記憶

 慶、佐奈、僕、そして香帆かほ

 高三の一年間は、この四人でそのほとんどの時間を過ごした。

 慶は佐奈と、僕は香帆と付き合っていた。

 慶は今も佐奈と仲良くやっているみたいだが、僕と香帆は違った。

 高校を卒業して少ししたある日、唐突に「別れよう」と告げられた。

 理由も言ってくれず。

 別れたくなんてなかった。でも、もし彼女にとって僕は負担にしかなっていたかったらと思うと……僕は潔く引いた。

 香帆とはそれっきりだった。

 それが今、こんな場所で会うなんて。


「なんでここに…」

 突然声をかけてきた香帆に、僕は戸惑いを隠しきれなかった。

 別れた後は、連絡も一切してこなかったのに。

「あの、お尋ねしたいのですが」

「お尋ねって…」

 香帆の態度や口調はまるで他人に対するそれだった。

 まさか半年やそこらで付き合った相手の事を忘れたとでも?

「香帆、だよな」

 そう確信していた。声も顔も香帆そのものだ。

「……いえ、人違いでは?」

 言葉が出なかった。気まずいから他人のふりをしているのかとも思ったが、そんなことをするなら、そもそも話しかけてはこなかったはずだ。

「あ、すいません。人違いだったみたいです…。それで聞きたいことって?」

 笑顔で包み隠した。平静を装った。

 どう見たって香帆の顔…だけど僕は、この女性は香帆ではないと、そう思い込むことにした。

 そうでもしなきゃ、困惑から他人には見せられないような顔になっていたはずだ。

「〇×駅ってどこですか?スマホで地図見てたんですけど迷っちゃって」

「そこなら丁度帰り道にあるので案内しますよ」

 そうして僕は見知った顔の、知らない彼女と少しだけ時間を共にすることにした。

 香帆と歩いた思い出の道を、そっくりな別人と共に。


「香帆さんって…そんなに私に似ていらっしゃるんですか?」

「え、ええ…まあ」

「お友達ですか?」

「まあ、そんなところです」

 彼女は笑った。作り笑いだ。僕が答えに困ったことを悟っただろうか。

 どうにも香帆にそっくりな彼女を相手にすると、別人だと分かっていても歯切れが悪くなる。

 そもそも香帆について話しているのだから、それも仕方のないことなのだが。

「遠くから来たんですか?」

 うまく話題を変えたつもりだが、少し強引だったか。

 しかし彼女はそれ以上、香帆については何も聞いてこなかった。

「近いような…遠いような…」

 「なんですか、それ」

 僕は思わず笑ってしまっていた。

 彼女は空を仰いでいた。故郷の事を思ったのかもしれない。

 それから間もなく駅に着いた。


「わざわざありがとうございました」

 頭を軽く下げた彼女の右耳には、花形のピアスがついていた。

 そのピアスが夕日を反射して小さく光った。

 父から早く帰るように言われていたのを、完全に忘れていた。もう夕方だ。

「ついでですから、気にしないでください」

 それだけ言って、彼女と別れた。


 今思えばきっと、他人の空似だったのだろう。


 雰囲気が似てただけ。


 香水の匂いが似てただけ。


 あの場所に立っているというだけで、あの姿を重ねてしまっていた。

 ただそれだけなのだ。

 

 雪は止んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る