訪問

「しばらくお待ちください」


 あなたを応接室に案内した男は猫のような眼をしていた。彼が深々とお辞儀して退室するのを見送って、しばらくすると、ふと急に寂しくなった。真昼で窓の外は明るいが、その対比で、室内が薄暗く見えるせいかもしれない。なんだか、広々とした応接室の空間は、外界と別のものであるように思えてくる。

 あとから年配の女性が入って来た。紅茶を卓に置き「今日は良いお日和ですわね」と言う。あなたは「そうですね」とだけ答えた。気がつくとその女性もいなくなっている。

 タデウシュ氏はなかなか現れなかった。たぶん鳥を飼っているのだろうが、どこかの室で啼く声が聞える。あなたは懐からタデウシュ氏の手紙を取り出し、何度も読み返した。とにかく当面の生活費だけでも工面しないことにはどうしようもない。今晩の食事すらどうなるか知れない。何とかしなければ――と、手紙から顔を上げると真向かいの長椅子にタデウシュ氏が、先からそこでそうしていたように悠然と寛いでいる。あなたの狼狽など歯牙にもかけず氏は「ようこそ」と言って例の穏やかな微笑を浮かべるのだった。窓の外が明るいせいでタデウシュ氏の姿は真昼の薄闇の中に没している。


「これはどうも――仕事を紹介してくださるというお話でしたね」


「そうです。よく来てくれました」


「単刀直入に伺いますが、どのような仕事で、いかほど頂けるのでしょうか」


「ややこしい仕事です。そう、とても厄介な仕事ですよ」


 鼻先に指を当て、タデウシュ氏は眉間に皺を寄せる。ちょうど陽光が抜けるところへ手を持っていったので、そこだけ明るく照らされて、暗闇に手だけが浮かび上がって見えた。


「実は半年ほど洋行することになりました。それであなたに留守を頼みたいのです。仕事とはそのことで、引き受けてくださるならこれだけ差し上げます」


 三本立てた指が示す桁をあなたは計りかねた。素直に訊いてみると目を丸くせずにはいられない金額だったので、仕事というのが、ただの留守番ではないことは明らかだった。


「留守中に何をしろと仰有るのですか」


「さあ、問題はそこですよ。『私』を演じてもらいたいのです」


「私、を――?」

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