7-4

 熱狂のステージを尻目に建物内を調査する井口は、トイレの前に看板が立っているのに気づく。看板に構わずに廊下を進むと、血痕を見つける。


「何だよこれ……?」

 血痕を写真に収め、さらに奥へ。すると、女子トイレの入り口で黒服の男が倒れている。最初に見つけたのが俺でよかった。もしただのレセプション参加者が先に見つけていたら、騒ぎになっていただろう。まだ、息はある。よく見ると、男の腹辺りに電極が日本刺さっていた。

 まさか、テーザー銃か?井口はその存在自体は知っていたが、実際に使われているのを見るのは初めてだった。男を撮影し、その後電話をかけた。

「井口だ。大使館一階のトイレで、男がテーザー銃を打ち込まれて倒れてやがる。鑑識入れてくれ」


 来場客がエリシアのライブに視線を奪われている中、山科に由良が来ていないことを伝えた卯月と下平は慌てて走ってくる住吉に気づき、なだめた。

「ちょっと、どうしたの」

「何があった、言え!」



 ワタルが一階に戻ると、鑑識を含めた刑事がトイレを封鎖していた。あそこには血痕が残っている。背中の傷のこともあるし、どうやら長居は出来なさそうだ。出口に近づく。スーツ姿の男とすれ違った。

 古郡だ。

 ワタルは一言、声をかけた。


「遅いんだよ」


 わずかに首を縦に振った古郡が、大ホールへ入っていく。

 エリシアのライブが終わり、場の盛り上がりも最高潮に達している。



 ずっと座っていた山科が重い腰を上げ、ステージに立つ進行役の男からマイクを譲り受けた。

「皆さんこんばんは。毎度お馴染み、山科笙栄です。ここで私からですね、もう一人サプライズで紹介したい方がいますので、早速お呼びしたいと思います。どうぞ!」

 大ホールの群衆を突っ切り、スポットライトを浴びつつ古郡がステージに上がる。野呂がカメラで撮影を開始。菅生社長は慌てて怒声を上げた。

「おい!来ないんじゃなかったのかよ!」


 古郡は山科からマイクを受け取った。



 レセプションの前日。

 護摩所が復旧させた名取のスマホから連絡を入れ、ワタルと野呂は古郡をシャーリー跡地へ呼び出したのだ。そして、丸刈りのテツのように拘束。


「死人から電話が来てどんな気分だった?」

「……」

 古郡は多重債務者を操ってワタルに魔の手を伸ばしていたが、一人になってみると何のことはない、運動不足が祟って早死にしそうなただの三十七歳の男だ。古郡によれば、太田はムサシバイオロジクスを定期的に訪れていた清掃員で、借金を抱えていたため他の多重債務者と同様にワタルについてを探らせていたという。


「まあお前が犯した罪はこの際どうでもいい。それより、言っておきたい」

 ワタルは古郡に詰め寄り、真摯に向き合った。

「明日サラベス大使館で行われるレセプションで、由良にされた仕打ちをバラすんだ。このままやられっぱなしでいいのか?」



 古郡は来場客に向け、ここ最近の由良とのやり取りを通話記録を交えて説明し始めた。

「由良さんは、最初は我々の藻類バイオマス事業を支援してくれたんです。ですが、そちらの菅生社長に唆され、潰しにかかってきた。既得権益に取り込まれたんですよ。確かにソルアマゾネスには若干の危険もあった。山科さんにもそう言われました。しかし、山科さんはそちら側ではない。既得権益に与ることはしなかったんです。先日、山科さんから音声データを頂きました。由良政務官と菅生社長が山科を高級料亭に呼びつけ、上機嫌で宴会を開いていた時の音声です」

 それはご丁寧に、スピーカーから大音量で再生された。


『いやー山科さん、あなたのおかげですよ。これで私は、こちらの菅生社長からお小遣いを頂くことができますね』

『なーに言ってるんですか、お小遣いなんて額じゃないでしょう。ヘヘヘッ』

『いやいや。私はソルアマゾネスに対して少し懸念を表明しただけですからね』

『いやでもここだけの話、山科さんにもいくらか回せるでしょ、社長?』

『もう、やめてくださいよ。どうせもうすぐ死ぬんですから、お金なんて要りません』

『それもそうか。ハハハッ!』

『ちょっと、社長!』


 菅生が周囲の視線をかわそうとホールの出口を見ると、由良が茫然とその場に立ち尽くしていた。

「なんですか、これは……榊!榊、どこにいる!」


 井口と住吉が、由良ににじり寄った。

「ちょっと管轄は違いますけど、我々実はこういう者でして。今、ちゃんとこういう系担当の警察官、呼んでおきましたからね。お話はそちらで。それまでは、我々と世間話でもしましょうか」

 菅生は、警護課のSPに囲まれている。由良は山科を睨んだ。


「そして、もう一つ。私は伝言を頼まれました」

 ざわつく会場を尻目に、古郡は続ける。

「しーちゃんから、ミオリンへの伝言です。『十六年前、あなたと過ごした三か月は今でも宝物です。もうヒマワリは枯れてしまうけど、また写真を撮ろう。十月十日、あの森で待ってます』伝言は以上です」



 バルコニーの前に戻ってきたワタルは、先程より顔が青ざめている榊を尻目に、蜘蛛の入った鞄を回収。解毒剤を準備した。

「動くな!」

 ワタルが振り返ると、下平刑事がこちらに向かって銃を向けていた。じりじりとワタルに歩み寄ってくる。下平は、榊に気づいた。


「おい、お前……その男に何した? その鞄はなんだ?」

 ワタルはバルコニーに出た。そして、下平の後ろに人影を認める。

「探偵として、依頼を受けてまして」


 下平の背後に控えていた女刑事が、突然大声を上げた。

「この前警察官二人に暴行したの、君でしょ?」

「は?」

 下平は、思わず振り向く。その隙を見て、ワタルは解毒剤を残してバルコニーから飛び降りた。二発銃声が響いたが、当たりはしなかった。


 突然妙なことを言い出した卯月に、下平は困惑した。

「どういうことだよ、アイツなのか……?」

「早くしないと逃げられますよ。私は倒れてる男の人を見てますから」

 下平は、言われるままにワタルの追跡を始めた。


 卯月は、榊に近寄った。

「大丈夫ですか。何をされたんですか」

「蜘蛛に咬まれました。あれは多分、名取の……解毒剤がそこに」

 探偵の手伝いを自称していたあの少年、やっぱり只者ではないな。

 仮に彼がディレイドだとすれば、肉体は若いまま経験だけが積み上がっていく。若さと場数を両立できる。それなら、柔道の有段者にも立ち向かえるのかもしれない。


 考えすぎだろうか。

 しかし、下平刑事はいつも口癖のように言っている。「あらゆる可能性を考慮すべきだ」と。

 卯月は、渦巻いていた疑惑を確信に変えた。

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