第八幕)揺れ惑う思惑

 それに及んだという事実さえあればイニシアティブを取れるのに………と、渇望しながらその機会を待ち続け、見つけるや否や逃してなるものかと慎重に手繰り寄せたヒロさんとの甘い時間を私は、その回数を増やす毎に濃厚さや濃密さも増えていくよう誘い、最早それがデフォルトだと言える状況まで繋げていきました。

 

 ………。


「ヒロさんまだかなぁ………」私は今日も、網目状の柵の前でヒロさんを視界に捉える瞬間を待っていた。此処は、入院させられている病棟の屋上。いつでも誰でも立ち入り可能というワケではないのだけれど、許可さえ出ればこうして独りで来てもOK。私も勿論の事、許可されている。だから、今日も此処でこうしている。あの女からの許可というのが不審ではあったのですが、その理由が最近になって漸く判明しました。それは、この屋上のとある箇所の不自然すぎる変化に気づいたからです。


 さて、と。

 どうしましょうか………。


「そこ、錆びてるから危ないわよ」

 アレやコレや思案しつつも待ち人の来訪を心待ちしていると、少し離れたあたりから私に向けて声が届いた。その声色は言葉とは裏腹に、酷く冷めた感情と苛ついた暗い赤色の激情で満たされきっていたものでした。


「………」内心ではかなり驚いたのですが、一手目から冷静さを削っていくのは彼方側の常套手段です。声色からすると、私をコントロールする気なのかな。さて、私をどうしたいのでしょうか?


「そこでさ、早く来てくれないかなあーなんて思いながらさ、そうやっていつも見てるよね?」

 どうやら、予想は大当たりです。今度は上から目線で小バカにするような言い方。勝利の算段はついていると言わんばかりの余裕の振る舞い。流石は精神科医といったところか。

「でさ、来たのが判るといそいそと居室に戻ってさ、そわそわしながら待ってんでしょ?」

 私の感情を荒波のように激しく起伏させ、冷静な思考を出来なくするつもりだったのでしょう。そして、そうするからにはそうさせたい何かがあるのでしょう。

「そんなんだから棄てられちゃったのにさ、懲りもせずにアンタは………あ、流石に隠してるのかな?」

 私を自分の意に添う方へと誘導して、目的を達成させたいのでしょう。

「そうよね。そういう知恵は働きそうだもんね、アンタはさ。どうせ、来た事なんて知りませんでしたってカオしてるんでしょ?」

 その狙いの先にあるそれは、その企みは勿論の事。

「だって、そこでいつもそうやってずっと見てるなんて知られたら、さ………また引かれちゃうもんね?」

 私を殺すつもり、だ。

「何それ怖いんですけど、って。重いよ煩わしいよ気味が悪いよ、ってね!」

 理由は、勿論の事。

「アンタの愛情は押し付けがましいのよ煩わしいのよ面倒なのよ! って言うか、それって本当のところはアンタ自身への愛情よね。我が身可愛さってヤツ?」

 私が邪魔だからに決まっている。私もかって抱いた感情です。みんな死ねばイイ、と。そして………私を焼き殺そうとした事に私が気づくかもしれないという恐怖心もあるのかもしれません。所謂ところの口封じ。証拠隠滅。


「そ、そんな事ないもん………」私は呆気なく手綱を持たれ、この女に操られていく。


「バカじゃないの?」

 心が震え。

「アタシが教えちゃおうか?」

 脳が揺れる。

「いつもそこでそうやって見てるんだよ、ってさ! 朝早くからそこでそうして待ってるんだよ、ってさ!」

 身体が震え。

「知ってたなら、どうして教えてないんだろうってカオだねぇ………ねぇ、知りたい?」

 見透かされてしまったと、視線が泳ぐ。

「わざわざ教えなくてもアンタなんか選ぶワケがないからよ!」

 私は誘導されるまま。

「だって、アンタは今からそこから落ちて死んじゃうんだもん」

 この女の思惑どおり。

「自殺っていう事で、ね」

 感情を揺さぶられ続け、どんどん壊れていく。

「そこを意図的に錆びさせたのは、アンタって事」

 何一つ言い返せなくて泣き喚く子供のように。

「アンタを殺す為に手間暇かけて仕組んだなんて誰も知らないってワケ」

 ただただ敵意を剥き出しにした視線を送る。

「ヒロはアタシのモノなの。アンタは棄てられたの。判る?」

 ただただ敵意を剥き出しにして歯軋りする。

「ヒロは優しい人だから、またアンタと過去を繋げてしまうに決まってる。だから会わせたくなかった。少しずつ少しずつ誘導してここまできたのに、ヒロはアンタを………アンタみたいなどうでもイイ人間にだって優しさを与えちゃうの。つけあがらせるだけなのに、それなのに優しいヒロはそうする。きっと、アンタの過去を何もかも晒したってヒロは………」

 悔しさが滲み出た顔つきで、ぎゅっと睨みつける。

「脈ありだなんて勘違いしないでよ甘えないでよ諦めなよ取らないでよ死んじゃいなよ!」

 そして遂には、壊れるまで残り僅かといった状態に陥る。


 ………、


 ………、


 ………、


 と、いう演技をする。



「そんな、酷いですよセンセ………ひんっ」そう、芹澤先生。芹澤朋美。拝啓、眼前で何も知らず哀れにも勝ち誇った態度を作るバカ女さん。残念ながら私はもう以前の私ではないですから、アンタのぺらぺらな目論見なんてまるっとお見通しなんですよぉーだ。必死に隠しとおそうとしているワリに、そのクセにぽろぽろと零れ出しちゃっている私への嫉妬も含めて、ね。


 残念でした、

 ナメんなよ。


 人間は日々、

 成長してるんです。


「………くくっ。あはは! そうやって泣いてる姿を見るのって久しぶりだわ。ついこの前までの強気な態度は何処に置いてきたのかな? ふんっ、いつもそうやって惨めに震えてれば少しは可愛いのにさ。うふふふ………ホント、いい気味ね!」

 アンタの専門は、データを増やす為の演技。片や私のような人間は、生き抜く為の演技。どちらも心は開いてはいないのだけれど、その点については同じなのだけれど、アンタはそれがお仕事としてで、私は処世術としてそれをしている。そこが違う。全く違う。激しく違う。アンタは私を患者さんとしてしか見ていない。一人の人間として見るという事を忘れている。

「ふふっ、ご褒美に教えてあげるわ」

 故に、貯め込んだデータで判断しようとしてしまうんですよね。患者というジャンルも人間というカテゴリーの中の一つなのに、患者そのものをカテゴリー化しているんですよ。


「ぐすっ、なっ、何をですか?」だから、だからこそ人間というカテゴリーが他のカテゴリーになっていたりする。私だってれっきとした人間なのに、データで判断するから患者なんてこんなモノっていう考えで見てしまう。


「今、此処はねぇ………ふふふ。立ち入り禁止になってるの。アタシがそこのドアに立てかけたから。つまり、此処には誰も来ないの。あ、後で一人だけ来るけどさ。この意味………判るよね?」

 けれど、でも。人間はそんなに判りやすく出来てはいません。他者に都合良くプログラムされてなんかいないんですよ。例え、データどおりの反応を示す事が多くても、何度そうしてもそうなるという保証にはならない。こう返してきたという事はこういう事だという保証もない。確率はいつまでたっても確率の域を出ないんです。


「う、あ、あっ………」加えて本来なら冷静に冷静に努めて冷静に事を運びつつ観察し、マシンのように次の一手を選んでいかなければならないのに、極めて人間味のある嫉妬という憎悪を沈められないでいる。そして、そんな自分自身に気づかないでいる。


 策士、策に溺れるってヤツ。

 ………なんて、大袈裟かな。


 いつまでも子供扱いするから。

 だから、こうなるんですおー。


「えっ、あっ、あう、う………」私は恐怖に脅える表情を作り、柵と芹澤を交互に見る動作を繰り返す。


「ふふふ。その仕草………嫌いじゃないわよ。そのとおり。アンタはその錆びて役に立たない柵から落ちて死んじゃうのよ。人知れず、ね。アタシ? アタシは勿論、それを知らないわよ。だって、病室に居る事になってるから。疑われる心配もないの。その為に毎日その子の病室に通ってたんだもん。その病室にある時計は遅らせてあるし、事が済んだらアタシはそこに直行して、それからずっとそこに居たフリをすればイイだけ。勿論、証言が認められる程度の子を選んだし。はい、アリバイ成立。きゃは♪」

 なるほど、です。


「う、う………そんなのイヤです」それはそれは用意周到な事で………役に立たないのに。と、脳内だけでせせら笑いをしつつも、勝ち誇らせてもっと油断するようにへなへなと崩れる。



「はぁ?」

 勝ち誇りつつも不機嫌そうなあの女は、イライラを全面に晒した表情と声色でリピートを促してきた。


「来ないで………イヤです、イヤ! 私、死にたくないです………」だから私はそのとおり、絶望の色で満たした声を絞り出すようにして吐いてみる。


「なら、さ。それなら命乞いでもしてみたら? あはは! 許すワケないでしょ! ヒロはアタシのモノなんだから! 邪魔しないでよ!」

 そう、芹澤はヒロさんが私を選ぶと完全に判っている。だから、だから内心では、激しく怯えている。ヒロさんを甘い蜜だと感じたその気持ちは判りますよ。私もそう感じていますから。だからこそ、私を殺そうと決めたのも判ります。そうすれば私を選べなくなるから。それで自分が選ばれるから。


「ヤダよ………殺さないで」それが言葉の節々から丸見えなのに、芹澤はそれに気づかない。ううん、違うか。気づけなくなっている、だね。


 油断しちゃっているから。

 ………私によってあはは。


 私に誘導されるまま。

 芹澤が近づいてくる。


「許してください………あう、う。お願いします。お願いですから! センセー、許し、て、ください………」用意周到に計画する程に私を憎んでいるのだから、私を許す筈がない。だから、たがら私はこうして全力で命乞いの演技が出来る。


「ほら、早く立ちなさいよ! で、さっさと此処から落ちるのよ!」

 早足になって、ツカツカ。と、私に歩み寄ってきた芹澤は、乱暴に私を立たせると柵へ押し込もうと圧力をかけてくる。


「きゃっ、あうう、う………」それを私は、抗う気力すらない絶望の表情でただただされるがまま受け入れるという演技で迎え撃つ。ヒロさんを待つついでに自分で触って確かめてきたのだから、自信はないけれどだいたいの見当はつく。


「アンタなんか………死んじゃえ!」

 芹澤による圧力によって、私の背中あたりに当たっている網目がぎしぎしっという音を奏でながら分解されていく。けれど、まだです。まだ早い。


 ぎしぎし、

 ぎしぎし、


 死んじゃえ?

 私がですか?


 ぎしぎし、

 ぎしぎし、


 あはは………。


 ぎしぎし、

 ぎぎしっ、


 ははは………。



 めきっ!



 あ、きた。


「オマエが死ねええええええぇー!」壊れゆく網目をハミ出て更には、その圧力で亀裂が広がりどんどん壊れゆき、遂にはその向こうへと押し出されるのはもう時間の問題です………と、なるまでに後方へと重心が移動しかけたその時、私は上体を斜め下の方へと力のかぎりに移動させる。すると、私を落とそうたぶん渾身の力で押し込んでいる芹澤と、目論見を宿した私の圧力が重なり、もはや圧力ではなく暴力と呼ぶに相応しい力に負けた網目が亀裂が大きくする。だから私は、壊れゆく網目を背にしてぽっかり空いていくスペースに芹澤を、どうぞこちらへ。と、その勢いのまま引き込んだ。


 すると、

 呆気ないほどに容易く。


 ………、


 ………、


 ………、


 二人の状況が入れ替わっていった。


「「………」」

 一瞬、上と下で視線が重なる。


「え………っ?」

 その一つには、呆けた表情が。


「へ………っ♪」

 もう一つには、狂気の笑顔が。


 それぞれ、

 その先にあった視界を覆った。


 ………、


 ………、


 ………、


 なんちゃって、あはは!


「ふう………」思いどおりに作業を済ませた私は、私の上を滑り落ちていった結果として惨めな醜態を晒しているであろうあの女を記憶に留め、その上で何度でも嘲笑ってやろうと、体勢を変えて視線を下へと移動させる。どさっ、だか。ぐちゃ、だか。そんな音がしたので、もう助からないでしょうね。


 ホント、バカな女ですよ。

 自分で言ってたクセにさ。


 知恵が働く………ってね。


「あっ、ヒロさんだ!」すると、その途中。なんだか急いで駆けているヒロさんが視界に入った。私の表情に自然と笑顔が宿る。いつもはもっとゆっくり歩いているのに、あんなに急いでいるなんてヒロさんもしかして………早く私に会いたいんですね? はう、う、そ、そ、そうですか。そうなんですかうんうんそうなんですね。嬉しいなぁー、えへへ………じゅるる。じゃあ、じゃあ、今日はいつもよりも更にたっぷりと、トロけさせちゃうですよぉー。「ヒロさぁーん………」ヒロさんが来てくれたので、もう此処に用事はないです。さっさとお部屋に戻りましょう。



 と、思ったのに。



「何て事をしたんだぁ………」


 ドアの前に、人間が一体。

 見知らぬ男が立っていた。


 ヤバい、見られた?!


「あぐっ、あう、うう………」私は背筋を凍らせる。あ、そう言えば。あの女、後でもう一人って………しまった。どうしよう………どうしょう!


「オマエよくも、オレの………」

 狂気に満ち満ちた顔つきで、小刻みにぷるぷると震えながら、その男が私に近づいてくる。怒気を帯びた声が、私に突き刺さる。このままだと殺される………と、瞬間的に感じる。固まる。恐怖する。


 がばっ!

 どさっ!


「きゃうっ、うぐ、う………うくっ」力ずくで網目を壊したので衣類が引っ掛かってすぐには動けなかった事と、迫りくる恐怖によって、その場から速やかに逃げる事が出来なかった私は、その男に意図も容易く捕獲され、掴み起こされ、地面へと叩きつけられ、馬乗りに乗られてしまう。


「殺じでやるぁー!」

 殺されてしまうというこの状況を受けて、あううトラウマが蘇って襲ってくるきたきてるイヤ怖いあああ怖い、怖いよ怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いよぉー!


「助け、て………」叩かないで打たないで殴らないで蹴らないで虐めないでヤメて許して痛いよ痛い痛いよヤダよ怖い助けてあううヤダよヤダあうう助け、て………。「ヒロさぁあああーん!」恐怖に押し潰されて壊れてしまいそうな私の脳内に、愛してやまないヒロさんが宿った。私はヒロさんに呼びかける。何度も呼びかける。「あ、う、ぐ、あぐっ…っ……っ、ヒロ…さ」けれどすぐに声が出せなくなる。凄い圧力で首を締められていく。折れてしまいそうな、潰れてしまいそうな、千切られてしまいそうな、が、あう、う。どんどん意識が薄れていく。このままだと、ヒロさんが私以外の誰かのモノになる………。



 由奈っ!



 その時、

 ヒロさんの声がした。


「ユナに何しとんねやゴラぁー!」

 あっ、ヒロさんが凄く怒ってる時の声だ。と、思ったすぐ後、圧力という圧力が私から消えた。


 ごほっ、げほ!

 がはっ………。


「あが、ぐ………」すると、遮断されていた空気が一気に押し寄せてきて途端に咽せ返る。苦しい。視界がボヤけて定まらない。咳き込むチカラはあるのに全身にチカラが入らない。意識も定まらない。


「うががやないわボケぇー!」

 またヒロさんの声がした。視界をヒロさんで埋め尽くしたい。私は自身に言い聞かせる。すると、ぼんやりとだった視界が晴れていき、望みどおり叶った。


 やっぱりヒロさんだ!

 ヒロさんが助けに来てくれた!


「はう、う………」ヒロさんが来てくれた。私を助けに来てくれたんだ。しかも、しかも凄い怒っている。私の事であんなにも怒ってくれている。やっぱり私はヒロさんに愛されているんだ。嬉しい!


 幸せです、ヒロさぁーん。

 私のヒロさぁーん………。


「はい、そこまでぇー!」

 私が幸せで潤っていると、警察の人らしき人がヒロさんを羽交い締めにした。あの男から引き離すつもりらしい。


 私のヒロさんに何してんだ!

 オマエも殺すぞコラぁーっ!


「離せよゴラぁー!」

 ヒロさんが羽交い締めにされながら、あの男から引き離されていくのを私は………あ、イケナイ。そうでした。私はあの男に見られてしまったんだった。


「落ち着いて! もう充分だから落ち着いてください木下さん!」

 このままでは………ヒロさんに棄てられてしまう!


「………っ!」考えるの。考えて。考えるのよ私! ヒロさんを失うなんてもうイヤだよ! そんなの、もうヤダ………だから、だから考えるのよ。


 考えろ。

 考えろ。


 考えろ。

 考えろ。


 考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろよおおおぉー!!



「うがが、うが………」



 あ、そうだ。



「っ!!」そうだよ! あの男だ、あの男を使えないだろうか。興奮している様子なのに青冷ざめている、あの男を………。

「その人です! その人が犯人です!」私はその時、一か八かの賭けに出ようと決断した。このまま黙っていれば、ヒロさんを失う事になる。そんな事は御免です。私はあの男に向けて指を差しながら、力強くそう叫んだ。


「な?! ち、ちちち違う! 俺じゃない!」

 突然と言えば突然の私の予想外の行動に面食らったのだろう、あの男が慌てて反論する。


「芹澤センセーがそう言ってました!」しかし私は、そんな事お構いなしに語気を強めて続ける。


「違う! オ、オマエ」

 イケそう。


 と、見た。


「この人を見たって言ってました!」私はあの男を遮り、自身の言葉を植え付けていく。


「ううう………よくも」

 効果あり。


 と、見た。


「思い出したって言ってました!」後ずさるあの男に都合の悪い事を言わせてはならない。私は尚も遮り、矢継ぎ早にまくし立てて追い込む。


「煩い! オ、オ、オ、オマエが」

 イケるな。


 と、見た。



 ならば、

 このまま追い詰めてやる。



「だからこの人、さっきセンセーを突き落としたんです!」私は涙を流し、泣き叫ぶ。


「黙れ黙れ! オマエが」

 勝てるぞ。


 と、見た。


 あの男は狼狽の色を濃くしながら後ずさり続けていく。実のところタチの悪い言いがかりをぶつけられているだけなのだから言い訳なんて必要ないし、慌てずに落ち着いて毅然として警察さんと向き合えばイイのに、周りの空気にと言うか私の語気に感化されて飲み込まれてヤラれちゃって、どんどんどんどん私の思うツボと化していく。有り難い存在です。遠慮なく利用させていただきますよ。


 もう少しだから。

 あと少しだから。


「それで、私も殺そうとした!」私は煽る。


「違う! オマエ」

 追い込む。


「殺そうとした!」追い詰める。


 きゃあぁあああーーーっ!

 センセぇえええーーーっ!

 いやぁああああーーーっ!


 下から数名の声がした。



 けれど、

 そんな事はどうでもイイ。



「署までご同行いただけますか?」

 警察の人が、そう告げながらあの男に近寄っていく。


 援護射撃どうも。


「違っ、ち、ち、違っ!」

 顔色がかなり悪い。


 あと一押しだ。

 もう一押しだ。


「違わねぇーだろゴラぁー!」

 ヒロさんも、私を………嬉しい。


 ありがとう、ヒロさん。

 絶対に失いたくないよ。


「殺そうとしたクセにぃー!」ヒロさんの支援を受けた私は元気山盛りですおー。


 失ってたまるかぁー!


「詳しく訊かせていただけますね?」

 すると、更にぞろぞろと。警察の人らしき人達が来た。しかし、最早みんな私の手駒。あの男を自滅させる為の兵隊さんでしかない。


「違っ、オ、オレは、たたただ………あ、あ、あああ、あ、あ」

 遂に、いいえ。漸く、あの男ががたがたと震え出した。


 はぁーい。

 チェックメイトでぇーす。


「あががぁあああーーっ!」

 そう叫びながら、まるでネジが飛んで制御不能となり果てたロボットさんのように、かくかく。と、あの男が後ろに向かって駆け出す。私は賭けに勝ちました、あはは。


 さよならです、

 身代わりさん。


 

 ありがと、助かったよ。

 あ、ちゃんと死んでね。



 がしゃん!



「がああぁーーっ!」



 ぶしゃっ!



 あの男は一階へと降りていった。

 さっき壊れた柵の隙間を抜けて。


 ぎゃあああーーっ!

 再び、数名の叫び声がした。


 けれど、そんな事はどうでもイイ。

 私は、ヒロさんの胸に飛び込んだ。


 そしてその胸の中で。

 にやり。と、笑んだ。


 ………。


 ………。



             第八幕)おわり

             第九幕につづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る