5-4

「塩見先生が……殺された?」


 幼き頃のワタルを知る数少ない人物。

 ワタルは自分の生きた証を残すことに興味はなかったが、それでも、悔しかった。


 俺に関わったばかりに、殺されたんだ。


「ああ、事故に見せかけてな。白山に接触した直後のことだ。そんな偶然あるはずがない。細江の差し金だろう」

「俺のせいで……」

「馬鹿なことを言うんじゃないよ」

「だってそうでしょう?いつだって俺はブラックボックスだった。そうなるしかなかった!そこに手を差し伸べたばかりに……とんだ死神じゃねえかよ」

 感情を露わにしたワタルは、山科の皺だらけの腕に制された。


「やめなさい。死神などいない。人は生まれ、老いて、いずれ死ぬ。それだけなんだよ」

「……」

「だから、君は間違いなく人間だ」


 その事実を誰かに言ってほしかったと、心の奥底でずっと待っていたのかもしれない。

 ワタルは口唇を結び頭を冷やした。まだ済んでいないことはある。


「塩見先生が殺されたなら、それで一応の幕引きにはなったでしょう。ディレイドのことも公にならずに済んだんです。それが何故今になって蒸し返されたんですか。俺はどうして殺されかけたんですか」

「その様子だと知っているとは思うけど、君を消そうとしたのはムサシバイオロジクスの古郡だ」

「ええ、聞きました」

「それは何故か。ここで問題になってくるのは、私が解毒剤に使ったソルアマゾネスだ。古郡は、ソルアマゾネスを利用したエネルギー開発事業に本格的に身を入れ始めた」

 サラベス日刊紙〈プラデーラ〉の記事の翻訳にあった内容だ。ワタルにはぼんやりと利害関係の構造が浮かびつつあった。


「藻類バイオマスとかいうやつですね」

「そう。ソルアマゾネスはなかなか人間がコントロールできない曲者でね。前々からエネルギーとしての可能性は指摘されていて、数多の研究者が実用化に踏み込んだがいずれも空振りだったんだ。そこに古郡は挑んだという訳だ。本格的に事業に参入したのは二○一五年。日本の優秀な研究者を引き連れ、ついに実用化の目処が立つところまで漕ぎ着けた」

 ここまでは記事の通りだ。引き続きワタルは耳をそば立てた。

「で、当然その話は私も耳にした。しかし君の件もあるから、ソルアマゾネスを用いたエネルギー開発には懐疑的だったよ。つい半年ぐらい前に、私は古郡と会って話をした。最初はさすがに君の話をする訳にいかないから、さっき話したイグアナのように、動物に悪影響が出る可能性があるという形で切り込んでいった。まあ当然と言えば当然だが、古郡も譲れない。『先生、そんな小さなこと言ってる場合じゃありませんよ。これは革命なんです!もうすぐエネルギー開発は実現する。環境問題だって解決に向かうかもしれないんです』そう息巻いていた。そして、『動物の成長が多少遅れるって……寿命が多少延びるならむしろ良いことじゃないですか』ともほざいた。生態系を何だと思ってやがるんだ。こっちも腹が立ったから、言ってしまったんだよ。『人間に同じことが起こったらどうするんだ。可能性はあるぞ。想像してみろ。自分だけが周囲に取り残される。時間の流れが一人だけ違うんだ。社会に、異物とみなされてしまう!この危険性をあなたはわかっていない』」

 

 ワタルは言葉の一つ一つを噛みしめるように、小刻みに首を縦に振る。


「それでも古郡は食い下がってきた。『状況が限定的だし、そもそも人間に同じことが、そんなディレイドみたいなことが起こるとは限らないし、非現実的だ!証拠を出してください』『いや、だから、起こってからじゃ遅いからこの話をしてるんだろう』そんな感じでお互い平行線を辿ったよ。君の話をしようとも考えた。ただ、それこそ証拠を示せない。その場はそこでお開きになった」

 

 確かに山科はディレイドを生んだ原因の一端ではあるが、ワタルはそれ以上に、自分の人権や尊厳を擁護してくれる人物がいたということに胸を打たれた。昔よりほだされやすいのは、歳のせいだろうか。ワタルはそうあってほしいと願った。

「ありがとうございます」

 思わずそうこぼした。山科は、手を軽く挙げるという反応をするに留めた。


「感謝されるいわれはないよ。私はそのしばらく後、古郡に名取の存在を白状した。蜘蛛を逃がして問題を起こしたことも話したんだ。彼はディレイドが実在していることを知っているから、とね。言い訳にしかならないが、悪意はなかった」

「わかってます」

「古郡はその話を全く信じなかったよ」

 しかし、名取の自宅に赴いている。

「山科さん、名取の住所を教えましたか?」

「いや、私が教えたのは電話番号だけだ」

 九月十八日に古郡を名取の部屋に呼び出したのは、山科ではないということか。ここまで打ち明けた山科が、この局面で嘘をつく理由はない。


「そして、私の他にもう一人古郡の事業に目をつけていたのが、経済産業省の大臣政務官、由良ゆらけんだ。君は四人の人間について知りたいと言った。古郡と名取の話はもうしたから、恐らくその男が三人目なんじゃないかな?」

「その由良って男は、細江誠晃に仕えていましたか?」

「その通りだ」

「なら、そいつです。恐らくその由良って奴の一味から、俺は昨日脅迫を受けました」

 山科はワタルの目を力強く見据える。

「脅迫?」

「ディレイドの存在を公表するから矢面に立てと言われたんです」

 山科はコーヒーの液面を揺らすほどの息を漏らした。


「随分と思い切るんだね、由良は。まあでも考えてみりゃ、確かにディレイドが実在なんて信憑性には乏しいかもしれないが、少しでもソルアマゾネスの評判が落ちて懐疑論なんかが挙がってくれば古郡にはダメージがあるだろうね」

「何故そこまで、由良は古郡を貶めたいんですかね?」

「うん。由良は政務官になる前、資源エネルギー庁の幹部だった。経産省の外局だ。そうなると本来、由良は古郡を支援する立場にあるはずなんだよ。もしかしたら、してたのかもしれない。しかし今の実情は真逆。まあここからは私の推測でしかないが……由良は既得権益に組み込まれたんじゃないだろうか」

「既得権益?」

「ああ。ムサシバイオロジクスがエネルギー事業で成功を収めたとしてだ。既存のエネルギー事業者、例えばガス会社なんかは面白くないだろう。そういった大企業の連中が行政を丸め込む。そういうことだよ。私もそっちに誘われたから確かだ」

 バックがそこまで強大となると、その牙を剥かれれば古郡としてはひとたまりもないだろう。


「俺は今、そこに歯向かっている訳ですね」

「その様子だと脅迫に屈しなかったみたいだけども、どう切り抜けたんだい?」

「切り抜けちゃいないですよ。代わりの条件を提示されただけです。……もう一人のディレイドを連れてきて引き渡せ。それが条件でした」

「……なるほど。それが君の言う、最後の四人目か」

 ワタルはコーヒーを飲み干す。混ざり切らなかった砂糖の甘さが口腔内に不気味に広がった。


「山科さん、ディレイドがもう一人いるというのは、そもそも事実なんでしょうか?」

 山科が難しい表情を浮かべたのも一瞬で、すぐに返答があった。


「事実だ」



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