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「お願いします」

 高鳥署刑事課長に促され、警視庁本部の夏川なつかわ管理官が事件の概要を振り返って行く。

「二つの事件が共に絞殺による事件であり、索状痕が酷似していること。二人の被害者の衣服からリンドウの花弁が見つかったこと。そして、一件目・九月十日の事件が発生してから二件目・九月十八日の事件が起こるまでの間、警察側から花弁についての情報は一切公表していないこと。これらの情報から、二つの事件が連続殺人であるという前提で捜査を進める」


 この後、第一の事件の犯行現場周辺(中学校を含む)を洗っていたいわゆる〈地取り〉担当の捜査員と、被害者遺族や同僚を中心に聞き込みをしていた〈鑑取り〉担当の捜査員からの報告があった。犯行時刻と思われる夜十時頃に中学校に残っていたのは教職員数名だけであり、事件について見聞きした人物はいないという。また、被害者の太田和征は清掃業者の派遣会社に勤務していたが、太田と親しくしていた人物は見当たらず、高鳥不二中学校との接点も見当たらなかったためろくな情報が引き出せなかったとのことだった。

 また、鑑識課長によれば、遺体に満遍なくかけられていたのは薄められた業務用漂白剤であることが発覚したという。DNAなどの痕跡が残さず除去されていたことからも、犯人の周到さが窺える。

 早い話、中学校の事件に関しては捜査に大した進展が無かったようである。


 そして、第二の事件に関しても有力な情報を得るには至っていない。浮かない顔で概要を説明し始めたのは、住吉だ。

「えー、第二の事件に関してです。自宅で殺されていた被害者の名取均ですが現在六十九歳。こちらも無職ですが、かつては、経済産業大臣などを歴任した政治家、ほそ誠晃まさあきの政策秘書を務めていたようです」

「細江さんってまだ生きてるっけ?」

「死んでますよ」

 署長と副署長による鬼籍の名簿確認をよそに、住吉は続ける。

「また、名取均と太田和征の接点は初動捜査の段階では確認できませんでした」

 第一の被害者・太田に関する捜査も頭打ちになりつつあり、当てにできるか分からない状況とあって歯痒さが増幅しているところだ。

 続いて、こちらの現場の状況に関しても鑑識課長が言い添えた。

「最初の太田和征の遺体同様、名取均の遺体からはDNAの痕跡は消されていました。しかしこちらの現場には別の痕跡が。トイレタンクの蓋から、名取のものとは別の指紋が検出されました」

 他に目ぼしい手がかりがないことを考えても、この指紋はほぼ唯一と言っていい有益な情報だ。この後の展開としては、名取の捜査に人員が割かれることになるのだろうと井口は予測した。


「隣の……井口さんでしたっけ?何か言いたそうですね」

 夏川管理官からの突然名指しを受けて井口は戸惑ったが、確かに思うところはあった。

「どうも、夏川管理官。高鳥署強行犯係の井口です。自分が怪しいと思うのは……やはり、あの中学校ですよ。第一の事件は学内の人間が犯行に及んだ可能性も高い訳です。太田和征が発見されたあの現場は外からでは見つけづらい場所にありました」

「しかし、井口さん」


 第一の事件で地取りを担当した警視庁機動捜査隊隊員・西さい和良かずよし巡査部長が口を挟む。


「被害者が殺された午後十時頃、学校にいた教職員には全員アリバイがありましたし、怪しい人物も見ていないと」

「そりゃそうだろ。太田は学校の外で殺された可能性が極めて高いんだ。容疑者になり得るのはその時間に外にいて、なおかつ学校内部の構造をある程度知っている人間なんだから」

「いや、それは分かってますよ。もちろんその線を当たってます。ただ、肝心の太田には高鳥不二中学校との接点が一切無い。第一、犯人が学校関係者だとすれば、遺体をあの中学校のゴミ捨て場に遺棄するのはあまりに不注意で、非合理的なんですよ。個人的には、犯人が学校関係者かどうかも怪しいと思いますが」

「ああ、合理的じゃないんだよ。むしろその逆だ。花びらなんか残さなければ、俺たちは連続殺人の可能性を見逃してたかもしれない。何故そんなことをする? する必要があったからだ」

「それは偽装工作とか、罠とか、あとは……ただの趣味の可能性もありますよね?」

「そういうのも含めて、する必要があったって言ってるんだよ。だからどっちにしろ、あの中学校には何かがあるとしか思えない」


 そんな折、一人の男がすっと手を挙げた。

 下平だ。

「よろしいですか」


 副署長が管理官と顔を見合わせる。

「ああ。お前らも、いいな?」

 井口と葛西は互いに相手から目を逸らす。それを確認してから、下平は訥々と語り出した。


「確かに花びらが捜査を撹乱するためのトラップである可能性はあります。ただ、それを何かの根拠とするにはまだ弱い。ここで注目したいのは犯人像です」

「犯人像……?」住吉が呟く。

「私なりに犯人像を想像してみたのですが、犯人はむしろ一連の事件をより表沙汰にしたがっているのではないかと推測します」

 副署長は「何故だ?」と不安と疑念をその表情に映す。

「遺体が見つかった場所ですよ。最初の、太田和征の遺体は中学校のゴミ捨て場で見つかったんですよね?つまりいずれ見つかるであろう場所に遺棄されていた。そう考えると二番目の事件、名取均のアパートの事件が気になります。通報者で隣人のおかふゆさんが証言した、名取の部屋から逃げていったという男は当然第一容疑者でしょう」

「それは、そうだろうな」夏川管理官が相槌を打つ。


「しかしこうも思うのです。その逃げた男は、犯人によって現場におびき出されたのではないかと」

会場に軽微などよめきが流れた。


「逃げた男が犯人だと仮定するといささか不自然です。隣人の岡谷さんは男の叫び声を聞いて名取の部屋に様子を見に行った。しかし資料を確認する限り、名取の遺体に抵抗の跡は見られない。つまりこの叫び声というのは、逃げた男が名取の遺体を発見した時に発したものだとは考えられませんか?」


「いや、でもよ」井口が疑義を呈す。

「発見したなら通報すればいいだろ。逃げたりなんかしたら余計に怪しまれる」

「そのリスクを負ってでも逃げた方がいいと判断した可能性もある。もしハメられたのだとしたら尚更だ。例えば、前科があるとか。或いは殺人事件の第一発見者が同時に有力な容疑者にもなることを察することができる人間なら、もし前科がなくても通報を躊躇ためらうことだってあるだろう」

「そんなケース滅多にねえだろ」

「あらゆる可能性を模索すべきだと言ってるんだよ。まあ、お前のような高圧的な刑事に長時間拘束されると想像したら、確かに見ないフリしたくもなるよな」

 井口がキッと睨む視線を下平はおお、怖いとばかりに受け流す。


「まあいずれにせよ、名取の部屋から逃げた男を探すのが先決だな」

 冷静に場を収めた夏川管理官は畏まって腕を組んだ。

「つまり下平君。犯人は早いこと事件を表沙汰にして、世間の反応を楽しみたかったと言いたいのか?」

「その線もありますね。少なくとも、死体を確実に見つけさせたかったということは言えると思います。その対象が特定の人間か、誰でもよかったのどうかはまだ判断しかねますが。そして……」

「なんだ?」

「……いえ、何でも」

 井口ははっきりと下平を視野に捉え、すぐ正面に向き直った。


 下平の話に決定的な根拠があった訳ではない。ただ、藁にもすがりたい捜査員一同が下平の話にケチを付ける余地はなかった。実際、それ以上に有益な情報は出てくることなく、捜査会議は打ち止めなった。そして、被害者の人間関係を洗い出す、いわゆる〈鑑取り〉を行う多くの捜査員が配備されることとなり、井口と住吉、そして下平もそこに名を連ねた。



「なあ、下平」

 声に反応し、下平は井口の方を向く。脱いだスーツを手に携え、女性刑事と共に立ち去ろうとしているところだった。

「なんだよ」

「お前、何か言いかけなかったか」

「馬鹿言うな」

「捜査はチームプレーなんだよ、下平」

「知ってるよ。今更捜査一課の刑事に言うことか?」


 気まずい雰囲気に「あの……」と割り込んできたのは住吉だ。下平が反応する。

「君は?」

「住吉新と申します。井口巡査部長の右腕です」

 下平に見せていた険しい顔面を、そのまま井口は住吉に向けた。

「フッ。私は警視庁捜査一課の下平純史だ。よろしく」


 それだけ言うと、下平は住吉に握手を求める。住吉はそれに応じた。

「じゃあ、また。行くぞ、卯月」

 づきと呼ばれた女刑事は、申し訳なさそうに会釈をした。

「すいませんね、いつもこんな感じなんですよ」

「余計なことを言うな」

「はいはい」


 二人が去っていく足音は、妙に井口の耳に残って離れなかった。

「おっかないっすねぇ」

 住吉は、依然としておどけている。

「いつお前は俺の右腕になったんだよ」

「いや、場を和ませようと思って」

 まあ、あのままだったら言い合いになったかもしれないので、相対的に見れば場は和んだのかもしれない。井口は時々、住吉の無鉄砲さが羨ましくなる。

「だってあの下平って人、鬼の形相でしたよ」

「それをわかっててなおふざけられるのは凄いと思うわ」

「苦手なんですよ、ああいう真剣な雰囲気」

 とても公務員とは思えない。井口は伸びかけの髭をなぞった。


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