10. おはぎ(2)
朝倉には、『亜矢』という名前の幼馴染の女性がいた。歳は朝倉よりひとつ年下。意思の強そうな相手をキッと刺す眼差しが印象的な、つやつやと美しい黒髪の女性だ。
頭領である小田信義の娘であった亜矢は、幼少の頃より朝倉とともに徳山景能から武芸を習い、幼少の頃から朝倉と共に兄妹のように育てられた。
『のうあさくら?』
『なんだ』
『お主、思いを寄せるおなごはおるのか?』
『おらんな』
『ではお主に言い寄ってくるおなごなぞは?』
『それもおらん』
『武芸一辺倒で汗臭いお主なぞ、もらってくれるおなごはおらんだろうなぁああ!! ザマミロあさくらぁぁぁああ!!!』
『お前だって私と同じだろうが! 汗臭いおなごなぞ、貰い手がおらぬぞ!!』
『私は小田家の跡取りぞ? お主が心配せずとも、ちゃんと将来は良き夫と夫婦になるわ!』
稽古のあとのそんな軽口からの口喧嘩が、まだ幼かった二人の、毎日の日課だった。
そんなある日のことだった。その日亜矢は稽古に顔を出さなかったため、朝倉は一人で稽古を行った。
その稽古も終わり、井戸でその汗を流した後。
『あさくら、あさくらっ』
『ん? 亜矢か。どうかしたか』
これから自身の屋敷に戻ろうとしていた朝倉を、亜矢が呼び止めた。台所から朝倉をちょいちょいと呼び止める亜矢は、たすきがけをしていて、額にはうっすら汗をかいている。
『ちょっとこっちくるのじゃ。あさくらっ』
『おわっ!? なにをするッ!?』
『いいからっ!』
そんな亜矢に突然に手を引っ張られ、朝倉は小田家の屋敷の台所に引きずり込まれた。台所には湯気が立ち込めていて、つい今しがたまで、誰かが調理をしていた様が見て取れる。
朝倉は引きずられ、台所のかまどの前に立たされた。一方の亜矢は、朝倉をその場に残すと、そばの調理台にある何かが乗った皿を手に取っている。何事かと朝倉が戸惑っていると、亜矢はその手の皿を後ろ手に隠し、朝倉の元まで戻ってきてニシシと白い歯を見せて笑った。
『のうあさくら? お前は、いつも稽古をがんばっておるのう?』
『おあ? ああ。将来は信義様にお仕えせねばならんし、なにより、朝倉家を再興せねばならんしな』
『立派な心がけじゃ。この私、小田信義の娘である亜矢が、直々に褒めてつかわす』
『お、おう……』
『ほれほうびじゃ! よう味わって食え!!』
そういって、亜矢はニシシとほほえみながら、隠していた皿を朝倉に見せた。その皿に乗っていたのは、2つのおはぎ。2つとも形はいびつで妙に大きく、とても無骨で拙い出来だ。
『これ、亜矢が作ったのか?』
『そうじゃ! 日頃がんばっておるあさくらをねぎらうためにな!』
『……』
『がんばる家臣にはほうびを取らす……これも主君の務めよ! 遠慮はいらぬぞあさくらよ。よう味わって食え!!』
そう言って、亜矢は得意げに笑っている。お世辞にもキレイな出来とは言えないおはぎを、朝倉の前に差し出しながら。
そのおはぎを一つ、朝倉はうやうやしく手に取り、口に運んだ。ばくっと口に入れ、丁寧に咀嚼する。
『どうじゃあさくらっ? どうじゃどうじゃ?』
もっきゅもっきゅとおはぎを咀嚼するその朝倉の目の前では、亜矢がウキウキしながら具合を聞いてくる。グイグイと朝倉に迫り、おはぎを味わう朝倉に強大なプレッシャーをかけつづけながら。
ほどなくして、おはぎを味わった朝倉は……
『……ぶっさいくなおはぎだ』
と吐き捨てるように言った。
『なんじゃと!?』
『ぶっさいくだと言った』
『せっかく……私が作ったおはぎなのに……ッ!!!』
『だがうまかった』
『へ……?』
『こんなうまいおはぎを食ったのは初めてだ。大きくて食いごたえもある。また食いたいな』
『そっか』
『また作ってくれないか? この、ぶっさいくだが旨くて亜矢らしい、とてもうまいおはぎ』
『……』
朝倉自身は、特に他意もなく、素直に感想を述べたつもりだった。稽古のあとで腹が減っていたというのもあったのかもしれないし、疲れたときは、甘いものが食べたくなる。
しかしそれを差し引いても、朝倉にとって、亜矢が作ってくれたこのおはぎはうまかった。みかけは無骨でぶっさいくだが、あんこの甘さはちょうどよく、ごはんとのバランスも抜群に良かった。だから、また食べたい……朝倉は、そう思ったのだ。
そんな素直な感想を聞いた亜矢はほっぺたを赤く染め、顔中をほころばせた。
『なぁ亜矢よ』
『!? な、なんじゃ!?』
『顔真っ赤だぞ』
『……ッ!?』
朝倉に指摘され、亜矢は慌てて後ろを振り向く。そのため、朝倉からは彼女がどんな顔をしているのかがさっぱりわからない。
『う、うるさいたわけめっ!!』
『?』
『し、しかし……しかたないのう……そんなにうまいと申すのなら、また作ってやるわい!!』
『ホントか! ありがとう!!』
『し、しかしあさくらよ! 一つだけ約束じゃ!!』
『ほ?』
『もし、私のおはぎを食べたいのなら、ずっと私のそばにおれ! 私の父に仕え、常に私をとなりで支えよ!!』
『……まぁ、かまわんが』
『ほ、ホントか……?』
『どちらにせよ今も似たようなものだし、多分ずっとこうだ。だから、たとえお前が嫌だと言っても、私はお前のそばにずっといることになると思うぞ』
『そっか……そっか……!! では、またお前におはぎを作ってやらねばな!!』
『ああ。うまいおはぎを頼む』
『ふふ……そっかぁ〜……あさくらは、私の隣にいてくれるか……』
『亜矢?』
『ニシシ……』
『?? ???』
こうして二人は、終生の主従を誓い合った。これは、2人が大人になり、朝倉が小田家家臣団の一員となった後も、ずっと続いていた。
それは、ある日の長い軍議が終わった後のことだった。頭領の小田信義の粋な計らいで、その日、小田家の屋敷にて、家臣団全員に最高級の落雁が2つ振る舞われた。
だが、朝倉に振る舞われたものだけは、皆と違っていた。
「……朝倉よ」
「なんだ」
「なぜ、お主の菓子は落雁ではないのだ」
「……」
家臣団になった朝倉の親友、今河正澄が朝倉に問いただす。13人いる家臣団の中でただ一人、朝倉だけは落雁ではないからだ。
朝倉の目の前の膳に並べられている菓子……それは、一つが手のひら大ほどの大きさのある、えらく形が不格好なおはぎが2つだった。
「……これが、私への褒美のようだ」
目の前のおはぎを、朝倉はじっと見つめる。食べなくても朝倉には分かる。このおはぎは、亜矢が作ったものに違いない。この、えらく大きくてぶっさいくだが……見ているだけで、亜矢の笑顔が目に浮かぶおはぎは。
「ほう……朝倉」
「ん?」
「顔をあげよ。障子のところだ」
朝倉は顔を上げ、閉じられた障子を見た。正澄も障子を見た。障子はほんのりと隙間が開いていて、その向こうでは……
「じー……」
亜矢がこちらを覗いて、じっと息を潜めていた。朝倉を見つめ、いつおはぎを食べるのかが、気になって仕方がないのだろうか。
「「……」」
「じー……」
「……なぁ朝倉」
「なんだ正澄」
「はよう食ってやれ。姫のあの様子、見ておれん……」
半ば呆れ気味に正澄がそう促す。朝倉が仕方無しにおはぎを口に入れたところで、障子の向こうの亜矢が『ふぁ……』と声を上げていた。
「もっきゅもっきゅ……」
朝倉は丁寧に咀嚼する。そして充分に味わった後、
「……うまい」
朝倉はそう口ずさみ、満足そうにうなずいた。表情も自然とほころんでいる。
「満足げだなぁ朝倉よ」
「実際にうまいからな。見てくれはぶっさいくだが」
「羨ましい限りだ」
「正澄も一つ、食ってみるか?」
「……いらん。俺が食っては、姫に申し訳が立たんでな」
「遠慮せず食えばいいだろう。あいつに義理立てしてもどうにもならんぞ」
「お前はそう言うがなぁ……見てみろ朝倉」
正澄は顎を動かし、障子の向こうを見るように促す。朝倉も素直に障子の向こう……亜矢の様子を伺うと……
「むふー」
「……」
「……」
「あさくらっ。今日も私のおはぎを食って、笑うてくれたっ。むふー」
こんな感じで、満足げにうなずく亜矢の笑顔があった。おそらく、亜矢本人は、自分の姿が2人に丸見えなのは気付いていないのだろう。鼻の穴を広げてそこから水蒸気をぷすーと吹き出さん勢いの亜矢は、これ以上ないほどの間抜け面に、朝倉には見えた。
「間抜け面だなぁ……」
「姫があのような顔をしている以上、そのおはぎは朝倉が全部食うべきだ」
「気にせんでもいいだろうに……」
「時に朝倉。お主と姫は、幼馴染と聞くが」
「腐れ縁でな。あの頃から私にはよくおはぎを作ってくれる」
「……喜べ朝倉」
「何をだ」
「小田はもちろん、朝倉も安泰だ。朝倉家の再興が悲願であるお主には、朗報であろう」
「言ってる意味がさっぱりわからん……」
「だとしたらお前は、朴念仁というやつだな」
「うーん……」
二人の視線が、自然に障子の向こう側へと向かう。
障子の向こう側からは……
『姫! 小袖でそのように小走りされるとは、はしたないですぞっ!!』
『んふふ~ あさくらがっ! 今日も笑顔でうまいと言うてくれたのじゃ~』
そんな、亜矢の楽しげな声とドスドスという足音、そして小姓だろうか……亜矢を窘める者の声が聞こえている。
朝倉がフと隣を見ると、正澄が意味深にほくそ笑んでいた。
「なんだ正澄……」
「いや、姫お手製のおはぎは、さぞうまかろうと思ってな。ニヤニヤ」
「……」
意味のわからない正澄のニヤニヤ顔に、朝倉は、ただ不快な気持ちを大きくさせるだけだった。そんな、幼馴染と親友に恵まれた充実した毎日を、朝倉はヒノモトで過ごしていた。
これは故郷ヒノモトでの、朝倉にとって懐かしく、少し苦い思い出である。朝倉がこの地を捨てるのは、それからしばらく経って勃発した、西の有力大名の泉澤との戦の後の話となる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます