アンビバレントマインド

「あれ?」

 仕事の帰りに寄ったコンビニで焼きサバ弁当を買った。いつもは節約も兼ねて家で自炊をしているのだが、その日はとても疲れていて、家に帰って何かをする気が起きなかったから。

 家に帰り、服を着替えて、テーブルにつき、そのコンビニで買った弁当を食べようとした時に気がついた。弁当の蓋が溶けて穴が空いている。

「あちゃー」

 穴から何もこぼれないように、ゆっくりと弁当をレジ袋から出してテーブルに置いた。空いた穴からこの弁当の主役の焼きサバが顔を出している。

 電子レンジで温めすぎたのだろう。焦った様子で僕の弁当箱を電子レンジに入れるおばちゃん店員さんを思い出す。

 あの時間帯は僕のように仕事帰りの人や、部活動を終えた学生達で混み合う時間帯で、レジに並ぶ僕の後ろには長い列が出来ていた。

 スーパーやドラッグストアに行けばもう少し安くて色々な種類の品物が置いてあるのに、なぜ人々はコンビニに行くのか?

 その答えは簡単で、コンビニは早いからだ。品数が少ないので自分の欲しい物がすぐに見つかり、購入するまでの対応もコンビニ店員さんの方がスピーディーだ。

 忙しい現代、人々は金を払ってでも時間が欲しい。だからコンビニに行く。みんながみんなそうだとは思わないけれど、少なくとも僕はそうだ。

 だからレジに並ぶ人を待たせては行けない。人は期待を裏切られると理不尽に怒り出す。怒る事で問題の解決がさらに遅く困難になるにもかかわらず人は怒ってしまう。

 その事を、コンビニ店員のおばちゃんは知っている。お客さんが自分のイライラを発散させるためだけに苦情を入れられると、さらに他のお客さんを待たせてしまう。待たされるお客さんはイライラ。イライラの連鎖の誕生だ。それだけは避けなくてはならない。

 あのおばちゃん店員はそんなプレッシャーにさらされて焦っていた。額に汗を光らせながら僕の弁当を電子レンジに入れた。ちゃんと正しいボタンを押したかも怪しい。いつも慣れている事だからいちいち確認しない。流れ作業でやっていた。

 だから、こうなったのも仕方の無い事なのだ。

「どうしようかなぁ」

 僕は溶けた弁当箱の蓋が張り付いた焼きサバを箸で突きながら考える。苦情を言いに行った方が良いのだろうか?「こんなことを二度とするな」って。その方が同じ失敗を繰り返さないし、お店のためになるだろう。

「でもなぁ……」

 僕はどうしても苦情を言う事はしたくなかった。

 人は誰だって失敗するものだし、あのおばちゃん店員だって、わざとやったわけではない。一生懸命にやった結果こうなったのだ。自分だって失敗する事がある。だから、他人の失敗も許せる人間にならなくては。

 そう考えて、僕は焼きサバに張り付いた溶けた弁当箱の蓋を丁寧に取り除いてゴミ箱に捨て、ちょっと遅めの晩ご飯を食べ始めた。

 よく人に言われる。「あなたは優しい人だ」って。そりゃそうだ。僕は出来るだけ人の事を考えて、人に優しくするようにしている。だから「優しそうな人」と思われるのは当然だと思う。

 誰も、僕の本心を見ていない。外面だけを見てその人の全てを知った気になっている。それはある意味では正しい事なのだろう。人と関わる時なんて外面だけで十分だから。

 僕の優しさの源は、自分を守りたいという強い気持ちだ。自己愛。いや、もっと醜く汚い言葉がふさわしい、自己中心的な、もっとどす黒いものだ。

 今、この世の中は「優しい人」が良い人だと思われて好かれる。逆に優しくない人は人から嫌われる。

 僕は嫌われたくない。だから、努めて優しい人であろうとする。他人の事を思いやろうとする。

 昨日駅のホームで重い荷物を持ち、必死の形相で階段を登るお婆さんを見つけた。僕はすぐにそのお婆さんを助けた。別にお婆さんを助けたかったわけではない。その時、僕の隣に彼女がいたからだ。僕は彼女から「優しい人」と思われて好かれたかった。だからお婆さんを助けた。自分の好感度を上げるためにお婆さんを利用したのだ。

 その目論見は成功し、彼女は僕の顔をうっとりした目で見て言った「あなたは優しい人だね」と。

 そりゃそうだ。僕はそう演じたのだから。

 助けたお婆さんに「優しい若者だね。ありがとう」と言われた時には少し胸が痛んだ。僕は自分のエゴのためにあなたを利用したんだ。お礼を言うのは僕の方だ。もちろん、そんな事を口には出さないで、笑顔でお婆さんに「どういたしまして」と言った。最後まで良い人を演じきらなくてはいけない。

 そう言う損得感情で僕は人に優しさを振りまいている。本来の自分はそんな優しい人ではない。周りに誰も人がいなかったらあのお婆さんを助けていたのかも怪しい。仮に、今の世の中がお婆さんに酷い事をするのを良しとする世の中だったら、僕は彼女の前で躊躇無くお婆さんを階段から突き落とすだろう。

 そんな僕を知ったら、周りのみんなは僕を軽蔑するだろうか?

「ははっ、馬鹿な事を考えているな」

 考えても仕方の無い事だ。僕の本心を周りの人が知る事は絶対に無いのだから。

 焼きサバをかじる。溶けた弁当箱の蓋の味はしない。いつものサバの味だった。

 今回、苦情を言わないのも本当はそうやって自分の利益を考えての結果だ。コンビニの店員に苦情を言っている僕を誰かが見ていたらどうする?それだけで今まで苦労して僕が積み上げてきた物が壊れてしまう。

 それに、苦情を言う事自体が面倒臭いし、無駄な体力や時間を使ってしまう。怒ってイライラしたく無いし、人の苦しむ顔を見たいと言う欲は無い。

 結局、自分を第一に考えた時、この件は気にしないというのが一番の正解なのだ。

 こんな自己中心的な僕の優しさを誰かが笑うだろうか?笑いたければ笑うが良い。これが僕の人生を生きる戦略なのだから。

 誰だって、その人なりの戦略を持っているだろう。それに優しい僕で誰かが迷惑を被る事は無い。だったらこれで良いんだ。

 そうやって僕は、外用に作った優しさの仮面を身につける事に対する言い訳を考え、心の中に湧いてくる違和感に蓋をする。この蓋が溶ける事は無いだろう。

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