リンゴ

 僕は、リンゴになった。正確に言うと、リンゴのデザインが模られた、裾の短いワンピースを着ている。リンゴの底がスースーして、あまり感じがよくない。何より……。

「恥ずかしすぎる!」

「弱音吐かないの。今からこの格好で校舎内練り歩くから!」


「何で!?」

 僕は猛抗議の声を上げた。

「コスプレをしている以上、たまには誰かに見せなきゃね。私たちがコスプレの体験者とアピールすることで、部活にはこんなものもあるんだって、学内の生徒たちにも伝えないと、J.K.C.Kをやってる意味はないじゃない?」


「だからって、僕にまでこんなことやらせるの!?」

「それぐらい受けなさい。ましてあなた、契約書の存在を忘れたとは言わないでしょうね?」

 美里愛の冷徹な言葉で、リンゴが震え上がった。


 結局僕は、それ以上の反論の言葉を見つけられず、アンズの美里愛ちゃんとバナナの香帆ちゃんとともに、校舎内を練り歩くことになった。

「J.K.C.K、またの名を『自由気ままなコスプレ研究会』、ただいま絶賛活動中でーす。興味あったら見に来てね~!」

 アンズ姿の美里愛ちゃんが、まるでビラ配りのバイトの人と変わらない様子で、2年C組の教室の入口から、中に残っていた数人に呼びかけた。


「あっ、でも場所どこだっけ~?」

 美里愛ちゃんがわざとらしくとぼける。

「何度も言ってるからわかるだろ。それぐらい覚えろよ」

「そういう意味じゃないわよ」

 美里愛ちゃんが小声で僕のツッコミは間違いだと諭した。


「今こそアンタが、『205号室』って言う番なの」

「なんで僕がわざわざ言うの?ていうかこの格好で発言したら、余計2年生に好奇の目で見られちゃうじゃないか」

「むしろそれが私の狙いなの。それこそわかってよ」

 美里愛ちゃんが小声でイラつきをあらわにした。彼女の圧力に動かされるように、僕は3人組の矢面に立った。


「205号室です」

「もうちょっと大きな声で言って欲しいな~、部長の美里愛、わからな~い」

 美里愛ちゃんはぶりっ子のようなセリフを棒読みしながら、僕にもう一度言うように促してきた。

「205号室です!」

「そこで何やってんの?」


 美里愛ちゃんがさらに追撃してきた。

「J.K.C.K」

「って何の略?」

「君さっき言ったよね!?」

「私、記憶が20秒も持たないタイプだから」

「何つうタイミングで病気ヅラしてんだよっ!」


「とにかく、J.K.C.Kって何の略ですか~?」

 美里愛ちゃんが能天気に笑いながら僕にねっとりとした調子で問いかけてきた。僕は仕方なく、教室の入り口に向き直る。

「『自由気ままなコスプレ研究会』の略で~す!」

 僕は羞恥心の嵐に襲われながら、教室の入り口から叫んだ。

「で、場所はどこなの?」


「だからさっきも言ったよね!205号室って!」

「その通り!自由気ままなコスプレ研究会、略してJ.K.C.Kは、205号室で絶賛活動中です。もしかして無許可でやってると疑問に思ってますか?ラノベ大好き須藤校長からバッチリ許可もらってるから問題はないです。だから1年も2年も3年も大歓迎でございます」

 アンズ姿の美里愛ちゃんは謎の敬礼ポーズで締めた。


「さあ、次の教室に行くわよ。2年B組」

 B組の向こう側には当然のようにA組もあるから、この場所だけであと2回はこういう洗礼があるんだと思うと、気が遠くなった。

「突然失礼します。J.K.C……」

 美里愛ちゃんの言葉が突然止まった理由が、僕にはわかった。


「杏ちゃん!?」

 僕は驚いて、2-Bの教室にいた一人の女子の名前を呼んだ。彼女は僕たちの存在に気づくなり、呆れたような表情を浮かべていた。


「コスプレ大好き女子とその取り巻きである男女1人ずつが学校の色んな所を練り歩いてくると思うけど、相手しないようにって注意喚起をしていたところなの」

「私はコスプレ大好き女子として、取り巻きである男女一人ずつを連れて、学校のいろんなところを練り歩きながら、コスプレの素晴らしさをプロモーションしていたところなの。アンタ、どこまで私たちを邪魔する気?」

 美里愛ちゃんはそう語りながら、僕を押しのけつつ教室の中に入り、憤りながら杏ちゃんに歩み寄った。


「ちょっと待って、それってアンズ?」

「ええ、山藤杏に屈しないという意味で、杏のコスプレをしてみたわ」

「裾が短すぎる!やっぱり、品性下劣な格好を見せびらかすのが目的ね!しかもアンズのワンピースなんか来て!私、自分の名前がトラウマになりそうになるわ!」

 杏ちゃんは唇を震わせながら美里愛ちゃんに抗議の口火を切った。


「そんな身も蓋もないこと言っちゃダメじゃな~い。せっかく親が魂込めてアンタに杏って名前を付けたんでしょう」

「ええ、だからこそ、下品なコスプレで私の名前を揶揄しているアンタの姿勢、その神経を疑ってるのよ!」


「ここで口撃こそすれ、コスプレが怖くて引き下がらないってことは、アンタも薄々気づいてるんでしょう。もう私たちのコスプレが織り成すユートピアを鎮めることはできないと」

 美里愛ちゃんが決めつけたような持論で杏ちゃんを追い込んでいく。杏ちゃんが悔しそうに唇を噛む。


「口が寂しそうね。本当にアンズが食べたくなっちゃった?」

 美里愛ちゃんが後頭部に腕を添えてアピールする。杏の唇を噛む力がちょっと強まったっぽい。


「皆さん!ここにいるアンズのコスプレを着た人は、品性下劣な精神を広めて世界を汚染しようとしています!例えるならダイオキシン!」

「今度は有害物質のコスプレしろって?」

「アンタは黙っとけ!」

 杏ちゃんの口調が阿修羅っぽい重みを帯びた。僕はたまらず、女子たちのケンカを止めようと教室に一歩入ったが、二人の刺々しいオーラがおっかなくて、それ以上は踏み出せない。


「あの、そろそろケンカはやめたほうがいいんじゃないかな~?」

 僕は二人を優しく諭した。

「今、私は、人生において大切な戦いをしているんですよ!香帆も、突っ立ってるヒマがあるなら援護射撃しなさいよ!」

「いや、私は、こういう本物のケンカは得意じゃないものですから……」

 香帆は気まずそうな顔で、戸口に立ち尽くすだけだった。


「ほら、香帆ちゃんだって嫌がってるからさ」

「男のくせに綺麗ごとを言うんじゃないの。人生ってのはね、戦いの縮図なのよ!人間には必ず、1年に何度も戦わなければいけない時は訪れるの!今がそのとき!そのリンゴにこめられたビタミンを、今こそフル稼働させるときよ!」


 美里愛ちゃんは僕の衣装であるリンゴを意識しながらハッパをかけてきた。だが僕は、到底そんな気になれない。バチバチモードな女の子に近づく勇気さえないのに、戦いに踏み出すことなんてできやしない。僕は文字通りの平和主義なんだ。どうかただの臆病者だと決めつけないでほしい。そう考えながら、僕も申し訳ないと思いつつ、一歩ずつ彼女たちから距離を取っていく。

 困惑する2年生たちの視線が、針のように鋭くて痛い。


 そのとき、香帆ちゃんが教室に乗り込み、美里愛ちゃんの隣に立った。

「美里愛ちゃんに意地悪を言わないでください!」

 香帆ちゃんは何かをこらえるように顔をしかめながら訴えた。

 しかし杏ちゃんは香帆ちゃんの絞り出した勇気を一蹴するかのように、彼女に背中を向けさせ、懐から取り出した手錠で後ろ手に手首を固めてしまった。


「確保」

「ちょっと、何するんですか!」 

「15時49分、公務執行妨害の容疑で逮捕」

「アンタ、いつから警察官気取りなの?」

 美里愛ちゃんが憤慨しながら、香帆ちゃんの手錠を外そうとする。


「お願いです、助けてください」

「それは分かってるけど、この手錠、外し方がわからないのよ」


 美里愛ちゃんが手錠を揺すったり、強引に引っぱったりするが、香帆ちゃんが自由になることはない。

「ちょっと、清太!ていうかリンゴ!手伝いなさいよ!」

 美里愛ちゃんが苛立ちながら僕を指差した。

「僕!?」


「アンタ以外に助けられる人がどこにいるの?」

「君の周りに結構いると思うけど」

 僕がそう言い終わらないうちに、残っていた生徒たちは荷物をまとめはじめた。この場を避けようとさっさと帰る気だ。

「あの、すみません、皆さん!?」


 僕が呼びかけると、彼らの荷物をまとめて帰る足が余計に早くなった。そして小走りで廊下を抜けていく。これが現実かと呆然とする僕である。

「これでアンタしか頼る人がいなくなったわ。この杏のせいだけど」

「アンタたちの下劣さに恐れを成し、身の安全を守ったに過ぎないのでは?」

「綺麗ごと言わないで」

「アンタの言動が汚すぎるだけなの!」


 にらみ合う2人と、手錠で自由を奪われて苦悶する香帆ちゃん。僕は3人の女子のなかに飛び込めという命題が本物であるという現実を受け入れられなかった。

 僕は1歩ずつ、1歩ずつ、仕方なく彼女たちに忍び寄る。まるで熊に近づくような感覚だった。

 そのとき、美里愛ちゃんがしびれを切らして、僕の方にズカズカと歩み寄った。


「何ノロノロしてるの、さっさと来なさい」

 美里愛ちゃんにさっと左手をつながれた。僕は咄嗟に右手で鼻を押さえながら、熊に襲われるような恐ろしい感覚に耐えた。美里愛ちゃんが左手を放すと、僕は壮絶な緊張感に押され、軸足を少しずつ右へずらしていく。美里愛ちゃんがその方面に動き、僕の行く手を阻んだ 。


 どうやら僕は、どうしても香帆ちゃんの手錠を外す役目を全うしないといけないらしい。

「清太くん、お願いします」

 香帆ちゃんが泣きそうな声で訴えかけた。そう頼まれると、断れない。いや、断りたいけど、断ったら……。

 美里愛ちゃんがアイコンタクトで僕に語りかけている。「今度逃げたら、それよりもっと露出度の高いコスプレをさせるぞ」と。


 僕は、毒を呑む覚悟で、香帆ちゃんの手錠と向き合った。手錠は確かに、本当の警察官が使うような金属製に見えた。でも、どうしてだろう。所詮高校生が使うものだからか。2秒、3秒と見続けるうちに、なんか金属がウソくさく見える。


 これ、おもちゃなんだ。僕も幼いとき親戚の家に遊びに行ったとき、一つ上のいとこにふざけて手錠をかけられてたっけ。そのとき教えてくれた外し方は、幸いにもしっかり僕の頭の中に残っていた。


 手錠の側面に、ワンタッチで外せるトリガーがあったのだ。それを引くと、香帆ちゃんの手首を固めていたかせが取れた。

「ありがとうございます」

 振り向いた香帆ちゃんが、僕に精一杯のお礼をした。香帆ちゃんはもう片方側も、そこに付属していたトリガーを引いて外す。不服そうな杏ちゃんから目を逸らしながら、ゆっくりと手錠を誰かの机に置き、美里愛ちゃんの側に避難した。


「くっ、よくも」

「何を恨めしそうにしているの。大体、アンタ一介の高校生なのに、人を逮捕できる権利があると思ってるのがおかしいのよ」

「アンタに言われたくないわ!その、ワ、ワ、ワ……」


「ワイセツ?」

 美里愛ちゃんが確信犯的に口にした。

「ヒャッ!」

 杏は急に後ろを振り向くと、その場にしゃがみ込んだ。「ワイセツ」と言いたかった自分を認めたことを恥じているようだ。これで二度目だけど、どうして彼女はそんなに恥ずかしがるんだろうか。


 そのとき、美里愛ちゃんが再び僕の手をつなぐ。僕の体が再び縮み上がった。

「さあ、行きましょう。いつまでもこんな女に付き合っていたら、時間の無駄だから」

「その品性のかけらもない格好をする方が、時間の無駄よ……」

 杏ちゃんはしゃがみこんだまま、恨み節を囁いた。

「無視して行くわよ」

 美里愛ちゃんはドライに言い放ちながら、僕たちを連れてよその教室を後にした。

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