5-6
高鳥警察署から程近い焼肉屋〈2929〉は、大通りを分岐させたY字路の谷間に挟まれた、先の尖ったビルの二階に入っている。サラダは一種類、サイドメニューはライス、冷奴、キムチ、クッパのみ。『肉があれば、何もいらない』という硬派なキャッチコピーを体現しているストイックな店だ。
店に入ると、まず各テーブルの上部に備え付けられた真っ赤な排煙フードがチカチカしていて目に悪い。下平は2929という名前は聞いたことがあったが、来店するのは初めてだった。階段を上がり狭苦しいスペースに位置する入口から一番、先端の個室まで進んでいくと、井口が一言も発さずに肉が焼ける様子を見守っていた。傍らには既に空のジョッキが一つある。
「そろそろだな」
「おい」
焦げ目の付いたハチノスをトングで整える井口に、下平がドスを利かせる。
「おう、来たか」
ホルモンを口に運んだ井口は、煙たさから思わずスーツを脱いだ下平を指で空席に隣に誘導する。
「何一人で始めてるんだよ」
「いいだろ、別に」
凝り固まった表情を崩すことなく、下平はおしぼりで丁寧に両手を拭いた。
「卯月と住吉巡査部長はまだ来てないのか?」
「すぐに来るみたいだ」
「そうか」
「住吉、余計なことしてなければいいが」
「そんな心配はいらないよ。卯月は切れ者だ。下手したら俺よりな」
引き戸が勢いよく開き、跳ね返って少し戻された。姿を見せたのは卯月と、その背後には今にも帰りたさそうな顔をしている住吉。
「お、皆さんお揃いで」
「本当にすぐだったな」
住吉にはカルピス、それ以外の四人のもとにはビールが供給されていったが、上座に君臨する卯月は、誰よりも早いペースで大ジョッキを空ける。
「おっさんチームのほうは、はっきり言って空振りだよ。第一の被害者、太田和征の派遣先を改めて当たっていったが、どこの現場でも不審な動きは見せていない。掃除のお兄さんに過ぎないからな。認識すらされていないこともあるだろう」
「いや、何もなかった訳じゃないだろ、井口。太田は多額の借金を抱えているという噂もあった」
「まあそうだけど、噂だからな」
「事実かどうかは知らないが、少なくともそういう噂が立つような雰囲気が太田にはあったということだろ」
井口と下平による太田の鑑取り捜査は難航を極めていた。
「太田が最も頻繁に清掃に訪れていたムサシバイオロジクスという会社のオフィスでも話を聞いたが、こちらでも特に、それ以外の情報は得られなかった」
ご丁寧に紙エプロンを取り付けている下平は呆れ顔で、網の上のホルモンをトングで弄くる。辛気臭い雰囲気を嫌う住吉は、二人に微笑みかけた。
「まあまあ井口さん、下平警部。お疲れ様でぇす!」
直情型な刑事といつだけあって、井口は抜群の反射神経で住吉の頭をはたいた。
「アホか、打ち上げじゃねえんだぞ。大体そっちの報告が終わってないだろ」
「どうだったんだ、卯月?」
下平の目配せを受け、卯月は待ってましたとばかりに、口いっぱいに頬張っていた肉を一気に胃に押し込んだ。
「まあこっちも収穫って程ではないんですが……高鳥不二中で色々聞き込みを行いましてね。生徒会長から気になる証言を得ました。彼が言うには、同じクラスの生徒で様子がおかしい子がいるらしいんです。話を聞きたかったんですが、生憎会えずじまいで」
井口が首を縦に振った。
「ほら、やっぱりあの学校は何かあるんだよ」
「配置に文句を言うな。で、その生徒の住所は?」
下平が間髪を入れずに尋ねる。
「高尾山の近くだそうです」
さしもの下平でさえ、少し面食らったような表情を見せた。井口も同調する。
「それは結構遠いな」
呑気にカルピスを飲んでいた住吉は、井口に視線を向けられてグラスを置いた。
「……わかってますよ。明日必ず話を聞きますから」
ふと、卯月が疑問を口にする。
「そういえば、支払いってどうなるんですか? この場合」
住吉を除く男二人が動きをピタリと止める。井口と下平は、お互いに視線を交わした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます