4-5
風邪や病気と無縁の住吉にとって病院は久しぶりだった。訪れた回数でいえばディズニーシーのほうが多いだろうな、などと思いながら卯月に倣って歩いていると、どうやら五○一号室に突き当たるようだった。
「いいっすね、角部屋」
住吉の世迷言を無視した卯月によって扉が開かれると、頭部を包帯などで処置されている痩せた男の姿が見えた。
「眼鏡してないほうがイケメンなんじゃない?」
「馬鹿言わないでください」
見舞い客と患者の関係性を知らない住吉にとって、あまりに何気なく交わされた会話は二人の合言葉か何かのように聞こえた。卯月が慣れたように立て掛けてあった二つの椅子を設置し、その片方に座る。
「ほら、座って座って」
「あ、ええ……」
座らされた住吉は、当然ベッドの男から注目を浴びた。
「卯月さん、こちらは?」
「今特捜で組んでる高鳥署の住吉くん」
「高鳥署刑事部の住吉です。あの、この方は?」住吉が卯月に聞き返す。
「真柴の交番で油売ってる脇谷くん。大学の後輩」
「どういう意味ですか!あ、真柴中央交番の
心配になるほど痩せ細っている訳ではないが、角張った骨格がブリキのオモチャを彷彿とさせるな。脳内で茶々を入れた住吉は、単純な疑問点をぶつけてみる。
「あの……どうして、入院を?」
思い出したくないという風に、脇谷は嘆息を吐いた。
「少年に……少年というか、不良……?いや、とにかくヤバい奴に殴る蹴るの暴行を受けて」
「ちゃんと中学生ぐらいの子供にボコられましたって言わなきゃ伝わらないでしょ」
卯月の無慈悲な訂正を受けてようやく、住吉は理解した。連続殺人が起こる前に真柴と高鳥の境で発生していた、少年による警官襲撃事件のことか。
「ああ、あれですか!」
「ええ、まあ……僕だけボコされるならまだわかりますよ。でも、その時一緒にいた
「住吉くん。これ、どういうことだと思う?」
「えっ?いや、どうと言われても」
住吉が虚を突かれているのを気にも留めず、卯月は続ける。
「私も最初はさ、脇谷くんボコボコ事件のすぐ後にまた中学校で事件があったから、何かあるなと思ったのよ。けどやっぱり、柔道の有段者っていうのはそんじょそこらの子供にどうこうできる相手じゃないんだよね。住吉くんも見たでしょ」
住吉は、高鳥不二学園の柔道部で見た光景を思い返していた。あの強そうな高校生ですら、有段者の前では苦戦を強いられていたのだ。
「確かに」
「脇谷くん、襲ってきた子供は強そうに見えた?」
「いや、体格は普通でしたよ。特に厳ついとは思わなかったです」
住吉は眉をしかめながらゆっくりと首肯するも、クイズの答えを発表される前にまた別のクイズを出されたような気分になった。
「何者なんです?そいつ」
「それなんだよねえ」
卯月は、この日初めて眉を困らせた。
「連続殺人と関係あるのかどうかはわからないけどさ、なんかこう、只事じゃない気がする」
*
崎村勇太郎は、知ってか知らずか、刑事の捜査網をすり抜けて校門に辿り着いていた。とはいえ、刑事が話しかけてきたらそれに応じるつもりはあった。いっそのこと全てを話してしまったほうが楽なのかもしれない……しかし、そんなことを言い出したら本当に、今度こそ正気を失ったと思われてしまう。
誰か、早く楽にしてくれ。
「こんにちは、先日はどうも」
自分に向けた声だと、勇太郎にははっきりと分かった。横を見る。声の主は一昨日、ガーデンSAKIを訪問してきた記者の飾磨弥生だった。校門の陰で待ち伏せをしていたらしい。
「あっ、どうも。今日はどうしてここに?」
「一昨日会った時は、驚かせちゃってごめんなさい。まずはそれを謝ろうと思って」
「いえ、大丈夫ですよ。僕こそ、いきなり声を荒げてしまってすいませんでした」
繭子は、勇太郎に一礼した。
前回会った時は勇太郎が帰ってきてすぐに、これ以上は収拾がつかなくなってしまうと思ったのか、弥生は店を出て行っていた。
結局この飾磨という人が母親から何を聞いていたのか、勇太郎は知らなかったし、聞かなかった。ただ、見当はつく。
「母から聞きました。ミオリちゃんのことを知ってるんですよね?」
「ええ」
勇太郎は数秒、弥生の視線をかわして頭を整理した。この人は何をしに来たんだ?
「だいぶ急いでるみたいだったけど……」
「行くとこあるんで」
フレスコ画に彩られた壁に囲まれた教会で、勇太郎と弥生は通路を挟んで座った。勇太郎からすれば呼び寄せたつもりはなかったのだが、何かを言って弥生がいなくなるとも思えなかったし、別にいてもらっても気にはならない。要は、どうでもよかったのだ。
「よく来るの? ここ」
「ミオリちゃんがいなくなってからは、毎日。カトリックって訳ではないんですけど」
「あ、そうなんだ」
何を聞かれるかはわからないが、少なくともこの人なら話がわかるだろう。勇太郎は少し安堵した。
「飾磨さんは、ミオリちゃんとはどういう知り合いだったんですか?」
勇太郎は、これまでミオリをちゃん付けで呼んだことは無い。赤の他人を前にして「ミオリ」と呼ぶのは、何故だか気恥ずかしかったのである。
「……昔、千葉の児童養護施設で一緒だった」
「え? そうなんですか?」
勇太郎には意外な事実だった。ミオリの昔の知り合いが、今になってミオリを探している。それが何を意味しているかは、すぐに想像できた。
「母は、写真を見せられたと言ってました」
「ああ、それは……これかな」
弥生は鞄からミオリの写真を取り出して、勇太郎に手渡した。
「これは、何年前ですか?」
「だいたい、十六年前だったと思う。私がいた施設にミオリが後から入ってきたんだけど、この時は私と同い年の九歳くらいかと思ってた」
「ってことは……」
勇太郎は、写真のミオリをその目に焼き付けるうち、自然と涙を零していた。
「すいません」
本能に抗うように涙を手で拭った勇太郎は、写真を半ば強引に繭子に突き返す。
「……」
弥生は改めて、写真をまじまじと見つめていた。
「ミオリンって呼んでたなあ、あの時」
弥生は、昔を懐かしんでいるようだ。
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