5 informed

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 ワタルが目を覚ますと、今度は土の臭いに包まれた。ひとのない雑木林に放り出されている。夕焼けが煩わしい時間帯らしい。朝起きた時、一日に二度もスタンガンによる攻撃を受けるとは想像だにしていなかった。

 ズボンの尻ポケットに簡単な地図の記された紙切れが差し込まれており、ある地点に星マークが付けられている。その横に〈9/29 23:00〉とある。五日以内にもう一人のディレイドを指定の場所に連れて来いという、極めて端的な指示だった。


 そして、一枚の写真が挟まれていた。

 小学生ぐらいの少女の写真。

 これがディレイドの人相、ということか?


 銀縁の眼鏡から反射した光が、今でも目に焼き付いているようだった。ワタルはあの光景が悪い夢であってほしいと口走りたくなったが、夢と現実の区別くらいはつく。


 なんとか路地に出たワタルは、標識などの情報を基に、自分が青梅にいることを認識した。高鳥までは、電車で三十分ほどかかる。

 その一方でワタルは、自分はこのまま姿を消すべきなのではないかとも考えた。これ以上野呂のオッサンに迷惑がかかるなら、今の生活様式のまま生き永らえる訳にはいかない。

 ただ、とはいえ、自分が無事であることを知らせる必要はあるだろう。



 スロウは営業中だった。客はまばらで、野呂はいつもと変わらないシルエットでカウンターに佇んでいる。裏口から中へ入ったワタルはバックヤードに顔を出し、野呂と視線を交わす。

 野呂は僅かに眉を上下させ、業務のキリが良くなったところでワタルに歩み寄った。

「とりあえず、今日はもう休んだけ」

「……ああ」



 物置部屋でワタルが微睡まどろんでいると、扉がノックされた。誰のものかは言うまでもない。


「今開ける」

 施錠を解除し、ワタルは野呂を招き入れた。狭い部屋だが、大人との二人が適度な距離感を保ってコミュニケーションが取れるだけの余裕はある。野呂は箱馬を持ち出し、そこに腰掛けた。


「ワタル、何された?」

「脅されたよ」

「誰なんだ、相手は」

「よくわからなかったが、どうやらある大物政治家に世話になってたようだ。情報だけを聞くと細江誠晃あたりの側近が怪しいが、どれだけ画像検索をかけても俺が見た男は出てこなかった。あいつは影武者だった可能性が高いだろうな。権力を濫用できる時点でそれなりの立場だろうから、自分の手は絶対汚さない。そう考えるのが妥当だと思う」

 ワタルは加えて、政治家(仮)とムサシバイオロジクス・古郡の二大勢力に身柄を狙われていたこととその原因、連続殺人を首謀したのは溝呂木であるという推測、そして、提示された交換条件を打ち明けた。


「ディレイドがもう一人、ねえ」

 あまりにも衝撃的でどう扱っていいかわからない情報を避けたかったのか、野呂は話題を移した。


「太田和征と名取を殺すことが、古郡に対する警告だったってことか?」

「ああ。太田のほうはよく知らないが、名取殺害に関しては合点がいく。護摩所からの電話にもあったように、名取の死体が見つかったあの日、俺の後に名取の家に入ってきたのは古郡だったんだろう。あの場に呼び出され、直接死体を見せられた。しかしながら名のあるベンチャー企業の社長として存在が知られている以上、警察の厄介になる訳にはいかず、その場から逃げ去ったんだとしたら辻褄が合う。それに、少しだけだが声も聞いた。さっき検索してインタビュー動画を見たんだが、同じ声だったと思う。特徴的な高めのハスキーボイスだからわかりやすかったよ」


 野呂は目を閉じていて、事実関係を組み上げるのに精一杯なようだった。深夜にインプットする情報量にしては多過ぎるのかもしれない。唸った野呂はやがて、整理をするように抑揚のない声で情報を順序立て始めた。

「名取は本当に、殺される直前にあのメッセージを送ってきたってことか」

 彼なりの、せめてもの贖罪ということになるのだろうか。ワタルは一応の理解を自分の中に生成した。


 野呂は小首を傾げた。

「名取と細江から情報を得て政治家チームがお前のディレイドの件を知っているのはまあ理解できるよ。ただ、ムサシバイオロジクスの古郡はお前のことをどうやって知ったんだ?」

「政治家チームから含まされたか、あるいは……」


 野呂が開眼し、ワタルより先に要点に辿り着いた。

「山科か」


 ワタルは微笑を浮かべた。人間は如何に追い詰められても、笑う時は笑うらしい。

「オッサンもそう思ったんだな」

 野呂は鼻で笑うと、饒舌さを取り戻していく。

「そういえば、山科とは会えたんだろ?講演会の後」

「ああ、そうだな。拉致に気を取られてすっかり忘れてたけど」

 ワタルは立ち上がり、睡眠を欲していそうな野呂の瞼を見据えた。


「あの山科ってジイさんは、絶対に何かを知ってる。何しろ、オッサンすら知らないであろう俺のルーツを知ってたんだ」

「ほう」

 塩見紀一郎。

 彼を何故山科が知っていたのか。

 そもそも、今何をしているのか。


「そっちをつつくのもいいが、もう一人のディレイドのことはいいのか?俺はまだ死にたくねえぞ」

 その嘆願がどこまで本気かは窺い知れないが、野呂は目を輝かせ、髭で確認しにくいが口角は僅かに上がっているように見える。


「山科は俺を一目見て絶句した。何故俺がこうなったのか、何故ディレイドが生まれたのか。それを知っていそうな人間となると、他に当てがない」


 野呂は箱馬から立ち上がり、ワタルの肩を叩いて物置部屋を後にした。


 これ以上迷惑はかけられない。

 ただ、もう一人のディレイドに会えたとして、むざむざ銀縁眼鏡のあの男に引き渡せるのか。

 奴に牽制されているとはいえ、古郡がこのまま黙っているのかどうかも疑わしい。

 気の遠くなるような前途だ。


 朝は俺を待ってくれるだろうか。

 地震が起こるのを待つまでもなく危機に晒されているその身を、ワタルはマットに横たえた。

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