11. 生チョコ
バル太とアサクラが夜の会話を行った翌日。この日もバル太は軍議で忙しく、厨房に顔を出すことはなかった。おかげで、ジョージアに元気がない。
アサクラは、夕食に使用する鶏肉の下処理を行っていた。筋を切り、厚さを半分にしていくその流れは美しささえ感じるほど手慣れたものだが……一方のジョージアはと言うと……
「ずーん……」
「おいジョージア」
「なんだ……ずーん……」
「元気だせ。仕事をしろ」
「やっている……」
そんなジョージアの言い訳が、ため息とともにこぼれ落ちた。アサクラがジョージアの手元を見ると、彼女は愛用の剣でかぼちゃを切っているのだが……心ここにあらずといった感じで、かぼちゃはうすーくうすーく輪切りにされている。しかも種を取らずに切っているものだから、薄切りにされたかぼちゃの輪切りの中心には、その種がみすぼらしく残った状態だ。
「ずーん……」
「……そんな薄切りのかぼちゃを量産してどうするつもりだ。煮付けを作ろうと思っていたのに……」
「……ハッ!? す、すまない……」
これは明らかに失敗だ……そう思ったアサクラは、今日の献立を変える決心をした。今日はヒノモトの郷土料理で攻めようと思っていたのだが……厨房の棚を見ると、異国の香辛料の残りは、まだ充分にある……
「仕方ない。今日は献立を変更する。その輪切りにしたかぼちゃ、種をとって半分に切れ」
「どうするつもりだ」
「輪切りにしたら油で素揚げする。夕食のメニューはヒノモトの料理からカレーに変更だ」
「申し訳ない……」
言われたとおり、薄切りにされたかぼちゃの種を取り始めるジョージア。顔は自身の不甲斐なさを反省しているようにも見えるが、相変わらず覇気は感じられなかった。
そんな様子を横で見ていたアサクラは、小さくため息をもらした。
本来ならここで『もうちょっとしっかりしろ』とでも言うべきなのかもしれないが、どうにもアサクラにはそんな気が起きない。いや、それどころか『むしろこの状況でよく頑張っている』とすら思っている。
アサクラは、ジョージアがバル太をどれだけ慕っているのか知っている。毎日バル太の来訪を胸をときめかせながら待ち続け、バル太がやってくると子犬のようにはしゃぎながら彼によりそう……それだけ、ジョージアはバル太のことを好きなのだ。
そんなジョージアだから、バル太が来ないとわかっただけで仕事が手に付かないレベルで落ち込んでしまうのも、仕方がない……たとえば今日のかぼちゃだって、普段の彼女なら……
――かぼちゃなら任せろ ところで面取りって何だ 顔を削ぐのか
とか血なまぐさい言葉を並べながら、それでも律儀にかぼちゃをキチンと切り分けるはずだ。出来栄えの是非はおいておいて。
ところが、今日は切り方の確認もせず、ぼんやりとかぼちゃをただ輪切りにしていく。頭の中はバル太に会えない悲しみで一杯で、他のことを考えるリソースがないのだ。
しょんぼりと背中を丸めるジョージアの姿を眺め、アサクラはため息を一つついた。
「ふーっ……」
「……どうした貴公」
「ん?」
「貴公、元気ないな……ずーん……」
『お前に言われたくないわ』という言葉を、アサクラは必死に飲み込んだ。
「んっく……ッ!」
「……?」
アサクラが鶏肉の下処理を終了し、カレー用に切り分け始めた、その時である。
「やっほー! アサクラぁぁぁああああ!!」
厨房のドアがドバンと開き、いつもの叫びとともにデイジー姫がニシシと笑いながら厨房に入ってきた。ドスドスと擬音が聞こえてきそうなほど、その両足は力強い。ハイヒール履いてるはずなのに。
「……あれ」
「ん? どうした?」
「いや、厨房にいつもの覇気がないなぁと」
「ああ……」
デイジー姫はアサクラに促され、ジョージアを見た。視線の先には、しょぼくれながらかぼちゃの種を取っていくジョージアが一人。
「ずーん……」
「こいつが原因だ」
「ああなるほど。もはやメランコリックを通り越して死臭が漂っているではないですか」
「死臭はいいすぎだが、おかげで仕事が手につかん。だから今晩の献立は鶏肉のつけ焼きとかぼちゃの煮物から、夏野菜のチキンカレーに変更する」
「おっ。私には朗報ですね」
そういって舌なめずりするデイジー姫。卑猥な眼差しでみっともない半開きの口からよだれを垂らすその姿は、一国の姫とは思えない体たらくであった。
ところで、今日もアサクラはデイジー姫の来訪に違和感を持った。少し考えた後、それがバル太不在のためだということに、すぐに思い当たる。
「……」
「……アサクラ?」
「いや。ところで今日はイタズラはしでかしたのか?」
「よくぞ聞いてくれましたっ!! 今日はですね?」
と目を輝かせ、前のめりになって話しはじめたデイジー姫だったが、やはりイタズラ相手が軍議につぐ軍議で顔を見せず、張り合いがないようだ。いつもに比べ、元気が無いように見えた。
きけば今日、デイジー姫はバル太の昼食であった牛ステーキを、そっくりそのままマジパンペーストで作ったフェイクのステーキにすり替えておいたそうな。
「大変だったんですよ? この道45年の街のケーキ職人を口説き落として作ったんですから……」
「だから熟練の技術の無駄遣いをするなと何度も……」
「でもバル太自身は軍議が終わらないらしくて、まだ感想聞いてないんですよねー」
と眉を八の字型にして口を尖らせるジョージア姫。その表情から見て、少々悔しそうだ。
ここで、フとアサクラの心に疑問がよぎった。
「……ちなみにそのマジパンペーストはどこで調達した」
「無論、ここからですが。キリッ」
「……」
アサクラの頭痛がぶり返す……あとでまたマジパンを仕入れておかねば……余計な仕事が増えたアサクラの胸に、言いようのない不快感が押し寄せてきた。
さて、この日の夕食作りはつつがなく終了。献立が変わったこと以外のアクシデントも特に無く、王族の夕食には、アサクラどジョージアの手による絶品の夏野菜カレーが振る舞われた。
そして、夜……。
「……なぁアサクラ」
「んー?」
「今日は夜まで仕事するのか」
「んー」
今は午後の8時頃。そろそろ仕事も終わり、厨房を出る時間のはずなのだが……今日に限って、アサクラはジョージアと一緒に、まだ厨房にいた。
「明日の献立で何か大変な仕込みがいるものでもあるのか」
「いや、そういうわけではないがな」
「では何だ」
「いや、お前に作ってもらいたいものがある」
「ほう」
今日、夜遅くまで厨房に残っている理由。それは、ジョージアにある料理を作らせるためだ。そしてそれは、ジョージアに料理の経験を積ませることだけが目的ではない。
「……とりあえず食料貯蔵庫から、チョコレートと生クリーム、あとココアパウダーと粉砂糖、それからバターをもってこい」
「……? 今からお菓子をつくるつもりか?」
「いいから」
頭にはてなマークを浮かべながら、ジョージアは食料貯蔵庫へと消えていく。ほどなくして、アサクラから指示された品々を持って、ジョージアは戻ってきた。
「バターはむえんでよかったか?」
「その辺の分別はつくようになったか」
「しかし無縁とは……このバターは孤独なのだな……」
「縁がないという意味ではなく、塩が入ってないという意味だ」
「まるで今の私のようだ……フッ……」
「人の話を聞け」
多少の軽口を叩きあったあと、アサクラはジョージアにチョコレートを刻ませた。ザクザクと心地いい音が厨房に響き渡る中、アサクラは生クリームを火にかけ、それが沸騰する寸前まで待つ。
「刻んだぞ」
「ではそれをボウルに入れろ」
アサクラに言われるままに、刻んだチョコレートをボウルに入れたジョージア。生クリームもいい具合に温まってきた。アサクラは生クリームを火から下ろし、そのままボウルの中のチョコへと流しかける。
「んじゃ、これをとろとろになるまでかき混ぜろ」
「剣にチョコがついてしまうが……」
「まず料理に剣を使うという発想を無くせ。ヘラを使えヘラを」
ジョージアは言われたとおり、素直に木べらでチョコをかき混ぜ始めた。二人の軽口とは裏腹に、部屋の中はしんと静まり返っている。ジョージアが木べらでチョコをかき混ぜるたぱたぱという音だけが鳴り響いていて、昼間の喧騒が嘘のように静かだ。
「色が均一にチョコ色になったら、バターを入れろ」
「了解だ。量は?」
「切り分けておいた」
アサクラはジョージアに切り分けておいた無塩バターを渡し、ジョージアもそれを受け取ってボウルに入れる。再びたぱたぱと優しい音を立て、ボウルの中のとろけたチョコが撹拌されはじめた。ジョージアはいつの間にか目の前のチョコに集中しているようだ。
「……」
その表情を満足げに眺めた後、アサクラは金属で出来た四角い枠を準備した。それに特殊な紙を敷き詰め、ジョージアにわたす。
「これは?」
「バターも溶けて充分に混ざったら、その中に静かに流し入れろ。そして貯蔵庫で冷やせ」
「分かった」
「流し入れたら空気を抜くのを忘れるなよ」
「ストローでも刺して吸えというのか。貴公は無茶なことを言う」
「型を静かにとんとん落とせば空気は抜けるッ!」
「なるほど。その発想はなかった」
言われたとおり、ジョージアは型にチョコを静かに流し入れた。その後型を作業台に静かにとんとんと落とし、空気を抜く。そのまま貯蔵庫までそれを運び、そして厨房に戻ってきた。
「持っていったぞ」
「あとは冷やせば完成だ。それまで待とうか」
「了解だ」
帰ってきたジョージアとともに、椅子に座って温かいお茶を飲む……昼間の厨房でいつも繰り広げられる喧騒とは程遠い静けさが、二人の間に流れた。
「……ずずっ」
「ん……」
部屋に響くのは、湯を沸かしているやかんの音のみ。時々鳴る『シュッシュ』という静かな音が、二人の耳に優しく届く。
そうして、特に会話もなく静かに待つこと、数十分……。そろそろチョコも冷え、充分に固まった頃合いになった頃だった。
「……やっほーアサク……てあれ」
「ん……姫?」
「遅かったな」
厨房のドアを開き、デイジー姫も姿を見せた。頭にはいつもの小さなクラウンではなく、頭をすっぽりと覆う、薄いピンクのもこもこしたとんがり帽子のナイトキャップ。着ている服も普段のシルクのドレスではなく、ゆったりしたパステルピンクのパジャマだ。
「ジョージアもまだいたんですか?」
「それはこちらのセリフだ。姫こそまだ自室には戻ってないのか」
「私はちょっとアサクラに頼まれたことがありまして」
とこんな具合で、普段とは打って変わった落ち着いたやりとりが厨房内に響く。ひとしきりジョージアと話したデイジー姫は、いつもに比べ少しだけ真面目な顔で、アサクラを見た。
「ねぇアサクラ。見てきましたよ」
「ん……どうだった?」
「まだ続いてますね」
「そうか……」
デイジー姫の言葉を聞いたアサクラは、少し残念そうに眉をひそめ、そしてお茶をすすった。デイジー姫がその様子に、気付かないはずがない。
「アサクラ?」
「……ん?」
「どうかしました?」
アサクラがデイジー姫に頼んでおいたこと……それは、バル太が出席している軍議が、今日もこの時間まで続いているかどうか確認をとってほしい……ということだった。
今朝方、アサクラは朝一番で軍議の様子を伺いに行ったところ、早朝だというのに、すでに軍議は開かれていた。
しかも、会議室の入り口にはしっかりと見張りがつけられ、部外者の接近が一切出来ない状況になっていた。ここに来て、軍議の深刻度がましている……それが意味するところを、アサクラは理解している。
会議室の入り口を守っている衛兵に、この軍議が終わる時間を聞いてみたアサクラだったが、衛兵たちからはついぞハッキリした返事を聞くことは出来なかった。まさかと思い、デイジー姫に『夜になっても軍議が終わらなければ、厨房に知らせてほしい』と頼んでおいたのだが……まさか本当にこの時間まで軍議が終わらないとは思わなかった。
少なくとも、この国の行政機関の緊張は高まっている。東の大国マナハルに対し、どう出るか……場合によっては戦争も辞さない心構えをバル太は見せていたが……本当に戦争になるのだろうか……
どちらにせよアサクラは、この状況は不本意だが読めていた。
「……ジョージア。貯蔵庫からチョコを出せ」
「わかった」
「ちょっとアサクラ?」
アサクラを問いただすデイジー姫を無視し、ジョージアは再度貯蔵庫に向かう。一方のアサクラは、仕掛けておいたやかんを火から下ろし、中の湯をボウルに移し替えた。
「持ってきたぞ」
「ああ」
ジョージアが固まったチョコを持って戻ってきた。アサクラは大きなバットを準備し、そこにココアパウダーと粉砂糖を混ぜたものを敷き詰める。
「ジョージア。チョコを型から外して、一口大に切れ」
「分かった」
「剣は使うな。切る前に湯で包丁をよく温めろ」
「こんな小さな刃物……せめてダガーを使わせてくれ」
「ダガーでは刃が分厚い。いい加減包丁に慣れろ」
いつになく厳しい口調で命令されたせいか、ジョージアの頭の上にもじゃもじゃせんが浮かんだ。そのままアサクラの包丁を手に取り、それをボウルの湯であたため、ジョージアはチョコを一口大に切り分けていく。
一方、その横でアサクラは、切り分けたチョコをすぐにココアパウダーをしきつめたバットの中へと移していた。
「アサクラ?」
「……」
不思議そうに問いかけるデイジー姫を無視し、チョコにココアパウダーをまぶしていくアサクラ。やがて、そのうちの一つを取ると……
「姫、口を開けろ」
「はぁ。んがー……」
姫に口を開けるよう促し、その間抜けに開いた口の中へと、チョコの一つをひょいと入れた。
「ぶわっ!? ちょっとアヒャクリャ!? わたひはチョコはたべりゃれにゃ……」
「食えるか?」
「へ?」
「どうなんだ? その生チョコはお前でも食えるのか?」
はじめこそ、嫌いなチョコを入れられた動揺で顔をしかめるデイジー姫だったが、いつになく真剣なアサクラに飲まれ、口の中のチョコを真剣に味わい始めた。最初は顔をしかめていたが、次第にその苦悶の表情は和らぎ……
「……あれ」
「どうだ?」
「甘みが強くて食べやすいです。これなら食べられる」
と不思議そうな顔で答えた。苦手なチョコであるにも関わらず、自分が抵抗なく食べられたことが不思議だったようだ。
これは、アサクラがココアパウダーに粉砂糖を混ぜたのが理由だった。本来、このチョコレートには苦味の強いココアパウダーをまぶすのが通例だ。内側のチョコの甘さと外側のココアパウダーの苦味の対比が、この料理のキモになる。
だが、今回アサクラは、ある理由でココアパウダーに甘みを足した。そのため、出来上がったチョコはとても甘みが強いものとなり、結果、デイジー姫でも問題なく口にできる程度の強い甘みを持ったのだ。
かくして、ジョージア謹製のスイーツ、甘み強めの生チョコレートが完成した。
「よし。私がやったように、切り分けたものにまんべんなくこのパウダーをまぶして皿に盛れ。少しだけこっちの小皿にも載せろ」
「分かった」
「盛り終わったら、その生チョコを軍議の差し入れに持っていけ」
「私がか……?」
「ああ。差し入れを口実にすれば中に入れてくれるのだろう? どうしてもダメなら、私の名前を出してバル太を呼んでもらえ。そうすれば、少なくともバル太には会える」
「アサクラ……」
「貴公、それで私にこれを作らせたのか……」
少しだけ目に輝きを取り戻し、ジョージアが完成した生チョコを皿に乗せていく。小皿にも5個ほど取り分けたところで、ジョージアは包丁を置き、ふーっとため息を付いた。
「アサクラ、貴公の気遣いに感謝するぞ」
「感謝なぞいらん。早く持っていけ」
「分かったっ!」
今日一番の元気な挨拶を見せたジョージアは、そのまま生チョコがてんこ盛りに乗った皿を持って、厨房を出て行った。ドアが閉じた途端……
『待っていてくれバル太さま! 今私が推参するぞぉぉおおおお!!!』
というジョージアの魂の叫びが聞こえ、デイジー姫の失笑とアサクラの偏頭痛の悪化を招いた。
厨房に残された二人……アサクラとデイジー姫が二人並ぶ。アサクラはそばの椅子に腰を下ろし、デイジー姫はそんなアサクラを優しい笑顔で見下ろしていた。
「ふぅ……」
「なるほど。今のはバル太への差し入れ兼ジョージアへの気遣いでしたか。いつも許嫁には鬼のように厳しいアサクラも、自分の弟子はカワイイのですねぇ」
「……」
アサクラは答えない。ただうつむき、デイジーと顔を合わせないようそっぽを向く。作業台の上に残っていた自分のお茶を飲み干し、再びため息をついたあと、デイジー姫の顔を見上げてチョコが乗った小皿を指差した。
「お前も帰っていいぞ。それを持っていけ。さっきの礼だ」
「嫌です」
「なんでだ……もう遅いんだから早く帰って寝ろよ」
「私は王族です。誰の指図も受けません。起きたい時に起きて、寝たい時に寝ます」
「こんな夜更けにこんなとこに私と二人でいたと知れたら、スキャンダルだぞ?」
「それこそ言いたい者には勝手に言わせておけばよい。私は何者にも縛られない」
そういってデイジー姫は、作業台を挟んでアサクラの向かいに椅子を持ってきて座った。
「ニシシ」
そして笑う。まるで五歳の男児のように、真っ白い歯をキラリと輝かせながら。
ただ、不思議と今のデイジーには、普段のような凶悪さを感じないアサクラだった。ニシシと笑う彼女の笑顔を見て、ただ困ったように頭をボリボリとかくしかせず、それ以上、彼女を無理に厨房から追い出そうとはしなかった。
作業台の上には、先程ジョージアが盛り付けた生チョコの小皿がちょこんとおいてある。デイジー姫はその生チョコを一つつまみ、そして口に放り込んだ。
「……ん。甘い。アサクラ、褒めて差し上げましょう」
「なにがだ」
「私でも食べられるチョコを作ったことです。よくやってくれましたアサクラ」
「お前のためではない。疲れたときには甘いものが食べたくなる。だからだ」
「またまたぁ〜。許嫁の私のことも頭にあったんでしょ?」
「お前のことなど一ミリも考えてなかったな」
「それはそれで悲しくて泣きますよアサクラ」
「勝手に泣いてろぉ」
そんな軽口を叩きあいながら、デイジー姫は2つ目の生チョコを口に運ぶ。あまりチョコを食べないデイジー姫が自ら進んで食べるあたり、姫はこの生チョコを気に入ったようだ。口に運んだ時の笑顔が、それを物語っている
「んーおいし。好物の一つになりそうですわ。これからちょくちょく作ってくださいよ」
「……機会があればな」
「そういえば、アサクラの好物って聞いたことないですね」
「……」
「アサクラって何が好物なんですか?」
デイジー姫のこの唐突な質問は、アサクラの心には、ずしりと重い質問だった。
アサクラには、その質問にきっぱりと答えられる好物がある。
ただ……
――しかたないのう……そんなにうまいと申すのなら、また作ってやるわい!!
――すまぬ……そなたにおはぎをつくってやることは……もう、叶わぬ……
それをすんなりと答えるには、アサクラの心に負ってしまった傷が、少々大きすぎた。
「……」
「あれ。答えられませんか? 実は好きなものがない寂しい人間だったとか?」
「……」
「まぁ、一つに絞りきれないってのはあるでしょ。明日にでもまた教えて下さい」
そんなアサクラの沈黙を勘違いしたようで、デイジー姫はさして気にする様子も見せず、次の生チョコを口に運んでとろけるような笑顔をアサクラに見せていた。その笑顔は、アサクラがデイジー姫と出会い不毛な争いをはじめてから今日まで、ただの一度も見たことがないほど、自然で美味しそうな、嬉しそうな笑顔であった。
アサクラがこの国に来て……いやこの女、デイジーに出会って、初めて訪れる穏やかな時間だった。アサクラ本人がいささか不自然に感じるほど、穏やかで騒動が起こらないとても静かな時間が、しばらくの間、二人の間に流れていた。
だが、そんな時間がいつまでも続くわけでもなく。
「アサクラッ!!!」
二人の間に初めて流れた静かな時間は、ジョージアの大声で破られた。
「お?」
「ジョージア? どうしました?」
アサクラとデイジー姫は、二人で揃ってドアを見る。先程軍議に生チョコを差し入れに行ったジョージアが、息を切らせて立っていた。会議室からここまで走ってきたのだろうか。額にはうっすらと汗をかいている。
「なんだ。会議室には持っていったのか」
「ああ……ッ」
「ではなぜそんなに慌てている? バル太には会えたのか?」
立ち上がり、ジョージアの元に向かうアサクラ。しかし、自分に向かって伸ばされたアサクラの手をジョージアはパシリと弾き、そして……
「そんなことよりも……ッ!」
「お?」
「貴公は知っていたのか!?」
アサクラの胸に、ドクンと一拍だけ嫌な衝撃が走る。自身の顔から一瞬血の気が引いたことを、アサクラは感じ取った。
「へ? 何をですか?」
デイジー姫がキョトンと二人を見るが、その視線は二人には届かない。
「……何をだ」
「マナハルと一触即発状態らしいではないか」
「へ? マナハルって、東の国の?」
「……」
「私が壊滅させた旅団の件で、マナハル王家と魔法で交渉を行ったそうだ。結果、交渉は決裂したとバル太さまから聞いた。おまけに相手からは『戦争も辞さない』と言われたと」
「それはバル太がお前に話したのか」
「貴公にも伝えてほしいと言われた。この国は戦争に入るだろうと」
「……」
「どうなんだ貴公? 知っていたから、こんなことを私にさせたのか!?」
「……」
「戦争が始まるから、せめてもの餞とかつまらんことを考えたのか!? どうなんだ!?」
その時、開かれたドアの向こうから、夏というにはあまりにも冷たく涼しい風が、厨房に入り込んでいた。その冷たい風は、厨房にいるアサクラとデイジー姫、そしてジョージアの身体を冷たく冷やしていった。
季節は、秋になろうとしていた。
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