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西東京労政会館は八王子駅から徒歩七分という好立地。その敷地の大半を占めているのは大ホールで、ざっと五百人は収容できそうな、施設のフラグシップ的存在のようだ。その周りでは会議室やカフェスペース、畳張りの休憩室が脇を固める。出入りは自由となっているようで、受付もいるにはいるが特に気に留められることもなく、ベンチはとっくにご近所の老人によって埋められていたので、どうしようかと、ワタルはしばらく辺りをうろついた。
会館なんてものは大体そうだが、〈殺風景〉の三文字がよく似合っている。第一、ショッピングモールじゃあるまいし、ここまで大きくしても仕方ないような気がする。余剰分の予算が勿体ないとかで、それっぽい箱物を建てたといったところだろう。その誰から必要とされているのかわからない虚ろさに、ワタルは微かに共感の余地を見出していた。
午後三時に始まる山科笙栄の講演会まではあと二十分ほどあるが。ワタルは一足先に二階席に入ることにした。意外なことに、座席は収容人数の半数近くが埋まっていた。むしろ入場が遅かったらしい。
「結構入ってるんだな」
ワタルは最後尾の空席に腰を下ろした。
当初は野呂がワタルに同行する意思を示していたが、あまり二人で動き回らないほうがいいという結論に達した。
「接触できるようなら話を聞いておけ。今日店には入らなくていいから」
そんな野呂の言葉を思い出す。
いいタイミングで講演会が行われるのは渡りに船といえるが、そう上手くいくだろうか。ワタルは両手の指を交差させ、腿に乗せた。
山科が壇上に現れ、会場を拍手が満たした。
山科は八十五歳という年齢の割に快活だった。べらべらと軽妙に自らの人生を振り返っていく。文面に起こすとかなり気持ちの沈む凄惨なエピソードになるのだろうが、語り口のせいかシニカルな喜劇にさえ聞こえてくる。
野呂はふと、腕時計を確認する。
演台の後方には椅子も用意されていたが、一時間を経過してもなお利用される気配はなかった。
『まあとにかくサラベスって国は、昔は不衛生極まりなかったですよ。毒蜘蛛がウヨウヨいやがる』
偶然にも最近蜘蛛を目にしていたワタルには、その光景が想像できてしまい、思わず眉をしかめた。
『それで私は解毒剤を作らなきゃいかんなってことでね、作ったんです。まあレシピはまだ企業秘密なんですけどね。で、たくさん作ったはいいんだけど、デ・ラパスはまあとにかくドの付く田舎な訳ですよ』
偶然にも……
偶然?
そんなことがあるのか?
『僕の解毒剤って冷凍保存しなきゃいけなかったんだけど、そんな設備ないんです。そこでね、クエバ国立大学っていう、それはもう立派な大学にお願いして置いてもらったんです。まあその時は、安心しましたよね』
今は亡き名取は、部屋に蜘蛛を飼っていた。
その名取が、ある種のダイイングメッセージとして残したのが、山科笙栄という男とサラベス共和国についての文献だ。
『そしたらね、その三年後だったかな?また蜘蛛が出てくるようになったから、解毒剤を大学まで取りに行ったんですよ。そこでね、ないって言われたんですよ。え、ない?どういうこと?』
そして山科が、蜘蛛の話をした。
何かに導かれているような感覚は、ワタルにとって決して気持ちのいいものではなかった。
『私はその時ね、あ、盗まれたんだと思ったんですよ。サラベスでは強盗はよくあることだから。でも違ったんです。売っちゃったんですって。いやー、驚きましたね。泥棒はあんたらじゃないかって話だよ。どこに売ったのかは教えてくれませんでしたけどね、まあ見当はついてます。ここでは言わないけど』
偶然であるはずがない。
この機会を逃せばもう山科には会えないかもしれない。近々サラベスに帰国するはずだ。
講演が終わった頃合いを見計らい、ワタルは山科の控室に押し入った。付き人と思しき中年の男が「ちょっと、なんですか!」と口を挟んできたが、構わない。山科は怯むことなく、ワタルを視野に入れると目を細めた。
「名取均が死んだ」
ワタルはそれだけを口にした。
山科はしばらく驚いたような顔でワタルを見ていたが、わざとらしく瞬きをして、感嘆とも絶望とも取れる長い息を吐いた。
「君はもしかして……いや、でも」
さっきまでの饒舌が嘘のように山科がまごつく。ワタルは急かすでもなく、ただ次の出方を待った。程なくして、山科は声を取り戻した。
「そうだ、君に一つ聞きたい。いいかな?あ、その前に、待ってくれ……」
「なんですか」
「よく知らない人と話すときは、会話を録音するのが習慣でね」
山科は、レコーダーを鞄から取り出し、スイッチを入れた。
「よし、じゃあ聞いていいかな?」
「どうぞ」
「塩見紀一郎という名に、覚えはあるかい?」
忘れるはずもなかった。
しかし、なぜ山科がその男を知っている?
「……どうしてですか」
ワタルのその返答で山科は事情を察したのか、顔を押さえて俯いてしまった。
「なんであんたが塩見先生を知ってるんだよ!」
「会ったことがある!昔会ったことがあるんだ」
焦りを帯びた山科の視線は付き人に向けられる。そのまま顎で合図をすると、困惑しながらも付き人は部屋の外に出た。
「三十年近く前のことだ。塩見くんはちょうど今日の君のような感じで、私が講演を終えたあといきなり話しかけてきたんだ」
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