3-6
「あー、この子ね、どっかで見たことある気がするのよね」
高速道路の高架を臨む東高鳥の松乃堀地区。弥生はこの日も、心を決めてミオリの捜索をしていた。
今まで、ミオリの写真を見た人々の反応は全て「知らない」だった。しかし、首に濡れタオルを巻いた豆腐屋のおばあさんから、「見たことがある気がする」と予想外の反応が飛び出し、弥生は思わず「は!? 本当ですか?」とがっついてしまった。
「本当よ。どこだったかしらね」
誰かと間違えている可能性が無いとは言い切れない。しかしもし、この人の言うことが確かなら、それは大きな一歩だ。一縷の望みとはこのことだ。繭子はどうしても、期待を抱かざるを得なかった。
「よーく思い出してください。いつ頃かはわかりますか?」
「いつ頃か? うーん、ちょっと前だと思う。最近じゃあないわね。ごめんなさいね、場所がどこだか思い出せなくて」
平静を装いつつも、弥生の脈拍は上がっていく。焦らせちゃダメだ。はやる気持ちを抑えて、情報を引き出せ。何かヒントをあげられればいいのだけれど……
「名前はミオリっていうんですけど」
「みおり? さあ、わからないねぇ」
「背は多分、これぐらいです」
手で大体の身長を示す。正直、確証は無い。
「いやぁ……」
ここまで来てダメなら、もう無理なのかもしれない。あとは、探偵に調べてもらうとか……結果は同じかもしれないけど。
ふと、商品棚の上に目を移すと、ヒマワリの一輪挿しがあった。少し心が落ち着く感覚が、弥生にはあった。
「綺麗ですね、ヒマワリ。ミオリも、花が好きな子だったんですよ」
「ああ、そう。お花がねぇ」
「ええ。花がよく似合って、とっても可愛くて……」
言葉を挙げ連ねていくと涙が出てしまう気がして、そこで途切れた。
「高尾山だ」
「え?」
「そうそう、思い出したわよ。高尾山の霊園に私の妹が眠ってるんだけど、お盆にお参りをしようと思ってね、近くで花を買ったのよ。そのお花屋さんにね、この子がいたんだと思うの」
「た、確かですか?」
「ええ」
「その花屋のこと、教えていただけませんか」
*
三○分ほど電車に揺られ、弥生は賑わう駅のホームに降り立った。木組みの意匠が施された駅を抜け、川を左手に大通りを進む。二つ目の角を曲がり川を渡ると、いくつか住宅の立ち並ぶ中に、〈ガーデンSAKI〉の看板はあった。
大きな一軒家。その一階の一部が店舗になっている。閉店も近いので客はいないようだが、ビニールシートで中まで見渡せる開放的な空間と、それを彩るように並べられた数々の花が印象的だ。
「うわぁー」
弥生が思わず声を漏らしていると、店の中から気品のある女性が出てきて、微笑みかけてきた。この滲み出る包容力は、私くらいの若者にはきっと出せないと、弥生は思った。どうやらこの人が店主のようだ。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
「あっ、えっと……」
いけない。すっかり花(と奥様)に見惚れてしまっていた。せっかく訪れたチャンスだ、まずは慎重に。
「私、webライターをやっております、ブロークン編集部の飾磨弥生と申します」
「ライターさんでしたか。ガーデンSAKIの崎村保子です。本日は、どういう?」
彼女は取材自体は受けたことがあるのか、あまり驚くこともなく、弥生の名刺はすんなりと受け取ってもらえた。大きく一呼吸をして、一番知りたい答えを導き出しにかかる。
「単刀直入に伺います」
鞄から写真を取り出すその手は、震えていたかもしれない。
「この女の子をご存知ですか?」
写真の少女を目にした瞬間、崎村保子から嘘のように、さっきまでの優しい笑顔が消えた。
「この子は……私の遠い親戚の子です」
「親戚ですか」
「そうです」
「働いていましたよね? こちらのお店で」
「はい、先日まで」
「ということは、今はいないんですか?」
「はい。一時的に預かってただけなので。それで、お店を手伝ってもらってました」
「じゃあ今は、家族のところに?」
返事が来るまで、少し間があった。
「そう……なりますね」
やましさ、良心の呵責。そ顔を見ればわかる。
「そんなはずはありません。そんなはずないんですよ、崎村さん」
「何をおっしゃってるんですか」
「ミオリに……家族はいなかった。幼くして家族を亡くしたんです、あの子は」
崎村保子は、次の瞬間には目を伏せてしまった。
私の見たミオリは、確かに実在したんだ。なのに、崎村保子の悲壮な表情が何を物語っているのかというところに想像を巡らせると、その奥底に良からぬ事情が潜んでいるとしか思えない。喜んではいられないのだと、弥生はそう直感した。
崎村保子はしばらく下を向いていたが、一息吐いて顔を上げた。それでも美人には変わりないが、あの包み込むような柔らかい表情を見たのが、遠い昔のことのようだった。その口が開かれる。
「中へどうぞ」
この先に吉報が待っているとはとても思えなかったが、ここで引き下がるわけにはいかない。ミオリがどこにいようと、追いかける腹積もりはある。
「お邪魔します」
弥生を招き入れたあと、保子は「OPEN」の掛け看板を「CLOSED」に裏返した。閉店時間の午後六時までは、まだ三○分ほどあった。
店内を通り過ぎ、レジの裏、間仕切りのカーテンの向こう側に通された。バックヤードかと思ったが、そこはごく普通の一般家庭のリビングといった感じだ。ただ一つ、シックな家具で拵えられた仏壇があった。壇上の写真に笑顔で写った男は、おそらくこの崎村さんの夫だったのだろう。鬼籍に入られた人間にしては若過ぎるように思えた。
「どうぞそちらにお座りになってください」
「失礼します」と、弥生は食卓に二つある椅子の片方に腰掛けた。キッチンカウンターの上で青々とした成長途中の野菜が数種類、栽培されている。
「お茶を入れますね」
いえ、お構いなく……と言う暇もなく、湯呑みは即座に目の前に置かれた。まだ蝉が僅かに鳴いている夕方。目の前にいる女性は母親でもなんでもないが、思わず郷愁に駆られそうなシチュエーションだ。
「先ほど申し上げたように、彼女にはお店を手伝ってもらっていたんです。ミオリと名乗っていました。ここで働きはじめたのは、五月の中頃だったと思います。それから、先月の十八日まではうちにいました」
「約三ヶ月、こちらで?」
「はい」
「その……どのようなきっかけで?」
「あの子は、詳しくはよくわからないのですが、どうやらちゃんとした家が無いんだそうです。それでなんというか、色々なところを転々と彷徨った挙げ句ここに流れ着いたみたいで。『うちにいてもいいよ』と言いました。ただ、彼女の過去について詮索するようなことはしませんでした。あまり良くないと思ったので」
わかるようでわからないというか、あまり答えになっていない気がする。いくら行くところがなくて困っている少女が現れたとはいえ、それを受け入れて匿うかどうかなんて、そうすんなりと決められることではない。
「どうして、いなくなったんですか?」
「……わかりません。お盆明けくらいに、花火を見に行ったきり、急に姿を消してしまいました。それからもう、戻ってきていません」
ミオリが本当にディレイドなら、たとえ生活の拠点を見つけたとしても、人より時間をかけて身体が成長していくという特質があるから、そこに留まり続けるというのは現実的ではない。両親に捨てられたのもその辺りに原因があるのだろうか? ただ、崎村さんのような人間は多くはないだろうし、何も三ヶ月で、せっかくの拠点を手放す必要はないんじゃ……弥生は思案を巡らせた。
「本当にいい子だったのに」
目に涙を浮かべながら、保子は回想した。
「ええ、そうですね」
「飾磨さんとおっしゃいましたね。あなたは、彼女とはどういうご関係で?」
「私は……ミオリの友達です」
「そうでしたか」
「ミオリを、探しているんです」
保子は驚いて弥生を見た。しかしその目に、希望は少しも宿っていない。
「えっ……?」
「私は先月の一九日に、高鳥の児童公園でミオリを見かけたんです。彼女は私に気づくと、すぐにどこかへ走り去っていきました。怯えた顔をしていました。誰に対してとかじゃなく、あの子を取り巻く全てに怯えているような、そんな顔でした」
「……ここからいなくなった、次の日に?」
「そうなります」
何がなんだかわからないといった様子だ。保子はこぼし始めた。
「私、ミオリちゃんの笑顔しか見たことがないんです」
「え?」
「怯えた顔どころか、悲しそうな素振りさえ、ここでは見たことがないんです。不自然なほどに」
「……」
「ミオリちゃんに、本当の意味で寄り添えてなかったんですね。私は」
そう言うと、保子は嗚咽を漏らした。
正直、この花屋でミオリが酷い目に遭った可能性を、弥生はこの時までは思い描いていた。しかし、それはおそらく見当違いだ。
「何かわかったら、お伝えします。私たちだけでも、ミオリの無事を信じましょう」
その時、そっとカーテンが開けられ、男子学生が入ってきた。彼は、むせび泣く保子と、その眼前にいる弥生を見て、驚きと怒りの表情を浮かべた。
「あんた、母さんに何して……!」
「いや、これは……」
その学生が慌てる弥生の元に詰め寄るのを、保子が慌てて制止した。
「違うの!この人は私のお客さんだから。大丈夫だから」
保子は振り返り、弥生に会釈をする。精一杯の笑顔を浮かべていた。
「すみません。こちらは、息子です」
「いえ、こちらこそ驚かせてしまって」
息子さんは状況が飲み込めておらず困惑していたが、当然だろう。弥生は申し訳なくなった。
「お邪魔しております。私、webライターをやっています、飾磨弥生です」
「ああ、いえ。すいません、僕の方こそいきなり失礼なことを。僕は、息子の崎村勇太郎といいます」
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