15. 秋鍋(後)

 アサクラたちオルレアンの陣をマナハルの大軍が包囲する、その30分ほど前の話だ。マナハル西方軍最高司令官は、側近の女騎士シャオリンに外の警備を任せ、自分はテントの中で休息を取っていた。


 全軍の食事も終わり今日も戦闘は発生せず、無事に一日が終わったことに安堵した司令官が、寝床について明日のことを考え始めたときだった。


『おい、この香りはなんだ……』

『良い香りだ……なんだか腹が減ってきたぞ……』

『なんてこったい……あいつら戦闘中に鍋囲んで酒盛りしてやがる……』


 こんなセリフが外から聞こえてきた。気になった司令官は、ベッドから起きてローブを羽織り、テントの外に出てみた。


 鼻をすんすんと鳴らしてみると、なるほど確かに自陣になんとも言えない良い香りが立ち込めている。その香りは司令官が今まで嗅いだことのないような素晴らしい芳香で、嗅いでいるだけで次第に腹が減ってきた。


 この香りの正体を突き止めたくて、シャオリンと共に見張りの兵たちの元へと向かい、事情聴取を行ってみた。


『ねぇねぇ』

『……は!? し、司令官!?  シャオリン様も!!?』

『なんかめっちゃいい匂いするんだけど』

『確かに……先程から良い香りが立ち込めてますなぁ』

『原因は分かる?』

『はい。オルレアン王国軍が、現在酒盛りをやってるようで……』

『ぇえ!? 敵軍の私たちの真ん前で!?』

『ええ……そうなんですシャオリン様……』


 まさかと思った司令官は、見張りから遠眼鏡を借り受け、それで敵陣の様子を確認してみた。なるほど確かに敵軍の兵士たちが、大鍋を囲って飲めや歌えの大宴会中だ。


『アイツら一体何なんだ……』

『分かりません……ですが、こんなに良い匂いをぷんぷんさせながら、あんなに楽しそうに酒盛りされてると、なんだか真剣に見張りをしてるのも馬鹿らしくなってきますわ』

『たしかにねぇ……』

『し、司令官、私にも、ちょっと遠眼鏡をッ』

『ちょっとぉ乱暴に取り上げないでよぅ……』

『で、では失礼……おお……』


 さすがに自分の目で見なければ信じられないのだろう。シャオリンも司令官から遠眼鏡を取り上げて覗いてみたが……


『確かに大宴会中ですね……』

『でしょ……何なのアイツら……』


 司令官と遠眼鏡を覗くのをやめたシャオリンは、互いの顔をジッと見つめた。ほどなくして、二人の腹が『ぐぎゅるぅ~……』と悲鳴を上げた。


『……』

『そういえば司令官……私たちの晩ごはん、ヒエヒエでしたよね……』

『国から持ってきた保存食をそのまま食べただけだからね……』

『しかも、少なかったですよね……』

『昨日届くはずだった追加の食料、予定がのびのびになってるからね……』

『『……』』

『『おなかすいたなぁ……』』


 互いに声をそろえてそうぼやいた後、がっくりとうなだれる二人。その間にも、二人の腹は止まることなく『ぐぎゅるぅ~……』となり続けている。


『……食べに行ってみようか』


 司令官がポツリとつぶやいたその一言は、鞭打ちを起こす勢いでシャオリンの首をグリンと司令官の顔に向けさせた。


『なんですと!?』

『いや、行けば食べさせてもらえるかなーって』

『いやいやありえないでしょ司令官。相手は敵ですよ? 場合によっては殺し合う相手ですよ?』

『いやでもさー。あの人達見てみなよ。あんなに楽しそうだよ?』

『だからと言って敵に『すみません。ちょっと晩ごはんおすそ分けしてもらっていいですか』とか言うんですか? 私は嫌ですよ?』

『そこは司令官の私が言うって。部下にそこまでやらせるほど我が軍はブラックじゃないよ? 少なくとも私の部隊は』

『それならまぁ……いやいやいやあぶないあぶない丸め込まれるところだった……とにかくダメですよダメ! 敵軍に晩ごはんのおすそ分けをしてもらいに行くなんて!!』

『えー……行こうよー……司令官さんおなかすいたよー……ぺこぺこだよー……』

『ダメです!』

『おなかとせなかがくっつきそうだよぉ……シャオリンだってきっとそうでしょ……最高責任者の私が行こうって言ってるのにダメなの……?』

『確かにおなかめちゃくちゃすいてますけど!! ダメなものはダメなんですーっ!!!』


 そうして、『司令官が晩ごはんのおすそ分けをしてもらいに行こうとしている』という噂は、その会話を横で聞いていた見張り兵によって全軍に広がり、『だったら俺も』『俺だってうまいもの食いたい』『酒が飲めると聞いて』『よくわからんけど面白そうだから』と司令官に賛成する兵士たちが一人また一人と増えていき……



「こうして、全軍で晩ごはんをおすそ分けしてもらいに来た次第です」

「……」

「先程もお話した通り、我が軍は現在補給が滞っておりまして、食事も満足な量を摂れておりません。しかもヒエヒエで美味しくないのです」

「……」

「なので、そちらの鍋の香りが……て、どうかしました?」

「いや……」


 この戦場に来てこっち、めでたくナリを潜めていたはずのアサクラの偏頭痛が、ズキッと再発した。


 改めて、マナハルの司令官を見つめる。隣のシャオリンと『もう帰りましょって。敵軍ですし、なにより不躾で迷惑ですよ?』『ぇー……でもあの鍋、美味しそうだよ? 司令官さん、ここまで来て何も食べられないのは嫌だよぅ……』と、敵である自分たちを前にして、酷い漫談を繰り広げている。この会話を聞いて、一体誰が一触即発の敵同士だと思うだろう?


「アサクラぁ?」

「!? 王!?」


 不意にアサクラの背後から王の声が聞こえた。アサクラは片膝を付き、頭を下げる。お酒を飲んでほっぺたがほんのり赤くなった王が、頭からおひさまをぴろっと出した状態でよたよた歩いていた。


「もうアサクラぁ……どこにも姿が見えなかったから、探したよぉ」

「は、ハハァッ……」

「頭が低いよぅ。予とアサクラの仲なんだから、そんなに控えなくていいんだよ? ……ところで、こちらのお二方は?」

「は。ハハァッ。こちら、マナハル軍の最高司令官とその側近とのことで……」

「ふーん……」


 この状況に飲まれていたのか、はたまた嘘を考える余裕がなかったのか……アサクラはつい本当をことを口走ってしまった。アサクラが戸惑うも時既に遅し。王はひょこひょこと司令官とその側近の方へと、歩いていく。


 一方のマナハル司令官も王に歩み寄った。互いの総大将が、剣を降れば相手を切り殺せる位置にいる。アサクラを緊張が包む……シャオリンも同じく、剣の柄に手をおいている。アサクラと同様、緊張しているのか……


 2人の総大将……王と司令官は……


「ども。はじめまして。オルレアンの王です」

「はじめまして。マナハル西方軍最高司令官です」


 と、アサクラとシャオリンの2人の心配をよそに、至極普通の初対面同士の挨拶を交わした。


「ところでオルレアンの王」

「はいはい?」

「この大宴会は……」

「いやぁ、予の配下に腕の立つ料理人がいてね? 彼が秋鍋を作ってくれたんですよ」

「ほぅ」

「で、こんなに美味しい秋鍋なら、予の友達みんなで食べたほうが美味しいだろうなー……こんなに美味しい秋鍋だから、むしろみんなと食べたいなーって思って」

「なるほど」

「お宅は? 我が軍に何かご用?」

「なんでもないです!! なんでもないんですほんとに! すぐ帰りますからっ!!」

「いや、お宅の陣から、その秋鍋のものすごーくいい香りが漂ってきましてね?」

「ねぇ聞いて司令官!? お願いだから私の話に、ほんの少しだけでいいから耳を傾けて!?」

「うんうん。アサクラの作った鍋は美味しいからね」

「いやもう、ホントやめましょって司令官?」

「それで、我々現在補給が滞ってまして、おなかすいてるんです」

「なるほど」

「以上です! どうもありがとうございましたマナハルの指揮官とその側近シャオリンでしたー! ありがとう、ありがとう!! ほら司令官! 迷惑だから帰りますよー!!」

「で、よかったらおすそ分けしてもらえないかなーって」

「しれいかぁぁぁああああんッ!!?」


 マナハルの司令官が血迷った言葉を吐くたびに、その隣のシャオリンは悲鳴を上げる。その様子を見て、アサクラは、なんだか他人とは思えないシンパシーを感じざるを得なかった。


「ふむ……」


 司令官の言葉とシャオリンの慟哭を聞いた王は、顎に手を当て、しばらく考え込む。


 そして……


「ねぇアサクラ?」

「は、ハッ」

「こんなに美味しい秋鍋だからさ」


 この時アサクラは、最悪が連鎖したのは包囲されたことに気付いた時ではなく、今この瞬間だということを、実感した。


「みんなで、食べたいよねぇ?」

「……は?」

「マナハルの皆さんにも、食べてもらお?」

「おゔッ!!?」

「おお、おすそわけしていただけるんですか?」

「おすそわけどころか、みんなで一緒に食べようよぉ」

「なりませんっ! ねぇ司令官? そ、そろそろ戻りましょ? このことが知れたら我が王に示しが……」

「いいんですかヤッター!!! 来た甲斐があった!!」

「しれいかぁぁぁああああん!!?」

「というわけでさぁ……アサクラぁ……」

「は、ハハァッ……!?」

「マナハルのみなさんたちの分も、作ろ?」


 アサクラの心に戦慄が走る。少なくとも、パッと見でオルレアン軍の全兵力よりも多い人数分、また秋鍋を作らなければならないという事実が、アサクラの心を震え上がらせる。


 力が抜けて震える喉から、アサクラはなんとか声を絞り出し……


「ち、ちなみに、司令官殿?」

「お、あなたがアサクラなのかな? よろしくお願いしますー」

「マナハルの兵力は、いかほど……?」

「前線だけで、1万ぐらいだっけ?」

「いぢま゛んッ!!?」

「後方支援やスカウト、整備兵なんかも合わせてトータル2万ぐらいかなぁシャオリン?」

「はい……その通りです……」

「さらにばい゛ッ!!!?」

「じゃあアサクラ! よろしくー!」

「バカな!? 王!! 私に万単位の人数分の秋鍋を作ることなど……ッ!?」

「ではアサクラとやら!! ワクワクしながら待ってまーす!!」

「司令官殿もついさっきまでの敵に慣れすぎだろうッ!?」


 慟哭を上げるアサクラを尻目に、王と司令官の2人は、並んで談笑をしながら、巨大鍋がそびえ立つ暗闇へと姿を消していった。あとに残されたのは、呆気にとられる女シャオリンと、魂が1キロほど遠くへと吹き飛んでいってしまった、アサクラの2人だけだ。


「アハハ……悪夢だ……万単位の秋鍋など、悪夢だ……」

「……あ、あのー……」


 ぶつぶつとうわ言のようにつぶやくアサクラの隣に、がっくりとうなだれたシャオリンがとことこと近づいてくる。


「す、すみませんほんとに……」

「か、かまわん……キミのせいでは、ない、から……ハハハ……」

「お手伝い出来ることがあれば、なんでも言ってください……」

「ありがとう……なんだかキミは、日々苦労してそうだ……」

「私も、あなたはなんだか苦労してそうな、そんな気がします……」

「「ハハハハハハ……」」

「「……」」

「「はぁ〜……」」


 そうして、オルレアン全軍が行った飲めや歌えの大宴会は、マナハル全軍をも巻き込み、敵同士が戦場でうまい秋鍋に舌鼓を打ちながら互いに酒を飲み交わし乱痴気騒ぎをし続けるという、前代未聞の全面衝突へと変貌を遂げてしまった。


 この乱痴気騒ぎは三日三晩続き、その間、アサクラは休みなく働いた。朝も昼も夜も、ひたすら調理の陣頭指揮を取り、包丁を握り鍋を振って、寝る間もなく料理を作り続けた……。


………………


…………


……


「……それで、限界まで疲れ切って帰ってきた……ということですか」

「ああ。もう……限界だ……」

「アホでしょアサクラ」

「アホとは……なんだ……」

「それで、戦いの方はどうなったんですか?」

「そのまま停戦となった」

「ほーん……あの人たらし父上、また新しい人をたらしこみましたか……」

「今頃は先方も自国へ帰り、無事に停戦したことを伝えていることだろう」


 フラフラでミイラとなってしまったアサクラに代わり、ジョージアがその後の次第を説明。それによると、マナハルの最高司令官と国王は固い握手と熱い抱擁を交わし、互いを『最高の友人の一人』と称して、涙ながらに別れていったとのことだ。それ以外にも兵士同士で仲良くなってしまった者も多く、最後の日には別れを惜しむ泣き声が戦場のそこかしこから聞こえてきたらしい。


『ありがとう。みんなに出会えてよかったよ。今度は戦場ではなくて、互いの家で会いたいね』


 マナハルの司令官は、最後にそう言ってアサクラたちと別れた。なんでも、マナハルとオルレアンが国交を結び、今後は交流を深めていく事ができるよう、マナハルの国王に直訴してくれるとのことらしい。『あなたをひっくり返したくて旅団』とマナハル王家の関わりを知ったときも、『我が王はそのような回りくどいことはしません。ですが犯人の目星はつくから、それもこっちで潰しますよ。王家と喧嘩なんて面白そうだ』と言ってのけた。王家に口出しできるあたり、相当な実力者のようだ。


『アサクラ様。今度は、もうちょっと和やかな場でお会いしたいですね』


 大宴会の最中、終始酔っ払い続けていたバル太やジョージアと異なり、ずっとアサクラを手伝い続けていたマナハルの女騎士シャオリンも、最後にそう言ってアサクラと握手を交わし、司令官とともに帰っていった。


「ちょっとその辺詳しく聞かせていただけますかアサクラ」

「姫、目が怖いぞ」

「当たり前でしょ! 私の許嫁のアサクラが!!!」

「いやそれ以前に私は許嫁になった覚えがない」

「私のアサクラが!! 名も知らぬどこぞのホースボーンに!!!」

「シャオリン殿のことを馬の骨って言うのやめろ」

「だってアサクラ!? あなたそれ! どう考えても狙われてますよ!?」

「狙われてるって何がだ」

「ッカァ〜!? これだから三十路で女っ気無しのムサい野郎はあきませんわ……」

「なんだ貴公、あの女戦士に狙われてたのか」

「さっぱりわからん」

「貴公、あの女騎士とともにずっと一緒におったではないか。それで気付かないとはどういうことだ。そんなことでは命がいくつあっても足りんぞ。恥を知れ」

「なんですと!? その馬の骨とずっと一緒にいたとな!?」

「お前こそ私の心配をするよりもうちょっと料理の腕を磨けよジョージア。ぶっちゃけシャオリン殿の方がお前の何万倍も役に立ったぞ」

「ッカァ〜!? 自分が標的にされているとも知らずに……まったくウチの嫁候補は……」

「だな。危機に鈍感ではこの先命がいくつあっても足りんぞ。恥を知れ貴公」

「ここまで罵倒される意味がわからん」


 とこんな具合で、いつもの軽口合戦が厨房内にこだまし始める。数週間ぶりに厨房に騒がしさが戻り、オルレアン城にいつもの日常が戻り始めた。アサクラを執拗に責め続けるデイジー姫の目も、どこか嬉しそうだ。


 そんな、やいのやいのと騒がしい声に混じって、アサクラの耳に届く声があった。


――ふはははっ 朝倉よ


 それは、自身が斬り捨てた、今は亡き親友の声。己が守らねばならないもののためにすべてを捨て、しかし友を裏切る自分を許せず、友であるアサクラの刃に斬り捨てられることを選んだ、悲しき男の声だ。


――お主の覚悟と戦働き、しかと見させてもらったぞ


 だが、その声は今、清々しい。アサクラに斬り捨てられるときのような、嗚咽を込めた怒号ではない。アサクラと夢を語り、笑い合っている時のような、とても清々しく、楽しげな声だ。


 そんな正澄の声に『これのどこが戦働きだ』と心の中で悪態をつきつつ、しかし誰も傷つかず、誰も傷つけない幕引きが出来たことに、アサクラの心はどこか満足を感じていた。


 ……だがこの時、アサクラはもちろん、デイジー姫とジョージア、そしてバル太は知る由もなかった。


 今はまだ平和に軽口を叩きあうこのメンツに、新たな台風が訪れることになることを……

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