4-3
八王子駅へ向かう途中、ワタルは敵意を孕んだ視線を感じ取った。往路ではそんな感覚はなかったので、労政会館で張られていたか。人の目もあるのですぐにアプローチしてくることはないだろう。ワタルは自身に向けられた矢印をしばらく泳がせることにした。
スマホの振動を右腿で感じたワタルは再び野呂が連絡を寄越してきたのかと思ったが、実際は護摩所からの着信だった。
「ゴマちゃん、どうした?」
『ああ、ワタルくん。名取のスマホが復元できたから報告をと思って』
「復元?頼んだっけ?」
『野呂さんに言われたんだよ』
抜け目のない人だ。ワタルは拍手を贈りたくなった。
「ありがとうな。で、何かわかったのか?」
『一個気になったのがね……』
「うん」
『名取は死ぬ直前、野呂さんに数字とアルファベットでメッセージを送ってたでしょ』
「ああ、それな。国会図書館にある蔵書の請求記号らしい」
『あっ、そうなんだ。でね、名取はそれを送る前とかそれ以前とかにも、ムサシバイオロジクスの社長を名乗る人と連絡取ってるんだよ。それで、会う約束をしてたらしいね』
「おい、マジかよ」
ムサシバイオロジクス、例のサラベスの新聞記事に記述があった名前だった。
つまり、名取の死体を見つけて慌てて逃げ出したのは、その社長だったということだろうか。
進展はあったが、まだ何も解決には向かっていない。繋がったピースは、モザイクのかかった画像を生成しただけだ。
「また改めて話は聞くが、とりあえず助かったよ。オッサンには言ったのか?」
『そうだね。同じ内容を話したよ』
「わかった。毎度申し訳ないな。この借りはまた」
『いいっていいって。じゃあね』
護摩所はワタルと違って身分を隠している訳ではない。高校を出てからはフリーターとして生計を立てていると言っていた。確かに裏稼業は割がいいのかもしれないが、社会的な立場があるにもかかわらず何故リスクを冒して非合法的な存在に手を貸してくれるのか。ワタルは不思議でならなかった。
ワタルの拠り所になるのは、そのような奇特な人間でしかあり得ない。
世界を与えてくれている。
これから何年生きるのか見当のつかないワタルは、そんな物珍しい人物にあと何回出会えるのか。それを考えると、せめて寿命は人並みであってほしいと願わずにはいられなかった。
体の成長だけでなく寿命まで遅延させられるのだとしたら、あと二百年近く生きなければならないかもしれないのだ。
ワタルは被りを振った。流石にそこまで、人生を全うする気はない。
そして、改めて視線を認識する。
ワタルは尾行の下手さ加減に、助言すら与えたくなった。追われている側のはずのワタルは、追跡者が外国人であることを突き止めていた。そんな有様である。
気づかれないとでも思っているのか、もしくは気づかれてもいいと思っているのか?
電車を利用してあっさりと追手を撒いたワタルは野呂に連絡を入れようとポケットを探る。
スマートフォンが入っていないと気づいた瞬間、ワタルは全てを察した。
やられた。
隙だらけの尾行でワタルを油断させ、気が散ったところでスリを働くという索だったが、野呂が余裕を持って敵サイドに対応していたことからも、ワタルの意識下で慢心が生じてしまっていた。本命にピントを合わせることができなかった。
自分自身の情報こそデバイスにはほぼ残していないが、契約者が野呂丈雄という男であることが特定されてもおかしくない。
周囲にひしめく外堀が少しずつ埋まっていくような感覚に、ワタルは落とし込まれた。
ランチタイムはとうに過ぎていたため、当然シャーリーに客入りはなかった。ニラジも人が来るとは思っていなかったのか、ワタルの来訪に戸惑っているようだった。
「なんだ、ワタル」
「電話貸してくれ」
「持ってるダロ」
「やられたんだよ」
語気を強めて訴えると、窮状を察したニラジから固定電話の子機がワタルに手渡された。野呂の番号に繋ぐ。
『どうした。ニラジ』
「オッサン、俺だ」
『ん?ワタルか?どうしたんだよ』
「スマホをすられた。申し訳ない」
『おっと……』
流石の野呂も面食らった様子であると、その反応が如実に告げていた。
『まあ、それは後でなんとかするとして……』
どういう訳か、ワタルは名状しがたい違和感を覚えた。
カチャッ、と音がした。カレー屋の環境音としては異質なそれがワタルの耳を衝く。
なんだ?
振り返ったワタルは、ニラジが黒のマスクを着けた外国人の腕に固められ、こめかみに拳銃を突き付けられているというショッキングな光景を目にした。
「デンワ、を、置ケ」
ニラジよりも日本語の下手なその男は筋骨隆々で程良く日焼けしており、彫りの深い相貌から三白眼を鋭く光らせている。丸刈りのテツが言っていたように、またトカゲの尻尾のお出ましだろうか。
自分との戦闘に持ち込むぶんには躊躇をする必要がないが、ニラジを人質に取られている手前、とりあえずは大人しく相手に従うというポーズを取るのがベターな選択肢だろう。ワタルは子機を元の位置に戻した。
待て。ここまでやるなら、もう俺を殺してもいいんじゃないのか?何故変な小細工をする?
「ヒザまついテ、こっちを、向ケ」
玄関に背を向ける格好で、ワタルは三白眼の男の言う通りに膝を地面に付けた。扉が開き、三白眼の男の仲間が入ってきて、外国語でやり取りがなされる。
ワタルはニラジに向けられた銃を見据えていたが、視界は奪われた。男の仲間に目隠しを着けられたのだ。
考えることに意味はないのかもしれない。
そう思い始めたのとほぼ同時に、ワタルの首筋に電撃が走った。
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