14. 秋鍋(前)

 アサクラとジョージアが王と共に戦場に出立して数週間経過した、ある日のことだった。


「アサクラっ!!!」


 厨房のドアが乱暴に開き、爆発音に似た『ドバン』という音が、静かな厨房に響き渡った。ドアの向こう側にいたのは、いつもより、もう少し逼迫した様子のデイジー姫。肩で息をして、走って厨房までやってきたことがよく分かる。


「……ああ、姫か」


 そんなデイジー姫に返事をしたのは、調理補助にして凄腕の戦士ジョージアだ。鎧を着込み、背中には短い槍とハンマーをくくりつけ、戦場から今しがたここに帰ってきたばかりであることが見て取れる。


 そしてそんなジョージアの影に隠れて、調理台に伏せている男が一人いた。


「我々が帰ってきたことを知らされたのか?」

「事前に知らされていました。それよりも」

「?」

「アサクラは? 私のアサクラはどこに?」

「ああ、アサクラなら……」


 ジョージアは、自身の影に隠れて調理台に伏せている男をチラと見た。服は極東の様式の戦装束。腰には見慣れた極東のサーベル『カ・ターナ』を携えたその男は、調理台に伏せ、ピクリとも動かない。


 デイジー姫は急いでその男のそばに駆け寄り、そして……


「アサクラッ!!!」


 アサクラの名を叫びながら、伏せている男の肩を掴んで無理矢理に振り向かせた。


「おかえり!! 私のアサ……ク……ラ……?」


 そしてその男の顔を見た途端、デイジー姫は絶句した。


「あ、ああ……約束、どおり……戻った……ぞ……」


 調理台に伏せていた男……それはデイジー姫の言う通りの男、アサクラである。


 ただ、デイジー姫の知るアサクラの姿とは似ても似つかない、げっそりとやせ細って疲れ切り、くたびれきった姿になってはいるが。


「……ねぇジョージア。これ、何ですか?」

「これって……言う、な……」

「アサクラだ」

「いやいやアサクラ違いますやん。どう見てもこれ、生きた人間ではないですやん」

「ひどいぞ……死ぬ思いで帰ってきた……のに……」

「だって……今のアサクラ、なんか砂漠の国の化け物のミイラみたいですよ?」

「斬り……殺、す……グハッ」


 デイジーの目の前にいるミイラは苦悶の表情を浮かべながらそう恨み節を吐くと、今度はそのままあおむけに調理台の上にバタリと倒れた。


「……ねぇジョージア、ホントにこれ、何ですかこれ」

「アサクラだ。こんなミイラに変わり果ててしまったが、アサクラだ」

「これがアサクラ……ありえないでしょ。確かにアサクラは三十路手前ですけど、もうちょっとみずみずしい肉体でしたよ? 少なくとも、こんな乾いたカツオブシみたいな男ではなかったですよ」

「信じてほしい。これが、アサクラの成れの果てだ」


 そういってしわしわなアサクラを2人で評するその声を聞きながら、『私の苦労を知らないで……殺す……コイツら確実に斬り殺す……』とぶつぶつと呪文のように繰り返す、アサクラ似のミイラだった。


……


…………


………………


 話は、王とアサクラたちが戦場に到着して、数日後のある日にまで遡る。


 その日、アサクラは王の夕食として、秋鮭ときのこ、そして秋野菜をふんだんに使った鍋を準備した。大豆で作った故郷の保存調味料、『ミソ』で味付けされたその秋鍋は、周囲に実に美味そうな香りを振りまきながら、王のテントに運ばれたのだが……


「ねぇアサクラ? いつもありがと。予は嬉しいよ?」

「ハッ。恐悦至極に存じます」

「ところでさ。今日は星空もキレイだし、ちょっと外で食べたくなったんだけど……いいかな?」

「し、しかし王……外で食べれば、敵陣から丸見え……長弓兵たちからの狙撃の危険もあるのでは……?」

「えー……こんなに予がお願いしてるのに……ダメなの……?」

「……」


 押しは弱いが強情な王にそのまま押し切られたアサクラは、渋々王のテントから少し離れた屋外にテーブルと椅子、そして明かりの燭台を準備させ、そこに王を着席させて、絶品の秋鍋を食べさせることにした。


「んー……アサクラ、ありがと」

「は、ハハァッ」

「満天の星空の下で食べるアサクラの鍋は、美味しいねぇ……」

「き、恐悦至極っ」


 とご満悦の様子の王だが、アサクラの胸中はそれどころではない。この、何の遮蔽物もないだだっ広い土地で、王が食事をとる……もし周辺に敵の弓兵が潜伏でもしていたら……周囲に気を配るアサクラは、気が抜けない。


 そうこうしている間も、王は美味しそうに鍋をつついているわけだが……やがて王はその箸を止め、自身の背後に広がる、自陣の兵士たちの姿を見た。


「ねぇアサクラ?」

「ハッ」

「今は、兵士のみんなも食事の時間なのかな?」

「ですね」


 自陣の兵士たちの食事中なのだろうか。各々が木製の皿に注がれたスープとパンを持ち、こちらを恨めしそうな眼差しで見つめていた。アサクラの耳に、周辺の兵士たちが音源であるらしい『ぐぎょぉ〜』という音が届いていた。


「アサクラ、みんなこの鍋、食べたいのかなぁ?」

「……かも、知れませぬ」


 王の無邪気な問いに、アサクラも返事を返す。実際、この秋鍋がふりまく香りの破壊力は凄まじく、その香りを嗅いだもの全員の腹を刺激し、空腹へと促す絶大な効果があった。その香りが自陣内に立ち込めており……王とアサクラが気がついたとき、2人の周囲は、よだれを垂らして恨めしそうに王の食事を眺めるたくさんの兵士たちによって、埋め尽くされていた。


「……ねぇ、アサクラ?」

「ハッ」


 このときアサクラは、この国王が、人懐っこく心優しい男であることを、久々に思い出した。


「こんな美味しいお鍋さ。予一人で食べるのもったいないと思わない?」

「御意」

「せっかくだからさ。みんなの分も作ってあげて?」

「は……? 全員分、ですか?」


 まさか数千にもなる自軍の兵士全員の食事を、たった一人で作れと言っているのではあるまいな!? と半信半疑のアサクラは王に確認したのだが……


「うん。全員」

「お、王……ッ!?」

「お願いアサクラぁん。みんなで美味しいものを食べて、幸せになろ? ね?」


 王の返答は、この上なく優しく、それでいて狂気としか思えないものだった。その答えを聞いたアサクラの意識は、しばらくの間、肉体から500メートルほど離れた位置まで飛んでいくほど、破壊力があった。



 そうして1時間後、王の財力とアサクラの行動力、そしてバル太たち騎士団の団結力と統率力により、複数の超巨大鍋を使用し全兵士を巻き込んだ、大なべパーティーが幕を開けた。


「はーいみんな、慌てないでたくさん食べるんだよー」

「「「「はいッ!!! ありがとうございます国王!!!」」」」

「もぉ〜……お礼なんていいよぉ〜……それにがんばったのはアサクラなんだから、お礼はみんなアサクラに言ってね? モジモジ」

「「「「はいッ!!! ありがとうございますアサクラ様!!!」」」」


 王と全兵士に礼儀正しく労われるアサクラはその時、全員分の鍋を作る調理の陣頭指揮で疲れ果て、バル太とジョージアに肩を借りて、かろうじて立っている状況だった。


「ゼハー……ゼハー……も、もったいなき、お、お言葉……」

「貴公、大丈夫か……」

「これが大丈夫に見えるのかお前は……ゼハー……」


 そうしてアサクラの陣頭指揮の元、騎士団によって仕込まれた秋鍋は絶品の一言。兵士たちは王の元、秩序だって礼儀正しく鍋に舌鼓を打っていた。美しく輝く星空のもと、オルレアン王国の陣は、戦争中で敵軍と睨み合っているその最中だというのに、飲めや歌えの大宴会となっていった。


 そんな光景を疲弊した身体でアサクラは見守っていたのだが……ここでアサクラは、『最悪のアクシデントというものは、連鎖していく』という言葉を思い出していた。


 『数千人規模の食事を作らされる』ということが、もし最悪のアクシデントであるとするならば……これは、さらに最悪の形で連鎖する……胸に不安を抱えたアサクラが周囲を見回した、その時だった。


 自陣と食事中の兵士たちを取り囲むように、人だかりが出来ていた。


「……!?」


 アサクラが見渡す限り、自軍は人だかりに囲まれた状態である。


「て、敵襲ーッ!!!」


 アサクラがそう叫び、自軍に危機を知らせるが……


「ダッハハハハハハハ!!!」

「冗談っすか!!? アサクラ様!!! そんなクソ真面目なキリッとした顔で冗談っすか!!?」

「いやー!!! アサクラ様も人が悪い!! こんな時間に敵襲なんてあるはずないでしょ!!!」

「ネギ!!! ネギ持ってきてアサクラ様!!! ネギ!!!」

「ああ……世界は今、クアッドコーク1800ばりの縦回転を見せている……」


 とこんな具合で、すでに長時間の宴会で仕上がってしまっている兵士たちは、アサクラの警告を、ただのイタズラだと思ったようだ。アサクラの警告に、誰も耳を貸そうとしない。


 アサクラは、自分のそばですでに酔いつぶれて眠っているバル太とジョージアを起こそうとするのだが……


「バル太起きろ! 敵襲だ!!!」

「姫ぇ……そのようなところに、マンドラゴラは入りませ……ン゛ッ……!?」

「だ、だめだこりゃ……ジョージア起きろ! 敵襲だ!!!」

「バル太さまぁ……たとえそんなとこからマンドラゴラが生えていても……私は、あなたのおそばに……ンフフフフ……」

「二人して一体どんな夢を見ているというのだ……ッ!?」


 とこんな具合で、ふたりとも起きる気配がまったくない。


 そうこうしているうちに、自陣の包囲網が少しずつ狭まってきていることに気付いた。すぐさまカ・ターナを抜き放ち、アサクラは臨戦態勢に入る。


「……ッ」


 しかし敵は大人数……対してこちらは一人だ。アサクラの胸に、久しく感じてなかった戦場の緊張が走る。カ・ターナを持つ右手が震え、額から汗が滴り落ちる。


「クッ……しかし、ここで退くわけには……ッ!!」


 決死の覚悟を決め、アサクラが臨戦態勢に入ろうとした、その時だ。


「……あのー」

「!?」


 包囲している敵軍の中から、一組の男女がとことことアサクラの前に進み出てきた。壮年の男性の服装は、東から絹を運んでくる行商人の服装によく似た意匠が散りばめられた、異国感あふれる様相。豪奢な服装と見事に装飾された腰の剣が、とても身分が高い者であることを物語っている。


 一方の若い女性の方は、髪と瞳の色はアサクラに似ているが、着ている服はなんだか違う。アサクラの祖国の服に雰囲気は似ているが、クリーム色の着物に薄水色の帯は、アサクラの故郷の服にはない組み合わせ。長い黒髪は後ろでふんわりとまとめられている。顔つきはデイジー姫やジョージアに比べて優しく目がぱっちりとしているが、その顔は今、元気なくがっくりとうなだれている。ほどなくして、その服は海を挟んだヒノモトの隣国『カン』と呼ばれる国の民族衣装であることをアサクラは思い出した。


「ち、近づくな!! 寄らば斬るッ!!!」

「あ、大丈夫です。別に怪しいものではないので」


 アサクラが威嚇すると、男の方が口を開いた。声の調子から判断するに、相手に戦闘する意思はなさそうだが……


「こんな時間に我が軍を包囲している段階ですでに怪しいッ!!! 私に無用な殺生をさせるな!!! これ以上近づくんじゃあないッ!!!」

「いやすみませんすみません……」


 必死に二人組を牽制するアサクラ。その迫力が効いたのか、男女二人はアサクラから姿が見える程度に離れた場所で立ち止まった。二人の表情を見ると、敵意はなさそうだ。アサクラは警戒を解き、カ・ターナから左手を離した。


「何者だ!」

「いやあの私たち、みなさんと現在戦闘中のものです」

「!? やはりお前たち、マナハルの者か!!?」

「はぁ、そうなんですけど、別に今は戦いに来たわけではなくてですね……」

「では何だ!! 目的を言え!!!」

「いや、あの……」

「すみません……ホントにすみません……」


 男の方は恥ずかしそうに顔を赤く染め、はにかみながら鼻の頭をポリポリとかく。そのさまは、どう見ても戦闘をするために接近してきた者のそれではない。女の方はがっくりと力なくうつむいて、なんだか疲れ切ってるし。


「えっとー……」

「……?」


 男は、恥ずかしそうにうつむきながら、アサクラのはるか後ろを指差した。その先には、オルレアンの兵士たちが大笑いしながら囲む大鍋が、これみよがしに鎮座している。


「……あれ、みなさんの晩ごはんでしょうか?」

「あ、ああ」

「一体どんな料理でしょう?」

「いいですって……もう帰りましょって司令官……?」

「秋鍋だ。秋鮭と季節の野菜、それとたくさんのきのこを、特性のミソスープで煮込んだものだ」

「秋鍋……これはまた美味しそうな……」

「いやもうホントやめましょ司令官?」

「?」

「いや私、実は今回のオルレアン遠征の最高司令官なんですけどね?」

「!? ではお前は!?」

「し、司令官の……護衛兼側近……ホン・シャオリンといいます……」


 その後、この人の良さそうな敵軍の司令官は、事の事情を恥ずかしそうに説明しはじめた。その間、隣の女性シャオリンはずっとうなだれており、アサクラに対して非情に申し訳無さそうな顔を浮かべていた。





※続きます

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