くまごろうさん
「チカちゃん、お誕生日おめでとう!プレゼントだよ」
お父さんが持っているのは、大きなクマのぬいぐるみ。まだ小学生になったばかりのチカちゃんと同じぐらいの大きさがあります。
「うわぁ、可愛いぬいぐるみ!ありがとう、大切にするね!」
チカちゃんはそのクマのぬいぐるみを抱きしめて嬉しそう。
「良かったわね、チカ。ほら、せっかく用意したお料理が冷めちゃうわ。食べましょう」
「はーい!わぁ、おいしそうなケーキもある!!」
今日はチカちゃんの誕生日です。
いつもはお仕事で忙しいチカちゃんのお父さんもお母さんも、今日は仕事を休んで一緒にチカちゃんの誕生を喜んでくれる。それだけでチカちゃんは嬉しいのです。
「今日からこの子と一緒に寝るんだ。そうだ!名前をつけよう!!」
チカちゃんはクマのぬいぐるみの顔をじっとみつめて、しばらくウンウンうなっています。
「よし、君の名前は今日からくまごろうね!よろしく、くまごろう!!」
チカちゃんはくまごろうをぎゅっと抱きしめます。お父さんもお母さんもそんなチカちゃんの様子を見て微笑んでいます。
ここに、とても温かい家族の形が一つ。
そんな家族を外から眺める影がありました。
「良いものを見た。可愛い子だなぁ」
もそもそと動く黒い影
「俺は人が怖がったり、悲しんだりする顔が大好きだ。それほど力のある霊ではないが、あんな小さい子ならこの俺でも驚かす事が出来るだろう。よーし、今日はたっぷり怖がらせて楽しむとするか」
黒い影は窓の隙間からチカちゃんのお家に入っていきます。
はしゃぎ過ぎたのか、誕生日会が終わった後チカちゃんはすぐにベッドに行き寝てしまっていました。
スウスウと寝息をたてるチカちゃんのすぐ横まで影が忍び寄ります。
「良く寝てるな。よーし、さて、どうやって驚かせるか」
影はあたりを見回します。すると、チカちゃんのすぐ横に置いてある、くまごろうが目につきました。
「そうだ。こいつに乗り移って驚かしてやろう」
影はくまごろうに近づくと、そのままくまごろうの中に入っていきました。
「よーし、よし。憑依完了だ。どれどれ少し動かしてみるか」
影はくまごろうを動かします。
「腕も足も短くて重くて動かしにくい……。なにより、お腹がデカ過ぎてしんどい。早く出たい……」
影はため息を一つつきます。
「まあ、せっかく憑依したんだ。この子を怖がらせて泣き顔見ないことには帰れない」
影は気を取り直して、チカちゃんの方を向きました。
「幸せに眠れるのは今だけだぞ。すぐに泣き顔にしてやる。ひっひっひ」
影がチカちゃんにもっと近づこうとした時でした。
「くまごろう」
チカちゃんがくまごろうを掴んで引き寄せます。
「おいちょっと、起きたのか?俺に気が付いたのか?」
影は焦りますが、うまく、くまごろうを操れないので、チカちゃんにされるがままです。チカちゃんはくまごろうを抱きしめます。
「くまごろう。ふかふかで気持ち良いなぁ」
さらにチカちゃんはくまごろうを引き寄せます。
「顔が近い。かんべんしてくれ~」
チカちゃんの吐息が影にかかります。
「くまごろう大好きだよ。どこにも行かないでね」
「……」
影がチカちゃんを見ると、チカちゃんは目をつむって寝息をたてています。
「なんだ。寝言かよ……」
影は少しホッとしましたが、チカちゃんに抱きしめられているという状況は変わりません。影の力じゃくまごろうを上手く動かせないので、チカちゃんから逃げることも出来ません。
「困った。こんなことになるとは。もう、このぬいぐるみから出て帰るか」
影がくまごろうから出ようとした時です。
「うーん、くまごろう……?」
チカちゃんが目を覚ましました。
「……」
影は無言でやり過ごそうとします。そのうちまたチカちゃんが寝てしまったら、その時このぬいぐるみから出ていこうと思いました。
「くまごろう、何かしゃべってた?」
チカちゃんはくまごろうに話しかけます。
「……」
「くまごろうって、しゃべれるの?」
「……」
「ねえ、くまごろう。しゃべれるなら何か返事してよ」
影は、チカちゃんがあきらめて早く寝てくれないかと思っています。
「くまごろう……」
チカちゃんは悲しそうな顔になりました。目には涙が浮かんできます。
「そうだよね。ぬいぐるみがしゃべるわけないよね」
チカちゃんはくまごろうを離して、自分の横に丁寧に置きました。
影は解放されたことにほっとします。助かったとも思いました。これで、このぬいぐるみから出て、こいつともおさらばだ。やっぱり俺は弱い霊。こんな小さい子すら驚かせないんだ……。
「くまごろう。ちょっとお話聞いてくれる?」
いつの間にかチカちゃんは起き上がって、ベッドの横に座っています。まっすぐにくまごろうを見つめながら。
「私ね。今日の誕生日とっても楽しかったんだ」
チカちゃんはにっこり笑います。
「だってね。いつもお仕事でほとんど家にいないお父さんもお母さんも、今日は家にいてくれて、一緒に夕ご飯を食べてくれたんだ。私の誕生日だから。私のためにだよ」
チカちゃんはくまごろうの手のひらを握りながらお話をします。
「本当は私、お父さんとお母さんともっとおしゃべりしたいんだ。だけど、お仕事で忙しくて。たまにすっごくイライラしてる時もある。そういう時は、ご飯を食べるお箸がカチカチ鳴ったり、コップを置く音が大きくなったり、ため息が多くなったりするんだ。お父さんもお母さんも笑わなくなる。笑ったらすっごく優しいお父さんとお母さんなんだけどね」
チカちゃんがくまごろうの手のひらを握る力が少し強くなりました。
「私がお父さんやお母さんともっとお話がしたいって言ったら、きっとお父さんもお母さんも困ってしまう。だって、お父さんやお母さんは、この家族が幸せになるためにとっても頑張ってるんだもん。もしも、私がわがままを言ったら、お父さんやお母さんが私のわがままを聞いたら、この家族がダメになっちゃうかもしれない。それは嫌なんだ。私はこの家族が、お父さんやお母さんが大好きだもん。だから、少しは我慢しなくちゃいけない」
パタパタとチカちゃんはくまごろうの腕を握って、優しく動かします。
「でも、やっぱり、少し寂しくて、そんな時お母さんに言われたんだ。今年の誕生日プレゼントは何が良いのって?私すぐに答えたの。お話が出来るお友達が欲しいって。そしたら、今日、くまごろうがお家に来たの。とっても嬉しかった」
チカちゃんはくまごろうの腕をパタパタするのをやめ、くまごろうの肩を持って引き寄せました。
「ねえ、くまごろう。私のお友達になってくれる?私とたくさんお話してくれる?」
チカちゃんはくまごろうを抱きしめました。
「私、何を馬鹿な事言ってるんだろうね。ぬいぐるみが、しゃべるわけないのに」
チカちゃんの声は震えています。チカちゃんの涙がくまごろうの大きなお腹に落ちました。
「おい、泣くんじゃねえよ」
影はくまごろうの腕を動かして、チカちゃんの涙を拭きました。チカちゃんはびっくりして固まっています。
「くまごろう……?」
「そうだよ。くまごろうだ。お前が欲しかったお話が出来るお友達だよ」
「本当?本当に、くまごろうがしゃべってるの?」
影はくまごろうの手や足を自分の持てる力で精一杯動かしました。
「そうだよ。俺がしゃべってる。聞こえてるだろ?」
チカちゃんはほっぺたをつねりだしました。
「夢だったら、痛くないはず。痛い!」
影はくまごろうの腕を動かし、チカちゃんのほっぺたを撫でてあげました。
「そりゃ痛いよ。夢じゃないもの。ありゃりゃ、可愛いほっぺたが赤くなっちゃったじゃないか」
「本当にくまごろうがしゃべってるんだ……」
チカちゃんはくまごろうをしばらく見つめました。
「どうした?どうみても可愛いくまのぬいぐるみ、くまごろうだろ?」
「くまごろう!!」
チカちゃんはくまごろうに飛びつきました。ぎゅっと抱きしめて、その大きなお腹に顔を押し付けます。泣いているようです。
「私、ずっと寂しくて、お父さんやお母さんは忙しくてあまりお話してくれないし、新しく行き始めた小学校でも、なかなかお友達が出来なくて……。私が人に話しかけるのが下手だから。でも、お友達とはお話したいの。一人ぼっちは嫌なの!」
チカちゃんは本格的に泣き始めました。影はくまごろうの手を使ってチカちゃんの頭を撫でます。
「そうか、寂しかったんだな」
影は優しくチカちゃんの頭を撫で続けます。
「でも、もう寂しくないんだ」
チカちゃんが顔を上げました。
「だって、くまごろうが来てくれたから」
チカちゃんがくまごろうの目を見つめます。チカちゃんの目を見た影は、この子はとてもきれいな目をしているなと思いました
「くまごろう。私のお友達になってくれる?」
チカちゃんがそうたずねます。
声も小さくて、少し震えていて、不安そうな顔。勇気を出して言った言葉だということが影にもわかりました。影は少しだけ考えます。ここで「いいよ」と答えてしまうと面倒くさいことになると。だけど答えはすぐに出ました。
「当たり前だろ。チカの友達になるために来たんだ。こちらこそよろしく、チカ」
「ありがとう、くまごろう!よろしくね!!」
真っ赤な目をしていましたが、チカちゃんはここ最近で一番の笑顔になりました。影は少し恥ずかしくなります。本当は、小さい子を怖がらせて楽しむ、悪くて、でも力の無い弱い霊の自分が、こんなことをしてるなんて。人を笑わせているなんて。
「ねえ、くまごろう。少しお話しない?」
「良いけど、もう夜も遅い。明日も学校だろ?本当に少しだけだからな」
「ありがとう」
それからチカちゃんと、くまごろうになった影はお話をしました。それは「初めての学校の給食がカレーライスだった」とか「私、玉ねぎが嫌いで残しちゃった」とか「くまごろうは嫌いな食べ物ある?」とか。
「ぬいぐるみがご飯食べるわけないだろ」
そういうとチカちゃんは
「それもそうだね」
と言って笑いました。影もつられて笑います。そんなどうでも良い、だけどチカちゃんにとってはとっても大切なくまごろうとのおしゃべりをしていると、空が明るくなってきました。もうすぐ朝が来ます。
「もう朝が来る。お話も終わらないとな」
「そうだね」
チカちゃんは少し寂しそう。
「そう悲しそうな顔するなって、毎日は無理でも、たまになら、こうしてお話に付き合ってやるからさ」
「本当?」
チカちゃんの顔がパッと明るくなりました。
「本当だ。そのためにこの家に来たしな。ただ、学校でもお友達を作るんだぞ。今日、俺に話したみたいにすれば、チカなら絶対に友達が出来るって」
「本当かな?」
「ああ、本当だ。チカなら出来る。チカが笑うと、とても可愛いしな」
「ありがとう」
チカちゃんは少し恥ずかしそうです。顔を赤くして下を向きます。
「またお話しようね」
「ああ、いいとも」
「絶対だよ」
「ああ」
チカちゃんはベッドに横になります。影はくまごろうの腕を使って、チカちゃんに掛け布団を掛けてあげました。
「お休み、くまごろう」
「お休み、チカ」
すぐにチカちゃんはスウスウ寝息をたてはじめました。
「チカ、チカちゃん!起きなさい!学校に遅刻するわよ!!」
チカちゃんが気がつくと、お母さんがすごい顔をして大声を出しています。慌てて時計を見ると、もう学校に行く時間が近くなっていて、チカちゃんは飛び起きました。
でも、まだ寝ていたい感じもします。だって、昨日はあれだけ夜遅くまで起きていたから。
くまごろうの方を見ます。くまごろうは夜のようにお話はしてくれなかったけれど、チカちゃんに笑顔を向けていて、それにつられてチカちゃんも笑顔になりました。
「早く支度して。お母さんも出ていかなきゃいけないの」
「お母さん、お父さんは?」
「もうお仕事に行きましたよ。さあ、早く朝ごはんを食べて」
バタバタとチカちゃんの部屋を出ていくお母さんに続いて、チカちゃんも子供部屋を出ます。
リビングに来ると、昨日の夜にはごちそうや誕生日ケーキが置いてあったテーブルはすっかり片付けられていて、今は食パンと牛乳が置いてあるだけです。楽しかった誕生会があった事なんか夢のようで、チカちゃんは少し寂しい気持ちになります。
でも、チカちゃんは昨日、大切なお友達が出来て、それは夢なんかではありません。
チカちゃんは、イチゴジャムを塗った食パンをかじり、牛乳を飲んで一息ついた後に言いました。
「お母さん」
「何、チカちゃん?」
お母さんがチカちゃんの方を向きます。チカちゃんはお母さんの目をしっかり見て、にっこり笑って言いました。
「くまごろうをありがとう」
「どういたしまして」
お母さんもにっこり笑いました。
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