過去と今

 恋愛は惚れたほうの負けらしい。

 その点でいうなら僕はあの時、敗者だったに違いない。


 季節外れの海岸沿いを、体を震わせながら歩いては回顧する。

 記憶がスイッチ一つで消去できるなら、とっくに僕の高校時代の記憶はなくなっている。

 忘れたいのに忘れられない記憶、思い出。忘れられない人。

 考えたくなんてないのに、気が付けばまた…。


 堂々巡りの僕の思考を遮るように、携帯が着信を告げた。

 父からだった。

 「今日は家族三人で外食に行くことになったから、早めに帰ってくるように。」という旨の連絡。

 以前までの父なら外食なんて行きたがらなかったし、行ったとしても渋々だったはずだ。家族サービスなんて言葉はあの人の辞書にはなかった。

 少なくとも今は違うらしい。電話口での父の声を聴いて、確信した。

 口にはしなかったが、母さんの退院を祝いたいのだろう。

 恋愛は惚れたほうの負け。その方程式に照らし合わせるなら、僕の両親はどちらも敗者なのかもしれない。


 帰り道、タクシーの中でそんなことを考えながら外の景色を眺めていた。

 そうしながら、いつの間にか眠ってしまっていた。

「お客さん、着きましたよ」

 運転手の声で目を覚ます。

「どうも…」

 まだ寝ていたいという思いをこらえて、目を擦る。

 しかし辺りを見回すとそこは、目的地とは異なる場所。僕の知らない場所だ。

「ここじゃないみたいなんですけど…」


 よくよく話を聞くと、ここは僕の家のすぐ近くの場所だった。

 僕が伝えた目的地は家の近くのコンビニだったのだが、半年前に閉店したらしい。

 その他にも見たことのない店や家、道などができたみたいだ。

 しばらく見ない間に、そこは僕の知らない景色になっていた。

 タクシーを降りた僕は、すこし周辺を散策することにした。


 いろんな記憶があったはずの場所に、その面影はなくなっている。

 学校の帰りに友達と寄り道したコンビニもなくなっていたし、他愛のない会話を楽しんだ通学路も見違えるように、きれいに整備されていた。まるで初めて通る道だ。

 ひまわりの花壇も、近道に使った畦道も、きれいに無くなっている。

 思い出がリセットされていくかのような、奇妙な感覚だ。

 まるで…この街から、僕が消えていってるみたいだ。


 そのあと少し気になって、僕はとある場所…というか道を歩くことにした。

 自分でもおかしい奴だと思うが、歩きたい道というのは高校からの帰り道だ。

 もちろんただの帰り道ではない。僕が惚れた最初で最後の人と歩いた道だ。

 彼女を家まで送って帰るのは遠回りだったが、それは苦痛ではなく、幸せを感じられる時間だった。

 あの道を歩きたいと思ったのは、なんとなく感傷に浸りたいという思いと、あの道も変わってしまったのではないか、という不安からだった。


 ――変わっていなかった。


 あの頃のままだ。思い出しながらふと天を仰ぐと、雪が降りだしていた。

 ちょうどあの頃も、こんな肌寒い季節だった。

 もう一年経ったのか。

 この道を歩くのも、これで最後にしよう。


「あの…」


 思い出に別れを告げようとしていた時だった。

 空をずっと見ていたから気づかなかったが、正面に人が立っていた。

 今一番会いたくない女性ひとだった。

「香帆……?」


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