13. おはぎ(4)

 ジョージアが軍議に生チョコを持っていった日から1週間ほど経った頃だった。外を吹く風は次第に冷たくなり、すっかり季節が秋に移ったことを伝えている。夕方になると鈴虫やコオロギたち秋の虫たちが静かに鳴いて、夏のにぎやかさとは違った装いを見せ始めていた。


 ちょうど5日ほど前、ついに騎士団と国軍が戦争に向けて出発した。まだ本格的な戦闘には発展してないようだが、はるか東にある広大な平野で、オルレアン王国軍とマナハル王国軍のにらみ合いの状況が続いている……とのことだ。


 互いに刺激があれば、即座に開戦してもおかしくない、まさに一触即発の状態……現場はすでにそれほど逼迫した状況であると、王のもとに届いた知らせには綴られていたそうだ。


「だから今日もバル太は来ませんよ」

「分かっている」


 厨房では、今日もアサクラが調理に励んでいる。今日の王のおやつは、めずらしくスイーツではなくサンドイッチ。それも、アサクラの故郷の料理である『タマゴヤキ』を挟んだ、タマゴヤキサンドだ。塩味だけのタマゴヤキをマヨネーズをたっぷり塗った焼き立てのパンに挟む……シンプルだが飽きのこない、国王お気に入りの逸品である。


 同じく厨房にいるのは、椅子に座り調理台に膝をついてアサクラの調理を眺める、デイジー姫ただ一人だ。いつものように笑ってはいるが、その笑みは、ほんの少しだけくすんでいるようにアサクラには見える。


「ジョージアは今日も無断欠勤ですか」

「だな。3日もどこに行っているのやら……」


 バル太はこの厨房に顔を出さなくなって久しい。そして3日ほど前から、ジョージアも姿を見せなくなった。バル太が顔を出さないことで意気消沈し続けていたジョージアは、ある日突然ハッとして厨房を出て行ったきり、顔を出さなくなったのだ。


 つまり今、厨房に顔を見せるのは、ここが職場のアサクラと、イタズラしたあとのシェルターとしてここを活用していた、デイジー姫の二人だけだ。


「ねぇアサクラ?」

「んー?」

「ここって、こんなに広かったですか?」

「……」


 厨房内を見回した後、デイジー姫がポツリと口にする事実。実は、アサクラもここ数日同じことを考えていた。バル太とジョージア……2人が顔を出さないだけで、こんなに厨房を広く感じるとは思ってもいなかった。鳴り響く音も、心持ち小さく、寂しい。


「……前からこの広さだった」

「……ですよね。この広さですよね」

「ああ。おかしなことを言う」

「いい加減に許嫁に優しくしてくださいよ」

「どこから突っ込めばいいんだその妄言の」


 こんな感じで、2人の軽口にも、どこか勢いがない。


 アサクラが焼き上がった2枚の食パンにマヨネーズをたっぷりと塗った、その時だった。


「アサクラ」


 厨房のドアがドバンと開き、2人の注目を集めた。開いたドアの向こう側にいたのは、この3日間無断欠勤をし続けていたジョージアだった。鎧を身にまとい、腰には愛用の剣、背中には短めの槍と巨大なハンマー、そして盾がくくりつけられている。


「ジョージア?」

「ああ。しばらくぶりだな姫よ」

「そんなことより、それ……」

「ああこれか」


 デイジー姫が呆気にとられた様子で、ジョージアの背中の武具を指摘する。ジョージアはそれに少しも動揺しない。そればかりか、鋭い眼差しになっている。


「私も、今度こそバル太さまのおそばに行こうと思ってな」


 戦士の面持ちを見せているジョージアは、淀みなくすっぱりとこう言った。その口ぶりに迷いはない。


「バル太のそばに行くって……バル太が今どういう状況か、分かっているんですか?」

「分かっている。故に私も、バル太さまのお側で力になろうと思っている」

「……バル太はこのことは知っているのか。許可は得たのか」

「いや、バル太さまの許可はない。推参だ」

「騎士団に参加するというのか」

「違う。私はあくまで料理人だ」


 デイジー姫にもアサクラにも、ジョージアは臆すること無く、すっぱりと答えている。これは、もう何を言っても止まらない……アサクラの過去の経験が、ジョージアはすでに覚悟してこの場にいるということを感じ取った。


 そしてジョージアの次の言葉は、アサクラの心に、一本の太いナイフを突き刺した。


「……だが私には、料理をする以外に出来ることがある。ここで料理を作り上げること以外に、あのお方の力になれることが、私にはある」

「……」

「それって……」


 ハッとするデイジー姫を尻目に、ジョージアは、アサクラの目をジッと見ていた。いつか見た、スパイや暗殺者のような、底の見えない冷たい眼差しではない。『愛する人の力になる』という覚悟を決めた、戦士の鋭い眼差しだ。


「アサクラ」

「……なんだ」

「それは、お前にも言えることではないのか」

「……」

「え……?」


 『何がなんだかわからない』といった様相のデイジー姫とは対象的に、アサクラは落ち着いている。ただ静かに、サンドイッチを作る手を止め、ジョージアを見据えている。


「……」

「王から話を聞いた。明日、王も戦場にご出立されるとのことだ。現場に立ち、皆を鼓舞して士気の低下を防ぐつもりらしい」

「……」

「貴公にもあるはずだ。ここで料理を作る以外に、出来ることが」

「……」

「違うか」


 ジョージアは、すっぱりとこう言い切った。アサクラは目をそらさず、鋭い眼差しでまっすぐにジョージアを見つめている。


「……」

「……」


 互いに、相手を凝視する。ジョージアの眼差しは、アサクラに『お前も共に来て戦え』と言っているように、アサクラには見えた。


 ジョージアの言っていることは、アサクラにもよく分かっている。だからこそ、ジョージアの言葉が耳に痛く、そしてナイフのように胸に刺さったのだ。


 しかし、アサクラには、ある懸念があった。


 それは、かつて自分が故郷を棄てた時の、苦い思い出。


――さらばじゃ朝倉兵庫。大義で、あった


 あの、城から離れた地での戦の最中、敵の大群に同時に城攻めまで許し、あげく壊滅まで追い込まれたという苦い敗北……マナハルは、この国と比べ強大と聞く。どれぐらいの国力差があるのかはわからない。だがもし、あの時と同じことを、この国が許してしまえば……


「……この国の防衛はどうなる」

「騎士団はすべてが出払ったわけではない。それに、戦場はここからかなり離れている。仮に退却しても、すぐにここに大群が押し寄せてくるようなことにはならん」

「いま展開されてる戦場とここ……同時に兵を動かしていたら?」

「であればすでに騎士団に察知されている。確かに相手は強大だが、そんな大それた展開が出来るほど戦力に差はない。それに、ここに貴公が一人いたとしても、攻め込まれた時の結果はそう変わらん」

「……」


 押し黙るアサクラ。ジョージアの目は鋭いものの、アサクラを非難している意識はなさそうだ。ただ、その目は迷うアサクラに決断を迫っているようで……。


「……私は、ここで王の食事を作る料理人だ」


 言葉に詰まるアサクラがやっと絞り出したのが、このセリフだった。


 それを聞いたジョージアは、少しだけうつむき軽くため息をついたあと、再びアサクラをまっすぐに見た。相変わらず、その目は鋭いものの、アサクラを非難してはいなかった。


「……まぁ、決めるのは貴公だ。私はこれ以上は何も言わない」

「……」

「では失礼する」

「? もう出立ですか?」

「いや、明日の王のご出陣に私もついていくつもりだ。まだ準備が残っている」

「……」

「無事に戻れたら、またここで料理を作りたいな」

「……その腕では足手まといだ」

「そう言うな。無事に戻れたその時からは、貴公の足を引っ張らんよう、修行に励むさ」


 それだけ言うとジョージアは、アサクラとデイジー姫それぞれに軽く頭を下げ、厨房から出て行った。ドアが閉じる時の『ドバン』という音が、まるでジョージアが死出の旅に出る合図のように、アサクラの耳には聞こえた。


「……」


 デイジー姫も何か感じるものがあったようだ。ジョージアが醸し出す普段とは明らかに異なる空気が、デイジー姫から言葉を奪ったかのように、出ていくジョージアをただ見守るだけだった。ドアが閉じたとき、ビクッと肩をすくませ、不安そうにただドアを見つめていた。


 厨房に残されたアサクラとデイジー姫の間に、静かな……耳に痛い静寂が訪れた。


「……アサクラ」

「……ん?」

「私は、まだ戦争を経験したことはありません」

「あんなもん、経験しないで済むなら、その方がいい」

「こんなふうに、一人、また一人、身近な人がいなくなっていくのが、戦争なんですか?」

「……」

「ねぇアサクラ」

「何だ」

「あなたは、故郷で戦争を経験しましたか?」

「……何度も経験した。何度も何度も、何度も……」

「そのたびに、こうやって身近な人が、少しずつ少しずつ、いなくなっていったんですか?」

「……」


 デイジー姫が顔に浮かべる感情は、おそらく不安というものだろう。生まれてはじめて体験する『戦争』というものの実感を、今、身近で親しい人間が消えていくことで感じているようだ。


 アサクラはデイジー姫を見た。いつもの凶悪な笑顔は鳴りを潜め、真っ青な顔中に不安を彩る彼女の様子は、今、気の毒に感じるほど元気がない。


 だが、アサクラは今、そんなデイジー姫に気を配る余裕はなかった。


「……」

「……アサクラ?」


 寂しく、不安ゆえに誰かに寄り添いたいデイジー姫の声すら、今のアサクラには届かなかった。


 今のアサクラは、ただ、タマゴヤキサンドを作ることにしか、意識を割く余裕がなかった。



 翌日の朝。


 早い時間に出立する国王とその親衛隊のため、アサクラは早朝からお弁当を忙しく作っていた。唯一、雪平鍋で火にかけられているものは、お弁当とは関係ない食材だ。


 その、湯が張られ中で何かを茹でている雪平鍋の横で、アサクラは大量の唐揚げを揚げていた。それらを油から上げ、特殊な紙が張られたバットの上に無造作にバラバラに並べる。揚げたてのからあげから、油の音がジュージューとアサクラの耳に届いた。


 雪平鍋の様子を伺いながら、たくさんの卵を溶いてタマゴヤキを作る。この国の職人に特注で作られた四角いフライパンに卵液を流すたびにジュワッと心地よい音が、朝日が差し込む厨房内に響き渡る。アサクラはしばらくの間、ただひたすらにタマゴヤキを焼き続け、やがて大量のタマゴヤキが厨房に姿を見せた。


 雪平鍋の中から小豆を一粒取り出し、それを潰した。軽くうなずいて、今度はそこに砂糖を入れる。少し入れてはかき混ぜ、時間を少し置く。そうして、小豆を理想の甘さに持っていく。


 その合間に、別の料理を作り上げる。大量のアスパラガスの穂先をハムでくるみ、つまようじで停める。大量に作ったそれらを、フライパンで焼いていく。ジュージューと焼けるハムのよい香りが厨房に漂い、アサクラの食欲を刺激した。


 再び雪平鍋に砂糖を投入したあと、かまどから、2つあるうちの大きな方のお釜を作業台に運ぶ。つい先程まで火にかけていたため、お釜は未だに熱い。ふきんを使ってそのお釜を注意深く持ち上げ、運ぶ。蓋を開ければ、お釜の中から朝日に照らされた湯気が立ち、その奥から一粒一粒が見事に立ったごはんが姿を見せた。


 ごはんをかき混ぜ、出来を確認する。水を張ったボウルと塩、そしていつかデイジー姫が悲鳴を上げていたプラムのピクルスのツボを作業台に持ってくる。


 戻ってくるなりアサクラは顔を上げた。朝日の様子を確認し、ある程度時刻を把握するためだ。


「……もう少しか」


 アサクラはオニギリを作る。手をボウルの中の水で洗い、その手に塩をつけ、炊きたてのごはんを手のひらに乗せる。手のひらに載せたご飯から立つ湯気が、朝日に照らされてキラキラと輝く。その湯気に包まれたアサクラは、ただひたすら、一心にオニギリを作っていく。


 大量のオニギリが出来た。そのまま洗った手を割烹着で拭き、再び雪平鍋の様子を伺う。甘さを確認するため、スプーンで少しだけ中の小豆を取り出し、それを口に運んだ。


――そんなにうまいと申すのなら、また作ってやるわい!!


 はるか過去から耳に届いた、懐かしい声。その声が、アサクラに味の仕上がりを伝えた。


「また作るぞ。亜矢」


 完成したあんこを火から下ろし、自然に冷めるのを待つ。しばらく置いた後姿を見せたのは、あの日から幼馴染が作り続けてくれた……だけどあの日を境に自分で作るしか食べるすべがなくなった、思い出のあんこ。


 そのまま、小さなお釜の蓋を取り、中を覗く。炊きあがり具合を確認したあと、それをすりこぎ棒で突き崩していった。窯の中のもち米を混ぜたご飯が、次第に餅のようにまとまり始める。ある程度米の形を残した状態で、アサクラは突き崩すのを止める。


 アサクラが冷めた料理の数々を、たくさんのお重に並べ始めたときだった。厨房にコンコンとノックの音が響いた。アサクラは返事をしない。ほどなくしてドアが開き、その向こう側から、デイジー姫が姿を見せた。


「アサクラ、おはよ」

「ああ、おはよう」


 2人に、いつもの軽口はない。ただ、アサクラが返事をしたとき、デイジー姫の顔に、少しだけ安堵が浮かんだ。その顔のままデイジー姫は厨房に入ってきて、椅子に腰掛けアサクラの向かいに陣取る。


「……それ、父上たちのお弁当ですか?」

「そうだな。王より直々に頼まれた」

「私の狩りのときは大したものを作ってくれなかったくせに」

「あのときは食材がなかった」

「わかってます。でも、少しぐらい文句言ってもいいでしょ」

「なんでだ」

「だって、許嫁へのお弁当は貧相なのに、父上のお弁当はこんなに豪華なんですよ?」


 ニッと笑うデイジー姫。その笑顔が強がりであることは、もう数年来の強敵であるアサクラにだけは、よく伝わっていた。


 実際、王のお弁当がこんなに豪華なのは、王からの指示だけではない。これには、貯蔵庫にある食材をすべて使い切るという、現実的な理由があった。


 デイジー姫が、厨房の隅にあるアサクラのカ・ターナをチラと見た。


 このカ・ターナは、アサクラの故郷で作られた一振りだ。故郷を離れたその日からアサクラとともにあり、何度もアサクラの窮地を救った。刃が欠ければアサクラ自身が研ぎ、常に傍らに置いていた。


 しかしこの国に来て料理人となってからは、特別な事情がない限り部屋から持ち出すことのなかったものだ。たとえば、ジョージアの嘘を看過したときや、身の危険を感じているとき……あるいは……。


「ねぇアサクラ。聞きましたよ。父上に同行を申し出たそうですね」

「……」


 アサクラは答えない。ただ静かに、しかし手際よく、お重に料理を詰めていくだけだった。


 昨晩、アサクラは謁見の間に赴き、王にこう進言した。


――私も同行させていただきたく存じます 許可を


 国王はその申し出を了承した。出立する自分と配下たちのために、最高のお弁当を作る条件で。


「どうしてですか」

「……」

「あなたも私の元からいなくなるのですか」

「……」

「私の最後のおもちゃがいなくなっちゃうじゃないですか」

「……昨日のジョージアの言葉は覚えているか」


――貴公にもあるはずだ。ここで料理を作る以外に、出来ることが


「覚えてますよ」

「あれがすべてだ。私にも、ここで料理を作る以外に、出来ることがある」

「……」

「だから出立する」


 その後は、アサクラもデイジー姫も、しばらくの間口を開こうとしなかった。


 やがて、アサクラがすべての料理をお弁当に詰め終わり蓋を閉めて、お重の準備が整った。仕上がったお重を調理台の隅に退けて、冷めたあんこが入った雪平鍋と、小さなお釜を調理台に乗せた。


「それは? 何を作るのですか?」


 静かにデイジー姫が口を開いた。アサクラはあんこを手に取り、じっとそれを見つめる。


「おはぎという。私の故郷の甘味だ」

「カンミって?」

「甘いもの……こっちで言うデザートとかスイーツとか、そんなものだ」

「へぇ〜」

「……前に、私の好物を聞いてきたことがあったな」

「ありましたね。結局答えてくれませんでしたけど」

「これがそうだ。これが、私の好物だ」

「父上みたいですね。男の人なのに甘いものが好きだなんて。何かきっかけでもあったんですか?」


――ほれほうびじゃ! よう味わって食え!!


「幼馴染が、私のためによく作ってくれた」

「……」

「そいつは当時の私の主の娘で、女のくせに気が強くて女っ気のない女だった」

「もう結構です。やめてください」

「そいつが作るおはぎはでかくてごっつくてぶっさいくなおはぎだったが、食いごたえがあって不思議と美味かった」

「やめてくださいと言っています」

「そのせいか、気がついたら自分で作れるぐらいに好きになっていた。私がここで料理人なんてやってられるのも、元をたどれば、このおはぎのおかげかもしれん」

「こんな時に! 昔話はやめてください!!」


 突如、バンと音が鳴り響いた。デイジー姫が調理台に自分の手のひらを叩きつけた音だ。


「今そんな話をされたら、まるであなた達が、そのまま帰って来ないようで……」

「……」


 アサクラは動じない。自身の手のひらの中にあるあんこを、ただ、ジッと見つめるだけだ。


 しばらくして、アサクラはおはぎの仕上げにかかった。自身の手のひら大ぐらいにまとめたご飯を楕円に整形し、その上にあんこをひとつかみ乗せて、形を丸く整えていく。


「……」


 アサクラの顔はおだやかだ。普段のアサクラは料理中は気が張り詰めていることが多い。だが、今日だけは違った。ほんの少し微笑んですらいる。薄い微笑みを浮かべたまま、アサクラは静かに、丁寧におはぎを作っている。


「……ねぇアサクラ」

「んー」

「約束してくれますか」

「内容による」

「必ず、バル太やジョージアと共に戻ってください。あなたたちは、私の大切なおもちゃですから」

「おもちゃと言われて戻る気になる方がどうかしている」

「では言い直します。あなたたちは、私の大切な友人ですから」

「……」

「約束出来ませんか? ならこの国の姫デイジー・ローズ・フォン・オルレアンの名のもとに、あなたに命じます。アサクラ・ヒョウゴ。騎士副団長バルタザールと調理補助ジョージアと共に、必ず私の元に生きて帰りなさい」

「……」


 アサクラはデイジー姫を見た。いつもの彼女ではない、この国の姫がそこにいた。堂々と佇み、威厳を持ってアサクラに向かい合う彼女の姿は、凛としてどこか美しい。


 その姿は、思い出の中の幼馴染の立ち居振る舞いに、どこかかぶるものがあった。


「……それが約束出来んのが、戦争だ」

「一介の料理人風情が、この国の姫である私の命に背くつもりですか」

「誰に何をどう言われようが、約束は出来ん」

「……ッ」


 アサクラがその手を止めた。今、アサクラとデイジー姫の目の前には、おはぎが3つ並んでいる。それらは一つ一つが朝倉の手のひらほどの大きさがあり、デイジー姫でも、一口ですべてを口に入れるのは無理なほど、大きい。


「ほら、これがおはぎだ。お前の父上と私をつないで私をここに連れてきてくれた、私の好物だ」

「……」

「これはお前のために作った。よく味わって食え」


 そう言うとアサクラは割烹着を脱ぎ、三角巾を頭から外した。割烹着の下は、アサクラの故郷の服。戦の際に鎧の下に着込むキモノと呼ばれる装束だ。


 そのままお重を風呂敷ですばやく包み、それを手に持つ。厨房の隅に移動し、カ・ターナに手を伸ばした。


――朝倉


 厨房は湯気が立ち込め、まるで霧がかかったようにぼやけている。アサクラには、その湯気に混じって、カ・ターナの横で佇む、一人の懐かしい男の姿が見えた。


――今度こそ友として、お主と共に


 故郷の鎧に身を包み、アサクラと同じくカ・ターナを腰に携えた、かつての親友の姿。その男はアサクラに対し、頼もしい微笑みを見せていた。


 懐かしい友に見守られ、アサクラはカ・ターナとお重を手に取り、ドアに向かって歩き出した。


「こんな……こんなものッ……」


 アサクラがドアを開き出ていくその時、背後から、絞り出されたデイジー姫の声が聞こえた。振り返るアサクラの眼差しは、普段デイジー姫に向けるそれより、もう少しだけ優しい。


「こんなものとは何だ。せっかく姫のために丹精込めて作ったのに」

「だって……食べたら終わりですよ……?」

「……」

「食べられませんよ……あなたの残り香なんて……ッ」


 振り返ったアサクラが見たものは、うつむいておはぎを見つめて歯を食いしばるデイジー姫だった。目に涙を浮かべ悔しそうなデイジー姫の目には、きっと今、目の前のおはぎは写っていない。


 デイジー姫の涙が一粒、おはぎに落ちた。その時厨房の湯気が、アサクラとデイジー姫を包んだ。それらは日に照らされる朝霧のように、キラキラと輝いている。


 そのモヤの中、アサクラの目に写った姿があった。


――あさくら、安心せい


 アサクラはデイジー姫の背後に、懐かしい幼馴染の笑顔を見た。幼い頃の汗と泥に塗れた姿でも、三行半を突きつけられる前の、血に塗れた痛々しい姿でもない、本来の元気で美しい姿の彼女が、デイジー姫の背後にいた。


――お前の大切なものを、私も守ってやるでのう


 こいつが守ってくれるのなら……自分の新しい居場所を、かつての自分の居場所だった亜矢が守ってくれるのなら……アサクラの気持ちが今、吹っ切れた。


「心配するな。戻ってきたら、また作ってやる」

「……へ」

「仕方ない……約束してやろう。全員で戻ってみせる」

「アサクラ……」

「だから安心して食え。これが最期ではない。また食えるから」

「……わかりました。私のおも……」

「なんだと?」

「……ゲフン。我が友、アサクラ」

「では行ってくる」


 再びデイジー姫に背を向け、アサクラはドアを開く。


「アサクラ、ご武運を」


 背中越しに聞く姫の激励も、存外に悪くない……そんな風に思う自身の気持ちの変化に少し驚きながら、アサクラは開いたドアから足を踏み出し、厨房をあとにした。



 アサクラを始めとする四人がやいのやいのと騒がしく毎日がにぎやかだった厨房は、それから数週間の間、物音すらしない、寂しい無人の部屋となった。


 ただ一人……デイジー姫だけは、時折寂しそうに厨房を訪れ、そして泣きそうな顔で厨房をあとにしていた。


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