暴力に苛まれ、蝕まれながらも耐えて耐えて耐え続け、そして、遂に暴発し、数年を入院生活に費やし、退院後は過食や嘔吐、遂には自傷といった行為までを自衛手段として、それらを用い続けてしまっていた私は、言葉は適していないかもしれませんが、それによって、精神のバランスにどうにか折り合いをつけてきました。「そ、それで、ここ、この先も、あの、何度も、その、そうしてください。私で、感じてください。お願いします、ヒロさん………」ですが、それは。敢えて言うなれば、ヤジロベーのような状態という事です。安定と崩壊の境目で、ぐらぐら。と、脆く揺れているようなものなんです。しかも、その境目が至極曖昧な為に、私が立っている所がどの地点なのか、それが私自身でも判らなくて、だから、安定しているのか、崩壊しかけているのか、もう崩壊したのか、それを自覚する事がデキなくなる場面に遭遇する事態となってしまうケースは、決して少なくありません。
「えっ、と、その………あの、さ」
その結果としてなのでしょう、崩壊を意識する時はいつだって、手遅れ周辺というあたりにまで踏み入っていて、間に合わず、抗えず、思考を止め、答えを一つだけ用意し、それのみに支配させ、それにしか従わなくなってしまう。「ヒロさん………大好きです」ですが、そんな状態がヒロさんとの出逢いで変化を見せました。それは、まだ、この時点では決して、脱却とまではいかったんですが、私は自衛手段としても、ヒロさんを望むようになっていきました。そして私は、はっきりとヒロさんに依存しようと決めました。ヒロさんに依存する事で、悪夢による支配体制から逃れようと決めたんです。世界で一番優しいヒロさんに依存しちゃえば、そうすればきっと、私は悪夢から逃れる事がデキる。と、ヒロさんに期待したからです。
「え、いや、その、あの………」
そう思うに至ったキッカケは、一人暮らしを始めるようになってからは殆ど、毎日のようにシテいた事。それもそのうちの一つでした。入院生活をすごしていた頃は思うがままにデキなかった分だけ、更に。と、でもいうかのように。何度も、何度も、何度もする日だって決して珍しくありませんでした。溢れる声が薄い壁越しに隣へと洩れる事さえ気をつければ、どんなに乱れてしまおうが気兼ねなく没頭デキましたし、何を使用しようが、どこでどうそれによる快感を得ようが、お部屋の中でさえあれば誰も知らないし、判りようもありません。一日の全てをそれに費やしてしまう事だって何度もありましたし、結果としてその殆どの時間を裸ですごすに至る事だってありました。と、言っても。その事を考えず、母との同居を決めた事によって、再び窮屈な毎日になってしまいましたが………この夜の少し後までは、ですけどね。
所謂ところの、
自慰行為という戯れ。
性的行為にトラウマを持つ私は、それを連想する何から何までを激しく嫌悪してはいましたが、実のところそれで得られる止め処ない悦楽まで否定する事はデキませんでした。敢えて言えば、その悦楽にはどうしても抗えず、もっと言えば、その悦楽には従順に溺れていました。「あう、う、そ、そそ、その………」ですが、それは、あくまでも悦楽のみです。ヒロさんと出逢うまでは、その疼きを自分以外の誰かに求めた事なんて一度もありませんでした。求めようとは思えなかったし、気の迷いなんて事さえ一切ありませんでした。何故かというと、自分ではない他の誰かによって悦楽を感じてしまうという事、それがトラウマの核心だったからで、その中核にあったのは、誰とでもそうなってしまうかもしれない自分自身への、強烈な嫌悪感でしたから。
「………ん?」
実の兄に性欲処理の道具にされていた毎日はたしかにトラウマですし、忘れてしまいたい過去でしかありません。ですが、それなのに。そうであったのに。その最中にある自分自身はいつだって、どれもこれも………快感を覚えていました。「見たい、ですか?」刺激される度に溢れ零れてしまう、淫猥な声。刺激される毎に込み上げてくる、淫靡な悦び。痛くて苦しくて悲しいだけだったのにいつしか、喘ぎ悶え達してしまうまでに成り下がっていた。不快でたまらないのに、嫌悪して止まないのに、それなのに、それでも、そうなってしまう。そして、それを勝ち誇った目で、蔑んだ表情で見下され、更には嘲笑われてしまう………そんな自分自身が、惨めで仕方なかった。憎らしくてたまらなかった。
「えっ………と」
兄によるそんな日々をすごしていた頃は、兄によるそれが毎日に及ぶ事だったので、ある意味で言えば、悔しいけれど満たされてはいたと言えなくもありませんが、入院生活以降は自慰行為によってでしか、それを得る方法がありませんでした。勿論の事ですが、代わりなんて欲しくないのだから。だから私は、どうしようもなく疼いてしまう自分自身に嫌悪感を抱きつつも、それでも抗えず自分で慰めてしまうという日々をすごしていた。そんな、ある日の事。その対象を、ヒロさんに設定して行為に及んでいる。そんな、自分自身に気づきました。「見る、ですか?」それは、劇的な事でした。ヒロさんを思い浮かべながら行為に及ぶ事で、達した後に必ずある筈の自分自身への嫌悪感が、さっぱりと消えたんです。そして、それだけではありませんでした。性的暴力にも関わらず、それでも感じてしまっていた筈の快感は、もしかしたら記憶違いかもしれないとまで思えるようになっていったんです。あれは快感を覚えたんじゃないんだ、と。そうではなく、そう思い込む事で、逆に苦痛や悲痛といった絶望感を、少しでも和らげようとしていたんだ………そうに違いない、と。そのように認識を変えてみると、以前までは兄によるそれを思い出してしまう度に、快感に悶える自分がセットで浮かんでいたのが、苦痛に歪む自分が浮かんでくるようになりました。快感に喘いでいるのではなく、悲痛で呻いている自分が浮かんでくるようになったんです。そして、いつしかそうとしか思えなくなった。
「………うん。見せてほしい」
更に、です。ヒロさんを思い浮かべた際に得られる快感は、覚えてしまった快感とは比べ物にならないくらい大きな興奮として、私を存分に蕩けさせました。好きな人を想いながら溺れるのは、健全な事と言えば健全な事です。そう思う事で私は、自分自身の淫欲への嫌悪感が消えていくのを感じていました。まさに、劇的な事だったんです。そこで、私は思いつく。この一軒家の二階にある押し入れの一つには、ヒロさんの更衣やら何やらも無警戒に置いてあります。日勤業務を終えたヒロさんが着替えを済ませて帰る際に、夜勤を勤める間に洗って干しておくと告げる事で、仕事中に着ていた衣類を持ち帰らせないようにしました。基本的に仕事着は職場で洗うものなので、持ち帰る事は殆どなかったようなのですが、そういう決まり事みたいなものがあるのを知らなかった私は、良い案だと思っていました。なので、誰もが寝静まった真夜中に、その使用済み衣類を使い、淫らな行為に及ぶ………と、いう事を繰り返していました。そして、それは、職場という状況も手伝って、異様な興奮を味わうに至る刺激的な日課となりました。毎日、夜勤でも構わないかも。そうであったらイイのに。と、考えてしまうくらいに。ヒロさんの匂いが残る衣類に執着していきましたし、ヒロさんが飲みかけのまま残していたジュースの缶や、コップや、お箸などもそのままにしてもらい、私が片付けますと告げておいて、みなさんが寝静まった夜に………なんて事さえ、私にとってはご褒美でした。毎日を夜勤にして働いて、朝になってヒロさんが来て、日勤帯になっても帰らず、お手伝いをしながらヒロさんとすごす。周りは大好きなお年寄りのみなさんだらけですし、ヒロさんが他の職員との距離を縮めてしまうに至る何かを、邪魔する事だって可能でしょう。そして、夜勤は一人のようなものですから、まさに天国です。邪魔な母さえいなければ、そんな毎日を選べたんですけどね。ですが、今となっては。もう、どうでもイイんですけど。兎にも角にも、私の中でヒロさんは、唯一無二の絶対となりました。「此処で、見るですか?」そして、そんな想いは、この時すぐに駆けつけてくれたヒロさんに、ぎゅっ。と、抱きしめられた直後、確信へと昇華しました。その時に感じた多大な安堵と、高揚に溺れる自分自身を認識したからです。恐怖感の欠片も覚えない、何一つ思い起こさない。そんな、言わば、究極の安心感を得たんです。
「うん………此処で見たい」
それは、夜の八時を幾分か過ぎたあたりの事だったと思います。全ての利用者さんが各部屋へと各々移動して、ぽつん。と、独りきりになった際の事。お風呂に入って汗を流すかそれとも、その前に二階でヒロさんの衣類に顔を埋めながら存分に溺れようか………と、いつものように思案していた。その、最中の事。お風呂というワードにとある事を思い出してしまいました。と、言ってもそのとある事なんて言わずもがな。やっぱり兄による性的暴行なんですけどね。その日の日勤であったヒロさんと二人きり勤務だった事で得られた高揚感と、この後に得られる待ちに待った淫靡なアレやコレやへの興奮によって、その日も忘れてしまえていたそのとある事を思い出してしまった私は、本来であれば忘れてしまう事などデキないそのとある事を忘れてしまえていた私は、この時お風呂というワードによって不意に思い出してしまいました。何故なのか、それは私にも判然としません。これこそが好事、魔多しという事なのでしょうか。そして、不意をつかれた分だけ私を激しく掻き乱すに至り、あっという間に不安定な状態へとその精神を陥らせてしまいました。すると、そのせいでこの夜の暴風雨が、兄に初めてレイプされた際の暴風雨の音と、不意にリンクしてしまう。屋内に洩れ聴こえてくる大きな音。それ以外には、何も聴こえない空間。そんな中、兄が浴室へと入ってくる。また、殴るつもりか。それとも、今度は蹴るつもりか。お風呂場なのに、裸なのに、そんな場でもそうするつもりなのか。と、愕然とした思いを覚えました。ですが………そうではありませんでした。それだけではありませんでした。それよりも、酷い仕打ちでした。抑えつけられ、口を塞がれて、そして、弄ばれる。次第に嘲笑され、勝ち誇られて、見下される。
イヤだ。イヤだよ。ヤメて! ヤメてよ! 離してよ! 離れてよ! 怖いよ、ヤダ、ヤダよ、ヤメっ、う、ぐっ!
イヤぁあああぁああーーっ!!!
もしかしたら、あの襖の向こうに兄が隠れているかもしれない。そして、陵辱しようと機会を窺っているかもしれない。そうに違いない。私は今日も、また惨めに犯されるんだ。辱しめを受けて、そして嘲笑われるんだ。そう思った私は震え、怯え、恐れながらも包丁を手にする。もうイヤだ。あんな事されるのはもうイヤだ。あんな事されるくらいなら、もう。
イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだもうこんなのイヤだぁあああー!!
ヒロさぁん、
私を助けてください………。
助けてヒロさぁあああーん!!
私は、ヒロさんに電話しました。
ヒロさんに、助けを求めました。
そして、
ヒロさんは私の傷を知りました。
「はう、う………」裸のまま半狂乱まで残り僅かといった感じで錯乱していた為に、隠しておきたかった過去をヒロさんに自ら知らせてしまった私は、その全てを吐露する前にどうにか気づいて思い止まったものの、ヒロさんに抱きしめられて落ち着きを取り戻した後、新たな不安に襲われていました。それは勿論の事、そんな過去を持つ女を受け入れてくれるワケがないという不安です。実の兄による性的虐待の毎日についての殆どは口を閉ざせましたが、唇を奪われたというところまでは口走っていたからです。ですが、そんな中でも、ヒロさんの様子を注視するもう一人の自分が、このままこの状況を利用しろと囁いてきました。その為でもあったんだからこのまま押し込めと、私を促してくる。だから、電話したんだろ? と、私を惑わせる。そうなのだろうか、だから私は、ヒロさんに電話したのだろうか。壊れる前に、壊れてしまうくらいなら、自分を晒してしまえ。もしかしたら、それこそが邪険にされない最大の武器になるかもしれないそ? 可哀想な境遇にある今の自分を、惨めな過去を持つそんな今の自分を、優しさにつけ込んで利用してしまえばイイんだ………。ヒロさんによって安堵した事で、ヒロさんにとっては皮肉な事かもしれませんが、そんな私が、むくむく。と、顔を出してきたんです。だから私は、見棄てないでくださいと懇願しました。
「自分で裾を持って、捲ってほしいな」
対してヒロさんは、私にキスをしてくれる事で、自身の意を伝えてくれました。そして、今の、怖かった? と、訊いてきました。「あう、う………自分で、する、ですか?」そのキスは全く怖くなく、それどころか、まるで祝福を授かったかのような甘美さを覚えました。正直に言うと、イク寸前にまで急激に達していたくらいです。立っているのもやっとな感じで、ふるふる。と、震える身体の、特に両足のせいで、きっとたぶん、固く尖ってしまっていたでしょう箇所が刺激を受けて、最後の一刺しというところでした。呆けた表情で、がくがく。と、崩れ落ちる間際でした。ですが私は、まだそんな自分を晒すワケにはいきません。だから私は、顔を左右に振る事で気持ちを伝えました。
『それならこれは、初チュウだな』
『えっ、だって、私、私は………』
『それは、キスじゃないよ』
『えっ、と………ヒロさん』
『それは、キスとは違うから』
『はう、ヒロさぁーん………』
『それとも、他にいたの?』
『えっ、あ、いないです!』
『ん? いたのか?』
『いいいないです!』
『それなら、これが初めてだね』
『はう、っ………初めて、です』
ヒロさんで良かった。
やっぱり運命の人だ。
と、そう願いました。
「うん。自分で」
優しい声で促すようにそう提案したヒロさんは、私を見つめたままそれを待つ。その表情は、やっぱり、余裕なのかな。そういう経験とか、沢山ありそうですし。とても穏やかで、柔和で、何でも言う事を聞いてしまいそうなくらいに………って、既にもう何でも言う事しちゃいますな状態だったんですけどね。「はう、う………はい」きゅっ、と。目を閉じて俯き、恥ずかしさでもじもじしつつも、止めどなく膨らむ興奮を覚えながら。シャツの裾を掴んだ私は時折、ちらり。と、目を開けて、ヒロさんを窺い、そして捲っていく。ゆっくりと、ぎこちなく、躊躇しているかのように、ですが、従順に。自ら括れのないと評した、腹部。淡いグレーの、スポーツブラ。それを纏う、残念なくらい小さな胸。その先には僅かな、微かな膨らみ。膨らみとは言えないくらいの、膨らみ。自分で言って自分で傷つくって、こういう事を言うんでしょうね。左右の突起が浮き出ていましたので、余計に目立っていたかもしれません。「あう、う………」引きこもり故になのか、白い柔肌を自らの意志で露わにさせていく毎に、私は紛れもなく期待している自身に羞恥しつつ、ブラにも指をかける。
「怖くない?」
ゆっくりと露出していく肌には、敢えて視線を移さず。なのかどうかは判りませんが、私の表情のみを見つめ続けていたヒロさんは、私と目が合うや否や優しい声のみで私を更に刺激する。「恥ずかしいです………」迫り来る羞恥に脳を、溢れ出る淫欲に心を、強くなる疼きに身体を、それぞれ支配されながら。私は、それらが絡み合う事で生み出されている興奮に激しく魅了されていく。
「でも、可愛いよ」
視線を外せなくなった私を見つめたまま、ヒロさんはそう告げながら優しく微笑む。「ヒロ、さ、んっ、はう、う………」ヒロさんに褒められたという嬉しさが興奮に上乗せされた私は、遂に。自らぺったんこと揶揄した箇所が何の障害物もなく完全に露出する位置まで、つまり。
私は、
全てを捲り終えました。
………、
………、
………、
ざぁああああーっ!
ざざぁあああーっ!
………、
………、
………、
ヒロさんと私の二人だけの淫靡で猥褻な行為は、やがて。その数々のそれらの積み重ねによって、ひとまずの終焉を迎えます。動画として記録したこの時の記憶は、こうして何度も観ているからなのでしょう、現在も未だこの一部始終の何一つさえ忘れ難いくらい鮮明に、私という私がこうして疼いてしまうほど克明に、私の脳に、私の心に、そして私の身体に刻み込まれている。
「「はあ、はあ、はあ………」」
快感の余韻に浸るヒロさんと、快感の余韻に呆ける私。暴風雨による激しい雨音を凌駕するかのような、テーブルの軋む音。そして、それをも凌駕するくらいの、快感に溺れる私の叫び声。それらが、ぴたり。と、無くなって。暴風雨による激しい雨音のみが、ヒロさんと私の吐息をかき消すように鳴り響く。
「ぜえ、はあ………」
ヒロさんは目を閉じたまま、息を整えようとしている。「はあ、はあ………」そんな中、虚ろな表情でヒロさんを見つめ続ける私はと言うと。ヒロさんが目を閉じているのを確認した、その途端に。
にやり。
と、笑みが溢れていました。
「ぜえ、はあ………」勿論の事、動画ではその笑みを確認デキませんが、私はそれをはっきりと覚えています。ですが、ヒロさんはそれに気づかない。そして、気づく事のないまま、今日に至ります。「はあ、はあ………」そんなヒロさんの腕から両の手を離し、そんなヒロさんの頭をその両の手で抱え込むように抱き締め、頬をなるべく寄せて、そして。
これで、私のモノだ。
と、私は心の底から喜びました。
………、
………、
………。
「ヒロさぁーん………」残念ながらこの時の妊娠は叶わなかったものの、ヒロさんと大塚さんを切り離す事に成功しましたし、職員のみなさんも諦めてくれました。ヒロさんは世界で一番優しいので、ヒロさんを知れば知るほどみなさん、ヒロさんに好意を寄せるんです。言ってみれば、そうですね………少なくとも、職場でのヒロさんは入れ食い状態だったんですよね。たぶん、ヒロさんにその気がなかっただけで、その気になれば、ライトノベルの主人公のようなハーレムを築けたかもしれません。兎にも角にも、私がヒロさんの恋人だという事をこの夜の翌朝から早速周知の事実としましたので、密かに想いを寄せていたみなさんはみなさん自身で、白旗を掲げてくれました。だから、大塚さんがみなさんに言っていなければ、録画したこの映像は大塚さんしか知りません。ヒロさんをストーキングしたりして得た情報では、ヒロさんは大塚さんとのみ身体を重ねている関係ではあったものの、まだ恋仲となるまでには至っていませんでした。ですが、恋仲に発展するのは時間の問題だったかもしれませんので、そんな微妙な感じは私にとって存亡の危機かもしれなかったので、勿論の事そういう関係にあるとは知らない体でお見せしました。この動画を。と、言うか見てしまうように仕向けました。簡単な事です。動画を再生したまま携帯電話をワザと大塚さんの目に留まるところへ置きっぱなしにしておいたんです。場合によっては、他の誰かが見てしまうかもしれなかったのですが、私からしてみればそれはそれで構いませんし、それならそれで私こそがヒロさんの恋人だと思わざるを得ない事態に繋がるんですから、どう転んでも。そうです、私にとってみれば何の問題もありません。この動画はキッチンにセットしたので、角度的に私の背中越しになります。だから、小柄も小柄な私が大柄な体躯のヒロさんの上に乗っているという図式になります。つまり、かなり足を開いて跨がるような格好になっていて、キッチンの灯りに照らされて、私のお尻は丸見えで、その少し下でヒロさんが、私を激しく快感へと導いてくれている。その、肝心な箇所も。ばっちり、と。拝見デキる映像になっているワケです。それはそれで、臨場感と言いますか、卑猥な感じが出ていて、効果的だったと思います。ケモノのように喘ぎ叫んでいる私と、そんな私の口内や下腹部の奥に放出するヒロさんの、そんな淫らな行為の一部始終は、そんな私とそんなヒロさん以外の誰でもなく、疑おうにも疑う余地なんて全くありません。目的を達成した後も、現在までこうして大切に残してあるんですが、その後は身体の疼きを静める際に使用するのが殆どで、それに至る回数が自分でも判らないくらいに頻繁なので、ビデオテープの時代でしたらとっくに擦りきれてしまって、画質が大変な事になっていたかもしれません。それだけ何度も何度も何度も利用しているのに、一向に飽きがこないどころか、毎回毎回その度に、ホントにヒロさんに抱いてもらえているような感覚に溺れてしまえるんですから、まさに秘蔵動画、若しくはお宝映像、或いはそのまま証拠の一品。と、いった赴きがします。更に言えば、最高画質での録画を設定してありましたので、大容量となったものの出し入れの際の絡み具合なんてかなり鮮明ですし、出し入れされている際の絡み具合もブレる事なく、鮮明に映しだされていますし、お尻からあそこから私の色味や皺や形も、ばっちり。と、晒されている。大人のビデオのモザイクの向こう側って、こういう動画のような光景なのでしょうから、こうして観ると改めて思うんですが、とんでもなく卑猥ですね。あ、そう言えば大塚さんってこの後、数週間もしないうちに此処をヤメちゃったんですよね。やっぱり、相当ショックだったんでしょう。思ったとおり、ただのセフレという感情ではなかったんでしょうね。ですが、ちゃんと想いを告げて掴まえておかないから、だから、ね。私は、悪くないですよぉー。
あはは♪
「ヒロ、さぁん………」実際のところ、高校中退という事実は、最終学歴が中卒という現実は、女性である私にとっては、特に。この社会を生きる上で、足枷以上の障害となっていました。そして、それに加えて、精神科の病院に入院の経験ありで、未だ通院中の身でしたから。その先行きは不安どころか、最初からお先が真っ暗闇な状況だと感じていましたし、事実そう感じるのも仕方ないというような辛酸を、何度も、何度も、何度も、何度も味わわされてきました。更には、入院や通院の原因が、家族からの虐待。そして、兄からの性的暴行にあるという、誰にも言えないし知られたくない過去。加えて言えば、陰湿な苛めや都合の良い扱われ方。こんなの、人間不信になるのは当然です。ですが、そんな中でヒロさんと出会いました。接する機会が増えていくにつれて、ヒロさんは他の人達とは違うと思うようになっていった私は、様々な方法を用いてヒロさんを試しました。その結果、興味深い事実を知る事となる。それは、私にとって、何物にも代え難い魅惑でした。それ故に私は、慎重に自分自身を演出してきました。なので、後は、回数を積み重ねる。この動画の時をきっかけに、立て続けに抱いてもらうんです。そして、私がヒロさんの恋人なんだという態度で接しつつ、従順で献身的な素振りで尽くす。それで、ヒロさんは私を突き放せなくなる。
率を高くする為に。
情を深くする為に。
その結果。と、言えるでしょうね。この日を成功させた事で、とてつもない収穫も付いて来ました。それは、ジャンキーと表現しても間違いではないくらいに夢中になれる、強烈な快感です。ヒロさんとのセックス………それは、私の自尊心を平穏のままにさせる麻薬です。レイプ被害で一番に苦しむ事、それは。無理やりであるにも関わらず、拒絶しているのにも関わらず、その最中それでも幾許かの快感を得てしまっている自身が存在していたかもしれないという記憶が、どうしても拭えない事です。勿論の事、この際の恐怖や痛み、苦しみ、傷は、誰に何と言われようとトラウマです。力敵わずとも抵抗を続ければ、殺されていたかもしれない。と、思い出してしまう度に身を竦めて怯えてしまいます。ですが、少なくとも私の場合は………なのでしょうか。どんな状況であろうとも、性感帯と言われる部位を刺激され続ければ、それが乱暴すぎない限り、幾ばくかの快感を誘発されてしまう。だから、例えそうなってしまったとしても、それは仕方ない事なのかもしれないですし、当たり前の事でもある筈です。ですが、それなのに、精神はその事実を正当化しきれない。それどころか、快楽に溺れ、快感に喘ぎ、淫らに悶えてしまっていたかもしれない自分自身を思い浮かべ、若しくは作り出して、そんな自分を激しく毛嫌いする方向へと針を振ってしまう。故に、汚れた存在だと卑下して、いつしか絶望までしてしまう………それが、私です。私は、そうだったんです。私の場合は、そんな状況でさえ感じてしまう自分自身を振り払いたいのに、覚えてしまったそれは抗えないくらいに甘美で、だからこそ自尊心によって、あからさまに受け入れる事なんて絶対にしたくない事でした。百歩譲って行為自体によって得られる快感は魅力的だとしても、その相手やその状況は一切認めたくない。なので私は、自慰行為によってのみ、あからさまにそれに溺れ続けてきたし、実の兄によるその数々は、苦痛であり悲痛でもあり屈辱でしかなかった。と、自分自身に懸命に言い聞かせてきました。ホントはイヤなのだから。ホントにイヤなのだから。あんなヤツに誘発されるなんて悔しくてたまらない、惨めで情けない、忌々しくて仕方がない。と、私は自己嫌悪する日々をずっと繰り返してきました。の、ですが。そんな日々も、終わりを告げる。ヒロさんに抱いてもらう事によって体感した快感はどれもこれも、始まりの始まりから終わりのその後に至っても尚、自慰すらも大きく凌駕して尚且つ、幸せまでも感じてしまう程に………とんでもなく気持ち良かったんです。だからこそ私は、ヒロさんから与えられた快感の数々こそが本当の快感であり、これまでの感覚は快感ではなかったと思えました。そのように結論づけて、自己嫌悪の日々から逃れるに至れました。実際にあまりにも違いすぎましたし、あんなのは初めての経験でもあったので、あの時のあの記憶は脳にも心にも身体にも強烈にインプットされてしまいました。
ヒロさんとのセックス。
それは、
全てを忘れられる麻薬。
だから、私はそれから、これからの事だけを考え続けました。決して大袈裟ではなく、ホントにそうでした。現に、その後の数々のどれかを無作為にチョイスしてみても、私が不満を覚えたなんて事はただの一度も見つからないくらいですから、未来永劫ヒロさんを自分だけのモノにする為にはどうすればイイのかというテーマが人生の全てなのは、当たり前と言わずとも当たり前の事です。私の未来を、がらり。と、変えたまさに運命の人ですし、少しも大袈裟ではないんです。だから私は、ヒロさんが与えてくれる快感の永続を求めたんです。
例えば、です。
何かの雑誌に、お尻でのそれも多大な快感を得る事がデキると書いてありました。だから、試してみた事があります。勿論の事、自慰行為によってでしか試みた事はないんですが、何度かシテいるウチにその記事が本当だという確信を得るに至りました。なので、あの快感を得る為の方便はもう考えてありました。夫の浮気は妻の妊娠中が多いらしい。それを防ぐにはどうするか………それだ、と。
私は更に考えました。誰とも及ぶに至れないくらいの背徳な行為はないものか、と。有り体に言ってしまえば、それは変態的な行為です。私としか至れない行為。私にしか至れない行為。そこまでシテくれるのかと、特別視してもらえるような行為。例えば………ヒロさんの尿を浴びるにはどうすればイイんだろう。そういう行為に興奮する性癖がヒロさんにあるとは思えませんけど、実際にそのとおりでしたけど、私はヒロさんのでしたらきっと鼻息ふんがぁーさんで興奮してしまうでしょう。ちょっと飲んでみたい気もしますし。ならばそうですね、ワンちゃんのマーキングみたいなモノですとでも、言ってみましょうか。それで、叶うでしょうか。
私は確信する。ヒロさんをこの先もずっと独り占めするにはどうすればイイのか。それはやっぱり、一般的ではない背徳性のある事を重ねれば良いのではないか、と。やっぱり、それが一番なんじゃないか、と。他の女とは決してデキない行為。それを私との間に作っておけば、私以外では満たされないという感情に支配される筈で、そうすれば、私が棄てられる確率を減らす事に繋がる筈で、それによって私への情も深く強くなってくれるだろう、と。
ヒロさんが先か、セックスが先か? 拝啓、コロンブスさん。そんなの決まっていますよ、ヒロさんです。セックスによる快感はヒロさんが与えてくれる幸せの一つです。ヒロさんでしかそうなれないのは、ヒロさんを愛しているからです。ヒロさんにのみ心を開いているからです。ヒロさんを未来永劫に渡って独占する為に、ヒロさんに対して背徳的な行為としてのセックスを求め、序でに私の趣向を反映させて、更なる快感を得ようとしているだけです。ヒロさんがずっと私だけのモノでいてくれるなら、そこまでしなくてもフツーで、ううん。フツーより以下だとしても、相手がヒロさんでしたら、私は存分に、淫らな私を発散デキますもん。ヤダなぁーもぉー、おほほ!
………、
………、
………、
私は自覚する。自覚しています。壊れたモノを何らかを使用して直したように見せる事はデキても、戻した事にはなりません。例え戻ったように見せる事がデキても、直った事にはならないんですよ。
私はもう、壊れています。
直りも戻りもしない程に。
だから、です。
ヒロさんと淫靡で甘美な毎日を暮らすには、邪魔な存在でしかない憎きアイツ。ヒロさんを得る事がデキても、アイツのせいで、棄てられるかもしれない。と、いう危惧。それが、私にはありました。確実に、一つ………そう。あるのではなく、あったんです。何故ならばこの数日後、煮えてしまいましたから。計画どおりに、あっさり。と、息絶えて煮えていたんですよ。同居している部屋にある、小さな浴槽の中で、独り。
ぐつぐつ、と。
ぐつぐつ、と。
あはは!!
夜勤の為に部屋を留守にしていた娘に頼れず、一人で浴室に向かい、その際に不運にも再び発症してしまった発作によって起こった、悲劇………うん。とても、悲しい事故ですねぇー。とっても悲しい事故だったんですよ、あれは。実の母を実の娘が激しく突き飛ばして頭部を強打させた後、水を張った浴槽に裸にして入れて追い焚きをして、何食わぬ顔でこの施設に来ていた。なんて、誰が考えます? 部屋に放置して転倒による事故に見せかけただけでは万が一、息を吹き返せば助けを呼んでしまうかもしれませんし、そうなると私が突き飛ばしたと告げ口されて露見してしまいますから、だから、お風呂にしました。勿論の事、屍を隠蔽する必要はありません。事件ではなく、事故なんですから。事故として、処理されればイイんです。これが事件として露見してしまえば、そんな事がバレたら、例え世界で一番優しいヒロさんでも、流石に見棄てるでしょうし。と、思っていましたから。だからこそ、お風呂なんです。そこまですれば、息を吹き返す事はないでしょ? もしも、意識が戻ったとしても、身体が不自由なアイツでは、生還は無理な事だった筈ですし。現に、事故として処理されましたし。
これで、もう。
心おきなく、
溺れられる。
………、
………、
筈だったのに。
………、
………、
色々ありました。
………、
………、
今に至っても。
ざざざぁあああーっ。
ざざざぁあああーっ。
「ヒロさぁーん………」この耳を叩くような激しい音は、強い雨音なのか。それとも、周波数が合わない事を告げるノイズ音なのか。どうやら私は、今度こそ完全に壊れてしまったようです。先日の事、私はあろう事か、ヒロさんを監禁しようとしました。棄てられてしまうかもしれないという不安に支配された私は、ここのところ眠れないからという事情で処方してもらった睡眠薬で眠っているヒロさんを拘束し、ヒロさんをその翌日の一日中の一秒たりとも一ミリたりとも離れずに独占してしまいました。貪りました。堪能しました。そして、私のヒロさんへの愛情の深さを、強さを、大きさを、その身に、その心に知ってもらおうと懸命に尽くしました。お食事も、排泄も、私のお口でお世話しました。お薬が強かったのでしょうか、怖えたり舐めたりと色々ご奉仕をしたのにもかかわらず、残念ながらヒロさんは元気になってくれませんでしたので、ご褒美を戴く事は叶いませんでしたが、それもこれもどれも、ヒロさんへの愛情の強さを、大きさを、深さを、判ってもらいたかったんです。
そのキッカケは、些細な口論からでした。ヒロさんをストーキングしているという事が、ヒロさんに露見してしまったんです。勿論の事、私は謝りました。何度も、何度も謝りました。そのお詫びに、この身体を痛めつけてください。と、懇願しました。激しく罵倒しながら、汚く罵りながら、私を陵辱してください。と、懇願しました。それでも幸せを感じてしまうまでに愛しているんですと、だから棄てないでくださいと、ヒロさんへの愛情を判ってもらうつもりでした。ヒロさんへの愛情の大きさを知ってもらうつもりでした。愛情の深さを感じてもらうつもりでした。ですが、結局のところヒロさんは世界で一番優しい人なので、そうしてはくれず、そうしてはもらえず、そうしようとはせず、なので私が自分で刃物を使って自身を傷つけてみせるに至ったんですが………ヒロさんは許してくれました。世界で一番優しい人なので、私はその程度の事で赦されました。助かりました。免れました。救われました。ヒロさんの愛情を感じた私はその後、ヒロさんに悦んでもらおうと精一杯ヒロさんに尽くそうとしました。勿論の事、私は愛しいヒロさんの赤ちゃんを身籠っていますので、なので、もっぱら、違うところで愛してもらう事になるのですが、そこでだってヒロさんには、もう何度も何度も愛してもらっていましたから、ヒロさんが満足の証しを注いでくれるべく、私が懸命に動く事で更に満足していただくつもりだったのですか………いつまでたっても不甲斐ない女で、ホントにゴメンなさい、ヒロさん。許してくれてありがとうございます。
これからは、
見つからないようにしますね。
私は、心の中でそう強く誓いました。ですが、翌朝の事。私は、自分の事が怖くなりました。自分の事が、恐ろしくなりました。ヒロさんは許してくれましたが、私自身また、同じような何かをしてしまうかもしれません。ただでさえ、もう何度目になるのでしょうか。こんなに何度も何度も続けば、いくら世界一優しいヒロさんでも、いつかは流石に許してはくれなくなるでしょう。ですが、そうなった時の私は、私としての意識を有していないんです。だから、抑え方が判らないんです。それはつまり、自分が邪魔だという事です。
私さえもが、私の邪魔をする。
私はただ、
ヒロさんが欲しいだけなのに。
この事実に、私は呆然となりました。加えて、ここのところヒロさんは、かなり。お疲れのご様子です。それなのに私は、ヒロさんを全く癒せてはいません。私は、使えない女なんです。このままでは、棄てられてしまうかもしれません。と、言うよりも棄てられるに決まっていますよ。一秒。一分。一時間。一日。一カ月。そして半年が過ぎて、もうすぐ一年。お腹も順調に大きくなっています。このお腹は、揺るぎない愛情の証しです。ですが、よくよく考えてみますと、そろそろ邪魔な存在になるでしょうね。と、なれば。何か、手立てを考えなくてはなりませんよね。そんな時期でもあります。だって、ヒロさんは子煩悩ですからね………子供なんて、産まれてしまったら私の敵です。味わってしまい、知ってしまい、忘れられなくなってしまった、そんな温もりを、再び。再び、漸く、ヒロさんから得られたのに、一身に浴びているというのに。あ、赤ちゃんを産むと、感度が更に良くなる。そんなお話しを聞いた事があるので、それについては名残惜しくもあるのですが。あくまでも、ヒロさんをこの手にする為のただの駒ですし、この手にしておく為の道具でしかないのに、そんな存在にヒロさんを持っていかれるワケにはいきません。しかも、今度こそ本当に棄てられるかもしれないというこの時に。
結局のところ。私が思い描いたアブノーマルというカテゴリに属する数々の試みの殆どは、私にとっては特別な事だったんですが、ヒロさんからしてみればただのアブノーマルな行為でしかないようで、私が懇願しないかぎり、それらによる興奮を味わえる機会はありませんでした。だから、なんでしょうね。他の女では味わえないような特殊な行為を日常化する事で、離れがたいある種の絆のような思い入れを私に抱いてもらう。と、いう企みは初期段階で既に破綻していました。だから、なんでしょうね。私の私による私の為にならないヒロさんへの執着心の数々が私の首を締め、その想いを重いと感じたヒロさんに離れて暮らそうと言われてしまうに至ったんですよ。
だからこそ、なんです。
だからこそ、私はこれまで以上に深く思い、そして、強く望むんです。願うんです。祈るんです。だから、企んだんです。だから、実行したんです。ヒロさんがいない月日なんて、もう二度と味わいたくない。気が狂いそうになるくらいに、気が狂ってしまうに至るまで、私は、ヒロさんのみを求めたんです。ですが、このままでは、私のお腹の中に宿り続ける赤ちゃんですら、駒にも道具にもならないかもしれません。ここまできたのに、私自身のせいでヒロさんは、たぶん、今度こそ私を………。しかも、近いうちに、きっと。これは、自業自得。私が過ちを犯してしまったから。私じゃない私が、私の預かり知らずのところで、私として私を支配して、挙げ句の果てには、私の為にならない事をしてしまったから。場合によっては、また離れて暮らすどころの騒ぎではないんです。これは、もう時間の問題なんです。危機的状況下、です。絶体絶命、です。存亡の危機、です。きっと、私は、今度こそ。ヒロさんに、棄てられる。きっと、そうなるに決まっています。このままでは、このままでは、うん。だから、このままにしておくワケにはいかないんです。
どうすればイイ?
どうしたらイイ?
何が足りないの?
見落としている?
考えろ。
考えろ。
考えろよ、早く。
考えろよ、ほら。
考えろ。
考えろ。
考えろ、早く、私………。
考えろ、ほら、私………。
考えろ。
考えろ。
考えろ。
考えろ。
考えろ。
考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ、考えるんだよぉおおおー!!
………、
………、
………。
あ、そっか。
………。
うふふ。
………。
………。
みぃーつ、け、たぁー!!
第九幕)おわり
終幕へとつづく
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