紫色のアロマキャンドル

 ああ、今日もまた……。

 陰鬱な気持ちで、私はマッチに火をつける。マッチがこすれる音と共にこの暗い部屋に小さな火が灯る。

火薬の匂いに顔をしかめる。マッチの先端に灯る小さな火をしばらく眺めてみた。とても小さく、この部屋を照らすにはあまりにも弱い火。しかし、それに触れると思わぬ反撃を食らうことを私は知っている。

 火は見た目よりも優しくない。

 その火が私の指先にまで登ってこないうちに、使いかけのアロマキャンドルに移した。マッチの先端から新たな住処に早い者順に火が引越しをする。

 しばらくマッチの火をアロマキャンドルの芯に当て続ける。やがて、アロマキャンドルの先には十分すぎる火が灯った。これ以上はマッチの先端からアロマキャンドルへ移れない。マッチに残った火は、しばらく先端でもがいた後、消えていった。

 しばらくアロマキャンドルの火を見る。火が揺れるのを見ると癒し効果があるらしい。なんとかのゆらぎのおかげだと、テレビか何かで知った。その情報を信じて、ここ数日アロマキャンドルに火を灯して見つめることをやってみたが、効果らしいものは実感出来なかった。

 別に具体的に何か嫌なことがあったわけではない。でも、満たされない気持ちでいっぱいだった。自分の知らない小さな小さな嫌が集まって、大きな不満になっているような気がする。蛾一匹だとちょっと気持ち悪いぐらいで済むが、大量の蛾が光に集まっているのを見ると、背筋がぞっとする気持ち悪さになる。そんな感じ。

 マッチ箱から新しいマッチを取り出す。擦って火をつける。手元に出来る小さな太陽。これでも立派な太陽なのだ。しかし、その火では私は照らせない。私を温める事は出来ない。火に息を吹きかけて消す。

 今日は何があったっけ?

 そうだ。まず朝の出勤時間、電車の中、座っている私の足を前に立っている男の人が踏んだっけ。踏んだことに気が付いているくせに知らないふりをして謝りもしなかったな。別に良いけどさ。

 マッチ箱から新しいマッチを取り、火をつける。しばらくマッチの火を見つめる。手元にどんどん登ってくる太陽。それが私の指先に触れる前に息を吹きかけ、消す。

 その次は何があったっけ。あっ、そうだ。お昼のお弁当。気分転換に、会社の外の公園のベンチに座って食べようとした。そしたら大好きな唐揚げを落としてしまったんだ。たった一つしか入れていない、その日一番のごちそうを。

 地面に落ちた唐揚げをしばらくぼーっと眺めていると、ハトが寄ってきて食べようとした。ハトが油物を食べるあんまりと良くないだろうし、糞の問題で他の人に迷惑かけたらダメだと思い「ごめんね」って謝りながら片づけた。

 新しいマッチを取り出す。そして火をつける。擦り方を失敗して、火薬の匂いのする煙が顔にかかる。反射的に火を吹き消してしまった。

 その次は……。仕事で失敗して上司に叱られたんだ。お客様への対応を間違えて、お客様を怒らせてしまった。それと同時に上司も怒らせてしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。私のせいで。会社帰りにお酒を飲みに連れていってくれたから救われた。私はお酒は飲めないんだけどね。

 マッチを擦る。今度はちゃんと点けられた。自分の手で火をゆらゆら動かしてみる。私の手の動きから少し遅れて火が揺れる。その感覚が不思議だった。

 帰りの電車、あと少しで一本早いのに乗れたのにな。目の前で扉が閉まった。「駆け込み乗車はおやめください」だって。駆け込むチャンスすらなかった。ちょうど良いタイミングで扉がしまる。最初からこの電車には乗れないかのように。

 マッチを擦る音だけが部屋に響く。寂しいとは思わない。むしろこの静寂が心地良かった。

 コンビニ。家の近くまで帰ってきて、無性にチョコレートを食べたくなって寄ったコンビニ。あと1円あれば値段ちょうどで買えたのに、結局千円札を使うはめになった。私の野口。お財布が小銭でいっぱいになってしまった。

 今度は3本同時にマッチを擦ってみた。一本の矢では弱くても三本の矢だと折れないみたいな話あったな。三本のマッチの火は一本の時よりは大きく力強いが、私の一息で消え去った。

 後は、その後は、家に帰って来てチョコレート食べて、アロマキャンドル付けたんだっけ。良く考えてみると、そんなに悪いことは無かった気がする。どうでも良いような。だけど、今思い出した以外にも色々あったから、こんなに疲れてるんだろうな。

 私はアロマキャンドルの火を消した。あんまり早く消し過ぎると良くないとは聞いたが、私にはもう必要ない。私は鼻歌を歌う。暗い部屋に私の寂し気な鼻歌だけが響く。

「明日も頑張ろ」

 そう思った。

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