5-7
スロウの昼下がり。
インターネットの海に放たれている由良賢吾の画像は、まるでどの顔にも同じ笑顔が貼り付けられているようだった。瞳の奥に光を感じない。
ワタルはその顔を脳裏に焼き付け、深層心理に呪いをかけた。
野呂は、珍しく客席に座って新聞を読んでいた。
「ブロークンの記事はあらかた読んだが、トンチンカンな陰謀論や下らない都市伝説がメインの三下だよ。まあ、ああいうの嫌いじゃないけどな」
「意外だな」
ワタルが大きな鞄に荷物を詰めていると、護摩所が裏口から乱入してきた。
「もう少し粛々と入ってこいよ」
野呂が全うな釘を刺す。
「ゴマちゃん、ここのところ一層肥えてるな」
「大仕事が待ってるんでしょ? 僕も祭りは好きだからね。そう思うと楽しみでお腹が減って……」
楽観的だ。ワタルはそれに安心感すら覚える。そして、感謝をしたくなる。
「そうだ、また例のウソつきスマホで確認したんだけど、サラベス大使館のレセプションには、錚々たる面子が出席するみたいだよ」
「もう聞いてくれたのか、助かるよ。それで?」
護摩所が、出席者を書き出したリストをワタルに差し出す。
「山科笙栄はもちろん、日本とサラベス両国の外務大臣ならびにその関係の官僚、
「そして、経済産業省の由良大臣政務官。ちゃんと来てくれるかな。コイツ」
「さあねえ」
約束の午後八時まであと少し。あくまで取材の対象は野呂ということで、スロウは臨時休業する運びとなった。
「話がどういう方向に行くかはわからないが、とりあえず探している人物は向こうと一緒ってことだよな、ワタル?」
「ああ。この機会、上手く利用できればいいんだけど」
*
野呂が取材の場所を問わなかったので、ブロークン編集部の指定した竹乃堀の運動公園で待ち合わせをすることになった。大きな池の横に野球場があることを、地元の人間ながらワタルは知らなかった。
「これだと、場外ホームラン打ったら池に落ちちまうな」
野呂がぼやいていると、若い女の声に呼び止められた。
「野呂さんですか?」
ワタルが野呂の少し後ろに控えていたように、向こうも後輩を連れ歩いていた。
「ええ」
「ブロークン編集部の飾磨弥生です。こちらは……」
「あっ、新納です」
飾磨と新納、それぞれそう名乗った二人は野呂と名刺を交換した後、示し合わせるでもなくワタルに視線を投げた。それを察した野呂が応える。
「こいつはワタルといって、うちの店を手伝ってもらってます」
「店を……手伝う」
飾磨は何かを思い出すような素振りだった。野呂は構わず続ける。
「お二人はディレイドを探しているとか」
「あ、ええ。そういうことです」
ワタルは野呂の前に出て、ブロークンの二人に正対した。
「俺ですよ。いわゆるディレイドという状態になってます。かれこれ五十年、生きてきました」
飾磨は口をあんぐりと開けながら、しかし疑念を完全に振り払ったという訳でもなかった。
「あ、えっと……それは」
耳も目も疑いたくなるのは至極当然というものだった。しかし事実かどうかを確認するにも、しようがない。ワタルの生い立ちを知る人間か、長く付き合ってきた人間にしかその判断はつかないのである。
「信じられないとは思いますし、それは別にいいです。それで飾磨弥生さん、あなたが探しているのは女のディレイドなんですよね?俺も最近知りました。まさか自分以外にもいたなんて」
「ご存知だったんですか」
「ええ。あなたがこの辺りでディレイドの行方を捜索していることを聞きました。俺はその、女のディレイドの行方を知っている訳ではありません。ただ、探しているのは同じです」
ワタルは、飾磨の祈るような視線を浴びた。
「あなたも、ミオリを……?」
女のディレイドは高杉ミオリという氏名になるのだろうか。ただ、自分のように偽名を通称としている可能性もある。いずれにせよ、周囲にミオリと呼ばれていたことは間違いなさそうだ。ワタルはまた少し、顔も知らない彼女に対する親近感を増した。
野呂がワタルの後方から、白々しさをおくびにも出さずに会話に合流してくる。
「探していたのは別の人だったんですか。しかし驚きましたね。ディレイドがもう一人いたなんて」
何と言っていいのか分からない新納は、ただ飾磨に目線を投げるばかり。しかし飾磨のほうも、思わぬ事態にどこか浮き足立っているようだった。
ワタルは畳み掛けた。
「申し訳ないですけど、俺はその……ミオリさんという人のことは存じ上げません。ただ、ディレイドがもう一人いるということが分かった今、あなたに出来るだけの協力はしたいと思っています」
飾磨弥生は目を潤ませているようだった。
「彼女の苦しみに本当の意味で寄り添えるのは、俺しかいないと思うんです。どうか、そのミオリさんの話を俺にもしてくれませんか。知りたいんです」
飾磨はしばらく下を向いた後、何かを吹っ切るように顔を上げ、前髪を乱した。
「私についてきてもらえますか」
飾磨記者に連れられるというような格好で、男三人は大きな池を臨む原っぱに差し掛かった。ベンチと植えられた花が池を映すフレームになっているかのようだった。
「私はここでミオリを見かけたんです。十六年前、児童養護施設で少しの間一緒に過ごしていた子です。当時九歳の私は、同い年ぐらいだと思っていました。しかしここで私が見たのは、どう見ても中学生ぐらいの、それでいて確かにあの面影を残したミオリでした」
「間違いないんですか?」
ワタルが尋ねる。
「私の渾名を呼んだので、間違いありません」
これほど人の意識に潜入したいと思ったことは、ワタルにはなかった。この飾磨という記者の気が狂っていない限り、どうやら本当にディレイドは存在する。
色濃くなった影が、自分に近づいてきたような気がした。
「あの……信じられないかもしれませんけど」
口を挟んできたのは、新納だった。
「飾磨さんは時々お調子者だなって思いますし、ミスも結構やらかしたりしますけど、下らない嘘はつかない人だと思ってます。いいんですよね?思って」
飾磨はその言葉に苦笑を漏らした。
「フォローするなら最後までしてよ」
男を見せた、といったところだろうか。
疑いに満ちていた新納の目は、健気で若々しい青年のそれに変容していた。
「えっと、お二方。心配はいりません。都市伝説は都市伝説のままでいるほうがいいんです。野暮なことはしません。僕も、当事者のつもりでいます」
ワタルはふと、山科の顔を思い浮かべた。
苦労は想像だにしないが、アンタは偉い先生だ。だから、信じたい。
俺は死神ではない、と。
「ミオリさんのこと、他には何か?」
策略の類ではなく、その疑問はワタルの本心だった。
「ミオリは最近まである場所に匿われていたんです」
ワタルと野呂は、飾磨から崎村勇太郎に関することを伝えられた。ミオリが崎村家の経営する花屋を手伝っていたこと、夏に突然そこから姿を消したこと。そして崎村勇太郎が、太田和征の死体が見つかった高鳥不二中学校の生徒であること。
ワタルは、情報がここまで繋がってくるとは思いもしなかった。
「崎村勇太郎……」
おそらく、最近のミオリを最もよく知る人物。
見た目から判断すれば、俺はその少年と同い年に見えるだろう。
ミオリが突如花屋から姿を消し、今は由良から追われている立場であるということを考えると、一度由良側の手に落ち、そこから再度逃亡していると考えるのが自然だろう。
ワタルは久しぶりに、良心の呵責というものを覚えた。
ミオリは悪党の標的にされている。
この事実を告げなければならないのではないか。しかし、万が一この記者達を危険に晒されてしまったら元も子もない。
「俺が助けますよ」
答えとして相応しいのかどうかワタルにはわからなかったが、そんな言葉を
「ミオリさん。必ず見つけ出します」
飾磨はしばらく困惑をその表情に出していたが、やがて頭を下げた。新納もそれに続く。
ワタルがここからどうしようと勝手であり、その決断を誰かに咎められるいわれもないだろう。
しかしワタルの関心はそれ以前のところにあった。
初めて、時間の流れを誰かと共有できるかもしれない。
時には倫理観に蓋をし、非合法な道のりを歩んできたが、それくらいの経験はしてもいいだろう。その資格はあるはずだ。
高杉ミオリを救う。
これは、ワタルの心に芽生えた初めての生き甲斐といえた。
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