隣人の女子が必要以上に僕を休ませてくれません

 スマートフォンから流れる爽やかな音楽が、僕に朝を知らせる。大袈裟なほどに誇らしく奏でられているように聞こえる。そんなに持ち主が起きないことを恐れているのかい?それとも、目覚まし時計のけたたましい金属音よりも自身が目覚ましの役割にふさわしい時代が来たことを喜んでいるのか。


 そんなスマホをしばし見つめたのち、僕はボタン操作してBGMを切った。

「何だ、今日は土曜日か」

 そう呟きながらネットアプリを開き、ホーム画面に羅列されたニュースの見出しを眺める。10個並んでいるうちの上から5つ目に、「コスプレの女性2人、マレーシア当局に拘束」という見出しが躍っていた。美里愛ちゃんでもマレーシアではそういう扱いを受けるのかもしれない。


 気になってその見出しをポチったら、どうやら原因は、イベントに出るためのビザを取っていなかったからだと分かった。美里愛ちゃんがもし海外でコスプレのイベントに出たいと言ったら、ビザのことは口酸っぱく言わなきゃいけないわけだ。


「ピンポ~ン」

 能天気なインターホンの音が響く。もしかして、ネット注文したライトノベルが届いたのかと思った。

 そのとき、外から無造作にドアが叩かれる音が響いてきた。借金の取り立てみたいで、怖い。


 僕は慌ててドアホンのスイッチを押した。モニターには、サングラスをかけ、黒いレインコートを着た女子が映った。一瞬ギョッとした。しかしよく見ると、自然味あふれる形で額にかかった前髪、背中の上半分のあたりまでさらりと流れる長い髪、謙虚な薄紅の唇。

 そうした特徴から、モニターに写っているのは美里愛ちゃんと分かった。


「取り立てで~す」

「美里愛ちゃんでしょ」

「その通り、アンタの童貞心を取り立てに来ました」

「無理やりな表現しなくていいから。ていうかその格好はどういう意味?」

「追々説明するからとりあえず入れて」


 僕はイヤイヤながら、扉を開けた。

「どうも」

 彼女は何食わぬ様子で、靴を脱ぎ、部屋へと向かう。

「ちょいちょいちょい、勝手に進まないでよ。ていうか、まだ朝の7時ぐらいだけど?」

「今日はなぜか両親とも朝出るのが早くてラッキーでね。つまり、いつもより長くコスプレを楽しめる」


 この話ぶりから、彼女のコスプレ趣味は長年の秘密のようだ。しかしそれどころではない。まるでここをもうひとつの自分の居場所みたいに僕のプライバシー空間をずかずか進む美里愛ちゃんの姿には納得できない。だから僕は、入口のところで彼女の前に立ちはだかり、行く手を阻んだ。


「勝手に進まないでよ。一応ここ、僕の部屋なんだからね。せめて『部屋入っていいですか?』ぐらい言ってよ」

「部屋入っていいですか?そしてこれ、見せちゃっていいですか?」

 美里愛ちゃんはいきなり真っ黒のレインコートを一気にはだけた。

「ひゃあああああっ!」

 僕は腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。レインコートの中からは、ピンクのヒョウ柄のスクール水着が顔を出したのだ。


「パンサーガール。世界の汚れを、食い尽くす」

「そのパンサーガールとかいいから、レインコートのボタン閉めてよ」

 僕は腕で視界をガードしながら美里愛ちゃんに懇願した。すると、本当にレインコートのボタンが閉められていく。僕は美里愛ちゃんが従ったのかと思い、腕の上から様子を確かめた。


 彼女は、レインコートを脱いだまま、手作業でボタンを閉めていた。

「そういう意味じゃなあああああいっ!」

 僕は叫びながら床に額をこすりつけんばかりにうずくまった。

「うるさいわね。レインコートのボタン閉めてって言ったから、忠実に従っただけじゃないの」


「その水着を隠せと言ったんだよ~」

「お家のなかでずっとレインコート?スプリンクラーがあるわけでもないし、それって変じゃない?」

「そもそもそんな格好で僕の部屋に上がり込んでくること自体おかしいよね!?」


「だってしょうがいないじゃな~い。私、コスプレ好きなんだも~ん」

 美里愛ちゃんはレインコートを放り投げ、僕の部屋に上がり込んだ。

「あら、ここがあなたのアジト?」

「だから勝手に上がり込むのやめてよ!」


「うひょー。こんなところにお宝発見」

 美里愛ちゃんはそう言いながら、僕の小さな本棚に目をつけた。三列あるんだけど、上の二列は大部分がライトノベルで占められている。彼女はそのうちの一冊を手に取った。

「やめろ!僕の神聖なコレクションに勝手に触るんじゃない!」


「『僕は風起こし。彼女はまだいない。ていうか女子の敵です』」

 ライトノベルの恥ずかしいタイトルを美里愛ちゃんに堂々と読み上げられた。

「ちょっと待ってちょっと待って。それは君が読むようなものじゃないよ。ていうか早く本棚に戻してくれるかな?」

 美里愛ちゃんは本を裏返す。

「『生まれつき、なぜか指先ひとつで風を起こせる嵐山凛太郎。しかし、変なタイミングで風を起こして女子のスカートをめくりまくり、気がつけば高校中の女子全員の敵になってしまった!?』」


「だからダメだって!」

 僕は咄嗟に美里愛ちゃんからライトノベルを取り上げた。

「何よ、1ページぐらい読ませてもいいでしょ」

「1ページぐらい?そうやって僕が気を許したら、2ページでも3ページでも、40ページでも読んじゃうでしょ?」


「さあ、ほかには何があるかな?」

 美里愛ちゃんは確信犯的な笑みを浮かべながら、再び本棚をあさる。

「ひゃあ、もう勘弁して」

 僕は怯える子猫のように体を震わせながら、美里愛ちゃんの餌食になる本棚を見つめるしかできなかった。


「これとか面白そうじゃない?『ポイ捨てしたらゴミの妖精に怒られた件』」

 それは、主人公・恵介が学校の帰りにペットボトルをポイ捨てしたところ、翌朝、自宅に美少女みたいな顔をして、汚れまくって異臭が漂いすぎて裾が短い布切れ一枚を羽織っただけの、セクシーな妖精・パリーナちゃんがやってきて、ゴミをちゃんとした場所に捨てているか、ちゃんと掃除できているかなどをめぐり生活を監視されちゃうという、人間と妖精によるエコ(エロ?)ラブコメである。


「へえ、こんなの読んでるんだ~」

 美里愛ちゃんは『ポイ捨て~』のページを最初から最後までパラパラとめくった。が、その手が途中で止まり、一旦引き返した。

「うわっ、何これ、8ページ目血痕だらけじゃない」


 8ページ目には、妖精パリーナちゃんがポイ捨てを咎めるために、寝ていた恵介に飛び蹴りを食らわす瞬間の挿絵だった。パリーナちゃんの裾がまくれ上がり、今にも下着が見えてしまいそうな状態だった。それを見た僕は、パリーナちゃんの下着をあれこれ想像しているうちに、鼻から流れた深紅の滝がポタポタとこぼれ落ち、パリーナちゃんを血に染めてしまったのだった。


 よくわからないけど、美里愛ちゃんに申し訳ないものを見せてしまった。


「もしかして、こんなの見て喜んでいるの?」

 美里愛ちゃんが半ばからかい、半ばたしなむような口調で僕を尋ねた。

「いやあ、そんなつもりじゃないんだけどね~」


「じゃあこれ何?」

 美里愛ちゃんはまるで彼氏に浮気の証拠を突きつけるように、「ポイ捨て~」の8ページ目を突きつけた。パリーナちゃんは乾いた血に染まっているが、それでも愛おしくて、艶やかな見た目で、恵介に飛び蹴りしようとする様が健気で、なおかつ布切れがまくれ上がって見えちゃいけないものが見えそうなのが、僕にとっては素晴らしく……!


「あっ、また出てる!」

 美里愛ちゃんが慌てて僕の鼻を指差した。まさかと思って鼻の下を触ると、しっかりと真っ赤な液が人差し指を染めた。


---


「これ、何回繰り返すの?」

 美里愛ちゃんが呆れるのも無理はない。

「下手したら一生これかも」

 再び右側の鼻の穴に純白のロケットを突入させた僕は、真顔で自虐的に答えた。


「この 『ポイ捨てしたらゴミの妖精に怒られた件』、よく見てみたら」

「何!?」

 僕は色気たっぷりのストーリーのことを言われると思い、身構えた。

「ほかのページにも数箇所ぐらい、アンタの鼻血がこぼれた跡があるし」

「ごめんなさい」


「私にじゃなくて、この本に謝ってよ」

 美里愛ちゃんは僕の目の前に本を軽くすべらせるように投げた。僕は本を拾い上げ、心の中で「パリーナちゃん、僕が至らなかったばかりに、血で汚しちゃってごめんね」と頭を下げた。


「それと、この後香帆が来るから」

「何!?」

 僕は新情報に唖然とした。

「10時から私の所に来るように言っているの。まず私の部屋を訪ねてみて、いなかったらこの部屋に入ると思ってと伝えてるから」


「僕に内緒でなんでそんな勝手な約束しちゃうの!」

「だってアンタは独り暮らしなんでしょ?別に誰が勝手に上がりこんだって自由じゃん?」

「何で何で何で?高校生の一人暮らしってそんなにプライバシーないのかよ?」


「人聞き悪いわね。だってアンタは自由気ままな独り暮らしで、私は『自由気ままなコスプレ研究会』の会長にしてアンタの隣人よ。会長権限ならなおさらアンタの部屋に上がり込むなんてたやすいわよ」

「どんだけ強権なんだよ」


「あっ、そうだ。アンタの服でコスプレにふさわしいものないの?」

 美里愛ちゃんは僕の部屋のクローゼットまで勝手に開けようとした。

「あ~っ、そこだけは」

「何よ」

「とにかく、クローゼットはデリケートだからやめて!」


「見られたら恥ずかしいものでも隠してるの?」

「隠してる……いやいやどんな男子でも、女子にクローゼットを見られるのは恥ずかしいよ!変態じみた服を隠してようが隠してまいが、開けられること自体がイヤなの!『女子にクローゼットの中は見せるまじ』という、神への誓いみたいなもんだよ」


「くだらない」

 美里愛ちゃんはそう呟くと、容赦なくクローゼットを開放した。

「ひやああああああああああっ!」

 僕はムンクの叫びのように悶えた。魂が壊れたような気がした。昇天する僕を尻目に、衣が激しくこすれる無情の音が響く。


「ほっほう、なかなかいいもの持ってるじゃない」

「これとこれとこれを組み合わせで、ホストっぽいコスプレはできるわね」

「この青いTシャツをジーンズの中に入れることで、『エクストリームオタク海太郎』のコスプレができたりしないかな?でもそういうのは私の好みには合わないのよね~」


 などと、美里愛ちゃんから次々と男子向けのコスプレ案が出てきた。しかし、僕はそれどころじゃなく、上の空だ。時々、服が投げ飛ばされる音が聞こえたので、起き上がると、やっぱり彼女は僕の服を無造作に部屋の床にポイ捨てしていた!


「コラ!パリーナちゃんが怒るぞ!」

「パリーナちゃんはどうせここにはいないでしょう。彼女が助けるのは恵介だけで、アンタなんて知らないわよ」

「もうやめて!」


 僕は慌てて投げ捨てられた服をかき集めた。道端や部屋をゴミで荒らされるのが許せないパリーナちゃんの気持ちが、僕にはわかりはじめていた。

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